ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)…音楽の革命家は、何を革命したのか?









ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)

…音楽の革命家は、何を革命したのか?









Ludwig van Beethoven

(1770-1827)









初めてベートーヴェンの交響曲第2番を聞いたとき、…それは第4番や第8番を聞いたときもそうだったが、どこが《女性的で柔和》なのか、さっぱりわからなかった。


繰り返しになるので詳細は割愛するが、2番はクラウディオ・アバドのウィーン・フィル盤、4番はなぜかフルトヴェングラーの戦中盤…か、トスカニーニの50年代盤。8番はカラヤンの60年代盤の廉価盤である。

それぞれ指揮者のキャラクターはばらばらでも、なんという忙しい音楽だろうと面食らったくらいである。


特に第2番と第4番。


正直、第7番が一番聞きやすかった気がする。

とにかく、2、4、7番は、《エロイカ》や5番、9番にはある、《タメ》も何もなく、とにかく疾走する。

しかもどっすんどっすん音を立てながら、である。









古楽系の演奏が主流(…とはいえないか。結局は笑)になって、その印象はより加速した。

そして、古楽の演奏に教えられたのは、ベートーヴェンはかならずしもオーケストレーションが下手だったわけではない、と言うことだった。


実は、そのベートーヴェン音響こそが、ベートーヴェン固有の革命だったはずなのである。


たとえば、カラヤンでもワルターでもバーンスタインでも何でもいいが、交響曲第3番や9番を聞いていると、いかにも無理やりで、オーケストラの音が、特に金管主体に、穢ったらしい音を立てる瞬間が連発する。

けっしてモーツァルトやハイドン…というか、後のストラヴィンスキーやヴァレーズや現代音楽が、時として戦略的に陥る《穢さ》ではなくて、ごくごく単純にノイジーな穢さなのだ。

ぼぎゃーぼっぐぇーぶべーと鳴る金管の轟音が、急速な前のめりのビートで襲い掛かってくるのである。

はっきり言って、勘弁しろよと想った。


そのせいで、僕は《エロイカ》も4番も7番も、基本的に苦手だった。《エロイカ》はワルターのステレオ盤など、録音のせいもあって、最初、第一楽章さえ聴きとおせなかった。

4番7番など、聴く前からブルーになった。


聴くとしても、さぁムラヴィンスキーを、トスカニーニを、フルトヴェングラーを、クレンペラーを、ヴァントを、という演奏家への興味による聴き方であって、曲への興味とは言えない。

いわゆる指揮芸術の至芸を楽しむ、というヤツへの興味だけで、曲に対する興味など一切ない。

中では、ムラヴィンスキー盤とフルトヴェングラー盤が一番耳障りが良かったかもしれない。指揮の好き嫌いは除いて、である。私の場合は、フルトヴェングラーNG、ムラヴィンスキー信者、である。

彼らの演奏で聴くとき、鳴ってる音自体は、別に他のものと(基本的には)一緒なのに、確実に耳障りではない、のである。

そのあたりが、この人たちの本質的なクオリティなのかな、と思ってしまう。


だから、大方の批評家の言うとおり、ベートーヴェンは耳が殆ど聞こえなかったからオーケストレーションは下手だ、と思い込んでいたのである。

一気に印象が変わったのは、ピリオド・アプローチの演奏を聴いてからだ。

ベートーヴェン当時の楽器を使った、例えばガーディナーの演奏を聴いた瞬間に、ひっくり返りそうになった。


なんと、音響が綺麗なのだ。


その後、インマゼールやジンマンなど、より鋭利に研ぎ澄まされていくのだが、とにかく、綺麗に鳴っている。


綺麗、というには語弊がある。穢い。穢いのだが、それは、例えばジミ・ヘンドリクスの《ヴードゥー・チャイル》や《ストーン・フリー》などの、或いはレッド・ツェッペリンの《移民の歌》や《ギャローズ・ポール》の、あの狙い澄ました、部厚い混濁美の必然としての穢さであって、例えばカラヤン盤にある、いかにも素人くさいうるささとは、全く違うものだ。


ジミ・ヘンドリクスを聴くとき、よく人が陥る悪癖がある。

周りの迷惑顧みずに、音量をどこまでも上げたくなるのである。穢いといえば穢い音なのだが、暴力的といえば暴力的な音のだが、その混濁してぐじゃっと固まりになったハードな音のパワフルな塊そのもに、この身を丸ごと曝したくなるのだ。

もっと爆音を!…という感じ。

ベートーヴェンでも、僕はそうなる。


弦がけなげに刻むモティーフやリズム音型を、後ろで鳴る金管がそれらを押しのけるというより、それらと一緒くたになって、ラヴェルなどのような、上品な形で、何の楽器が鳴っているのかわからなくなる、のではなくて、ひとつの暴力として、一つのかたまりとしてずどーんと、鳴り響く。

そこにはモーツァルトや、ハイドンとは基本的ことなる音響設計がある。

彼らは、きちんと、フルートはフルートとして、クラリネットはクラリネットして、あからさまにそれら楽器自体の個性を鳴らそうとする。

だから、今鳴っている楽器がオーボエなのか、クラリネットなのか、トランペットなのかホルンなのか、わからなくなることなど一切ない。それが、彼らのオーケストレーションなのである。


反して、ベートーヴェンのそれは、全く逆だ。

木管も金管も、《オーケストラ》という全体の響きのパーツに過ぎず、そして、分離しきらないまま、いま、何が鳴っているのか聞き取れない瞬間を散乱させつつ、音像の塊の全体としてのみ、鳴らそうとしている。

あきらかな意匠として、である。故に、ベートーヴェンはオーケストレーションが下手だったのではない。


カラヤンたちがやろうとしていたのは、例えばジミ・ヘンドリックスに無理やりノイズリダクションなりなんなりかけて、無理やりセゴヴィアか何かのような音響に、リマスターしてやろうともくろんでいるのに等しい。

綺麗に鳴るわけがないし、オーケストレーションをいちいち指揮者がいじらなければ、鳴らないわけなのだ。


ハイドンたちのオーケストレーションと、ベートーヴェンのそれは、殆ど初期ビートルズと後期レッド・ツェッペリンほどの、音の設計自体に関する、感性の違いがある。

そして、このベートーヴェン流儀のオーケストレーションを、水で薄めた流儀こそが、後のロマン派以降、現代にいたるまでの、オーケストレーションの基本発想になる。

ブラームスでもマーラーでも何でもいいが、クラリネットがそのままクラリネットとして素のまま鳴らされることは、まず、ない。

オーボエだの弦だのフルートだのとかぶされるなりなんなり、クラリネットという楽器音以上の音響がそこに求められるようになる。ベートーヴェンのような暴力性まではないものの、オーケストラ全体を使った総合的な音響作りが図られるようになるのである。

この発想は、実は、ベートーヴェン以降にしかないものだ。





Ludwig van Beethoven

Symphony no. 2 in D major, op 36.

 


1. Adagio molto / Allegro con brio

2. Larghetto

3. Scherzo: Allegro

4. Allegro molto





この音響は、交響曲でいうと、第2番に始まるものだが、こうなってくると、音楽の基本設計をいかにハイドンに頼ろうが何をしようが、そんな事は瑣末に過ぎなくなる。

誰も、ジミ・ヘンドリクスの、あるいはジミー・ペイジのフレーズが、何のかんの言ってブルース・スケールをなぞっているだけだったとして、彼らを保守的だなどと言わないように、である。


鳴っている音響は、明らかにハイドンやマディ・ウォータースには聞かれえない画期的なものだからである。

僕が思うに、ベートヴェンでもっとも画期的な、記念碑的作品だったのは、《エロイカ》ではなくて、その前の第2番だったと想う。一つはその画期的なオーケストレーションの獲得、そして、スケルツォが代表する、あの前のめりのグルーヴの獲得である。事実、あの、癖の強いベートーヴェングルーヴは、ハイドンにも、ましてやモーツァルトにもない。

のちの4番、7番のように、どこか様式化してしまった気がしないでもない雰囲気も、当たり前だがあるはずもなく、美しい第二楽章だけでなく、第三、四楽章含めて、この疾走する音楽美は、好きになったらやめられない。

僕は、この2番と8番が、ベートーヴェンの交響曲では一番好きだ。奇をてらっているわけではない。なんとなく、同意はしないまでも、理解はできる、と言う方のほうが、むしろ多いのではないか。


ところで、有名な話だが、この曲の作曲時期、ベートーヴェンは深刻な危機に襲われている。いうまでもなく、いわゆる《ハイリゲンシュタットの遺書》事件である。

なにも、直接、何か大きな事件が起こったというわけではない。肉体的な障害に端を発する、内面的な、あくまでも内面的な事件である。

その精神的危機など感じさせないほどに明るく楽しい音楽であると、一般的には評されているのがこの交響曲第2番なのだが、ハイリゲンシュタット事件の痕跡は、実は第2番にもっともよく刻印されていると想う。

ハイリゲンシュタット事件と言うのは、要するに、当時腕利きの即興ピアニストだったベートーヴェンが、耳が聞こえなくなり始めた影響で、本職のピアノ自体をやめなければならない瀬戸際にまで追い込まれた、という事件である。

実際、彼はこの後、ピアニストしては殆ど活動休止しなければならなくなる。


当時の一般的な音楽家のスタイル、自分が演奏するための曲を作曲する演奏家、というスタイルを放棄して、作曲だけで喰っていかなければならない、ということを意味する。

もちろん、作曲専門の音楽家というのもすでに存在しているが、それはあくまでオペラに限った現象にすぎない。

そのオペラだって、作曲家が指揮をしたりチェンバロ伴奏をつけたりしているのである。一切演奏をしない音楽家と言うのは、基本的に存在しない。


故に、ベートーヴェンは追い込まれたのである。作曲自体は、何のかんの言って、できないこともなかったはずだ。たとえ、耳が聞こえなくなったとしても。事実、聴覚を失ってから、作曲家としてのベートーヴェンの黄金期は訪れている。

だいたい、耳が聞こえる作曲家だって、オーケストレーションをするときに、実際にオーケストラを指揮しながら、ああでもないこうでもないと作曲するわけではない。所詮、頭の中で考えているだけである。

一度、音楽的な耳さえしっかり出来上がってしまえば、耳など、かならずしも絶対に必要とはいえない。

むしろ、絶対に耳が必要なのは、演奏活動においてである。そもそも、耳が聞こえないでどうやって調律するのか?


ハイリゲンシュタットの苦悩とは、前例のない、作曲しかしない器楽曲の専門家としてやっていけるものかどうかの苦悩だったはずだ。

いずれにしても、ベートヴェン以降急激に浸透していく、作曲家は作曲する人、演奏しかしない人より偉い人、という、近代ヨーロッパの図式は、耳が聞こえなくなった男のどうしようもない必然性によって、無理やり生み出されたものなのだ。


そして、作曲専門家としてやっていく可能性は、実は、ハイリゲンシュタットの時点ですでにベートーヴェンには見えていないわけでもなかった。


ベートーヴェンは、それまでにも全く売れない作曲家だったわけではない。彼にも商業的な成功作は存在する。

作品20の七重奏曲である。作曲年代は1799年から1800年。

注目すべきはその楽器編成で、クラリネット、ファゴット、ホルン、弦四部。つまり、演奏家ベートーヴェンの出番であるピアノのパートは、存在しない。

これは純粋に、作曲家としてのヒット作なのである。

勝算はあった。ハイリゲンシュタット事件が1802年。


1800年には、作品18の弦楽四重奏曲6曲セットが書き上げられているし、1798年には作品50の、ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番、1901年には前衛的バレエ曲《プロメテウスの創造物(Die Geschöpfe des Prometheus )》作品43など。

それなりの話題作・ヒット作である。

そして、未完成ながらオペラの作曲も試み始める。


勝算はある。確信はない。そういう感じだったのではないか。

自殺か否か。その可能性さえ考えながらも、ベートーヴェンは交響曲第2番を作曲し続ける。それはたぶん、見えてはいた勝算を、確信に変えるための戦いだったのではないか。


その闘争の刻印は、その第一楽章の長大な序奏部分に刻印されている。晴れた日の中に、いきなり短調のモティーフ(…交響曲第9番第一楽章第一主題としてもう一度使いなおされることになるあれ、である。)が鳴り響く。

つまり、それはベートーヴェン自身の《運命の動機》だったに違いない。ハイドンの流用あるいは引用ではなくて。

そして、それは一気に拡散されて、何かの到来を待つ長い上昇線の挙句に、突然第一主題が鳴り響いて全曲は始まるのである。

この序奏部が、最初に書かれたのか最後に書かれたのか、それは知らない。いずれにしても、この曲が、ベートーヴェンに未来の可能性を確信させるに至った作品であることは、間違いがないように想う。





2018.07.01

Seno-Le Ma





Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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