雅楽、灼熱の蘭陵王…日本の雅楽と《蘭陵王=高長恭》について









雅楽、灼熱の蘭陵王…日本の雅楽と《蘭陵王=高長恭》について









雅楽、という音楽がある。


日本の伝統音楽として、誰もがその名は知っている。そして、基本的に、日本人は笑ってしまうほど誰も聞かない。









いくつかの誤解がある。


まず第一に、それが神道に由来するかのような誤解である。

もちろん、今では雅楽系の殆どの楽器、ときに龍笛は神具としてあつかわれるし、雅楽の演奏は神社で行われる。それはそうなのだから、まさにそれはそうである以外の何ものでもないのだが、例えば源氏物語には光源氏が女の琴と合奏するくだりが出てくる。

清少納言は、貴族の男が腰に笛をちょこんと差して歩いているさまに、いわば、《萌え》ている。

平安時代においては、《雅楽》は宮廷貴族の趣味の音楽であって、かならずしも神道と一致している音楽と言うわけではない。

天皇家に由来をする、という言い方もある。

それによって妙な箔をつけたがる物言いもあったりするのだが、ごくごく単純に言って、大和朝廷や平安時代の当時の天皇といえば《大和の国》の帝であって、帝が住んでいるところが宮廷で、帝に最も近い側近たちが貴族なのだから、天皇家に由来するのは当たり前である。

いまの象徴天皇や、近代の明治天皇や、あるいは戦後の宮内庁が1500年前に《雅楽》に関わっていたわけではない。


つぎに、日本の伝統音楽という誤解である。

基本的には、今日、雅楽として知られている音楽の大半は、今の中国やベトナム等の外国から輸入されてきた音楽である。

それらは外国音楽に過ぎない。例えて言えば、今現在の我々にとってのバッハ、ベートーヴェンのようなもの、及びその流れを汲んだクラシック系日本人作曲・演奏家・研究家が日本で作り出していた潮流が、当時の《雅楽》だった、と言えば、比喩としてわかりやすい。


第三に、雅楽がみやびやかな音楽である、というコンセプト。

雅楽という言葉の意味は、雅正なる音楽という意味であって、みやびやかな音楽、という意味ではない。

それもクラシックを例に取ればわかりやすいだろう。

クラシックと言えば、真面目で正しい音楽様式として、一般的な日本人は享受している。

それらはポップ・ミュージックのように、出自のいかがわしい、いい加減な音楽ではない。正当な、音楽の正統である。すくなくとも、そう、想われてはいる。

また、ショパンもラヴェルもみやびやかで上品な響きにうっとりとはさせるのだが、だれも、ショパンやラヴェルの本音が、そんな口当たりの良いみやびやかさや上品さなどにあるとは想ってはいない。

孤独であるとか、苦痛であるとか、そういった内面の傷ばかりを、どこかに探して喜んでいる。

そして、それらの感情が人間として普遍的かつ正当であるという感性こそが、みやびやかで、上品な見掛けをもって貴族的な、そして、しかし本質的には人間誰にとっても大切で、正しいクラシック、というクラシック音楽の需要感性を支えている。


ちなみに、雅楽の対義語は俗楽で、まさにファイン・アートとポップ・アート、クラシックとポップ・ミュージックの図式そのものである。


この意味においては、明治近代においてクラシック音楽の受容が始まるというのは、それはそうなのだが、ずっと以前から、日本人はそんな事ばかりしてきたのだ、と言える。

音楽の仕入れ先が変わったにすぎない。


まず、音楽様式をまとめておこう。


雅楽は管弦と舞楽に分かれる。説明は字を見ればわかるに違いない。演奏を聴いて楽しむもの。及び、バレエのように、あくまでも舞人の踊りを楽しむもの。


楽器編成は太鼓類がベースを作り、笙という和製楽器が和音を当て、旋律楽器として篳篥と横笛(龍笛・高麗笛)、及び、弦楽器として琵琶、筝が入る。

龍笛は、もともとは横笛[おうてき]と呼ばれていたらしい。雅楽の説明でときに出てくる横笛とは、基本的は龍笛の意味である。

基本的には5世紀から9世紀くらいの間に輸入されてきた大陸系の音楽が、いまの雅楽の原型だと言われている。


そして、雅楽の中でもっとも有名で、もっとも人気のある曲の一つに、《蘭陵王・一具》というのがある。

要するに、蘭陵王というタイトルがついた組曲である。


これは、《蘭陵王》と呼ばれた、中国の勇猛なる武将を想い描いた音楽である。《蘭陵王》、その、忠孝なる武将は、主君に毒を賜る(自殺を強制される)という悲劇と共に散っていくことになるのだが、戦いに赴くとき、いつも化け物の仮面をかぶっていた。


なぜか?


その美しすぎる、女性のような美貌が、兵士の士気を落としてしまうからである。


その美しき悲劇の武将は野に馬を駆り、敵を撃つ。化け物の仮面をかぶって。その下の素顔の表情は、誰も知らない…。


…いかにも、日本人好みだ。


ちなみに、日本人のSeno-Lê Maさん(セノー・レ・マーと読む)が使っているアイコンの、なんだかよくわからないお化けの画像。あれが、蘭陵王である(笑)。


基本的には以下が、《蘭陵王・一具》になる。


小乱声

陵王乱序

蘭陵王

沙陀調音取


全部通すと、30分とか40分とかかかる。

長いといえば長い。

マーラーの交響曲に比べれば短いし、ワーグナーの《ニーベルングの指輪》の全曲の上演一回分にかかる必要時間と必要資金にくらべれば、あっという間の小曲、とも言える。




小乱声






僕は自分で龍笛を吹いたりもするのだが、この、ほんの短い曲、最初はどこが名曲なのかわからなかったが、吹いてみると名曲だと言うのがわかる。

とにかく、難しいのだ。技術的には簡単なのだが。

曲自体は、もっと長い曲の最初と最後の吹き止め句という部分、ようするにコーダの部分をくっつけて、若干修正しただけの曲に過ぎないのだが、美しく響かせようとすれば若干、曲自体のパッセージが、なんというか、舌ったらずなのだ。

ようするに、とにかく抽象的。

曖昧で、感傷的な美しさなど許してくれない。

そして原曲の方は、ここまでの抽象美はない。

ほとんど、後記のモートン・フェルドマンや、ウェーべルン状態の抽象性が、この曲を貫く。




陵王乱序






龍笛による四声のカノン。太鼓が、リズムをつけるだけだ。

カノン、と言えばパッヘルベルのあれで有名な様式だが、同じフレーズを交互に繰返していくあれ、である。

ついでに言っておくが、パッヘルベルは《カノン》だけで有名な一発屋ではない。単に、20世紀後半のレコード産業が、この一曲だけを死後500年後にいきなり有名にしてしまったというだけで、ほかにも優れた大量の仕事がある。

聴いてみればいい。《カノン》など大パッヘルベルの小手先の仕事に過ぎないことがよくわかる。

ともかく、カノン様式はヨーロッパにおいては、12世紀のノートルダム楽派に端を発する。…と、いまの音楽の教科書には書いてあるが、そんな事はなかった、のだ。

バッハのカノンよりもむしろ音楽的で精緻なカノンが、5世紀から9世紀あたりのベトナム、あるいは8世紀から12世紀あたりの日本には、すでに完成されて存在していたのである。




蘭陵王






リンクは《一具》の簡略版。乱序などがざっくりとカットされている。《蘭陵王》は全曲聴くことが出来る。

5分50秒くらいから始まるのが、この《蘭陵王》である。


笙の和音が切り開いた音響空間に、龍笛がモティーフを飛び交わせ始めて、篳篥(主旋律楽器)が無骨な歌をかぶせる。

雅楽の管楽器編成について、笙が天の光、篳篥が人の声、龍笛がそれらを飛び交う龍なのだ、という説明がされるのだが、なるほどね、という音響である。


特に前半の、等価で鳴る龍笛と篳篥の、おもしろいようにかみ合うようでかみ合わない、一致と乖離を繰返す音の連なりにときめいてしまう人がいたら、それはたぶん、日本の伝統音楽の愛好家、ではなくて、クラシックの、バッハとか以前の中世音楽だとか、現代音楽だとかの愛好家なんじゃないか、という気がする。


実際、僕もどちらかというと、そっちから入ってしまったクチである。


蘭陵王というのは、言うまでもなく、中国の王様に由来する。王と言っても、ある帝国の中の爵位のようなものである。King ではない。King は帝だ。


南北朝時代の北斉の皇族である。


陰謀術策、もちろん時には暗殺も、という血なまぐさい時代の流れの中に、蘭陵王(高長恭)は生まれた。


陰謀術策というと、中国の王朝の専売特許であるかのように、日本人は、お得意の若干の人種的軽蔑も交えて考えたりもするのだが、そうとばかりも言えない。

実際、日本の大和朝廷時代こそは、中国を越える陰謀術策の嵐である。特に大化の改新前後の時期、もはや血の雨がいつもどこかで降っている状態の、凄惨な状況が、あの、狭い日本のほんの半分くらいしか支配していなかったに過ぎない大和朝廷の、せまっ苦しい内部で頻発している。

父親殺し、母親殺し、兄弟殺し的な、ほとんどギリシャ悲劇を毎日上演しているようなレベルである。

個人的には、非常に興味がそそられる時代だ。この時代が過ぎれば、若干、沈静化する。藤原不比等という独裁者が鉄の施政をしいたからであり、やがては下克上の戦乱に戦乱をかさねる武士たちの時代がやってくるからである。兄弟殺しなど地方のお家の瑣末な騒動に過ぎない。


ところで、蘭陵王(高長恭)は、もともとは帝本家の血筋ではあるのだが、諸事情によって家臣扱いから脱する事ができない家系、に生まれた。

要するに、むかし、高澄という帝がいた。暗殺された。暗殺者を、叔父の高洋が殺した。そして高洋は新王朝を開いて帝になった(=文宣帝)。だいたい、ことの詳細はイチイチ言われなくても推測できてしまうのだが、この、暗殺された先帝の第四子が、蘭陵王(高長恭)だ。


文宣帝の次の武成帝のときに、蘭陵王(高長恭)の一族を悲劇が襲う。高澄系の血筋を嫌悪した武成帝によって、彼らは徹底的に冷遇されるのだ。

二人の兄は殺害され、それを批判した弟は鞭打ちの計によって重傷を負う。

とはいえ、蘭陵王(高長恭)は、忠実な部下であり続けた。


このあたり、かわいそう、でもあれば、ちょっと、怖い部分もある。…そう、思いませんか?

僕は単純に、蘭陵王(高長恭)=悲劇的でいい人という図式にはあまり当てはめきれない部分がある、と想う。


日本人的には耐えて忍ぶお家奉公・忠義の美学みたいな、そんな風に《翻案》されかねないが、…中国ですから。


なぜ、自分たちから帝位を掻っ攫っていったに過ぎない文宣帝の子どもの武成帝に、兄が二人も殺されたのに、抗議しなかったのか?

抗議した弟までもが暴虐に曝されたのなら、それこそ暗殺なりクーデターなり起こしてもおかしくはないではないか?そして自分が新王朝を作ってしまえばよかったではないか?

むしろ、そっちのほうが筋が通ってはいないか?本当かどうかはしらないが、武成帝といえば、間違っても賢王とも名君とも呼べない類の帝だったのである。


いずれにしても、そんな武成帝に蘭陵王(高長恭)は寵愛され、忠実な家臣として武勲を挙げていく。

忠孝の部下として、武成帝の下でどんどん昇進していくのである。


ところが、武成帝の息子、後主の代になって、今度は帝一家の牙は蘭陵王(高長恭)自体に向けられていく。当初は優遇されていたのだが、後主によって、次第に疎まれるようになったのだ。


蘭陵王(高長恭)の武勲をねたんだのか?

もちろん、一般的はそう解釈されている。(…本当に?)


いずれにせよ後主の心情を察した蘭陵王(高長恭)は、戦利品を着服してみたり、病気の治療をせずに悪化させて引退を画策したりと、保身にじたばたしたりするが、むしろ後主が、引退などなまぬるい保身を許さない。


結局のところ、後主の狙いは、うとましい蘭陵王(高長恭)を殺してしまうこと以外にはない。ついには蘭陵王(高長恭)は後主に毒薬を賜る。自分で死ね、ということだ。


妻はもう一度帝に懇願してみたらいいではないかと縋るのだが、すべてはもはや手遅れに過ぎないと悟った蘭陵王(高長恭)は、自分で毒を煽って死ぬ。


あるいは、こうも考えられる。


兄弟の惨殺すら見殺しにした蘭陵王(高長恭)など、後主は信用できなかったし、許せなかったのだ、と。

だから、むしろ、自分で自分を裁いてみせろ、と毒を渡した。

ある意味で、兄弟殺しの犯罪者に過ぎない自分自身を裁くための毒薬を、である。

その意味を察していたからこそ、蘭陵王(高長恭)は縋る妻を捨て置いて、毒を飲まざるを得なかったのではないか?


日本では、そして中国や、時には韓国のドラマでも、もちろん悲劇の、そして美貌の善王として描かれ、愛されるのだが、はたして、本当にそうだったのだろうか?

それだけだったのだろうか?

単純に、美しく女性的なだけではない素顔を、その化け物の仮面は隠していたように、僕には思えてならないのである。




* *




ところで、最初のほうにも書いたが、雅楽《蘭陵王》は、もともと林邑=ベトナム中部の音楽である。


僕がベトナムに来た当初は、ベトナムと言えばベトナム戦争、そして大陸の南の果て、という、そんなイメージしかなかったが、今では日本にもベトナム人留学生であふれかえって、親しみが増えたのではないか。


いずれにしても、ベトナムは熱帯。


ベトナム生まれの《蘭陵王》は、本来、熱帯の、あの灼熱の太陽が生んだ音楽である。


もっとも、いま、ベトナムには《蘭陵王》原曲など残ってはいない。雅楽と日本語で翻訳される音楽はあるが、ベトナム語で Nhã Nhạc、漢字を当てると雅楽、みやびやかな音楽、という意味で、本当に宮廷人が遊んだ歌もあれば舞曲もある多彩で楽しい音楽である。

特に、当時の都、フェにしっかりと残っている。

そして、これは日本に残るあの雅楽とは似ても似つかない宮廷ポップスにすぎない。


いずれにしても、日本人が春のまだ肌寒い闇夜にたゆたう桜のイメージを思い浮かべる《蘭陵王》の本性は、日本にはありえない、空気に火をつけたら燃え上がりそうな、あの熱帯の日差し、のはずである。

最初は違和感があったが、最近は、そうなのかもしれない、と思い始めてきた。

笙も篳篥も龍笛も、基本的には中国伝来の外国楽器である。

ベトナムの熱帯の空の下でも、似たような楽器が鳴っていたのかも知れない。笙の空間を切り開く遠くからの音響。押しつぶすような篳篥の無骨。そして絹糸で作った刃物のような龍笛の切れ味…


日本人がとかく陥りがちな、江戸時代風の《わび・さび》で捉えられがちなこれらの音楽の本質は、むしろ熱帯の光の鋭利なまでの発熱にあるのではないか?


住み慣れた日本にばかり閉じこもっていないで、雅楽奏者は、いちど、《蘭陵王》の故国、ベトナムの、あるいは容赦ない熱帯の日差しに肌を曝して、その実像を追い求めてみたらいい、と想う。


いずれにしても、《雅楽》とは、危険を顧みず海を渡って、もちろん言葉など通じはしない外国人の群れの間を疾走した命知らずの古代の勇敢な旅人たちが、故国に伝えた音楽、なのである。



Seno-Le Ma




Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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