拾遺愚草卷下賀/藤原定家
據戦前版国歌大観
拾遺愚草下
賀
建保二年九月十四日和哥所
月契千秋
きみかよのつきとあきとのありかすにおくやくさ木のよものしらつゆ
建仁元年鳥羽院にてはしめて哥講せられ御あそひなと侍りし夜
池上松風
いけみつに千よのみとりをちきるらしこゑすみわたるみねのまつかせ
建永元年八月十五夜鳥羽殿御舟にあそひありし夜哥人みきはに侍ひて
あきの池のつきにすむなることのねをいまより千よのためしにもひけ
正治二年二月左大臣の家の哥合
まつかせのこゑさへはるのにほひにてはなも千とせをちきるやとかな
建久五年左大將の家の和哥
祝春日山
かすかやまみねのあさ日をまつほとのそらものとけきよろつよのこゑ
建仁元年三月盡哥合
神祇祝
あとたれしよものやしろもきみにこそまもるかひある千よをならはめ
正治二年九月哥合十首
神祇
君をまもるあまてるかみのしるしあれはひかりさしそふ秋のよのつき
庭松
えたかはすたまのみきりのまつのかせいく千よきみにちきりそふらむ
建仁三年十一月入道和哥所にて九十賀給りたまひし時
君にけふとゝせのかすをゆつりおきてこゝのかへりのよろつよやへむ
承久二年住吉の哥合
わか君のときはのかけはあきもあらしつきのかつらの千よにあふとも
仁和寺宮にて
寄松祝
このさとはをかへのまつ葉もるつきのいつともわかぬ千よそ見えける
建保三年五月哥合
松經年
手むけくさつゆもいくよかちきりおきしはまゝつか枝の色もかはらす
一條家にてはしめて栽松といふ題を人ゝよみ侍しに
なゝそちのとなりをしむるやとにうゑて千よのはしめは松やならはむ
夕松風[私家イ]
まつにふくかせのみとりにこゑそへて千よのいろなるいりあひのかね
建曆二年とよのみそきふたゝひとけおこなはれし次の日
中將雅經朝臣
きみまちてふたゝひすめるかはみつに千よそふとよのみそきをそ見し
かへし
きみかよの千よにちよそふみそきしてふたゝひすめるかものかはみつ
皇后宮權亮公衡朝臣色ゆるされてともいまたしらさりしに御禊行幸に菊の下かさねきられたりしを見て次の日
しらきくのねはひともとのいろなれとうつろふほとはなほそ身にしむ
かへし
たくふなる名をおもふにもしらきくのうつろふいろはけにそ身にしむ
少將になりたるよろこひにおなし中將身にうらみありてこもりゐられたりし此三日をすくして
うれしさをとはて[は]すきつる日かすにもおもふ心の色やみゆらむ
かへし
うれしさをとはれぬほとの日かすゆゑわくるこゝろもいろや見ゆらむ
爲家元服したるのちほともなく從上のかゝいしたるよろこひにまさつねの中將
袖のうちにおもひなれてもうれしさのこのはるいかに身にあまるらむ
かへし
そてせはくはくゝむ身にもあまるまてこのはるにあふ御よそうれしき
同中將の子をありき初めにつかはしける手本の包紙に
あとならへおもふおもひもとほりつゝきみにかひあるしきしまのみち
かへし
しきしまのみちしる君にならひおきつすゑとほるへきあとにまかせて
としころのそみかなはて辭し申す三位になほ敍すへきよしおほせこと侍りしかは侍從を一度はと申してゆるされたりしに同中將
うれしさはむかしつゝみしそてよりもなほたちかへるけふやことなる
かへし
うれしさはむかしのそての名にかけてけふ身にあまるむらさきのいろ
おなし日
宮内卿
うれしさはきのふやきみかつむきくのとへとやなほもけふをまつらむ
かへし
けふそけに花もかひあるきくのいろのこきむらさきのあきをまちけり
とは申しゝかとしつみぬる叓のみ歎き侍りしにおもひよらさりし參議の闕に多くの上臈をこえてなりて侍りし朝
ふしておもひおきても身にやあまるらむこよひのはるの袖のせはきに
かへし
うれしてふたれもなへてのことの葉をけふのわか身にいかゝこたへむ
水無瀨殿にあたらしく瀧をおとされいしたてられてのちまゐりて
あしたに淸範朝臣のもとへ地形勝絕のよし申しゝ中に
ありへけむもとの千とせにふりもせてわかきみちきるみねのわかまつ
かすかのやまもるみやまのしるしとてみやこのにしもしかそすみける
君かよにせきいるゝにはをゆくみつのいはこすかすは千よも見えけり
院の御前六月庚申扇合のよしにて左方の扇にかゝるへき哥三條の宮よりめされ侍るよし淸範囲朝臣申しゝかは奉りし
をさまれる御よにあふきのかせなれはよものくさ葉もまつそなひかむ
二條中將近衞つかさにて年たけぬるよし述懷百首に多くよみてほとなく右兵衞督になりてあしたに
かしは木はけふやわか葉のはるにあふきみかみかけのしけきめくみに
かへし
右兵衞督
はるのあめのふりぬとなにか思ひけむめくみもしけきもりのかしは木
祖父中納言の春日の行幸の賞をつのりて正三位下したるあしたに
右兵衞督
かみもまたきみかためとやかすかやまふかきみゆきのあとのこしけむ
かへし
うつもれしおとろの道をたつねてそふるき御幸のあともとひけむ[り]
宮内卿のそみ申さぬ三位ゆるされたるあしたに
君かよにむかしいかなるちきりありておのおのかゝるはるにあふらむ
かへし
ひとはいさなれもやすらむきみかよにひとりそはるにあふこゝちする
右兵衞督の子の[二字ナシ]少將のよろこひに
みかさやまわかはのまつにいかはかりあめのめくみのふかさをか見る
かへし
としのうちにはるの日かけやさしつらむみかさの山のめくみをそ見る
日吉の禰宜親成七十賀に人ゝ哥つかはしゝとき
もゝとせにみそとせたらぬいはねまつ千よをまつらしいろもかはらす
おなし八十賀に
もゝとせはやそちのさかにちかけれとかみのめくみの千よそはるけき
元久三年正月髙陽院殿初度應製遲花春久
あらたまのとしの千とせのはるのいろを
かねてみかさの
花にまつかな
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