《浜松中納言物語》⑤ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二









浜松中納言物語









平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑤









巻乃二









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》

現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之二

五、大弐、歎くこと、箱崎の花、想い遣られること。


その声の、聴き取れもしないがほどにかすかであるのを、その女のつつましくも世馴れない人がらとして、見所あるところをお感ぜられなさられれば、御心を留められなさられて、しばし、語らい置かれなさられてお出になられられるのを、

大弐は夜も終ら、いかになさられたことであろうかと、胸も潰れて想い明かしていたものだから、ようやくにして朝の日の明けて過ぎて行くほどにも、心の時めかれては胸の暇もないばかりに、

中納言の御君の、立ち出でられていらっしゃられなさったそのままに、大弐を呼び寄せられなさって、


足をもませていただきたいとの申し出に、ことを許したその女に、女房か何かとばかり推し量って想っていたらば、その人の御さまの通り一遍の方ではあらせられなく感ぜられて、想わず心も何も正気をなくすばかりにて驚いて仕舞って、


とうち微笑みお浮かべなさられるが、大弐はもはや、かつてもないほどに恥ずかしく感じられて、面も赤らむ心地さえしながら、


昔よりかの娘を御君の殿のお近くにでもご伺候させていただきたいものだと、志も深く想い願わせていただいておりましたところが、

わざと女などの気色などほのめかせて差し上げたとしても、さすがに御君の御耳にはお留めいただかれることもなく想われまして、このような機会の序でにでも、御み足をもませて賜らせていただいたその御名残りに、年に一夜のあいだにであらせられてもお想いだしいただかれこそすれば、この世の幸いにと想わせていただきましたもの、

こう構え続けて、人遣りならず想い乱れて、そのうえに、明かされた夜のことの不首尾の次第を耳にさせていただきましてはただ最早歎くがばかり。

娘が《あはれ》にもいじらしくて悲しく、いかにしても本意も遂げられずに、なんと恨んでいるものかと想われて、なんとも無様な怪しい企みを仕掛けさせていただいたものかなと、

ただただもはや…、


と、言っているので、その女、その夜のことの次第など詳しく語られ聞かせられなさられて、かならずしも、理も道理もわきまえもせぬ人ではないのだなとその人がらをもお眺めになられられて、


唐土にあったころに、一の大臣のこころよりかなしくも想っておられた娘を、切にと願われたことがあったけれども、異郷の地にてそのように打ち解け睦んでその人に馴れ親しみすぎてはいかがなものかとつつましく想わなければならない理もあって、

そのようなことかさねて仕舞えばいざ還らんとするときには還るに難いことも持て来たろうとも想ったがために、

あながちに遁れて仕舞いにして仕舞いもしたものの、この度の見送りに来たものらはそのあたりの人々であれば、行きずりのままに、そうして行きずりの恋など添わせて仕舞われたものと何処かでかにもその人らの物言いして仕舞ったならば、かつて言い含めたことも遁れた事実も、あのなさりようはいったいなんであったものかと、想われて仕舞うことも持て来ることもあるだろう、

かりそめにも留まったかの異郷にて、そう想われて仕舞うこの心の恥ずかしさ、

とは言えさすがに異郷のことにて、この耳をわずらわせるというわけではなかろうけれども、濁り多いこの俗世に過ごすいまの人の心は、なおも住み難くてあるものであって、

大将殿のかの、限りもなく私に焦がれられて世の例さえないが程にも慕われていらっしゃられた御娘の君に、

心外ながらも私が異郷の夢にあったころに、めざましいほどの御兆しのあらわれ来たりて、だれもかれもが歎き乱れて、世をも背くようなことにこそなって仕舞われなさったとお聴きしたのに、

すべて前の世の御契りの故に、そうならざるをも獲なかったとはいいながらも、

かの大将殿の御父君の想われるが心のうちには、罪さり難くあらせられて、

さらにはそれより下軒端(しものきは)の人であろうとも、みなこのように悲しくも切ないその想いのあるが故に、

人々などの心を鑑みて、決して歎きかなしまさずにしておきたいものだと想いながらも、

親という人らの御恨みばかりを負って、心を乱させ歎かせて、その方々の御身さえをも例えば尼にと、いたずらなることにして差し上げて仕舞うこと、

これ即ち我が身の怠りとこそ知る。

かの頃、常日頃に人々の知るところのない海の浪風に漂ってみたのも、まだ知らぬ異郷の国へと渡って行ってみたのも、御父君のその御身ご転生されておわされなさる、その御すがたにお目にかからせていただこうとばかりに想いつめた志にのみよるもの。

この大将殿の御父君の想い歎かれていらっしゃられるのはすべて、このわたくしのせいにほかなくてあれば、かつ、安からにはあらせられもせでただうちお歎きなさられていらっしゃる御母上の御心も、ひたすらに罪深かるべき恐ろしく歎いて想っているこのごろに、

国も隔てず海も別けない故国の地にて、そのような色恋のことなど起こして仕舞えば、無碍にもなにも罪さえも感じもせずに、ただただ移ろっているに過ぎなくてあるがことは、愚かにも怪しきことに違いなく、

いつものようにわたくしなどに近づいてその想いもなにも乱されたとあっては、かの方の御ためになりはすまいと想われたので、心にひたすら想い乱れながらこの夜を明かしたのですよ。


と、そうしたことども、語り聞かせられになられて、


他の人にはゆめゆめ口外などなさるなよ。


このようなことなど語り聞かせなさられて、このことの外に漏れ伝わることなどありはすまいよと、想い密められていらっしゃられる。

今少しの日数を経れば、必ずふたたび声を聞かせに来て差し上げよう、さすがに苦しいとは想われようが、どうか恨まないでほしい、となど、うち歎かれつつもおっしゃられになることども、ただただ心深く《あはれ》であらせられた。

このような御憚り事の深くていらっしゃられるなかに、なんと浅ましくもつたない仕打ちをして差し上げて仕舞ったものかと大弐は驚かれて、

御君を、手離して差し上げるのはえも言われずに口惜しいけれども、どうして差し上げる事ができるだろう。

人聞きに聞く、世の常のあしらいに想い照らしてみたならば、ゆくゆくに任せて時のゆくに任せようかなどとは想えもしないことではあるけれども、御心のほどを存じ上げさせていただければ、何となくも懊悩の紛れて仕舞って、

とは言え、馴れ初めさせていただこう願ったものの、馴れ初めさせてはいただけなかったことの、ほかに想われてあらせられる御方のいらっしゃられることのあらせられてならば、御君はこの後いかになさられようものか

と想われればうち泣いて、


箱崎の松は

契りの結びもないままに

なにに心をかけて

お待ちすればよろしいのでしょうか


はこざきの松は契りもなかりけり何に心をかけてまたまし


なおもひどく口惜しき想いの、絶えることもなくているのを、どうしてそんな事を言って仕舞うのか、とうち微笑みさえなさられて、


行く先の

はるか遠くの行くさきに契りのあるのにかけたのですよ

だから、箱崎の松に、

いまは別れていくのです


行くさきをはるかに契る心あるにかけはなれそ箱崎の松


とてお言い置きになられなさって出て行かれられるに、いやいや、ためこそ人の(注:1)…と、恨めしげにも独り語散つつ御供に参る。

そのあまりにもうち萎れて本意なげな気色に、さすがにいじましくも想われられて仕舞われて、かの女の気配のまめやかにもおかくしてあったのを、見過ごされなさることにもなったその御心も、想えば世にありきたりではない仕業には違いなかろうとさえ想われていらっしゃれば、日も暮れかけた頃合に、筑前の守をお召しになられなさって、御文など賜わせられるのだった。

大弐の、心に決めていたものの、あいなく本懐を遂げられもせずに終ったことをうち歎いていれば、その奥方は、かの愛でたき御方、よからぬことはお想いなさりもなさられない御方に、あさましくも自分の娘など突きつけて、なんともはしたないことを想い願ったものだろう、親などないが如きの心細い家であればこそ、このような見苦しいことなど出で来るものだなどと言ってむつかっているのを、大弐も道理にとこそ想いもすれば、悔しく想い乱れてばかりいるところに、この御文のまたとないほどに嬉しく想われて、ひきあけてみれば


何ということもなく

ただ暮れて行く空を眺め遣りつつ

仔細ありげに微笑んで仕舞うのはなぜでしょう

どんな嬉しい花なのでしょう


何となく暮れゆく空をながめつゝ事あり顔にうれしきはなぞ


みごとにお書きになられていらっしゃる。

母君に、


これを見るがいい、このような人をいかにしてお慕いしないでいられる人などいようか。

さまざまに御想い憚られることどもも多くあらせられる御時節であらせられたものの、打ち解け馴れさせていただければ、かの娘のためにも愛おしい。

わたしの心の想い乱れてあるだろうがことを想い悟られになりなさられて、棄て置きもしない御心の深さ、まずはただただ在り難くてあらせられる。

その御心に留めていただいて、さぞ恨みに想っていることだろうと、お想いになってお仕舞いになられるその御心遣りの深さ、なんとも在り難くも世に稀であらせられる御方であらせられようか


と、せめて言いなだめて、喜び《あはれ》がって話すのを、母君も、この御文をうち置きもせずに拝見させていただきつつに、まことになんと愛でたい御方であるかと想っている。

娘は、母君の涙を流してむつかるさまなど見難くさえ想われて、つつましくも恥ずかしがって引き篭もっているばかりに、まどろみもしないその御名残りのなかに、寝入りはじめたその頃に、大弐忍んで入って驚かしつつ、かの御文の御返り、ことも細かに指示してみせながら教えて書かせる、


暮れようと想い別れていく

空であれば、ただ空しくて

雲の行くえも

ただながめやっているのです


暮れなばと思ひわかれぬ空なれば雲のゆくへもながめやはする


手もこめすぎて恨み言も多すぎるその言い口に、さては大弐の教えであろうなと、いじましく想われてみられなさるのだった。

その暮れのころにも、密かにお立ち寄りなさられてさしあげたけれども、そんなことから、ご対面もなさられられないがままにお過ごしになられていらっしゃる。道理であれば、どちらの方にも恨み言などない。



(注:1)拾遣集恋部・大伴百世《恋死なむ後は何せむ生ける日の為こそ人は見まくほしけれ》





《原文》

下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之二


忘れぬほどに言ひ出でたるも、人がらにされて見所あれば、いみじう心留めて、語らひ置きて出で給ふを、大弐は、終夜(よもすがら)いかにしつる事ぞと、胸潰れて思ひあかしければ、明け過ぎぬるも、心ときめきせられて胸のひまあくに、中納言立ち出で給ふまゝに、大弐を呼び寄せて、足うたせよと、ゆるしありつる人を、女房などにこそはと、推し量り思ひ給ひられ侍りつるを、人の御さまのなべてならぬ心地し侍りつるに、思ほえずいとゞ心も覚えず驚かれてこそと、うちほゝゑみ給へるが、世に知らず恥しげなるに、面赤む心地しながら、昔よりこれを仮にも殿の御邊(あたり)に候はせむと、志深う思う給へしかど、わざと御気色など賜はらむも、御耳留めさせ給ふやうもあらじかしと思ひ給へて、かゝる序に、御あしをも参らせそめさせむとてなむ、年に一夜よひの間にも思しいださせ給はば、この世の幸福(さいはひ)に思う給へて、かまへはべりて、人やりならず思ひ乱れ、明しつるよと聞えさせてうち歎きぬ。哀れにいとほしうて、いかに本意(ほい)なく恨むと覚えて、怪しうもおもむけしけるものかな、さなむしと宣はせましかば、有様をも委しう聞えて、心得ぬさまにはおはさざらましをとうち詠めて、唐土なりし程、一の大臣のいみじうかなしうする女(むすめ)を、切に志いはする事ありしかど、外の世にさやうにうちとけ、人に馴れ睦びむ事と、つゝましきもさる事にて、さやうにありつきては、頓に帰らむ事難くやあらむと覚えしかば、あながちに遁れてなむ、止みにしを、この送りに来たる人々は、その邊(へん)の人なれば、いきつきしまゝに、さ、この人のあたりになむ寄りにしなど、何拠(いづく)にも人の物言ひ変らねば、言ひなさむも、我にあながちに遁れしも、さりける事のありけるよと、聞かれむ事もいつしかに侍り、かりそめにも馴れにし世の人に、又さうち聞き思はれ侍らむ事の心はづかしさ、さばれや外の世の事にてあらねば、おもづから聞き給ひけむも、この世を離るゝ心深うて、人に似ぬひがものにてすごし侍りにしかど、濁(にごり)多かる世に過くる程の心は、猶え住み侍るまじきわざなりければ、大将殿の限りなく思しかしづき、世に知らず思すめりし御女(むすめ)に、我も人も心より外に、夢のやうなりし程に、著き験(しるし)えまぎらはさず出で来て、誰も誰も歎き乱れて、世を背く様になり給ふにけりなど聞き侍るに、すべて前の世の契り、さるべきぞとはいひながら、かの大将殿の思さるらむところ、罪さり難く、さらぬそれより以下(しも)軒端の人だに、皆かやうにいとほしきすぢにより、人に心置かれ、歎き思はせしと思ふ心深く侍りしを、親と思ひ聞ゆべき人の御恨みを負ひ、心を乱し歎かせ、人の御身もいたづらになして侍り、唯みづからのおこたりと思ひ知り侍る。萬よりも優れて世に知らぬ浪風にたゞよふも、まだ知らぬ世界に渡り罷りしも、親の身をかへておはすらむも、見奉らむと思ふ志にまかせて渡り罷りしなり。この大将の思ひ歎かるゝ、我が方ざまの事によりて、安からずとのみ歎き給ふらむ母の御心も、いと罪えがましく恐ろしく歎き思ひ侍るを、所をも隔てず、さなむあると、無下に思はれぬやうに聞え侍らむ事の、いみじう愚かに怪しかるべきにより、例ざまに気近く乱れ奉りては、人の御為もいとほしく、我が心も苦しく侍るべきにより、いみじく思ひ乱れてこそ明し侍りぬれ。かくけざやかに聞きなし給ひて、外ざまになゆめゆめ思ひ給ひそ、かゝる事を聞く聞く、このほどにさやじゃあるべきといふもどきをさへおはじと思ひ忍び侍るなり。今少し日数過ぎ侍りなば、必ず預り聞え侍りなむ。さりとてあいなかりけりと思しかはらず、苦しくとは思さずとも、恨み申し侍らむなど、うち歎きつゝ宣ひつゞくる事も、心深く哀れげなり。かゝる御憚りども深かりけるに、こちたく怪しかりけるわざかなと驚かれて、悔しけれどもいかゞはせむ。人ぎきなどの、尋常(よのつね)のさまに思ひ給ひよらましかば、いとかくゆくてにゆくりなく御覧ぜさせむとは、思ひ給へとるべきにもあらず、御心の程を承り知りて侍れば、何となく紛はして、御覧じだにそめてはと思ひ給へよりて、さ御覧じなれざりけるとて、外ざまに思ひ給へよることは、いかでかとうちなきて、

 はこざきの松は契りもなかりけり何に心をかけてまたまし

猶わるく口惜しき思ひの、絶え侍るまじきにこそと、無下にさはいかに言ひはなち給ふと、うち笑ひ給ひて、

 行くさきをはるかに契る心あるにかけはなれそ箱崎の松

とて出で給ふに、いや、ためこそ人のと恨めしげにうちずんじつゝ御供にまゐる。本意(ほい)なげなる気色を、さすがにいとほしう思し、かのみづからのけはひの、まめやかにをかしかりつるを、せめて見過しつる我が心も、世に似ず怪しう思し知られて、暮つ方筑前の守を召して、御文賜はせたり。さまことに思ひおきてつる事の、あいなく本意なきをうち歎きて、母君めでたきにても、よしなし思ふ事、ことにおはしまさむ人に、あはつけうひき出でて、すさまじうはしたなきものを思ふかな、親などなきものの心細げなるこそ、かやうの事はあれなど言ひてむつかるを、道理にて、悔しう思ひ乱るゝに、この御文いと嬉しうて、ひきあけて見るに、

 何となく暮れゆく空をながめつゝ事あり顔にうれしきはなぞ

いみじう書かれたるや。母君に、猶これ見給へ、かゝる人をばいかでか思ひよらぬ人のあるべき。さまざま思ひ憚る事どものあるほど、うちとけ見馴れては、人のためもいとほし。我が御心も安からざるべきを思しさとりて、乱れ給はぬ心深さ、まづかいとありがたし。その心に知らせて恨み置かれしなど、思ひ給へる用意の深さなど、返りてはこれかれいみじう、ありがたう世にしらぬ御有様なりと、せめていひなだめて、喜びあはれがり聞ゆるを、あながちなる事など聞き見ながら、北の方も、この御文をうちも置かず見つゝ、誠にいとめでたしと思ふ。女(むすめ)は、母君の涙を落してむつかり給ふなど、聞きにくかりければ、つゝましう恥しかりつるまゝに、もどろまざりつる名残、寝入りたる所に、大弐うちうち忍びて驚かしつゝ、この御返り事目とゞめ給ふばかりと教へてかゝす、

 暮れなばと思ひわかれぬ空なれば雲のゆくへもながめやはする

手もこめかしうをかしげなるを、いとうらみさしすぎたる口つきは、大弐のをしへしなめりと、いとほしうをかしう見たまふ。そのくれにも、忍びやかに立ち寄り給へど、さらぬものから、人目のあいなかりぬべければ、対面もせさせ聞えずなりぬ。道理に怨み所なしかし。










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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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