《浜松中納言物語》③ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ③
巻乃二
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之二
三、涙の海の海女の夢のこと、大弐、企むこと。
中将の乳母の、大将殿の姫君の御ことなども、初めよりこまやかに語り聞かせて差し上げられれば、尼になどなられていらっしゃられること、初めてお耳に入らせられなさって、我ながらも、目の前にかの人の御許しいただかれられたわけでもあらせられなくば、想い寄る岸辺とてなく想っておられなさられて、遥かに異郷へご出発なさられることを想い立たれなさられたほどの御懊悩がばかりに、ただただ想いみだれなさられて、愛おしくも悔しくも、かつもさらにも心苦しくもあらせられなさって、これほどまでにも心乱れて遣る方もないことどもの、かつてもこれからも顕れることなどあろうものかとさえお想いになられなさる。
そうであったことか、
あれは奇跡のような御兆しなど夢にも顕れて、尋常世の常のなわらしになどかつてなかるべき、唐土への渡航など想い立って、いざと旅立って仕舞った、それと行き違いに、
かの御帝のご寵愛もああがまでに深くて限りもなきものに想われていたもの、大将殿のかの御姫君の愛でたかりし御かたち御ありさまをも、いたずらにも尼になどなさられて仕舞われたのに、
宰相の御君、いかに御想い乱れられなさって御恨みも深く限りなくあらせられ、その御悲しみのほど浅くあろうがはずもなくていらっしゃられようか。
かの方のご出家の御気色をそのかたわらに、お見かけしておられなさったには違いなかろう御母君にあらせられても、その御心、いかに安らかかろうはずもない。
それはそれとして、
ただただ御心も、御想いも深くてあらせられたかの御方の、この私をして、尋常にはあるまじくほどにも心ゆるめられなさられて、隔てもなくひたすらに懐かしみあって通って仕舞ったものだのに、いまやかの頃の、想えば純なる御想いの外の異様のことに辿り着きて仕舞われておられなされば、憂しとも辛しとも、さらにはいかにも悔しともお想いになられておられになられようこと、いかに深く、限りなく。
このような異様の乱れのあって、かの御心消え入るがまでにも想い侘びなさられられてこそは、あの世の例にもなく美しく見事であらせられなさった御髪をさえも、殺いで果てて仕舞われなさられたのだろう、
と、唐土にても、心深きその御想いは晴れやりも紛れやりもなさられもせずに、この故国に残して恋しくただただ歎かわしくお想いになられていらっしゃられた御方のことであらせられれば、さしあたって中将の乳母の口の語って聞かせるそのさまの《あはれ》は、ただひたすらに御心を掻き毟って引き裂いてもまだなお飽きもせずに、
むかしより、かのような世の倫の乱れた行いによってこそは、我が心も乱れさせ、人の心も歎かせるものよと、心に強く想い戒めていたその甲斐もなくて、我が国にてもかの国にても、世に口など開けられもしない秘めごとの恋の乱れに身をば沈め、かの御方々にも苦しくのたうちまわらせてさしあげるばかりで、外でもない、今は親たちにさえ心を隔たって、浅からぬ御恨みさえをもこの身に負うて仕舞わねばならぬとは、
これらすべて、みな昔わたくしの心に想っていたことどもとは、まったくも違って仕舞った我が身であることか
と、来し方行く先、これからのその御宿命の、それらの御ことどもいかになっていくべきものか、ただただ涙に掻きくれる御心地さえなさられるに、その、宰相の御君も、涙にくれておられよう御消息など、もしや御みずからの文箱のなかにもお気付きになられないがままに棄て置かれてありは仕舞いかと、宰相の君のそれをば急ぎあけてお調べになられておられれば、宰相の君の御文などそれほどに多いわけでもなくて、すぐさまに
涙の浦に住む
尼=海女になって仕舞ったものを
見守るひとも、彼もまた
朝の凪にさえしおたれているものなのです…
浦にすむあまとなりしを見し人もたゞあさなぎにもしほたれつゝ
とばかりあるのをお見かけなさられても、それはまさに道理にて、唐土にて、大将殿の御姫君の、涙の海に身を沈められると見たかの夢も、ようやくにして想い合わせられていらっしゃられれば、飽かずもただただ悲しくていらっしゃられて、もはや胸に余るがばかりでこそあらせられなさるのだった。
かくて、中納言の御君の、ただただ深く御もの想いにふけられていらっしゃられなさるのを、中将の乳母、侘しく悲しく限りなくお見かけさせていただけば、さまざまのことに慰められてさしあげるのだった。
この若君をば、御母宮にお教えさせていただいてお預けさせていただこうと、想っているのを、この人の万事に目が効き間違いなどおかさない人であれば、恨みも心のこりもなくてあらせられなさってお別れしていらっしゃられる、その御心にはただ在り難くとこそお想いになられておわされるのだった。
また、
人々は各さまざまに想いみだれてあるところのあるころに、この私は異郷の地に立ち離れて仕舞って、挙句にはこのような忍び草さえ摘んできて仕舞ったことだよと、だれもがそう想うだろうがこと、どうせ後々には隠れなく顕れて仕舞うことにはちがいなかろうが、わずらわしく想えてしかたもなければ、かの大将殿のうちにも、いまは聞かせずにおこうか、
となど、語らいになられておられになる。
故国を離れた異郷にて、寄り添ったかの御后の方とのことをのみお歎きになられなさっておられたその頃に、故国においてはかの大将殿の姫君の、御心傷められなさって、尼になられなさっていたという事実に、いまや、帰国のかなわれたこのときに、御身を御もてなしなさられるべき御方もなくなられなさって、孤独、あるいはそのご心情のほどをただ忍んで想われられつつも、たとえかの尼の姫君には御許しいただくこと叶わなかろうとも、この心の限りには深く心慕い心添うていたいものだとお想いにもなられられながら、御身を深く頼るべきかの稚児の姫君の御ことをさへ、秘められた御こととしてのみ空しくも知らされねばならない口惜しさは、枕を同じうしたあとの恋の責めの苦のいまさらに倍苦にもなって責め来る御心地こそなさられて、ただただ呵責の心に暇さえもなく、歎きに沈まれてのみいらっしゃられる。
その当地の大弐、心ばえ好きずきしくて、さまざまに物愛でることの多い方にてあれば、限りなく想いかしずく娘のあるのを、この中納言の御君にぜひとも睦ませていただきたいもの、差し上げさせていただきたいものと昔より想ってみてはいたものの、そうはいってもお近づきにあずからせていただくすべなどなくて、そんな物想いなどふけらせていただくべきでさえもあらなくば、どうするわけにもいかないものでこそあったのだが、人がらもすぐれて自負するところのある方でもあって、諦めきるというわけでもなく、とはいえ中納言の御君の、その御ご威光のさまは想うにとおくあらせられて、雲居よりも遥かに遠い御心地するのに想いわずらわれてばかりでいらっしゃのを、三年が時の異郷の時をへだてていまに御すがたご拝見させていただけば、まさに盛りの花と成り勝られておいでであらせられるかの御かたち御ありさま、御君、まさにえも言われずもただ愛でたくていらっしゃられておわす。
命さえ延びる心地するのに、こうしてご滞在なさられておられるうちに、いちど引き合わさせて差し上げたいと企む。
たとえ年に一度の逢瀬であらせられても、わずかな御想いでも惹きとどめられていらっしゃられるならば、彦星の星の光に同じご拝見させていただく甲斐もある御光にはちがいなかろうよと、想っていらっしゃるのに、御気色とらせていただくのも猶心恥ずかしくも難ければ、おもしろき所々に、珍しきさまなる楼台など作って差し上げて、行き通いつつ遊んでいただくうちに、頃を見て、月のあざやかにも明るく華やかなる夜に、ひそかに、娘をそこにわたして、遊びなど興じさせながら、中納言の御君のおはします仮の住まいに近ければ、その姪である筑前の守を差し向けさせていただく。
ふるさとの
三笠の山のその月にさえ想われる
今宵の月は
ここに来て見るがよい
ふるさとの三笠の山に思ひなしこよひの月はこゝに来て見よ
中納言の御君、月をながめられていらっしゃられつつ、よろずのことどものその御胸にただ飛来なさられらえて、あの旅立ちのときに、お立ち寄りなさられて見られなさった一の大臣の家に、紅葉の翳に映えた月の夜、五の姫君の、わずかでも御慰めをば差し上げようと弾きはじめられたあの琵琶の音も、御耳についていつしか聞こえ始められなさられるほどに、どうして絶えずお立ち寄りして差し上げなかったものだろうと、して差し上げられなかった御ことの後悔さえもが御心にしみわたられなさられて、悔しきがまでに想われなさられていらっしゃれば、
なんどもなんども立ち寄って、
どうして月を見なかったのだろう
想い出して仕舞うがほどに
ただただ恋しい
立ちよりてなどか月をも見ざりけむ思ひ出づれば恋しかりけり
《かうやうけん》のあたりの御秘め事は、ただ想わなくとも片端から想いだされなさられて止まず、その御身も空に浮かんで消えて仕舞われなさる御心地のして、ひたすらに侘しければ、行方も知らず果てもなく、空しきばかりの空にさえ満ちてあふれるがほどの、そして御君は、ただただ空をながめて想われられるばかりにてあらせられるが、筑前の守に誘われてみれば、好きずきしさも顕われなさられて、誘いを断って仕舞うのもはしたなく想われていらっしゃられれば、またいずれにしても、侘びしい心も慰まれるかとお想いになられられて、密かにお渡りになられれば、人は多くはなくて、すこし物の美醜を知る人々の五、六人ばかり、かすかにも寂しくもてなさせていただく、その待ちかねたる喜びのつつましきさまは、御心に触れる。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之二
大将殿の姫君の御事も、初めよりこまやかに語り聞えさせて、尼になりておはしますさまなどきこえさするに、我ながら目の前に人の許しなきことを、思ひつるべうもあらずと覚ゆるに、遥かに思ひ立ちにしほどにしも、いみじう心乱れて、いとほしう悔しう心苦しかりしかと、これ程に思したちにけむ事ども、顕はるべきならずとこそ思ひつれ。さはいと著(いちじる)しき事もありて、いみじき事も思し立ちにけむ事ども引き違へ、さばかり限りなきものに思しかしづかれ、めでたかりし人の御身をも、いたづらなるさはにしない給ひてけるに、大将いかにあやなくうらめしう、浅かりけるものに心おき思さるらむ。かの御気色見給ふらむ母上の御心も、いかゞは安からむ。そはさるものにて、いとゞ心深くのみ聞えし人の、我をばさま異なるものにたゆみて、うらなくなつかしみを通はい給ひしに、思ひの外なりしをだに、憂しつらしと、さばかり悔しげに思し入るめりしか、かゝりける事どものみだれ、實(げ)にいかばかりかは、おぼろげに思し侘びてこそは、世に例(ためし)なくあたらしかりし御髪(みぐし)をも、そぎ棄てやつい給ひけめなど、唐土(もろこし)にても、心深ういみじかりし御思ひに紛れず、この世の恋しき御歎きには、實には類(たぐひ)なかりし人の御事なれば、さしあたりて聞き給ふ哀れは、まいてます事なきにつけても、昔よりかゝるかたさまにつけて、我が心をも乱らかし人にも心おかれ歎かせじと、心強う思ひ認(したゝ)めしかひもなく、我が世も人の世も、よにしらぬ恋の乱れに身をば沈め、人にいみじき物思はせ、他人(ことひと)だにあらず、今は親たちに心おき、浅き恨みを負ひぬるは、すべて昔思ひし事ども、皆違ひぬる我が身なりかしと、来し方行くさき、かき暮らし涙にくれて、もしみづからの御かへしや中にあると、宰相の君のいそぎあけ給へれば、宰相の君の文だに事多からで、
浦にすむあまとなりしを見し人もたゞあさなぎにもしほたれつゝ
とばかりあるを見給ふもいと道理(ことわり)に、唐土にて、涙の海に身をしづめしと見し夢、思し合せらゝに、飽かず悲しくて、胸よりあまるばかりなり。いと又かく思し入りぬるを、中将の乳母(めのと)、いと侘びしと見奉るに、よろづ慰め聞えさす。この若君をば、上にあづけ聞えむと思ひつるを、限りなく思しあつかふ人あなれば、恨みなく別るゝも御心もあり難からむ。又人はかくさまざまに思し乱れけるに、我は外の世に立ち離れ、かゝる忍草(しのぶぐさ)もつみいでけるよと、だれも見思さむ事、後かくれなかるべけれど、ふと猶いとほしう思して、かの殿の内にも、聞かせ奉らじと語らひ給ふ。立ち離れにしこの世の外の思ひをのみ歎きのもとにて、我が世はこの人の、この程をやもてなし給ふ方なくば、これをこそうち忍びつゝ、許されなくとも、心の限りは浅からぬよるべにはせめと、深く頼み聞え給へる人をさへ、空しう聞きなしつる口惜しさは、枕よりあとの恋の責め来る心地して、いとゞ心のひまなう、歎き沈み給ふも知らず。その比の大弐、心ばえいみじうすきて、物愛でする人にて、限りなく思ひかしづく女(むすめ)のあるを、この君に奉らばやと昔より思へど、さやうに思しよるべくもあらず思ふとて、こよなくおよびなき事にはあらねども、人がらみのいみじう思ひあがり、世を事の外に思しすゝみたるさまの物遠く、雲居よりも遥かなる御心地するに、思ひ煩ふを、年頃経て見奉るに、いとゞ盛りに成りまさり給ひにける御容貌(かたち)有様見るにめでたし。命延ぶる心地するに、かくておはします程見せ奉りなむ。わざと思し留めずとも、年に一夜なりとも、思しだに出でば、見るかひあるひこぼしの光なりかしと思ひよるに、御気色などふと取らむも、猶いと心恥しううち出で難かりければ、おもしろき所々、珍しきさまなる楼台を作りて、行き通ひつゝ遊ぶに、いみじう明き夜、忍びて、女(むすめ)をそこに渡して、あそびなどして、中納言のおはし所、いと近かりければ、姪(をひ)なる筑前の守をまゐらす。
ふるさとの三笠の山に思ひなしこよひの月はこゝに来て見よ
中納言月をながめつゝ、萬思し出で給ひて、今はとて立ち寄りたりし、一の大臣の家の、紅葉(もみじ)のかげの月の夜、五の君のなぐさめやはと、弾きたりし琵琶の音も、耳につきてなどありしほど、絶えず立ち寄り聞きならさざりけむと、さしも覚えざりし事さへ心にしみて、悔しきまでにおぼされて、
立ちよりてなどか月をも見ざりけむ思ひ出づれば恋しかりけり
かうやうけんのあたりの事は、たゞかけても片端思し出づるに、我が身も浮かぶ心地して、いと侘しければ、行方も知らず果てもなく、むなしき空にみちぬばかりに詠め入り給へるに、すきずきしさは顕はれて、誘ひたるも、はしたなからむもいとほしうて、又侘しきに心もや慰むと、忍びやかに渡り給へば、人しげうはあらず、すこし物覚えたるもの五六人、かすかに淋しうもてなして、待ち喜び聞えたるさまいみじげなり。
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