拾遺愚草卷下夏/藤原定家
據戦前版国歌大観
拾遺愚草下
夏
雨後思花
わすられぬやよひのそらをしたふとてあを葉にゝほふはなの馨もなし
郭公初聲
まつほとやさすかにしるきほとゝきすことしわすれぬくものをちかた
土御門内大臣宰相中將に侍りし時五首の哥よませられ侍りし中に
卯花
ゆふつく夜入りぬるかけもとまりけりうのはなさけるしらかはのせき
承元二年祭使神舘[かむたち]に泊りたるあしたにおくり侍りし
おもひやるかりねのゝへのあふひくさきみをこゝろにかくるけふかな
かへし
使少將忠明朝臣
あふひくさかりねのゝへのあはれをもたれことの葉にかけてとはまし
建保三年五月和哥所の哥合
夕早苗
あらたまのとしある御よのあきかけてとるやさなへにけふもくれつゝ
建久六年二月左大將家の五首の夏
あれまくもひとはをしまぬふるさとのゆふかせしたふのきのたちはな
建久六年民部卿經房卿の家の哥合に
初郭公
かはらすもまち出てつるかなほとゝきす月にほのめくこそのふるこゑ
三宮より十五首の哥めされし夏の哥
とへかしなかすみもきりもたなひかぬのきのあやめのあけほのゝそら
ときすきすかたらひつくせほとゝきすたかさみたれのそらおほれせて
院の北面にて講せられし二首
菖蒲
てなれつゝすゝむいはゐのあやめくさけふはまくらにまたやむすはむ
郭公
まちあかすさよのなかやまなかなかにひとこゑつらきほとゝきすかな
建仁元年三月盡日哥合
雨後時鳥
さみたれのなこりのつきもほのほのとさとなれやらぬほとゝきすかな
正治二年二月左大臣家の哥合
夕時鳥
ほとゝきすたそかれときのくもまよりわれなのりてそやといとふなる
五月雨
たまみつのゝきもしとろのあやめくささみたれなからあくるいくかそ
庭夏草
あけまきのあとたにたゆるにはもせにおのれむすへとしけるなつくさ
建仁二年三月六首哥めされし夏のうた
さみたれのふるのかみすきすきかてに木たかくなのるほとゝきすかな
承元二年閏四月四日和哥所
雨中時鳥
たかためにぬれつゝしひてほとゝきすふるともあめのやま路わくらむ
秀能五首の哥の中
郭公
こひすとやなれもいふきのほとゝきすあらはにもゆと見ゆるやま路に
建保四年閏六月内裏の哥合の十首の中
夏
ほとゝきすたかしのゝめをねにたてゝやまのしつくにはねしほるらむ
承久元年七月内裏の哥合
曉郭公
ほとゝきすいつるあなしのやまかつらいさやさとひとかけてまつらし
水邊草
かり寢せしたま江のあしにみかくれてあきのとなりのかせそすゝしき
建保五年四月十四日庚申五首
夏曉
なきぬなりゆふつけとりのしたり尾のおのれにもにぬよはのみしかさ
建保[仁イ]二年六月和哥所にて當座に
田家夏月
かと田ふくほむけのかせのよるよるはつきそいな葉のあきをかりける
水風晩凉
したくゝるみつよりかよふかせのおとにあきにもあらぬあきのゆふ暮
建久五年夏左大將の家の哥合
立田川夏
ゆふくれはやまかけすゝしたつたかはみとりのかけをくゝるしらなみ
名所夏月
かけきよきなつみのかはとあきかけてしらゆふはなをてらすよのつき
山納凉
なつの日のさすともしらぬみかさやまゝつのみかけそますかけもなき
權大納言家
海上螢
みつしほに入りぬるいそをゆくほたるおのかおもひはかくれさりけり
建仁二年六月みなせ殿の釣殿に出てさせ給ふとて六首題をたまはりて御製にあはせられ侍りし中に
川上夏月
たか瀨ふねくたす夜かはのみなれさをとりあへすあくるころの月かけ
海邊見螢
すまのうら藻しほのけふりとふほたるかりねのゆめ路わふとつけこせ
山家松風
まつかけやとやまをこむるかきねよりなつのこなたにかよふあきかせ
建仁元年三月盡日の哥合
松下晩凉
このくれをなつとはたれか岩ゐくむまつかけはらふやまおろしのかせ
攝政殿の詩哥合
水邊凉自秋
ゆきとのみおつるしらあわになつきえてあきをもこゆるたきのいは波
なつころもあきたにたゝぬかみなつきゐせきのなみのいそくしくれに
建保四年閏六月内裏の哥合
夏
なつはつるみそきにちかきかはかけに
いはなみたかく
かくるしらゆふ
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