佛典・法句經(ダマパンダ)・荻原雲來譯/第十五安樂の部、第十六愛好の部
法句經
荻原雲來譯註
第十五 安樂の部
一九七、怨の中に處て慍らず、極めて樂しく生を過さん、怨ある人の中に處て怨なく住せん。
一九八、痛の中に處て痛まず、極めて樂しく生を過さん、痛める人の中に處て痛なく住せん。
一九九、貪の中に處て貪らず、極めて樂しく生を過さん、貪る人の中に處て貪らずして住せん。
二〇〇、少物をも所有せず、極めて樂しく生を過さん、喜を以て食とせん、‘極光淨天の如く。
[原註、極光淨天——天國に居る一類の神。
二〇一、勝利は怨を生ず、敗者は苦しんで臥す、勝敗を離れて寂靜なる人は樂しく臥す。
二〇二、貪に比すべき火なく、瞋に比すべき罪なく、‘蘊に比すべき苦なく、‘寂に勝るゝ樂なし。
[原註、蘊——變化的生存の要素の集合。
[原註、寂——涅槃。
二〇三、飢は最上の病なり、蘊は最上の苦なり、若し人如實に此を知れば最上樂の涅槃あり。
二〇四、利の第一は無病なり、滿足の第一は財なり、親族の第一は信賴なり、樂の第一は涅槃なり。
二〇五、遠離の液を飮み、又寂靜の液を(飮み)、(又)法喜の液を飮みて罪過を離れ(又)惡を離る。
二〇六、善い哉聖を見ること、(聖と)共に住するは樂なり、凡愚を見ずんば常に樂なるべし。
二〇七、凡愚と倶に道を行けば、長途に憂ふ、凡愚と共に住するは敵と(共に住するが)如く恆[恒]に苦なり、智者と共に住するは樂なり、猶ほ親族と會ふが如し。
是れに由つて
二〇八、彼の賢く、智ある、多く學べる、忍辱なる、戒を具せる、聖き、是の如き善士聰慧者に隨ふべし、月の星宿を行くが如く。
第十六 愛好の部
二〇九、不‘相應に相應し、相應に相應せず、實義を捨てて可愛を執取する人は自ら相應する人を妬む。
[原註、相應——原語は瑜伽にして、又は觀行起行の義あり、
若し心と境との相應と解すれば觀行の義となり、
若し力と境との相應と解すれば起行の義となる。
二一〇、所愛と會ふ勿れ、決して非愛と(會ふ勿れ)、所愛を見ざるは苦なり、又非愛を見るも(苦なり)。
二一一、故に愛を造る勿れ、所愛を失ふは災なり、愛非愛なき人には諸の繋累あることなし。
二一二、愛より憂を生じ、愛より畏を生ず、愛を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。
二一三、親愛より憂を生じ、親愛より畏を生ず、親愛を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。
二一四、愛‘樂より憂を生じ、愛樂より畏を生ず、愛樂を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。
[原訓、樂、げう
二一五、愛欲より憂を生じ、愛欲より畏を生ず、愛欲を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。
二一六、渇愛より憂を生じ、渇愛より畏を生ず、渇愛を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。
二一七、戒と見とを具へ、正しく、實語し、自の所作を作す人は衆に愛せらる。
二一八、‘無名を希望し、作意して怠らず、心諸欲に拘礙せられざれば、彼は‘上流と名づけらる。
[原註、無名——涅槃
[原註、上流——生死の流を上る義なれば涅槃に近づける人のことなり、
若し後世の學者風の解釋に依れば所謂上流般涅槃にして不還の一なり。
二一九、久しく遠方に行き安全にして還る人を親戚及び朋友が歡こんで迎ふる如く、
二二〇、是の如く福を造り此の世より他(世)に往ける人は、福業に迎へらる、還り來れる所愛が親戚に(迎へらるゝが)如く。
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