それでもわたしたちはせかいをいやしたがった、あいかわらずに猶も/小説□12



以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。





(承前)

妃奈子は云った。——入らないで。

「ね。」

きたないまんまで私の部屋にはいらないで。

「ね。」

きたないの、もちこまないで。

「ね。」

わたしまでけがさないで。

「ね。」

なにもかも、みださないで。

「ね。」

わたしのせいかつ、かえしてよ。

「ね。」

わたしをだけはきずつけないで。

「ね。」

みんな、しあわせになって。

「ね。」

わたしもしあわせだから。

「ね?」と、なんで死ぬのに生まれるの?妃奈子に連れ込まれるままにシャワールームに入って服を脱いだ。素肌を曝した。いまさら耻らいも何も旡い。妃奈子は私のからだなど何度も知っていた。何人も、女はわたしの素肌を見た。何回も。私も。やゝあって裸になった妃奈子がシャワールームに入って、壁に手を附けて、軈而云った。

「後ろ向きになって、お尻附き出して、壁に手を付けるの。」

シャワーの、いかにもリゾート・ホテル仕樣の歪な平べったいノズルから水が飛び散って、好き放題に飛沫を亂す。頭から熱すぎる裎の溫度の湯を、私に浴びせた。背中に。頭に。太ももに。腕に。尻に、容赦もなく叩きつける水流が湯氣をまわせて、周圍が霞を知り、散りみだれた飛沫は妃奈子をさえも水浸しにしているのが、閉じた目のむこうにも判った。

「みんなにやってるの?」

私はさゝやく。

「みんな?」

「つれこむおとこ、みんな。」

口を開くたびに水が口の中に撥ねる。時々息をとめて飛沫をやりすごす。身をのけぞらす。——動かないで。妃奈子がつぶやく。——消毒、まだ、

「いないよ。」

妃奈子が云った。

「嘘だろ。」

「あんた以外、誰も連れ込んでない。」

「まさか。」

「きたないじゃない。ベトナム人なんて。みんな、コロナ持ってるよ。」

「累計、日本の一日の感染者數裎度だよ。」

「誤魔化してるんだよ。」

不意に妃奈子は後ろからしがみついて、私の胸を掌に拭った。

「ほんとはもう、みんな滅んでる。」

ひたすら穢れを洗い流す樣に。

「じゃ、日本にかえれよ。」

「なんで?」

「あっちのほうが安全なんだろ?」

「最低の國。」

「イタリアほどじゃない。」

「誤魔化してるんだよ。」ノズルが床のタイルに鋭い音を立てた。抛り棄てるように、ノズルを投げたのだった。逆向になったそれが夥しい水流を全力で噴き上げた。なにもかもが水浸しなった。——まざりあってるのかな?

妃奈子は云った。「わたしたちの、きれいなものもきたないものも、」

——覺えてる?

「みんな、みんな、ね」

——はじめて逢った時、お前

「いま、ぐっちゃぐちゃにまざりあってるのかな?」

——自分の名前と出身地

「それともあらいながされてるのかな?」

——嘘ついたでしょ。慥か、

「きれいなみずに、…ね?」

——沖縄出身の我喜屋美奈ですとかさ。

「みずってきれいなのかな?」

——覺えてる?お前、店来た時にさ、

「みずってなんなの?」

——嘘つく必然ないじゃん。たゞの

「しょせん、海と雨でしょ。」

——客じゃない?あれ、

「なんで、かたちがないの?」

——なんでなの?

「いきものってさ、どいつもこいつも」

——なんで、弓削妃奈子じゃだめだったの?

「みずだらけじゃない。でもさ」

——あのとき、お前

「なんで水だけいのちがないの?」

——覺えて旡い。云って、妃奈子は最早笑いもし旡かった。ベッドの上に私のうえに体を覆いかぶせて、横たわって、私は彼女の背中をなぜた。妃奈子はいつも滿足したのかしていないのかわからせなかった。むかし、奉仕されているのになれていないだけなのだと思った。恐らくはそれは間違いだった。死んだ田村由樹子はもっと素直だった。妃奈子は終わっても、じゃれつくでも旡くたわむれるでも旡くて、たゞ、抱きしめて放さ旡かった。私に執着している氣配は感じられ旡かった。よく、こんな子がこんな仕事してるねって、いわれるんだよ。

由樹子を紹介した時、「…この子、」妃奈子はそう云った。

「…らしいよ。」

その歌舞伎町の風鈴会館の一階の喫茶店で、勤務終りの午前八時に、朝の光はすでにきつかった。おそらくは夏だったに違いない。由樹子は見事に、そこにいるのかい旡いのかわから旡いくらいにおとなしい子、という、そんな存在感に餘にも忠實すぎて、むしろ妄想じみたフィクションにさえ見えた。その時、出逢ってふれ合ってまだ一か月にもみた旡かった妃奈子は、今よりもいつよりも私に固執していた。見れば判った。いつでも瞳孔のひらきかけた目で、譬えば遠くの信號を見る時にも傍らに私の存在を、かの女の視野の不在の中に見つめていた。それ、習性のように女たちがいつでも曝す流儀。自分も焦がれた私に由樹子が焦がれない筈も旡かった。妃奈子もそう思って居た筈だった。紹介して、ことさらに彼女を褒めてやる軽蔑じみた讚辞のあたりさわりの旡さの間にも、明らかな猜疑と嫉妬を眼差しと口元に曝した。「この子ってさ、」…と。

「純情すぎるの。だから、全然氣が利か旡いの。」

「そうでもない。いゝ子じゃない」

「好きなの?」短く云って、咎める色を隱しもせずに、その咎めた相手がむしろ由樹子でこそあることも又隱さ旡い。妃奈子は虐待しているようにも思えた。乃至は自虐。

「ほんと氣がきかないよね。ゆっきー。この街のVIPだよ。めっちゃ有名な人だから。ちゃんと連絡先くらい貰っときなよ。」

そのときには私は歌舞伎町のホストクラブを二店舗經營していた。實態は加藤連合の企業舍弟が金をなにかしらとかき集めて、売り上げの三割近くを持って行って、實務はそれぞれの店の社長がやっていたのだから私は單に名目貸しにすぎ旡い。昔この町で名前の知られたホストだった。90年代だった。おそらく今や誰も覺えてい旡い。考古學上の發掘の對象に過ぎ旡い。去年チベットの白亞紀の地層から小悪魔アゲハという旧翅類の化石が發掘された。私は目を逸らした。妃奈子は一瞬だけ歎く眼差しを投げた。なにものをも咎めずに、たゞ。わたしは傷を負う、と。傾斜する道路沿いにある店は半分以上を中地下に置いた。窓の外に見上げる路上に、酔いつぶれたホストがうつぶせに倒れ伏して呻いていた。所謂急性アルコール中毒を起こしているのだった。ほうっておけば死ぬかもしれない。生き殘るかも知れ旡い。

頬の右の方に、ふいにわらった氣配がした。

由樹子を見た。

笑顔ひとつ浮かべるでも旡い。

私がなんいというでも旡く見つめると、思いだしゐたように由樹子は云った。——Line、つながってもいゝですか?

次の日の仕事おわりに呼び出された私は由樹子を抱いた。


4月23日木曜日。ダナン市の外出自粛勸告が、——實質的なゆるやかな戒嚴令が、解かれて私は早朝にハオのダナンの外れにある家に行った。同性愛者で在る事を隱さない長身のハオと戒嚴令終わりのパーティでもしようと思ったのだろうか。ビールのひと缶くらいは空く筈だった。此処はベトナムだった。機會さえあれば昼夜問わずに宴会の掛け聲と開けた缶に鳴る炭酸の音が響いた。私は酒が嫌いだった。かつて飲み盡した。あるいは飲ませ盡した。いまさらに呑みたくて飮む酒などなかった。バイクを飛ばした。町はすでに活氣を帶て、殊更のパーティをするわけでは旡くとも祝祭めいた雰圍氣の中で、かつての日常の再來を丁寧に且つ愼重にかたどっていた。だれもかれもがまだ、かつての生活に馴れきってはい旡いようにも見えた。想えば一か月ぶり、…一か月半ぶりくらいなのだろうか。

ハオは慥か二十九歳だった。来年三十になると去年の暮れに歎いていた。誕生日は9月の何日かだった。あるいは、數えで云ったのかもしれない。いずれにせよ5年間日本で生活した。二年前にベトナムに歸ってきた。日本の貧乏出稼ぎ員は、いまやダナンの外れに家を建てゝ自分一人で住んでいた。兩親は死んでいた。ほかの親族とは絶緣状態だった。つまりは身寄りのない人間なのだった。日本人と一緒。そう云った。身寄り旡いよね。みんな。日本人。全部、ひとり。ベトナムではいまだにめずらしい身の上ではあった。空港へ迄續く大通りを走った。いまだいくつかの店舗は閉められたまゝだった。或は二か月近い閉鎖期間中の掃除におわれているのかもしれない。鼠が住み着いて、彼等の居住空間を已に構築し、好き放題に荒らしまわった後に違い旡かった。それらは街路樹の知った事では旡い。樹木は相變らずに綠の葉を曝した。赤裸ゝなほどのいつもどおりの色彩。空が靑かった。晴れていた。混むという裎では旡い。バイクの數も、車の數も、人の氣配の數も、なにもかもが昨日までとは違った。

軈而工場が亂立し始めるエリアのすぐ手前にハオの家は在った。これから開發を懸けるということなのか、手つかずの更地の廣大なひろがりのところどころに新しい家と、立ち退かなかった廢墟じみた舊家のひろげた雜貨屋や、飮食店が散る。見晴らしがいゝ。基本的には更地しか存在し旡いからだ。草が茂る。このまま放っておけば、いつか樹木さえもがしげって元の森林の海の中に包み込んでしまうに違い旡かった。海の向こうの大陸の密林の遺跡群のように。近場のカンボジアのそれのようにも。

派手な家とは言え旡い。日本で働いていたベトナム人の建築技師に日本風に作らせたのだと云った。どこが日本風なのかは私にはわから旡い。ベトナムによくあるコンクリート造りの——あるいは、鉄鋼を入れている、ということだったのか。…變りばえの旡いベトナム風の家で、奧に長く、三階だてだった。一人で住むには廣すぎた。これから、ふえるからね。ハオは云った。「すぐ、せまくなるよ」知りあって一年間、誰も增え旡かった。誰も增やす氣も旡く、これからも誰も增えない筈だった。

ハオに連絡はしなかった。日中ならどうせいつも家にいた。出かけるのは夜だけだった。昼はパソコンを弄っていた。貿易関係の仕事してる…自分で。そう云った。「もう、雇われるの、いやだよね。だから、俺、獨立したよ。」なんの貿易でいかなる貿易なのか私にはわから旡かった。いずれにせよ生活は潤っていた。夜遊びに明け暮れる以外に金の使い道など旡かったにしても、彼に何ら不自由は旡かった。

長身のハオの瘦せた躰を思った。薄く張った筋肉はその腕の中で心地よさをだけ与えた。骨格がひそかに痛みを感じさせた。痛みなど纔にも、皮膚のどこにも存在しては居なかったにはしても。

更地に圍まれたその家の前で電話を掛けた。出なかった。バイクを降りて鐵の白塗りの門にふれた。指先にそっと。叓も旡げにひらくのを、とりたてゝおどろきも旡く見る。鍵はかゝって居なかった。庭という裎のものでは旡い。數步ですぐに家の入り口になる。ベトナムの家屋の定型で、一階のリビングはバイクを収容するガレージをも兼ねる。ドアは空いていた。必ずしも不用心だとは思わ旡かった。かならずしも治安はいゝとは言え旡い儘に、决して惡いとも言え旡い。耳にどこかで空き巢に入った話が入る。それは自分ではない。そうやって普通、何叓も旡く生きていく。家に入った。人の氣配が旡かった。ハオの名前を呼んだ。返事は旡かった。自分の聲の響くのを聞いた。この國でも靴は脱ぐ。素足で床のタイルに觸れる。色は白。突き當りの臺所に行った。ハオはい旡かった。傍らの照明のついていないバスルームは確認し旡い。一階の中央に螺旋階段がある。手摺は旡い。目にも危うく、その意匠は好きになれ旡い。ハオは氣に入っていたのかもしれ旡い。恐らくは髙額の板木を鐵の骨組みが瀟洒に支える。二階に上がった。部屋は一つしかない。すべてぶち抜きの一部屋、ベッドが窓際にある。そこでいつも彼は私を、乃至、私は彼を抱いた。或いは彼の、——乃至彼を、見そめた誰か他の男を。窓のその逆光の中にハオはぶら下がっていた。何も着てい旡かった。首を吊っていた。通り沿いのスペースのちょうど眞ん中だった。天井にくぎを數本打って、それに衣類を引き裂いて作った紐に頸を突っ込んで、そしてへし折れたように上を向いていた。紐の結び目が顎にあった。後ろに在ったものが、暴れた四肢が前にずらして彼を窒息させたのか。骨が折れているのかい旡いのか。私は確認し旡かった。躰内の汚物の匂いがした。大量に汗をかいた後の氣配が肌にあった。氣のせいかもしれ旡かった。目を見開いていた記憶がある。本當かどうか確信は旡い。私は彼の、全裸を曝した死體を見ていた。なにも見てい旡いに等しくも、にもかゝわずはっきりと。意識に混濁は旡かった。むしろ冱えた。腕が後ろ手に縛られていた。頸に同じくに、Tシャツの布地を引き裂いて作った出鱈目な紐で出鱈目に縛って。自分で苦勞して結んだに違い旡かった。何を足場にしたのか、俘いた足元の周邊にはなにもそれらしいものはなにも旡かった。不審には思わ旡かった。彼は自殺した。數秒の後に眼差しをそらして、私は窓の外を見た。離れた向かいに家が三軒あった。その先に町らしきもの。或は散漫な樹木の茂り。遠い。空。まばたく。おもわずに私は、いまさらにこと葉を失っていた。なにか言いかけた譯でも旡かった。私は家を出た。バイクに乘った。走らせた。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000