佛典・法句經(ダマパンダ)・荻原雲來譯/第十三世俗の部、第十四佛陀の部
法句經
荻原雲來譯註
第十三 世俗の部
一六七、下劣の法を習ふべからず、放逸に住すべからず、邪見を習ふべからず、世俗を助長すべからず。
一六八、發起せよ、放逸なる勿れ、妙行の法を行ぜよ、如法の行者は快く寐ぬ、今世にも亦他(世)にも。
一六九、妙行の法を行ぜよ、惡行の法を行ずる勿れ、如法の行者は快く寐ぬ、今世にも亦他(世)にも。
一七〇、(世は)泡沫の如しと觀よ、(世は)陽炎の如しと觀よ、斯く世間を觀察する人を死王は見ることなし。
一七一、來れ、‘雜色の王車に等しき此の世間を見よ、愚者は此中に沈溺す、智者に執著あることなし。
[註、 雜色、訓ざっしょく。字義さまざま色
一七二、人若し先に放逸なるも後に不放逸なれば能く此の世間を照す、雲を出たる月の如く。
一七三、人若し先に惡業を作るも(後に)善を以て此を滅せば能く此の世間を照す、雲を出たる月の如く。
一七四、此の世は黑暗なり、此の中にて能く見るもの稀なり、網を脱脫れて天に到る鳥の稀なるが如く。
一七五、‘鵝鳥は日の道を行く、(人は)通力によりて虛空を行く、賢人は魔と其軍衆とを亡ぼし世間を離る。
[原註、鵝鳥——候鳥の一種と謂はる。
[註、 鵝鳥、円諦譯本作雁
一七六、一法を犯し、(且つ)妄語し、他世を信ぜざる人は惡として造らざるなし。
一七七、貪る人は天に往かず、愚者は決して施與を贊せず、賢人は施與を隨喜し、此に由つて他生に樂を受く。
一七八、地上を統治するよりも、また天に往くよりも、一切世界の王位よりも‘預流の果を勝れたりとす。
[原註、預流の果——佛敎に確信を得ること。
[註、 預流の果、円諦譯本作精神生活
一云、四向四果として、初期教団に位階あり。
いわく預流向/預流果・一来向/一来果・不還向/不還果・阿羅漢向/阿羅漢果。
訓は順による・いちらい・ふげん・あらかん。
…の王位よりも煩悩など斷ちきってあるをこそ勝れたりとす
第十四 佛陀の部
一七九、已に自ら勝つて(他に)勝たれず、他人の達する能はざる勝利を得たる彼の(智見)無邊の佛陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。
一八〇、誘惑し阻礙する愛の爲に導き去らるゝことなき、彼の(智見)無邊の佛陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。
一八一、賢人は靜慮を專修し出家の寂靜を喜こぶ、諸神すら此の正等覺熟慮者を羨やむ。
一八二、人身を得ること難し、生れて壽あること難し、妙法を聞くこと難し、諸佛世に出ること難し。
一八三、諸の惡を作さず、善を奉行し、自心を淨む、是れ諸佛の敎なり。
一八四、苦を忍受する忍は最勝の苦行なり、涅槃を第一とす、(是れ)諸佛の說なり、他を損ふ出家なく、他を惱ます沙門なし。
一八五、誹らず、害はず、言動を愼しみ、食するに量を知り、閑靜の處に坐臥し、專心に思惟す、是れ諸佛の敎なり。
一八六、天金錢を雨すも欲は尚ほ飽くことなし、欲は味少なく苦なりと識る人は賢なり。
一八七、天上の欲樂に於ても悅びを得ず、愛盡を悅ぶものは正等覺者の弟子なり。
一八八、衆人怖に逼められて、多くの山、叢林、園苑、孤樹、靈廟に歸依す。
一八九、此の歸依は勝に非ず、此の歸依は尊に非ず、此の歸依に因つて能く諸の苦を解脫せず。
一九〇、佛と法と僧とに歸依し、正慧を以て‘四の‘聖き‘諦を觀察し、
[原註、四の聖き諦——次の頌に言ふ所の、苦と、苦の起と、苦の滅と、苦盡に至る道なり。
[原訓、聖き、たふとき
[原訓、諦、まこと
一九一、苦と、苦の起と、又苦の滅と、又苦盡に至る八支の聖道を(觀察すれば)、
一九二、此の歸依は勝なり、此の歸依は尊なり、此の歸依に因つて能く衆苦を解脱す。
一九三、尊き人は得難し、彼は隨處に生るゝに非ず、是の如き賢人の生るゝ族は安樂にして榮ゆ。
一九四、諸佛の出現は樂なり、正法を演說するは樂なり、僧衆の和合するは樂なり、和合衆の勇進するは樂なり。
一九五、應に供養せらるべき、戲論を超出せる、已すでに憂と愁とを渡れる、佛陀又は佛弟子を供養し、
一九六、是の如き安穩にして畏怖なき(聖者)を供養する人あらんに、能く此の福の量を計るものあらじ。
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