《浜松中納言物語》④ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ④
巻乃二
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之二
四、大弐の女、焦がれること、海の光に女を見られること。
所のさまは、山と海とをおびてある。
汀も見えて趣も深いのを、そく山の大臣の御住まいをこそ、まず想い出されになられておいでであらせる。
客人の午前に筝の琴を参らせて、大弐は琵琶を弾き、筑前の守は和琴、はてには笙の笛を吹く。
このへんの頭領などもいて、おかしきほどに遊ばれなさられて、夜の更けゆくがままにされる昔物語なども聴きどころ多く感ぜられなさられておらされる。
さすがに気の効いたひとことふたこと、御言葉さえも賜られていらっしゃられれば、急ぎお帰りになられられることもなく夜も深く更けていった。
今宵はこちらにおはされますべく、ものども、切に切にとお引き止めさせていただけば、お断りなられるまでもなくて休らいでいらっしゃられるのに、明け方も近くなれば、うちへお入りになられなさって、お休みになられられようかとなさられるのに、大弐は嬉しくて、ここぞと奥のほうよりささやかなる女をひとり差し向けて、御み足でももませて差し上げましょうと、言う。
怪しく、だれをいかにしようと言うものかと、驚かれていらっしゃられるけれども、追い出して仕舞うのは、女にはしたなくもお想いになられなさって、いじらしくも感ぜられなさればお許し賜られになられて、それでは足でも押さえてもらおうかと女を御そばに引き寄せられてみられれば、その匂い有様、言うも言われずにあでやかにも香ばしいほどにてさわぎたち、もみしだくその手つきの肌のこまやかななきめに、彩づいてあるその気色に、人並み一般の人とは想われられなくていらっしゃられる。
かの、夜の慰みに男の君が、文などかわして肌などあわせ、憂いの言葉も口ずさみ合うべき、そのような女にはちがいなく、さては御心、尋常の男の心と想われて、推し量りみて差し向けたにちがいなくお想いあたられていらっしゃられる。
ただいまは、たとえはるかなる天女の目の前に舞い降りきたったとしてさえも、心惹かれることなどありはすまいよとお想いになられていらっしゃられるけれども、返して仕舞われるわけにもいかれずに、もの煩わしくも想いになられなさっておられながらも、御傍らにかき寄せられなさられて、袖うち交わして添い寝されて賜られるのに、その手当たり、ふれあう気配も、にくからず趣もあるおもむきに感ぜられていらっしゃられるものの、心の中に、この、又ふたたびお見かけして差し上げるのも難い御君をお見送りさせていただくのを本意として、唐土の国より随行しているものどもも近くにいる。
さばかりにも、一の大臣の企まれて是非にと薦めたかの御誘いでさえもが、それと請けがいはなされられなかったのを、行きずりの果てに大弐の婿になどなってあらせられるなど、想われるのも聞こえも悪く想われなさられて、
また、この国に還って来られなさっては、大将殿の姫君の、尼になられなさったその御ことの次第をお耳にも入れさせられなさった、その御次第への御もの想いもふかくてあらせられれば、こうやって睦みいただいたものだよと、噂に拡げられて仕舞うのも口惜しくお想いになられられて、ただ、懐かしくうち語らってばかりのみいらっしゃられるものを、女は無下に承諾しようとはしない。
暫し、あさましいがほどの色の誘いの声も聞こたのだが、こうまでも愛でたい気配の女であれば、疎ましくお想いになられられるわけでもなくて、契り語って賜られなさるのに、おかしくも《あはれ》にて、やがては女も承諾し切れはしないがままに、焦がれた想いも慰まれて、つつましやかに添うてさしあげさせていただくその気配も、《あはれ》に想われなさられるけれども、なかなかに、いかにも事在り顔にて暁起きをして仕舞うのもわざとがましくお想いになられていらっしゃられれば、御殿篭りを過ごしすぎたかのような頃合に、そのような御仕草にて、海のお見えになられなさられるほうの扉を押し開きなさられて、差す夜の光のうちにこの人を振り返り見られなされば、いろいろに手を尽くしたうえに、月見草の色の織物を身にまとっている。
十七、八くらいであろうか。
若くあえやかに、涙さえにじませた焦がれ顔を曝し、あでやかにもおかしく、髪はすこしばかり赤らむものの、乱れることなく垂れ堕ちて、こまごまとしたひすいの石などの光沢をはなって拡がり、見苦しいとこはない。
裾つきの尾花の花の生まれかわりを見る御心地さえなさられになって、色も濁りも隈もなく白いのに、こぼれかかった額髪の絶え間に絶え間にその色は冴えて、簪などよからぬ品だが、目だった汚点などもない。
すべて、おかしき限りであった。
想いのほかにうつくしい女であったことよと、さすがに見棄てて仕舞われなさられるのには口惜しく想われなさられて、こまやかに、のちせの山(注:1)を頼まれられて出でられようとなさられる。
夢々に慕いつづける
葛の下葉よりも
つゆとも忘れはしないと
想うばかりなのです。
ゆめゆめよしたはふ葛の下葉よりつゆ忘れじと思ふばかりぞ
御返し、言葉もないほどに恥らっていれば、
お忘れなければ
葛の下葉の風の恨みの声ほどには
そのお声を聴かせにきてください
忘れずば葛のした葉の下風のうらみぬほどにおとをきかせよ
ただ、つつましく聴き取れもしないほどにかすかなそれを、その眼差しにお伝えさせていただいた声も、あでやかにも若々しく美しい。
(注:1)萬葉集巻四・大伴家持《のちせ山後もあはむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生きれ》
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之二
所のさま、山と海とおびたり。汀見えておもしろきも、そく山の大臣の住居(すまひ)、まづ思ひ出でらる。客人(まらうど)の御前に筝の琴まゐらせて、われ琵琶弾き、筑前の守和琴笙の笛吹く。このへんのずりやうなどありければ、をかしき程にあそびて、夜の更け行くまゝに、昔物語聞きどころあり。をかしくわりなき御心地、慰むばかり申しなどすれば、急ぎ帰り給はぬに、夜いたう更けぬ。今宵は猶此処におはしますべく、切(せち)に留め聞えさすれば、理なうて休らひ給ふに、明方近うなれば、うちへ入り給ひて、うち休まむとし給ふに、嬉しくて、奥の方よりさゝやかなる女をおし出でて、御あしまゐらせ給はなむとて来ぬ。いと怪しう、誰をいかにする事ぞと驚かるけれども、見いれ給はざらむも、女のはしたなう思ひぬべければ、いとほしうてゆるされ、ありつる足も抑へ給へかしとて、引き寄せ給へば、匂ひありさま、いとあてはかに香しうて、手あたりもいといみじうさゝやかに、あえかにらうたげなる気色、かいなでの人と覚えず。いと折々所狭げにもてわづらふよし、憂へいふ女(むすめ)にこそあらめ、我が心を尋常(よのつね)に推し量りてするなむかし。只今はいみじき天女天降るとも、心をつゆ迷はすべからぬものをと思せども、入りねと宣はすべきにあらねば、物わづらはしう思す思す、傍にかき寄せて、袖うち交して臥し給へるに、手あたりけはひ、いと憎からずらうたかりぬべけれど、心の中に、又人を気近(けぢか)う見むとしも思されぬを本として、唐土の人々の、送りに来たるも数多あり。さばかり一の大臣のまつはかしてだに、寄りつかずなりにしを、行きつきしまゝに、大弐の婿になむなりにきと聞えむもいとわろく、この世にとりては、大将殿の姫君の、尼になり給ひにけるを聞く聞く、それをば思ひ入れで、かくなむむつびよりにけむと聞えむも、いとほしう思さるれば、唯いと懐しううち語らひ給ふを、女は無下に心得ざるなるべし。暫時はあさましうあきれたるさまなりつれど、かばかりめでたきけはひに、疎ましからず契りかたらひ給ふに、をかしうあはれにて、心えざりけることながら、思ひ慰みて、うらなくうち添ひたるけはひも、哀れなりぬべけれど、かなかな事あり顔にあかつきおきせむも、わざとがましければ、御殿ごもり過したるやうにて、海の見ゆる方の戸を押しあけて、この人を見給へば、いろいろにこきまぜたるうへに、うつし色なる織物を著たり。十七八のほどなるべし。いと若うあえかにうちひそみて、あてやかにをかしげにて、髪は少しいろなるが、筋も見えず、こまごまとひすゐなどいふらむやうにひろごりかゝりて、いとこちたくはあらず。裾つきの尾花のすゑのやうにて、色隈なく白きに、こぼれかゝる額髪のたえまたえま、簪などこゝこそわるけれど、目だつ所なくをかし。すべてかをり懐しげなり。思ひの外にあさましうもありけるかなと、さすがに見すてむ事口惜しうて、こまやあkにのちせの山をたのめて、出で給ひなむとす。
ゆめゆめよしたはふ葛の下葉よりつゆ忘れじと思ふばかりぞ
御かへし、聞えむかたなうはづかしければ、
忘れずば葛のした葉の下風のうらみぬほどにおとをきかせよ
わりなうつゝましげに、顔をもて紛はしたる声も、いとらうたく若うをかしげなり。
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