ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)、交響曲第9番で、何を破壊し、何を歓喜したのか。
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)、
交響曲第9番で、何を破壊し、何を歓喜したのか。
Ludwig van Beethoven
(1770-1827)
ハイドンの稿でちょっと書いたが、あまりにも偉大な革命家たるハイドン(Franz Joseph Haydn1732-1809)の前では、ベートーヴェンの革新性と言うのは、あまり感じられない。
…そんな気がするときがある。
というのも、単純にベートーヴェンがやっていることの基本は、モーツァルトのようなハイドン様式の奇形化でさえなく、むしろ、ほとんどそのまんまだからである。
といって、これはベートーヴェンをけなしにかかる論考ではない。そもそも僕は、個人的にこの人の大ファンである。ちなみに、僕の子どものころのヒーローは、ファン・ゴッホとイエス・キリストとこのベートーヴェンだった。
まるで時代錯誤の冗談みたいだが。
いすれにしても、ベートーヴェンがハイドンのまんまだと言うのは、例えば、革新的音楽として名高い交響曲第3番、変ホ短調、作品番号55番のいわゆる《エロイカ》にしても、あれは基本的にはハイドン流儀のそのまま拡大版であって、とりたてて目新しい部分は、実は第3楽章にスケルツォを導入しているくらいに過ぎない。
とはいえ、ハイドンにおいても、特にその音楽的実験の舞台と化していないこともない弦楽四重奏曲のいくつかで、もはやスケルツォというべき鋭利な前のめりのビートは散見する。
フーガを取り入れた際に見せる、どこかデュオニソス的なと、想わず懐かしい言葉を口走ってしまいそうになる昂揚感もいかにもハイドン風だ。どうしようもない加速する昂揚感は、そもそもがハイドンのフーガの特徴なのである。
交響曲第1番には特にハイドンの影響が強く、交響曲第2番でその影響が薄れ、交響曲第3番で一気に独自の語法を獲得する、というのが一般的に言われるベートーヴェン・ストーリーなのだが、果たしてそうか?
僕には逆に聴こえる。
むしろ未解決でどっちつかずな和音から唐突にはじめる第一番のほうに、ベートーヴェンの固有性が目に付く。当時の一般的な音楽形式の枠の中で、仕事をしていると言うだけで、かならずしもそこにハイドンを名指しにする必然性はあまり感じない。
それが一気に、ハイドン色が強くなるのは、むしろ第2~3番においてである。僕は、これらは、ベートーヴェンの《ハイドン交響曲》に聴こえる。
どこが?と言うことなのだが、まず第一に、《エロイカ》の主導動機は何か?
実は、例のいわゆる《運命動機》である。はっきりと誰でも気付くのは、有名な第二楽章、葬送行進曲の伴奏音型のリズムは、そのまま《運命動機》そのままに他ならない。
この時期から、すでにベートーヴェンが《運命動機》を楽想として持っていた、のではない。それは、そもそもがハイドンの露骨な援用なのである。
Franz Joseph Haydn 1732-1809
Hob Ⅲ; 1
Strings Quartet in B flat major, op.1 no.1
1. Presto
2. Menuetto
3. Adagio
4. Menuetto
5. Finale: Presto
第2番にだって、ここぞと言うときに、いかにもハイドン風に《運命動機》が刻まれる。
ハイドンの《運命動機》を露骨に奇形化した《運命》交響曲よりもむしろ、ここでの《運命動機》は、ハイドンの一般的なこの動機の使い方と全く同じである。
ハイドンの交響曲でも、弦楽四重奏曲でも、伴奏音型として頻繁に現れ、音楽を鼓舞していく、そのままをここで披露しているに他ならない。
だから、むしろ当時の慣習にとっては、先の一番、二番よりむしろ、こちらの方が、よりハイドン流儀に忠実な音楽に聴こえたはすである。
Ludwig van Beethoven
Symphony no. 3 in E-flat major, op 55.(1804)
1. Allegro con brio
2. Marcia funebre. Adagio assai
3. Scherzo. Allegro vivace – Trio
4. Finale. Allegro molto
第三楽章、スケルツォの動機も、基本的は《運命動機》由来だ。そこを根拠にしてしまえば、《エロイカ》は統一主題による交響曲なのであって、第一楽章の第一主題も、最終楽章のテーマも、《運命動機》に由来する、その大胆な変形だ、と言うことになる。
実際、それらの楽章を貫くグルーヴ感は、《運命動機》的なグルーブ感なので、なんどもなんども、第一楽章展開部でも、終楽章変奏曲でも、注意して聴けば、早い話が《運命》交響曲化して仕舞っている瞬間がやたらと目に付く。
その意味では、これはベートーヴェンによる《運命》交響曲第一番、と言ってよい。
現在の僕たちには、《エロイカ》ばかりが目立つのだが、実際には、その斬新さでは、交響曲第二番のほうが、留保なく革新的な音楽だったのではないか。
実際、ピリオド楽器(古楽楽器)の演奏で聴くと、第二番のほうに驚く瞬間が多い。《エロイカ》はむしろ、昔やったことの総括と言った感じで自分が構築した語法を、そのままハイドン様式に乗っけて、思う存分ハイドン様式の可能性を展開し尽くしたのだ、と、そんな感じがする。
では、第二番の一体何が、革新的なのか?
Ludwig van Beethoven
Symphony no. 2 in D major, op 36.
1. Adagio molto / Allegro con brio
2. Larghetto
3. Scherzo: Allegro
4. Allegro molto
まず、モダン楽器でしか聴いたことのない人、あるいは、日本の批評家のわけのわからない、戦前の好事家の放言そのままの勘違いに由来する、《奇数番号=男性的、偶数番号=女性的》というイメージに騙されている人は、単純に、もう一度素直に聞き返してみる必要がある。
その、偶数番号曲を、である。
実は、《柔和で女性的》という、いまどき、ジェンダー差別そのものに過ぎない(笑)表現が適応しなくもないのは、第六番だけにに過ぎないことに、すぐに気付いてしまうはずだ。
第四番は、第二楽章が《柔和》といえばそうなのだろうが、そもそも、第二楽章だとかに関しては、ベートーヴェンでなくても誰でもかれでも《柔和》に書くことが多い。
それで言えば第9番だって《柔和》である。
それ以外の楽章を貫くのは、前のめりの、つんのめるようなべートーヴェン・グルーヴであって、なにも《リズムの神格化(ワーグナー)》というのは、第7番だけではない。
それは、リズム的実験の宝庫たる第8番にしてもそうなので、と言うことはつまり、ベートーヴェンはせいぜい第6番しか《柔和で女性的》な交響曲を書いてはいない、と言うことになる。
批評家の戯言など、一切、鵜呑みにしてはいけない。
なにも、毒舌を吐いて格好をつけたいわけではない。
ハイドンとベートーヴェンに関しては、なんでこうも俺の印象と書いてあることがここまで食い違ってしまうのだろう?と、昔から悩ましくて仕方なかった。
そんなものか。音楽って、難しいね、くらいに想っていたが、自分が思っていることの方が明らかに正しいと確信したのは、ピリオド楽器による演奏を聴くようになってからだった。
ところで、よくある勘違いついでに、言っておきたいのだが、ベートーヴェンと言えば苦悩を通して歓喜に至れ、というモットーが云々と言うくだりである。
実際、ファン・ベートーヴェンさんのところのルートヴィッヒくんの、人生におけるモットーはそうだったには違いないのだろうし、それはそれで、本当にさまざまな病苦に打ち勝って生き抜いてきたのだから、褒め、尊敬することができはしても、それをああだこうだという権限は、人には一切ない。
そして、そのモットーが音楽家ベートーヴェンの音楽的モットーだったのかと言うと、私にはそうは思えない。
まず第一に、交響曲第5番《運命》が、かならずしも苦悩との闘争のドラマとは言えないはずだ、と言うことは、以前に、書いた。
第4番から第8番までにはそんな要素はない。
第6番も闘争=勝利のベートーヴェン・ストーリーだと言うのなら、ヴィヴァルディの《四季》から《春》第一楽章もベートーヴェン・ストーリーだと言うことになる。
それはあんまりだろう。
かつ、交響曲第9番。
これは、闘争から歓喜に至るストーリーを持った音楽なのか?
確かに終楽章、先行楽章の主要主がことごとく否定されて、《喜びの歌》に至るのだが、その喜びの歌とは、一体何なのか?
シラーの詩を原案にして、ベートーヴェン自身によって自由に書き直されたものであって、シラーの原文は、正式名称を《自由への賛歌(Hymne à la liberté 1785)》という。
これが、あのフランス革命の直後、《ラ・マルセイエーズ》のメロディにのせて、歌われていたのだと言う。
ベートーヴェンの若い頃、学生たちの間で、である。
だから確かに、ベートーヴェンがつけたメロディーも、楽聖畢生の名旋律というよりは、むしろ酒場で学生がワイン片手に歌いだしそうなメロディではある。
いずれにせよ、《リバティ(自由)への賛歌》に、《ラ・マルセイエーズ》に《フランス革命》である。
そんなもの、その意図がどこにあるかなど明白ではないか。
もちろん、シラーの詩はフリーメイソン系の入信歌なのだ、と言う説があるが、この場合それは考えなくていいだろう。
いずれにしても、ベートーヴェンが歌っているのは、個人的な歓喜ではなくて、貴族主義の打破、そして自由・平等への、あくまで政治的な意志の表明であるに他ならない。
これも、当たり前なのだが、聴くものがネオ・ナチか、がちがちの右翼皇道派か、なにかのテロリストででもないかぎり、ああだこうだと鼻白んだり、斜に構えてみたりするところではない。
ようするに、王侯貴族のためのクラシック・ミュージックなんか打破して、民衆のためのポップ・ミュージックを歌おうぜ、と言っているだけである。
ところで、第2番。
全編にわたって、その第9番由縁の主題が登場していることを、ご存知か。
すぐに気付くのは、もちろん第一楽章序奏部で派手に鳴らされる、そのまんまの第9番の第一楽章第一主題である。
というか、第四楽章以外は、基本的には統一主題と言ってもいいので、…つまり、そう言うことだ。
第一楽章、主部に入ってからは、第9番のスケルツォ的リズムが荒れ狂い、同じ二調(2番がニ長調、9番がニ短調)だけあって、9番の第一楽章を主体として似たような音響が頻発する。
第二楽章、ラルゲットも、書風は違うのだが、若書きの9番第三楽章だよ、と言われればそう想ってしまわないでもない。ちなみに、ハイドン風に《運命動機》が刻まれたりもする。
そして、9番のそれを思わせる《警句》が、弦によってかき鳴らされもするのだ。
もっとも、第三番の葬送行進曲を思わせる弦の刻み、とも言う。
第三楽章は、同じスケルツォに酷似した部分が、特に一瞬静まった部分に頻出する。とはいえ、個人的には第3番スケルツォの直接的な原型を見ることが多い。
ときに起こりがちな勘違いだが、この事実に、そうか、第二番、つまりはハイリゲンシュタットのころから、あの楽想に固執していたのか、という考え方である。
それはいくらなんでも、無理やり第9番にこじつけすぎているのではないか。
第2番作曲時、ベートーヴェンはこの曲をこそ世に問う畢生の傑作として書き上げたのであり、後の第9番のことなど頭にあるはずがない。
だいたい、ハイリゲンシュタットで、自殺しようとするのしないの、遺書を書くの書かないの、そんな時期の作品である。
そこまで遠くの未来をなど見てはいなかったはずだ。
昨日自死をも決意しかねなかった男が、そんな、いつか書くかもしれない未来の傑作のことをなど、考えているはずもないのである。
つまりは、第9番の器楽楽章自体は、第二番からの引用によって成り立っているのだ、と言ったほうが合理的だ。というか、普通に考えればそうなるはずだ。
何でもかんでも第9番に結びつけすぎているのである。
結局は、第1番という実験作を経て、第2番に始まるベートーヴェン交響曲の嚆矢ともなった、あの大交響曲を丸ごと否定したのが、9番なのだ、と言ってよい。
これは、ベートーヴェン自身によるベートーヴェン音楽自体の自己破壊、というべきか、或いは、自己さえ含めた破壊による突破をもくろんだ、と言うべきか。
もちろん、政治的メッセージとして、である。
自分を超えて生まれてくるはずの子供たちに、おれた旧世代を破壊して、そして、自由であれ!と言っているのだ。
そうとしか、僕には思えない。
Ludwig van Beethoven Symphony No 9 in D minor Op 125
1. Allegro ma non troppo, un poco maestoso
2. Scherzo
3. Adagio molto e cantabile
4. Presto -- Allegro ma non troppo
さて、では、次回、なぜベートーヴェンが音楽の革命児と呼ばれなければならなかったか?
何を革命したのか?
以上について、考えてみよう。
2018.07.01
Seno-Le Ma
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