佛典・法句經(ダマパンダ)・荻原雲來譯/第五愚闇の部、第六賢哲の部
法句經
荻原雲來譯註
第五 愚闇の部
六〇、寢ねざる人には夜長く、疲れたる人には路長く、正法を知らざる凡愚には生死長し。
六一、道を行きて、己より勝れたる人又は己に等しき人に逢はずんば寧ろ獨り行きて誤らざれ、愚者の伴侶とすべきなし。
六二、「我が子なり、我が財なり」と思惟して凡愚は苦しみ惱む、我の我‘已にあることなし、誰の子ぞ誰の財ぞ。
[原訓、已に、すでに
六三、愚者にして(己れ)愚なりと想ふは已に賢なり、愚にして(己れ)賢なりと想ふ人こそ實に愚と謂る。
[原訓、謂る、いはる
六四、愚者は終生賢人に近づくも正法を知らず、匙の汁味を(知らざる)如し。
六五、智者は瞬時賢人に近づくと雖も速に正法を知る、舌の汁味を(知る)如し。
六六、愚癡無智の凡夫は‘己に對して仇敵の如くふるまひ、惡業を作して苦痛の果を得。
[原訓、己、おのれ
六七、造り‘已りて後悔し、顏に淚を流し、泣きて其果報を受くべき業は、善く作られたるに非ず。
[原訓、已り、をはり
六八、造り已りて後悔せず、死して後悅こびて其果報を受くべき業は、善く作られたるなり。
六九、罪過の未だ熟せざる間は愚者は以て蜜の如しと爲す。罪過の正に熟する時に至りて(愚者は)苦惱す。
七〇、愚者は日々‘茅草の端を以て飮食するあらんも、彼は法を‘思擇せる人の十六分の一に及ばず。
[原註、茅草の端を以て飮食する——苦行者の如く飮食を節減するを言ふ。
[原註、思擇——知り判けること。(思擇、思惟し選ぶの意歟
[原註、十六分の一——一小部分。
七一、造られたる惡業は猶ほ新たに搾れる牛乳の如し、(卽時に)熟し了はらず、隨逐して愚者を惱ます、猶ほ‘灰に覆はれたる火の如し。
[原註、灰に覆はれたる火——熱氣容易に去らず、業力の執拗なるに喩ふ。
七二、(他を)損害せんとする思慮が愚者に生ずる間は、(其思慮は)愚者の‘白分を亡ぼし彼の頭を斷つ。
[原註、白分——所謂美點。
七三、虛しき尊敬を望む人多し、比丘衆の中にては先にせられんことを(望み)、住處の中には主權を(望み)、他家の中には供養せられんことを(望む)。
七四、在家も亦出家も「此れ正に我が與(有傍訓ため)に造られたり」と‘謂ひ、「諸の所作と非所作の中に於ける何事も實に我が隨意たるべし」と‘謂へる人あり、此れ愚者の思量する所、(斯くして彼愚者の)欲望と高慢と增長す。
[原訓、謂ひ、おもひ
七五、一は利養の道、一は涅槃の道、斯く通達する佛陀の弟子なる比丘は、名聞を好むべからず、益々遠離に住すべし。
[註、 名聞、みょうもん。名譽名聲
第六 賢哲の部
七六、‘伏藏を告ぐる人の如く、(人に)避くべきことを示し、訓誡する聰慧者に遭ふときは此の賢人に侶となれ、斯かる人を侶とするときは勝利ありて罪過なし。
[伏藏——寶の埋沒してある處。
七七、敎授せよ敎誡せよ、不應爲の事を避けよ、彼は善人の愛する所にして不善人の愛せざる所なり。
七八、惡友に伴なはざれ、下劣の人を侶とせざれ、善友に伴なへ、上士を侶とせよ。
七九、法(水)を飮める者は快よく眠り、心淨く、(斯かる)賢人は常に聖所說の法を樂しむ。
八〇、疏水師は水を導びき、‘矢人は箭を調へ、木工は木を調へ、智者は己を調ふ。
[原訓、矢人、やつくり
八一 磐石は風に搖がざるが如く、賢人は‘毀りと譽れの中に於て動かず。
[原訓、毀り、そしり
八二、深き淵は澄みて靜なるが如く、智者は道を聞きて安泰なり。
八三、善士は一切を棄て、欲を貪らず、愁嘆せず、樂に會うても又苦に會うても‘汲々たらず又‘戚々たらず。
[註、 汲々、きゅうきゅう。あくせくする
[註、 戚々、せきせき。愁い惱む
八四、(善士は)己の爲にも亦他の爲にも、子孫を‘希はざれ、財も、又土地も、不法に由りて己の繁榮を希はざれ、彼は善く聰く正しくあれ。
[原訓、希ふ、ねがふ
八五 多くの人の中に於て少數の人あり‘彼岸に達す、餘の人は‘此方の岸の上に彷徨す。
[原註、彼岸——涅槃。
[原註、此方の岸——輪廻界。
八六、正しく說かれたる法あるとき其法を遵行する人のみ彼岸に到る、‘死の境域は越ゆること甚だ難し。
[原註、死の境域——輪廻の鄕。
八七、智者は‘黑法を離れて白(法)を修すべし、在家より非家に趣き、悅び難き孤獨を
[原註、黑・白——次頌の如く惡・善の異名。
八八、樂ふべし、智者は諸の欲を去り、一物をも所有せず、己を淨めて諸の煩惱を除くべし。
[註、 樂ふ、おそらく訓ねがふ
八九、心は正しき‘菩提の要素を正しく修習し、執著無く、執著を棄つることを樂しみ、心の穢を盡し、知見を具する人は、現世に於て(已(〃)に)涅槃に入(い)れるなり。
[原訓、菩提、さとり
[註、 菩提、(梵)bodhi、又、智、道、覺とも。意は悟り
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