《浜松中納言物語》① 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃二
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ①
巻乃二
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之二
一、中納言の御君日本ご帰国のこと、御若君を案じられること。
唐土に渡り来たころには、だれも未だに経験したこともないほどまでに、ただただ《あはれ》に悲しくも、行方も知らない浪の上に漕ぎ出されなさって、限りさえなく、さまざまの想いの飛来することよとおっしゃいになられられながら、命さえあれば、三年のうちに、必ず行き還るのだからと、お想いなさられる御心に、すこしばかりでも御慰めになられなさっておられたものなのだった。
未知なる異郷の国で、幾年もの年数を経てお仕舞いになられなさったけれども、浪の上に、
もうかの国には還ってくる事も、あるいはないのかもしれない…、
などと、お想いにさえなられられていらっしゃられれば、悲しさも、惜別の《あはれ》の、世の常ならざる切実さをもひたすらに、かつて類もなく比べようもなくもその御身を切り裂いて責めてくるばかりなのに心を留めて、若君、この幼くも麗しき御形見ばかりを、かの国の名残りにただ御身に添わされなさられて、さしも荒れ狂う海の上の浪すらおおうばかりに泣き流す涙の留まるときをさえも知らずに暮らされなさられば、海の上の日の、明けては暮れるその数など数えられもしないがうちに筑紫にもうすぐ到着いたしまよと人の言うのをお聞きになられられるのだった。
この若君は、母后の、今こそ船出の日と、かの御屋敷をはなれなさられた暁に、泣く泣く抱き寄せられなさられて、
船上、御帰国の旅の道の程には乳をなどお与えになられられぬその御かわりに、この薬をお飲ませ差し上げてくださいませ
と、添えてお渡しになられなさったその御薬の験(しるし)であったのだろうか、いささかもお痩せにもお衰えにもなられなさらずに、御色もおかわりになられなくて、いよいよ白く美しげに、さながら光るようになりまさられていらっしゃられるばかりに、声に出してお泣きになられることとてなくて、あらあらしき海の男らの中にお育てさせていただくにもかかわらず、なんに困るということも、なんに手がかかるということもない。
あさましいがばかりに、もはや変化化生のもののようにこそ清らかに麗しくいらっしゃられるのを、中納言の御君、やがては由々しくもお案じなられられて、
かくて、異郷の地にて、異様の契りの御許にお生まれになられなさった御方であらせられると人に知られては、御行く先にてかの故国の者らは心隔てをして仕舞うにちがいない。
後には言って聞かせることもあろうとも、いまは異国より連れて還ったなどとは、人に知られないでおくがことよと、お想いになられていらっしゃられるが、
御母上の御許にお届けになられなさるその御文に、
いまや無事に故国にと着きましが御身は如何、
何の騒がしいこともなくて、無事に帰国したには違いなく、疾くも御許に還り来たりたくは言うまでもないものの、
この国を離れさせていただくにあたって約した日数のとうにすぎさって仕舞ったものをも、
ただただ覚束なく案じられて仕方もなく、日々を暮らしていたものだけれども、
こうして帰国もなってみれば、在り難くもふたたびお逢いできることの嬉しさにくれているところですよ。
さて、いずれにしても、
昨今のご不在のころの細かなる有様は、お逢いしたときにお話させていただきましょう。
わたくしがお世話にあずかった中将の乳母(めのと)を、このほうの身辺の覚束なさにて待ちかねていれば、人の外聞、見栄えの悪さも気にしなければならないとはいうものの、是非ともこちらに急ぎ、昼夜分かたずに道を進めて京を下りさせていただけないものでしょうか。
京に入らない先に、かの者に預けなければならないものございませば。
外聞もございましょうから、決して、決して、人には知らせないでくださいませ、
…などと、そして
さて、かの国の人々、わたくしのの見送りにと同行して来たったのが、さて、還るということでございますから、珍しくもお目にされたことなどないような物ども取り集めて、中将の乳母に預けて賜れますまいか。
そうして、かの者どもにさしあたえてから、京へ還りますから。
…と、お書きになられておられる。
大将殿の姫君の御方には、かの宰相の君の許へ使わさられた御文の中に、御ことばを愚かにも、
あなたがために、
快速船を駆って
風さえもまたないがばかりに
憧れ来て仕舞ったものです
君によりをちのはや船いとはやし風間も待たずこがれ来るかな
と、送って渡されなさる。
京においては、かの国も、かの中納言の御君を、かの国の王にして仕舞おうとして、引留められつづけられて、なかなか御君をお返しになられないように見えるなど、さまざまに言いあっているのを世の人々も、御君を惜しんで案じてお噂させていただくばかりであることだのに、ましてや御母上にあらせられては、御胸御心をお砕かれになられなさってただただ想い歎かれてあらせられた折りにも、このようなご帰国の御消息、待ち望まれておられたものをついに見ることの、まさに、その嬉しい御心地の夢のようにあらせられなさって、もはや喜び以外のものをはお覚えになられられない。
中将の乳母に、この喜びごとと御君の御要望とをお耳うちなさられれば、御君がそうおっしゃられられるならばととり急ぎ、人目には浅ましいが程にはちがいなかろうものの、御君が、みずからがお迎えに下ってこられるのをお待ちになられておられなさるとあれば、その嬉しさは当然ではあったろう。
京に人らもざわめき立っていれば、かの地でもさるべき人々のご訪問などもろうそのまわりのことどももご心配で、中将の乳母、京にお還りになられなさるのをお待ちもうしあげるのも心もとなしと、急ぎに急いでお迎えに京を下っていかれるのを、御方々、
尋常、ふつうではないしようではあるけれども、かく言う我々であっても、心せかされて仕方もなければ、乳母にとっては仕方もなくて、
そのうえ御君は、昼夜をわかたずとも、京を下ってこちらに来られませ、疾く、とでも、おっしゃって差し上げたのだろうなど、口々に言い合われるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之二
渡り来し程は、世に知られず哀れに悲しく、行方知らぬ浪の上に漕ぎ出でし、さまざまの思ひ限りなしといひながら、命だにあらば、三年が中に、必ず行き帰りなむかしと思ふ心に、いさゝか慰みにけり。知らぬ世の幾程の年経ざりしかども、又帰りみるべきやうもなしかしと思ふに、悲しさも、別るゝ哀れの尋常(よのつね)なるべきならむ中にも、さばかり類(たぐひ)なき思ひをしめ、心を留めて、いとけなきかたみばかりを、名残に身に添へて、さしも荒き海の上の浪よりも、泣き流す涙の淀む時なきにくらされて明け暮るゝも知らぬやうにて、筑紫に趣くべき程近くなりと聞き給ふ。この若君は、母后の今はとて出で離れし暁に、なくなく抱き寄せ給ひて、道の程乳参らせむかはりに、この薬をくゝめ奉れとて、添へ給へりし薬の験(しるし)に、いさゝか痩せ衰へず色も変らず、いよいよ白う美しげに、光るやうになりまさりつゝ、ねもつゆも泣かず、荒々しき男の中にあつかひ聞ゆるに、物むつかしう所狭き事もなし。あさましく変化(へんげ)のもののやうに清らかなるを、かつはゆゝしう覚えて。かく外の世に生まれたる人と知られては、行くさきこの世に少し隔たるやうそはむ、後の聞えはありとも、猶いかで外より率(ゐ)てわたりたるとは、人に知られじと思しまはして、母上の御許に、このほど無事(たひらか)に物せさせ給ふにや、頓(とみ)に罷(まか)り帰るべくも侍らざりつれど、暇申し侍りし程の過ぎ侍らむも、いと覚束なくて、ありがたうてこそまうで来にたれば、見奉らむずる嬉しさにます事侍らずなむ、さて細かなる有様は、今みづから申し侍るべし。中将の乳母(めのと)覚束なさに待ちもあへず、さま悪しう来向ふやうに人に思はせて、夜を昼になしてくださせ給へ、京に入り侍らぬさきに、彼にあづくべき物侍るなり、あなかしこかしこ、人に知らせさせ給ふなとて、さてかの国の人々、送りにまうでくるを、返り侍るに、珍しう待ち見侍りぬべからむ物、取り出でさせ給ひて賜はせよ、さやうの事もしたゝめてなむ、京へ上がり侍るべきと書き給ふ。姫君の御方には、かの宰相の君の御許へ遣り給ふ中にて、ことばおろかならむやは、
君によりをちのはや船いとはやし風間も待たずこがれ来るかな
と聞え給ふ。京にはかの国の王にしたてまつらむとて、留め給ひければ、なかなか返し給ふまじかりかなとて、さまざまにいふを、世の人も惜しみ悲しみ聞えさするに、まいて母上などは、胸心を砕きて思し歎く折しも、かゝる御消息まち見給ふ御心地の夢のやうにて、喜びなきにさへしも物を覚え給はず。中将の乳母に、このよし忍びて宣へば、さたうに宣はざらむにてだに、人目はさまあしきやうなれど、参りむかはまほしう思ひたまへるなど、嬉しさはおろかなり。唯いそぎに急ぎ立つを、さるべき人々なども皆まゐるに、中将の乳母は、京におはしつかむも心もとなしと、急ぎ出で立つなめるを、さらでありぬべきやうなれど、己等(おのれら)にだに覚束なういぶせきを、まいて道理(ことわり)なう、そのうへ夜を昼になして、くだれと宣はせたなれなど、口々いひあひたり。
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