拾遺愚草卷下雜/藤原定家


據戦前版国歌大観



拾遺愚草下

 雜

  伊勢勅使の御ともにてすゝかの關こえしに山中のさくらさかりなりし下にて

   旅

えそすきぬこれやすゝかのせきならむふりすてかたきはなのかけかな

  宇治の御幸に

   秋旅

わかいほはみねのさゝはらしかそかるつきにはなるなあきのゆふつゆ

  建曆三年八月内裏の哥合

   山曉月

やとれつきころも手おもしたひまくらたつやのちせのやまのしつくに

   河朝霧

あさほらけいさよふなみもきりこめてさとゝひかぬるまきのしまひと

  建仁元年秋和哥所の哥合

   羇中暮

たちまよふくものはたてのそらことにけふりをやとのしるへにそとふ

   山家松

つれつれとまつにくたくるやまかせもさとからひとのこゝろをやしる

  正治元年冬左大臣の家の十首の哥合

   羇中晩嵐

いつこにかこよひはやとをかりころも日もゆふくれのみねのあらしに

  同二年二月同家の哥合

   秋旅

わすれなむまつとなつけそなかなかにいなはのやまのみねのあきかせ

  建仁二年三月六日

   旅

そてにふけさそなたひ寢のゆめも見しおもふかたよりかよふうらかせ

  建永元年秋和哥所暮山雲當座

あとたえてとはれぬやまをたかみそきゆふへのそらになひくしらくも

  建保右大臣の家の哥合

   羇中松風

なれぬよのたひねなやますまつかせにこのさとひとやゆめむすふらむ

  攝政殿の詩哥合

   羇中眺望

あきの日のうすきころもにかせたちてゆくひとまたぬをちのしらくも

かりいほやなひく穗むけのかたよりにこひしきかたのあきかせそふく

  建仁元年十二月八幡の哥合

   旅宿嵐

ふるさとにさらはふきこせみねのあらしかり寐のやまの夢はさめぬと

  はゝのおもひに侍りしとしの暮にひえのやまへのほりて中堂にこもりて侍りしはるのはしめもわかれすかつふるゆきにあとたえたりしあした入道殿山のおほつかなさなとこまかにかきつゝけ給ひておくに

こをおもふこゝろやゆきにまよふらむやまのおくのみゆめに見えつゝ

みたひをかみひとたひたてしをのゝおとをいまきくはかり思ひやる哉

  御返事

うちも寐すあらしのうへの旅なから[枕イ]都の夢にかはるこゝろは

をのゝおとをたてしちかひもいさきよく雪に冱えたるすきのしたかけ

  建久七年内大臣殿にて文字をかみにおきて二十首の哥よみし中

   たひのみち

たにのみつみねたつくもをこえくれてまつらゆふへのまつのあきかせ

ひかすゆくやまとうみとのなかめにてはるよりあきにかはるつきかけ

のきにおふるくさの名かけしやとのつきあれゆく風やかたみそふらむ

みやことてくものたちゐにしのへともやまのいくへをへたてきぬらむ

ちきりきなこれをなこりのつきのころなくさむゆめもたえて見しとは

  松尾の哥合

   山家夕

みにおひてすむへきやまのゆふくれをならはぬたひとなにいそくらむ

  内裏の哥合

   山夕風

鐘のおとをまつにふきしくおひかせにつま木やおもきかへるやまひと

   野曉月

うちはらひさゝわくるのへのかすかすにつゆあらはるゝありあけの月

  内よりめされし哥

   羇中

そこはかと見えぬやま路にことゝへはこよひもうとしゝらくものやと

   旅泊

かちまくらたれとみやこをしのはましちきりしつきのそてに見えすは

  水無瀨殿の山の上の御所つくられてのちまゐりて池なと見めくりてまかり出つとて淸範朝臣のもとへ

おもかけに藻しほのけふりたちそひてゆくかたつらきゆふかすみかな

見てもあかぬはるのやまへにふりすてゝはなのみやこそ旅こゝちする

おもひやるつきこそみつにやとるらめまくらむすはぬかへるさのみち

  述懷[建久五年夏左大將殿の哥合述懷浮田杜イ]

きみはひけ身こそうきたのもりのしめたゝひとすちにたのむこゝろを

  述懷三首建永元年秋和哥所

きみかよにあはすはなにをたまのをのなかくとまてはをしまれし身を

われそ見しみよのはしめのあきのつきとしはへにけりもとの身にして

おもひおくつゆのよすかのしのふくさきみをそたのむ身はきえぬとも

  承元二年少將具親朝臣八幡にて講すへきよし申しゝかはよみておくり侍りし

せくそてはからくれなゐのしくれにて身のふりはつるあきそかなしき

まつかせになみたそきほふましりなむむかしかたりのみねのつきかけ

  同四年九月粟田宮の哥合[于時辭職]

   寄海朝

わかのうらやなきたる朝のみをつくしくちねかひなき名のみのこらて

   寄山暮

おもひかねわかゆふくれのあきの日にみかさのやまはさしはなれにき

  おなし比哥あまたよみける中に

なきかけのおやのいさめはそむきにきこをおもふ道のこゝろよわさに

  承元二年五月住吉の哥合

   寄山雜

ゆくすゑのあとまてかなしみかさやまみちある御よにみちまとひつゝ

  松尾の哥合

   社頭雜

かみかきやわか身のかたはつれなくてあきにそあへぬくすのうらかせ

  建曆三年閏九月内裏の哥合

   寄風雜[于時從三位侍從]

あすかゝはいまはふるさとふくかせの身はいたつらのあきそかなしき

  三宮十五首

   雜哥

あめつちもあはれしるとはいにしへのたかいつはりそしきしまのみち

つれなくていまもいくよのしもかへむくちにしのちのたにのうもれ木

  承元のころほひ内より古今をたまはりてかきてまゐらせしおくに

ためしなき世ゝのうもれ木くちはてゝまたうきあとのなほやのこらむ

てるひかりちかきまもりは名のみしてひとのしもにやおもひきえなむ

  ふるき哥をかきいたして仁和寺の宮にまゐらすとて

としふかきしくれのふるはかきそおくきみにのこさぬいろや見ゆると

  承元三年内よりめされし述懷哥

かみかけていのりしみちのうもれみつむすひもはてぬかけやたえなむ

  爲家元服したる春加階申すとて兵庫頭家長につけ侍りし

子を思ふゝかきなみたのいろに出てゝあけのころものひとしほもかな

  ゆるさるへきよし御氣色侍りけれは返事

  家長

みちをおもふこゝろのいろのふかけれはこのひとしほも君そゝむへき

  京官徐目のついてに下臈參議多く納言に昇進あるへきよしきこえしに正三位を申すとて淸範朝臣につけ侍りし

ゆきのうちのもとのまつたにいろまされかたへの木ゝは花も咲くなり

  ひとのよろこひはなくて加階ゆるされ侍りにき建久六年正月敍位にともに加階したるあしたに

  左衞門督隆房卿

くれたけに木つたふとりのえたうつりうれしきふしもともにこそしれ

  かへし

もゝ千とりこつたふたけのよのほともともにふみ見しふしそうれしき

  四位して後臨時祭の日越中侍從舞人にて内をいてしほとに

たちかへりなほそこひしきつらね來しけふのみつのゝやまあゐのそて

  かへしつきの日

やまあゐのしをれはてぬるいろなからつらねしそてのなこりはかりを

  小侍從にゆかりあるひとのむかへにつかはしたれはまかるにことつけやすると申しゝかはそのひとのかひなにかきつけし

うらみはや世にかすならぬうき身をはわきてとふへきひともとはすと

  かへし

まてとかくとはれぬわれをうちかへしうらむるにこそねたさそひけれ

  西行上人みもすその哥合と申して判すへきよし申しゝをいふかひなくわかかりしときにて度ゝかへさひ申しゝをあなかちに申しをしふるゆゑ侍りしかはかきつけてつかはすとて

やまみつのふかゝれとてもかきやらすきみにちきりをむかふはかりそ

  かへし

  上人

むすひなかすゝゑをこゝろにたゝふれはふかく見ゆるをやまかはの水

  又

かみちやまゝつのこすゑにかゝるふちの花のさかえをおもひこそやれ

  又かへし

かみちやまきみかこゝろのいろを見むしたはのふちにはなしひらけは

  と申しおくり侍りしころ少將になりてあくる年思ふゆゑありてのそみ申さゝりし四位して侍りきみなせ殿にさふらひしに大僧正の長哥をよみてたてまつられたるかへりことたゝいまつかうまつるへきよしおほせこと侍りしかはやかてかきつけはへりし

扨もいかに わしのみやまの つきのかけ つるのはやしに

入りしより へにけるとしを かそふれは ふたちとせをも

すきはてゝ のちのいつゝの もゝとせに 入りにけるこそ

かなしけれ あはれみのりの みつのあわ きえゆくころに

なりぬれは それにこゝろを すましてそ わかやまかはに

しつみゆく こゝろあらそふ のりのしは われもわれもと

あをやきの いとゝころせく みたれ來て はなもゝみちも

散りゆけは こすゑあとなき みやまへの みちにまとひて

すきなから ひとりこゝろを とゝむるに かひもなきさの

志賀のうら あと埀れましゝ 日よしのや かみのめくみを

たのめとも ひとのねかひを みつかはの なかれもあさく

なりぬへし みねのひしりの すみかさへ こけのしたにそ

うもれゆく うちはらふへき ひともかな あなうのはなの

世のなかや はるのゆめ路は むなしくて あきのこすゑを

おもふより ふゆのゆきをも たれかとふ かくてやいまは

あとたえむ とおもふからに くれはとり あやしきよるの

わかおもひ きえぬはかりを たのみ來て なほさりともと

おもひつゝ しはしみやこに やすらひて のこるみのりの

はなの馨に しひてこゝろを つくはやま しけきなけきの

ねをたつね しつむゝかしの たまをとひ すくふこゝろは

ふかくして つとめゆくこそ あはれなれ みやまのかねを

つくつくと わかきみかよを おもふにも みねのまつかせ

のとかにて[ひとりにて] 千よに千とせを そふるほと のりのむしろの

はなのいろ 野にもやまにも にほひてそ ひとをわたさむ

はしとして しはしこゝろを やすむへき つひにはいかゝ

あすかゝは あすよりのちや わかたちし そまのたつきの

ひゝきより みねのあさきり はれのきて くもらぬそらに

たちかへるへき

  反哥

さりともとおもふこゝろそなほふかきたえてたえゆくやまかはのみつ

  かへし

ひさかたの あめつちともに かきりなき あまつひつきを

誓ひおきし かみもろともに まもれとて わかたつそまと

いのりつゝ むかしのひとの しめてける みねのすきむら

いろかへす いくとしとしを へたつとも 八重のしらくも

なかめやる みやこのはるを となりにて みのりのはなも

おとろへす にほはむものと 思ひおきし すゑ葉のつゆも

さためなき かやかしたはに みたれつゝ もとのこゝろの

それならぬ うきふしゝけき くれたけに なくねをたつる

うくひすの ふるすはくもに あらしつゝ あとたえぬへき

たにかくれ こりつむなけき しひしはの しひてむかしに

かへされぬ くすのうら葉に うらむとも きみはみかさの

やまたかみ くもゐのそらに ましりつゝ てる日のよゝに

たすけこし ほしのやとりを ふりすてゝ ひとり出てにし

わしのやま 世にもまれなる あとゝめて ふるきなかれに

むすふてふ のりのしみつの そこすみて にこれる世にも

にこりなし ぬまのあしまに かけやとす あきのなかはの

つきなれは なほやまのはを ゆきめくり そらふくかせを

あふきても むなしくなさぬ ゆくすゑと みつのかはなみ

たちかへり こゝろのやみを はるくへき 日よしのみかけ

のとかにて きみをいのらむ よろつ世に 千よをかさねて

まつか枝を つはさにならす つるの子の ゆつるよはひは

わかの浦や いまもたま藻を かきつめて ためしもなみに

みかきおく わかみちまても たえせすは ことのはことの

いろいろに のち見むひとも こひさらめかも

  反哥

きみをいのるこゝろふかくはたのむらむたえてはさらに山かはのみつ

  建保五年五月御室にて三首

   寄山朝

けさそこのやまのかひあるみむろやまたえせぬみちのあとをたつねて

   寄海暮

しきなみのたゝまくをしきまとゐして

   くるゝもしらぬ

      わかのうらひと









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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