《浜松中納言物語》⑮ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑮
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
十五、御后、中納言の御君、合奏されること、涙あふるゝこと。
池、十三も並んで清水を湛え、愛でたくも趣の深いこと限りもなく、月の宴の開催されること、御后には御企みの事などそうとはほのめかしさえもなさられないで、ただ、日本の中納言の御君のお帰りになられることのみお伝えになられて、
飽かず《あはれ》ならば、別れを惜しんで《ひやうきう》にて、十五夜の宴をしようとしたところが、后ども引き連れた席などにあなたをまで連れて行くのは、逆にあなたを困らせて仕舞うことになるだろう。
だから、お供にはただ二、三人ばかり連れて、ひっそり忍んで御覧ぜよ、
と、さらには、
中納言の御君とも、いまこそお別れしなければならない時が来たのか、と切なくも想われて、管弦も舞ももうこれ以上はないとばかりに奥の手の限りを尽くして演じさようと想うので、もう二度とは見れないかもしれない華麗の饗宴、あなたに見せないで済ますのも口惜しいのだから、ぜひに、
と、そこまでおっしゃっていただくのにも、御后、さまざまに心苦しく、胸さえ塞がって、顔の色も違う心地さえしながらも、
實に、それほどの御饗宴であれば、見ないで済ますのはあまりにも口惜しければ、よろしいでしょう、もちろんお供させていただきましょう、忍ばなければならずとも、とはいえ、隠れないことには居心地もわるうございますから、一向にかまいませんと、
御后、申し上げて差し上げられれば、それならば大袈裟なことはしないで、ひそかに忍んでいらっしゃいなと、明け方に、内裏の女房らがまず先立ってお伺いしたかのようにして、音楽のよしあしのよくわかる女房らふたりと共に忍んでお渡りになられられるのだった。
御共させていただく男どもも、宮の女房どもも、万事、心得ている。
辰の時に、御帝ここにお渡りになられて、ただでさええも言われずに趣の深い《ひやうきう》のうちを、さらにさらにいよいよいかに飾ってやろうかと御心をお尽くしになられて、輝くばかりに装って見せられれば、大臣、公卿、芸道の上手ども、少しの惜しみもなくて手を尽くさせていただいて、この中納言の御君にぞお見せさせていただこうかと一念奮起の舞のすがた、楽の声、珍しいばかりに興深いなかに、中納言の御君への惜別の心と題出して、この国にその名を獲たる人々、文つくられる。
この文の心映え、それぞれにさすがに《あはれ》に悲しきなかにも、中納言の御君のおつくりなられられたそれ、さらに極まってもはや涙留めることのできるものなどありもしない。
御さまかたち、まことに光を放つようにあらせられるのを、御后も翳ながら、つくづくと御簾のうちにてご拝見させていただいておられるに、いかにも口惜しき御契りであることかと、歎かしくばかりに御想いおあふれになられておられるのだが、今日の御君の御有様をご拝見させていただいていらっしゃられる限りには、その御恨み、止め処もない懊悩の御想いさえもが、ただ忘れられて、この御方の、お帰りになって仕舞われればお逢いすることもかなわなくなって仕舞うその《あはれ》はただただ限りもなく、想わずにも御涙も落とされなどしつつも、陽は暮れていく。
夕風も心細く吹いて、御前の夜咲きの前栽、色とりどりに乱れて咲き乱れわたる頃合に、御遊び始まる。
中納言の御君の琵琶、筝をは琴に取り替えて、秋風楽を言葉に尽くせず奏でられなさるのを、その音もなにもかも、讃えないでおく方などありもしないのを、賞賛の声の立ち沸いて納まらない中に、御帝、無理に御君をお連れして、御帝の御休息所にお入りさせられなさって、ひそかに御后に耳打ちなさって差し上げられるのは、
つくづくも、この中納言の御君の御有様、何事につけてもすべて我が国に並び獲る人などありはしない。
それではあまりにも口惜しく、いろいろに想いめぐらせてはみたものの、少しも驚くべきことなどありもしないのを、この国のせめてもの矜持をみせつけて差し上げようよと、あなたを《やうしう》のうちにある下郎と想わせて、琴を弾かせてみせて、この中納言の御君にお聞かせして差し上げようと想うのだが、いかがかと、
ねんごろにも仰せになられれば、御后、
そんなはしたないことなど出来ることではありますまいと、
お想いになられてはいらっしゃるが、御帝、切に切にと繰り返し、
今日のこの日にこの国の威厳をお見せして差し上げられた喜びにあずかれば、世の中ひらたく、乱れもなくなって、心残りもなく三の宮の御皇子に位を譲って差し上げようと、
まめやかにおっしゃいなさるので、御后、ただただ驚かれておいでになるのだった。
この国の人、なりふり構うということなどない、ともかくも、
であるならば仰せの通りに、
と、お申し上げられていらっしゃれば、御帝、お喜びになって、中納言の御君を御簾の中へとお召しいれさせていただくのだった。
いかなる趣向かと御君、ご不審にもお想いになられておいでだが、なにをお逆らい申し上げなさるというわけでもなくて、いらっしゃられれば、御帝、おわします。
側の方の御簾、少し捲き上げて、鮮芳(すほう)の几帳ひとえ、打ち開けて、柱のそばに隠れるように控え居て、麗しく清らかに装って、く帯領巾(くたいひれ)などしておられる人らのうちに、うやうやしくも、言いようもなくも愛でたい御方の御前に候うとばかりにかしこまっておられる方、ほのかに眼差しのはしにだけ御姿お見留めさせていただくだけで、つつしみを持って控えられておられなさるのを、
御帝、
三年にもわたって、こうしてお過ごしいただいて、なにも驚かせることもなくお帰りになられて仕舞うのが、飽かず大きな憂いであることよと、口惜しいい涙も留められずに想っていたのですが、想いのあまりに、此処なる人の琴の声、せめてもお聴かせ差し上げていただこうかと想うのですよ、
と、仰せられるのに、その女、応じられなさって、ともかくも、轢かないことにはいられまいよとお想いになられられれば、鮮やかに心をお決めになられなさって、扇をうち鳴らされつつ、
あなたふと…(注:1)
とお歌い始められなさったその御声の美しさ、さまざまの美音の楽の音を一緒にあわせて鳴らせたとして、これには勝ることできはすまいよと聴こえるのに、御君の、琴に近づいて手を触れようとなされられれば、御方、はたと団扇を置かれになられて柱にお隠れになってお仕舞いになられのだが、さやかに清く美しきその垣間見られる御姿、かの御后のかつてお逢いさせていただかれになられた夕のこと、御君、御想い出されておられになるものの、まさかにも、かの御后をこうも据えられて、弾かせさせたものとは御想い至られないでいらっしゃれば、さりげもない眼差しのはしに、ただその面影の名残りをだけ愛でられて、御想いは憧れられ乱れられて、春の夜の月影にご拝見させていただいたかの御すがたの残像に、ただ、御眼さえくらむ心地なさっておいでなのだった。
御君の、琴をたびたび御要望になっておられれば、女の《かんす》という手をお弾き出になられられたその手の上手、言う限りもなく趣も深いのに、
この琴の音も、菊の夕べの御琴の音に、まったく同じ音ではないかとお想いになられて疑われて惑われ、違うところなどなど一分といえどもありはしないと、御心怪しまられて、ただただ聴くほどに戸惑っておられになるばかりであらせられるが、
御容貌、御有様とて、これ以上に似た方もいらっしゃるまいよと、匂いさえ撒き散らして美しくも愛でたき御風情、群雲のなかより、望月の差し出て放った光をいま目の前に見る気がする程に、《かうやうけん》の御后の菊を見ておられになったかの夕、春の夜の夢、ただひたすらに、御想い極まって恋しさに悲しくも切なさ限りもなくて、浮雲だになびかずに、たださやけく澄みわたった月の光に、御后も堪えようもなくすべて、これ《あはれ》とだけお想いになられておられれば、琴の調子、調べかわして、心行く限りにお弾きになっておられるその音が、空に響いて立ち上っては消える。
空穂(うつぼ)の物語の尚侍(なしのかみ)の弾いたというその渡る風のような音色も、こうまでではなかっただろうにと想いやられるほどに、来し方、行く末、ただ限りなき心地して儚く、想い留まろうとはなさるものの、終に涙も御とどめになられないでいらっしゃるのに、御帝、想ったとおりの事の次第に一応は満足しておられながらも、御覧じられれば
中納言の御君、日本の第一の並び獲る人なき人には違いなかろうその御姿と、御后、わが国に比類なき御姿、互いに御覧じ比べてみられれば、月と日の光を並べて見る心地さえして、わが国によくもこうもまで珍しく稀なる事の出立したものよと、世の例(ためし)にも書き留めさせて、後々にまで語らせつごうかと、お想いになっておられるのだった。
中納言の御君、とても堪えられずに琵琶お手にとられなさって、想うがままにその手を合わせて奏でられなさるのに、言いようもなく趣も深く愛でたいばかりなのを、御后も《あはれ》にお感じ入りなさっておられるがままに、御心も澄んで、御涙も堕ちて、御心お込めになられなさってお弾きになられる、それを聴くものども、涙も止められずに夜は明けて、御帝は、お帰りになられた。
(注:1)催馬楽《あなたふと、今日のたふとさや云々》
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
池十三ありて、めでたく面白き事類なきに、つきの宴ありて、后にはかくとも氣色見せ奉り給はず、唯日本の中納言帰りなむとするに、飽かず哀れなれば、別れを惜しみて、ひやうきうにて、十五夜の宴せむとするを、ことごとしうは所狭うもありけなむ、かたへのうらみどももいとむつかし。唯御供にさるべからむ二三人ばかりにて、いと忍びて御覧ぜよ、中納言今はと思ひて、道々の事を、をしむてなく儘さむにはいみじからむを、この世に又はいつかは見るべき事にもあらず、見給はざらむも、口惜しかるべしと宣へば、后かけても思しよらず、かく仰せらるゝも胸塞がりて、顔の色もたがふ心地しながら、實(げ)にそのほどの御有様見ざらむは口惜しければ、いとよう侍り、忍ぶとすれども、隠れなくば聞き苦しうやと申し給ふに、そはなどてか、ことどとしうはあらむ、いみじう忍びてこそはとて、暁に内裏の女房の、まづさきだちて参るやうにて、ものの音聞き知りぬべき女房二人、いみじう忍びて渡り給ひぬ。御供に仕う奉る男(をのこ)ども、宮の女房ども、物見るとぞ心得たる。辰の時に、帝こゝにわたらせ給ひ、いみじう面白きひやうきうのうちを、いよいよいかにせむと、御心を尽して、輝くばかり飾りつくろひ、大臣公卿道々の物のじやうずども、少しもをしむてなくつくして、この中納言に見せ奉らむと、心おこせる舞(まひ)のすがた、楽の声、珍しう面白きに、中納言に別れぬる悲しみの心の題出して、この国の名を得たる人々、文作れる。この文の心ばへ、哀れに悲しき中にも、中納言の作り給へる、更に涙留むる方なし。さまかたち、誠に光を放つやうなるを、后もつくづくと、御簾の内にて見給ふに、口惜しかりける契りと、なげかしう思し渡れど、今日の有様を見るには、その恨みも忘れて、見ず聞かずなりなむ哀れも限りなく、涙も落ちつゝ暮し給ふ。夕風心ぼそく吹きて、御前の前栽、いろいろひぼときわたす程、御遊びはじまる。中納言の琵琶、筝の琴にとりかへつゝ、秋風楽を、いふ限りなく弾き給へる、物のねかたち譬へむ方なきを、帝来しかた行くさき思されず、御心のやすみ処(どころ)に入らせ給ひて、この中納言の有様、何事につけても、すべて我が世の人の、これに並ぶなかりけり。いみじう恥ずかしう口惜しう思ひ廻(めぐ)らせど、少しも珍しく驚く事なきに、我が世のおもて起すと思して、やうしうのうちなる下郎(げらふ)と思はせて、琴(きん)を弾きて、この中納言に聞かせ給へと、懇(ねんごろ)に仰せらるゝに、后いとあるまじき事と思したるを、切(せち)に度々、今日我が国のおもておこし給ふらむ喜びには、世の乱れ出で来む事も知らず、三の皇子に位を譲りて見せ奉らむと、まめやかに仰せらるれば、后驚き給ひぬ。その世の人、いたく物恥ぢなどやせざりけむ、ともかくも、さらば宣はせむにこそと申し給へば、喜びて、中納言を御簾の内に召し入る。いかなる事にかと思ひながら、動きなうもてないて、参りたれば坐(おはしま)す。側の方の御簾少し捲き上げて、蘇芳(すほう)のすそごのさうかむの几帳ひとへうちあげて、柱がくれにすばみて、麗しく清らかにさうぞき、くたい領巾などしたる人の、言ひしらず、めでたき御前に候ふとbかり、ほのかなる側目に見て、いみじう畏まりて居給ふに、三年(みとせ)が程、かくて物し給ふて帰り給ふが、飽かず大きなる愁へと、涙留め難きに思ひあまり、此所(こゝ)なる人の琴(きん)の声、聞かせ奉らむと思ふなりと仰せらるゝ御答へ、ともかくも聞えさせずして、あざやかに居なほりて、扇をうち鳴しつゝ、あなたふとと、うち出で給へる声の面白さは、さまざまの物の音を、調べあはせて聞かむよりも勝り手て聞ゆるに、琴押し寄せ給へれば、団扇(うちわ)をおきて、柱にかくろへたれど、さゝやかにらうたき様態(ようだい)、后の聞き見給ひし夕思ひ出でらるれど、うつたへに、后をかくて居(す)ゑ奉りて、弾かせたまはむおのとおもひよらねば、さりげなき後目(しりめ)に留めて見れば、春の夜の月かげに見し人と見ゆるに、目もくるゝ心地す。琴を度々そゝのかさせ給へば、かんすといふ手を弾き出でたる、いふ限りなく面白きに、この琴の音も、菊の夕の御琴の音なるを、同じ物の音などいひながら、いかでかはかく違ふ所なくてはあらむと、怪しう聞き惑はるゝに、容貌(かたち)有様の似るものなく、にほひをちらしめでたきさま、群雲(むらくも)の中より、望月のさし出でたる光を見つけたらむやうなるほど、かうやうけんの后の菊見たまひし夕、春の夜の夢、一方(ひとかた)に思ひ渡さるゝ程の、悲しき事の限りなきに、浮雲だにたなびかず、さやかに澄める月に、后もいみじう物を哀れと思し留めて、琴のてうし、調べかはし、心ゆく限り弾き給へる、空に響きのぼりて聞ゆ。空穂(うつぼ)の物語の尚侍(ないしのかみ)の弾きけむなん風はし風の音も、かうはあらずやありけむと思ひやらるゝに、来し方行く末かぎりなき心地して、心強く思ひ留むれど、更に涙とゞまらぬに、帝さればよとおぼして御覧ずるに、中納言日本の第一のならびなき人なめり、后我が世の比類(たぐひ)なき容貌(かたち)、御覧じくらぶるに、月日の光を並べて見む心地して、我が世にかく珍しき事を見聞くよと、世の例(ためし)にもかき留むべく、語り傳へつべく思し召さる。中納言え堪へず琵琶賜はりて、思ふばかりの手を、限りなく掻き合せ給へる、いふ方なくおもしろくめでたきを、后も哀れと聞き給ふまゝに、御心もすみ、涙も落ちて、御心に入れて弾き給へる、すゞろに聞く人、涙止まらで明けぬれば、帝后かへり給ひぬ。
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