紀貫之の和歌。貫之集6
紀貫之家集
已下據『歌仙歌集三』刊行年出版社校訂者等不明。
解題云如已下自撰の集ありしこと後拾遺集大鏡などにみえたれど今のは少なくとももとのまゝにはあらざるべし
貫之集第六
賀部
延喜十二年定方の左衞門督の賀の時の哥
みなそこにかけをうつしてふちのはな千よまつとこそにほふへらなれ
百とせといはふをわれはきゝなからおもふかためはあかすそありける
八條院にてきんひくをきゝてよめる
なかきよのあきのしらへをきくひと[ことイ]はをことにきみをちとせとそなる
延喜十二[五イ]年十二月春たつあしたにさたかたの左衞門のかみのないしのかみに賀たてまつれるときのうた
ことしおひのにひくはまゆのからころも千よをかけてそいはひそめける
いはのうへにちりもなけれと蟬のはの袖のみこそははらふへらなれ
としをのみおもひそめつゝいまゝてにこゝろをあけるときのなきかな
としのうちに春立ことをかすかのゝわかなさへにもしりにける哉
すみのえのまつのけふりはよとゝもになみのなかにそかよふへらなる
延喜十年春宮のみやすところのみきのおほいとのの御賀たてまつりたまふとて御かさしのれうにやすたかの右大辨のよませたまふ
こゝろありてうゑたるやとのはなゝれはちとせうつらぬいろにさりける
としことにはなしにほへはかそへつゝきみか千よまてをらんとそおもふ
藤原のかねすけの中將さいさうになれるよろこひにいたりたるにはしめてさいたる紅はいをえおりてことしなんさきはしめたるといひいたしたるに
はることにさきまさるへき花なれはことしをもまたあかすとそみる
延長五年九月右[左イ]大臣殿せさいあはせのまけわさ内舎人たちのはなのすけなはつかうまつるすはまにかける
くさもきもおもひしあれはいつるひのあけくれこそはたのむへらなれ
つき
いてゝくるやまもかはらぬなかつきのありあけのつきのかけをこそみれ
まつ
ねかふことこゝろにあれはうゑてみるまつをちとせのためしとそみる
かへ
いろかへぬかへのはのみそあきくれもみちすることならはさりける
つる
うちまよふあしへにたてるあしたつのよはひをきみになみもよせなん
かめ
なみまよりいてくるかめはよろつよとわかおもふことのしるへなりけり
ちとり
たかとしのかすとかはみるゆきかひてちとりなくなるはまのまさこを
延長八年とさの國にくたりて承平五年に京にのほりて左大臣殿しらかは殿におはします御ともにまうてたるにうたつかうまつれとあれはよめる
もゝくさのはなのかけまてうつしつゝおともかはらぬしらかはのみつ
つねすけの中[大イ]納言のあふきあはせのうた扇をすはまにいれたり
すみの江のまつのかけをし[もイ]そめたれはあふくあふきのいつかつき[たえイ]せん
宰相中將の四條のみやにすまはしめたまふにまふてゝことのついてありてよめる
ものことにかけみなそこにうつれとも千とせのまつそまつはみえける
承平五年十二月左衞門のかうのとのゝをとこをんなきみたち元服しもきたまふ夜よめる
おほはらやをしほのやまのこまつはらはやこたかゝれちよのかけみん[後撰]
源公忠朝臣のこに元服せさせ給ふ所にてよめる
きみをのみ[みなイ]いはひかてらにもゝとせをまたぬひとなくまたんとそおもふ
天慶六年正月藤大納言殿の御せうそくにて魚袋をつくろはせんとて細工にたまへるをおそくもてくるあひたに日たかくなりにしかはいぬについたちの日はつけすりあしかは大殿にこのよしきこしめしてわかむかしよりようするをあえものにけふはかりつけよとおほせられてたまへりしかはよろこひかしこまりてたまはりようしてまたの日まつの枝につけてかへしたてまつるそのよろこひのよしないしのかみのとのにいさゝかかきみむとなん思ふをしのひてそのよしかきいたしてとあるにたてまつる
吹風にこほりとけたるいけのうを[魚]は千よまてまつのかけにかくれん
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