佛典・法句經(ダマパンダ)・荻原雲來譯/第二不放逸の部、第三心の部、第四華の部


法句經

荻原雲來譯註



   第二 不放逸の部

二一、不放逸は不死に到り、放逸は死に到る、不放逸の者は死せず、放逸の者は死せるに同じ。

二二、明かに此の理を知りて善く不放逸なる人々は不放逸を歡こび、聖者の境界を樂しむ。

二三、彼等は靜慮し、堅忍し、常に勇猛に、聰慧にして無上安穩の涅槃を‘得。

    [註、 得字訓う、據國譯大藏經等

二十四、奮勵し、熟慮し、淨き作業を勉め、自ら制し、如法に生活し、不放逸なれば、其人の稱譽は增長す。

二十五、奮勵により、不放逸により、制御により、又訓練により智者は暴流に漂蕩せられざる‘洲を作るべし。

    [原註、洲——避難處又は歸依處の義。

二六、愚なる凡夫は放逸に耽る、智者は不放逸を護ること猶ほ珍財を護るが如くす。

二七、放逸に耽る勿れ、欲樂を習ふ勿れ、靜慮不放逸なる人は大なる樂を得。

二八、不放逸により放逸を却けたる識者は智慧の閣に昇り、憂なく、憂ある人を觀る、山上に居る人が平地の人を(觀るが)如く、泰然として愚者を觀る。

二九、逸放の中に在りて不放逸に、眠れる中に處して能く寤めたる賢人は駿馬の如く‘駑馬を後にして進む。

    [註、 駑馬、訓どば。遲い馬、轉じ愚者

三〇、‘摩掲梵は不放逸によりて諸神の主となるを得たり、人咸な不放逸を稱贊す、放逸は常に非難せらる。

    [原註、摩掲梵——寛仁の義にして‘因陀羅の一名。

    [註、 陀羅、インドラIndra、Sakko devānaṃ indo、又作釋提桓因、帝釈天、天帝釈、天主帝釈、天帝、天皇。

       ヒンドゥー敎神

三一 

不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は‘行きつゝ粗細の‘結を燒く、猶ほ火の如し。

    [原註、行きつゝ——世に生活しつゝの義。

    [原註、結——煩惱の異名。(煩悩が凝‘結す、と。

三二、不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は退轉するの理なし、彼は旣に涅槃に近づけり。



   第三 心の部

三三、心は輕躁動轉し護り難く御し難し、智者は之を正しくす、猶ほ弓匠の箭に於けるが如し。

三四、水の住處より取り出され、陸に投ぜられたる魚の如く、魔の支配を逃れんとして我等の心は戰慄す。

三五、輕く止め難き、恣まゝなる心の調伏善い哉、調伏されたる心は樂を引く。

三六、甚だ見難き、甚だ微細なる、恣まゝなる心を智者は護るべし、護られたる心は樂を引く。

三七、遠く去り、獨り行き、身なき、‘密處に隱るゝ心を能く制御する人は魔の縛を脫(有傍訓のが)る。

    [原註、密處——心臟のこと。

三八、心安住せず、正法を知らず、信心浮動すれば智圓滿せず。(浮字舊字體氵に孚下同

三九、心の貪著を離れ、思慮擾亂せず、已に罪福よしあし(の想)を離れ、覺悟せる人には怖畏あることなし。

 四〇 

此の身は‘瓶の如しと觀、此の心を城の如く安住せしめ、慧の武器を以て魔と戰ひ、彼の捕虜を守り‘懈廢すること勿れ。

    [原註、瓶——身の危脆なるを譬へたるなり。(危脆、きぜい。危なくもろい

    [註、 懈廢、かいはい。字義字に同じ

四一、‘嗟、此の身久しからずして地上に横たはらん、‘神識逝けば棄てられ、猶ほ無用の材の如けん。

    [註、 嗟、ああ。詠嘆

    [註、神識、しんしき。精神と意識

四二、怨が怨に對して爲し、敵が敵に對して爲す處は如何なりとも、邪に向ふ心の造る害惡に若くものなし。

四三、母、父、また其他の親戚の爲す所は如何なりとも、正に向ふ心の造れる幸福に若くものなし。



   第四 華の部

四四、誰か‘此の地を征服す、(誰か)又此の‘閻魔界と天界とを征服す、誰か善說の寂靜への道を

摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如くする。

    [原註、此の地——人、餓鬼、畜生。

    [原註、閻魔界——地獄。

四五、佛敎を學ぶ人は(此の)地を征服す、又此の閻魔界と天界とを(征服す)、佛敎を學ぶ人は善說の寂靜への道を摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如くす。

四六、此の身は水沫の如しと知り、陽炎の如しと覺る人は‘魔羅の華箭を壞り、‘死王を覩ることなし。

    [原註、魔羅の華箭——吾人の心を誘惑する諸の欲境に喩ふ。

    [註、 魔羅、デジタル大辞泉云、(梵)māraの音写。障害・破壊・殺者の意。

        仏語。人の善事を妨げる悪神。魔王。欲界第六天の王。転じて、悟りの妨げとなる煩悩をいう。魔。

    [註、 華箭、かせん。箭字ゝ義は矢

    [原註、死王——所謂閻魔王にして「死王を‘覩」とは死して地獄に墮つるを謂ふ。

    [註、 覩字、字義凝視乃至あきらかに見る云々、

四七、專心に華を採る人を死は捕へ去る、宛も眠れる村人を暴流が(漂蕩する)如くに。

    [原註、華を採る——可意の境に貪著するに喩ふ。

四八、專心に華を採る人を死は制服す、欲に於て飽かざるうちに。

四九、蜂が華と色と香とを損ぜずに蜜を取りて飛び去る如く、智者の村に乞食するも亦然るべし。

五〇、他の過失と他の作と不作とを(觀るべから)ず、たゞ己の作と不作とを觀るべし。

五一、可愛の麗はしき華に香なきが如く、善き教の語も實行せざれば其の果なし。

五二、可愛の麗はしき華に香あるが如く、善き敎の語は正しく行へば其の果あり。

五三、‘諸の華を‘聚めて多くの‘華鬘を造り得べきが如く、人と生れたれば多くの善を作すべし。

    [原註、「華」を多くの善に喩へ、「華鬘」を來世の善果に喩へり。

    [原訓、聚める、あつめる

    [註、 華鬘、けまん。梵kusamamala。倶蘇摩摩羅。花縵。莊嚴具、裝飾品。

五四、華の香は風に逆つて薰らず、‘栴檀も‘多掲羅も‘末利迦も亦然り、しかるに善人の香は風に逆つて薫ず、善士は一切の方に薫る。

    [原註、多掲羅——香の名、零冷香と譯す。

    [原註、末利迦——香木の名、柰と譯す。

    [註、 栴檀、せんだん。多掲羅、たから。末利迦、まつりか。柰、だい/からなし

五五、栴檀又多掲羅將た又靑蓮華、跋師吉の其等の香も戒の香に如かじ。

    [原註、跋師吉——香木の名、末利迦の類なり。

    [註、 跋師吉、訓ばっしき

五六、多掲羅や栴檀の香は微小なり、具戒者の香は諸天の間に薰じて比類なし。

五七、戒を具へ、不放逸に住し、正知解脫のものには魔羅便りを得ず。

五八、大道に遺棄せられたる塵芥聚の中に芳香悅意の蓮華生ずる如く、

五九、是の如く塵芥に等しき盲ひたる凡夫の中に‘正自覺者の弟子は慧明を以て顯はる。

    [原註、正自覺者——佛のこと。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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