《浜松中納言物語》⑥ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑥
巻乃二
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之二
六、御見送りに御歌、賜られること、夜のしずくに結ばれること。
お見送りの人々の故国へ帰還するというのに、在り難くも嬉しと想わせられるようにかの国にももて余すばかりの物ども、品々賜られなさって贈られなさり、添えて御文などお書きになられられる。
三の宮の御皇子には《あはれ》なることども書きつづられなさって、女王の君の御許にはその道中の覗き見なども恐ろしければ、若君のことなど露もお書きになられるわけでもなくて、なんとも言えずに侘しく感ぜられておられなさる。
少しでも世の常にして相許されることでさえあれば、御心を添えた御言葉などお書きになられられたのだろうが。
かの御想いにおかれられては、濱の真白の真砂の数よりも勝られて、お聞かせ差し上げられたいことども数多あらせられようものの、書きつづり獲ざることであらせられて、よろず押し込めて御想いも咽ぶ想いにただほのめかして差し上げられるばかりにお書きなさられるもの、その御心ご拝見させていただくものあれば《あはれ》に悲しくてしようもなかろうも、御君、その御頬に御涙の水茎の流れあわさられつつ、もはや、お書きつづけられ獲もなされられない。
…さて、何に例えればよいのでしょう?
海の果て、
雲のよそにて想う
このわたしの、この想いは
何にかはたとへていはむ海のはて雲のよそにて思ふおもひは
これこそ、世の常なる有様に他ならない。
一の大臣の五の姫君の御許へは、御君、御心に想われなさられるに御方の、明け暮れの涙に掻き暮れられていらっしゃられようものならば、かの国に見たさまざまなる御事の想い出されるがままに《あはれ》きわめて、なかなかに御心のゆくかぎり御感ぜられなさるがままに書き綴られなさられるのだった。
…あはれ、
いづれの転生のその生のうちにか
ふたたびふたり廻り合って
在りし日の澄み渡りきった同じ月を
ながめて時に添いましょう
私たちの宿命の時の中に
あはれいかにいづれの世にか廻り逢ひてありし有明の月をながめむ
とて、ふたたびいつかの転生のときに例え化生のものに成り果てたとしても、かの琵琶の音など聴いてみようかと、つれづれにも想いなさられるうちには、さしも心に想われなさられないがままに、その切なさの極まりに、涙さえもが追いつけはしない。
明日に御立ちなさるという夜の宣旨に、御帝の御使いに下られたる中将、大弐をはじめとして、筑前、備後の守など、この国(地方)に少しでもものの分かるものらの限り集まって、文作り歌を詠む。
中納言の御君のお作りになられられる御文に、唐土の人々も、この世のいずこの人の目にもふれようがばかりに紅の涙を流して、ひたすらに愛で《あはれ》がっている。
同じ国に
暫しのときに
別れるその時にだに
別れは常に悲しいことだのに
この今の別れ、
いかに悲しく想っているか
あとは察せられよ
おなじ世のしばしのほどと思ふだに別れてふるはいかゞ悲しき
と、うち泣いておられなさる。
御かたち御有様ご拝見させていただいたそのすべてのものども、その御文の愛でたさの《あはれ》に、これはただ切に悲しくて仕方もないと心ふるわさせていただくなかにも、かの大弐はその身に染みるがばかりに想っている。
かの国の宰相なる人、容貌心栄え優れて、なにごともなだらかにたどたどしいところなどない冴えた御方。
この三年のほど、昼夜中納言の御君が許を離れもせずにいたものの、この御有様に極まって、ただただ愛でたしとのみ身に染みて、切に別れを想い侘び、御送りにこれまで渡り来ることに添えながら、うち萎れることしかもはや知らず、
荒ぶり狂う浪雲を眺めてはるかに遠く隔たって
いつということもなくいつであってもいつもただ、
もはや在らせられないあなたをだけを恋うるでしょう
…ひとり私は。
荒るゝ浪雲のながめをへだてつゝいつともあらじ君恋ふること
と、詠む。
明日こそ京に上られようとなされるが故に、堪えきれない御志しにかのあまりにも愛おしくも趣も深くあった有様を、今一度見ておきたく御望みお持ちになられなさって、月の化生に憑かれたばかりに冴えて明るい夜のうちの更け込んだ頃合、としてこうして紛らわしつつ御立ち寄りなさられなさる。
ふと想い立たれられたことは誰ならなくに(注:1)と。であれば、ひきかえし、それは女を、想い乱れさしめるだけ想い乱れさしめてそしてすぐさま離れて仕舞うのはいかにも倫に背いてけしからぬ、と、想いになられられたが故に。
とはいえ、大方の世の常のとりなしようでもなくて想い直されられなさって、せめてもと想いなさりなさられれば、月の光の差し入り、おかしき程なる真木の戸を押し開けられなさって、御褥にお入りになられなされば、ものども、障子に几帳添えて女を差し出す。
このように、とにもこうにも事を構えて仕舞っては、夜の契りなどしようもないものを、ものどもの良かれと想ってしたことだから、余計に心憂いのだよ、
と、恨みに想われなさられつつも、障子より此方へ引き寄せて差し上げられなさる。
月影は今少しおかしげになまめき勝りて、行きずりの契りを結んで仕舞うのは、さすがに良からぬことではあるけれども、馴れ染めの夜のかのときの一方ならず想い沈んでいたさまを想い出してお仕舞いになさられれば、契りをこうして交わすことなど、かならずしも御心にお靡きなさられることではなくとも、この人の人聞きのことも気にもなられれば、終には倫の道理をも想い棄てられなさられて、それでも道理を言って聞かせるうちにも、あさからず語りあわれながらひそやかに、かさねあわせて契って差し上げられなさられるのを、この女も、この御方は稀なる方、他とは違う方でいらっしゃられなさると、御想い差し上げさせていただいたのか、こよなくも《あはれ》極まる気色のうちにうち靡いてはてて、ただただ麗しいがばかりの気配であった。
明けていくのを、御心あわただしくも立ち出でられなさられるほど、一の大臣の五の姫君の、半ばなる月に添うてお弾きなさられた琵琶の音、お聴き留めなさられられて出でられなさった暁に劣りもしない御心地なされられて、
こころから
涙のしずくに濁るこの朝の別れかな
悲しませないですむものならば、
歎いたりなどしないのに
心からしづく(注:2)に濁る別れかなすまば歎かであるべきものを
と、うち泣きになられなさって、
親たちが他に契らせようとしても、ゆめゆめ左様に想い靡きなさってはいけない、行く末には、必ずこの身に添わせてあげるから、
と、志も深くお想いなさられるのを、若い心はともこうも想い遣られもせずに、ただ殊に身に染みゆく心地して、恥じらいのうちに想いつつしんで仕舞いながらも、堪えられずにこぼれる涙も《あはれ》なる気配でこそあった。
あなたさまの御影さえご拝見できないでいる夜には
どこぞのよそに添われて結ばれているやと結ぶ手に
ただただ涙をこぼすばかりにちがいありません
それでもあなたを信じながらも
影見ずばかくぞよにてあるべきになど結ぶ手のしづくばかりぞ
と、ひたすらに愛おしく言っているのを見棄て難くも想われなさって仕舞われて、我ながら、さてもあやしく夢のようにこそあるかなと、お想いになられられれば上がる日に、京に上がるに大弐も御送りに関まで参る。
中将の乳母は若君お連れさせていただいて、ほかの船にて上る。
人々、御君の御心のうちのざわめきの御深ささえも知らないで、なんとも噂どおりの御方であったことだろうと口々に言っては、道理のままに《あはれ》がる。
(注:1)古今集恋部・河原左大臣《陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに》
(注:2)古今集別歌・紀貫之《むすぶ手の雫に濁る山の井のあかでも人に別れぬるかな》
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之二
送りの人々かへるに、ありがたう嬉しと思ひぬべく、かの国にも余るばかりの物ども、品々に贈り賜はせて文書き給ふ。三の宮の御もとに哀れなる事ども書き続けて、女王の君の許には、道の程も恐ろしう後めたければ、若君の御事など、かけても書き給はず、いみじういぶせう侘し。少しも尋常(よのつね)なる事にこそ、心も詞も及ぶわざなりけれ。思ひには濱の真砂(まさご)の数よりも勝りて聞えさせまほしき事ども数多物し給へど、え書き続けられ給はず、萬おしこめ思しむせびて、唯うち思はせて書きたまへるしもぞ、その心え見る人もらば、哀れに悲しかりぬべき、御涙の水茎の流れあひつゝ、かきもやられ給はず、
何にかはたとへていはむ海のはて雲のよそにて思ふおもひは
かくぞ世のつねなりける。一の大臣の五の君の許へは、涙にかきくらされねば、見し世の事ども哀れに思しすまして、なかなか御心のゆくかぎり書き続けられ給ふ。
あはれいかにいづれの世にか廻り逢ひてありし有明の月をながめむ
とて、身をかへてばかりや、琵琶の音を聞かむなどぞ、事なく思ふには、さしも心に入らずおぼししことども、涙のみぞかごとかましうなりにたるや。あすとての夜宣旨(せんじ)にて、公(おほやけ)の御使ひに下りたる中将、大弐をはじめて、筑前、備後の守など、国に少し物覚ゆる限り集ひて、文作り歌詠む。中納言の作り給へる御文に、唐土の人々も聞くかぎり、紅の涙を流して、めであはれがりきこゆ。
おなじ世のしばしのほどと思ふだに別れてふるはいかゞ悲しき
とうち泣き給ふ。御容貌(かたち)有様見奉るかぎりの人、文のめでたさのあはれよりは、これは、今少し悲しういみじと見奉る中にも、大弐は身にしむばかり覚えたり。かの国の宰相なる人、容貌心ばへ優れて、何事もなだらかにたどたどしからず。この三年がほど、夜昼中納言の御あたり離れず、この御有様をめでたしと身にしみて、切に別(わか)を思ひわび、御送りにこれまで渡り来たる、いみじう打ちしをれて、
荒るゝ浪雲のながめをへだてつゝいつともあらじ君恋ふること
とぞ詠みたりける。今はとて、暁、京へ上り給はむとするに、いみじう心さしたりしに、余りいとほしうをかしかりしさまも、今一度見まほしうて、月いみじう明き夜、痛う更けて、とかう紛はしつゝ立ち寄り給へり。思ひ立ちにし事も誰ならなくに、ひきかへし、けざやかに離れ背き聞えさせむもけしからざるべし。大方人に似ぬ御癖と聞けば、せめてとかく思ひなして、月さし入り、をかしき程なる真木の戸を押し開けて、御褥参り入れ奉りて、障子に几帳そへて女を押し出したり。かやうに事々しう、ものへだつばかりは契り聞えざりしを、こよなく思されにけるこそ、なかなか心憂けれと恨み給ひつゝ、障子よりこなたへ引き寄せたり。月影は今少しをかしげになまめきまさりて、おぼろげに思し召すは、見過すべくもあらねど、一方ならず思ひ沈みたる事ども思し出づれば、おぼろげの事に、心靡くべくも思されぬ中にも、この人は人ぎきさへねぢけがましければ、せめておもひ捨てて、道理をいみじうあはれに、あさからず語らひ契りたまふを、女もこのたびは、遠うなり給ふべしなど思ふにや、こよなく哀れしる気色にうち靡きたるも、らうたげなるけはひなり。明けぬべきを、心あわだたしくうて立ち出づるほど、一の大臣の五の君の、なかばなる月と弾きし琵琶の音、聞き留めて出でし暁に、いたく劣らぬ心地して、
心からしづくに濁る別れかなすまば歎かであるべきものを
とうち泣きて、親たち外ざまにもてなすとも、ゆめさやうに思ひ靡き給ふなよ、行末には必ず身に添へて見奉らむと、志深うおもふを、おろかにな思しなしそと、返す返す語らひたまふさまのめでたきを、若き心には、ともかくも思ひたどらず、殊に身にしむ心地して、恥ずかしと思ひつゝめども、堪へずこぼれぬ涙もあはれなるけはひなり。
影見ずばかくぞよにてあるべきになど結ぶ手のしづくばかりぞ
とらうたげに言ひ出でたるを、見捨て難うおぼすおぼす、我ながらもいと怪しう、夢のやうにもあるかなと思しつゝ、上り給ふに、大弐も御送りにせきまでまゐる。中将の乳母は、若君具し奉りて、他船(ことふね)にてのぼる。心知らぬ人は、いみじう思ひ聞えける君かなと、道理に哀れがりける。
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