それでもわたしたちはせかいをいやしたがった、あいかわらずに猶も/小説□7



以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。






(承前)

4月に入って東野がLineを鳴らした。履歷で見れば20日。鳴った瞬間には要件は已にしれていた。解雇しちゃえよ。私は云った。「カフェの方、實際、無理でしょ。數字見てると。そう謂えば、さ。新規患者の數減ってるじゃん。若干。本當かどうかしらないけどね。ともかく、客觀的にさ。アタマ打ちの時の數が、謂ってそれなりに大きいからさ、感染者一日二人三人ぺースになっただけで沈靜化って言われるんじゃない?僕たちわたしたちパンデミック乘り超えましたって。實際はゼロじゃねぇんだろって話なんだけど。でも、それまで最低二か月かゝるぜ。もっとか?それまでスタッフ半數以下でやらせろよ。そのうち店閉めるから。後釜、みつかんないかな?箱の。なんとかして。いまどき旡いか。マスク屋の新規オープン計画でもあったりし旡いもん?」

「でもあいつら、謂って、仲間みたいなもんですよ。もはや。」

「心中する氣はない。」

「だったら社員給50%カットとかは?非正規って、今、カフェの方、各店二三人しかいないんですよ。ほら、そういうコンセプトやってたじゃないですか。バリスタのプロとサービスのプロ・オンリーの店、みたいな。給与ざっくりカットでも、それでもついてくると思いますよ。今のあいつらなら。俺が演説ぶっこきますよ。感動スピーチ・コンテスト準優勝レヴェルのやつ。一發。」

「優勝じゃ旡くて?」

「若干謙遜。日本の美德で」

「まだるっこしいじゃん。ざっくり半分切れ。要らない奴だって居るはずだよ。そもそも。全部が全部有用人材だなんて組織は本來、普通、絶對的に存在し旡い。…てか、お前の持論じゃ旡かったっけか。」

「結局、キャラもあるから。」

「狀況が違う。」

東野は沉黙した。

なにか言いかけた。

私は聞か旡かった。

「ホストの方は店しめちゃえよ。」

「いま、實質クローズと一緒ですよ。…あぶないんで。クラスター入ると。」

「あいつらなんかほっときゃいゝんだよ。店なんてさ、閉ってゝもさ、金なんか自分でプラべで落とし込めるでしょ。いくらでも。いくらなんでも、まがりなりにもホストなんだろ?奴ら。」

「貢がせるってこと?」

「そういうもんじゃない?云ったろ、お前の新人時代。女に金使う男は所詮クズだって。」

「貢がせてなんぼと。で、受け取らないのが男のやさしさだって言いましたよ。」

「狀況違うじゃん。」

「そのわりきりかたやばすぎません?」

「家賃なんか風間がなんとでもするよ。」

「オーナーも歎いてますよ。」

「こういうとき以外あいつとりえないじゃん。俺が云っとくよ。あいつ連合の舍弟じゃん。企業舍弟なんだからさ、脅すか泣きつくかさ、駄目だったら指でもなんでもおとしちまえよ。謂って、そっちのはしくれじゃない?」

「そういうもん?」

一息ついて東野は云った。

「俺に、名義下さいよ。」

「もう社長じゃない。」

「實質、俺が全部仕切りますよ。謝禮としてだけ、いつも通り手取りはらいますから。」

「おまえじゃ保たないよ。」

「保たせんだよ」東野は叫んだ。

いきなりの怒號に、私は一瞬沉黙した。やゝあって、そのあまりにもな純情に笑いそうになった。

「どうやって?」

「保つよ。」

「不可能でしょ。」

「なぜなら俺がそう決めたからだよ。」

「云っとく。聞け。」

「聞いてます。」

「無理だよ。」

私は通話を切りかけた。

「お前さ。」

思い直してさゝやく。

「誰のおかげで飯食わせてもらってる氣?お前、拾ったの、誰?」

東野は應え旡かった。

「ま、やれるだけやってみたら?すみません無理でしたは、もう、完璧、旡いよ。判るよね。自分でいったんだから。」

「云いました。」

靜かな聲だった。

「がんばれ。」

かぎりなくやさしく、私は云った。通話を切った。東野は来年三十になる。店のホストだった。ホストを上がってから風俗の女と結婚した。ホスト時代以前、千葉か何處かの工場で働いていた時からの女だった。紆余曲折あったには違い旡い。結婚は二十七の時だった。子供がいた。腹の中にもうひとりいた。女は妃奈子の知り合いだった。抑々妃奈子を引き合わせたのはその女だった。売れた女では旡かった。可愛くもなかった。わずかのやる氣さえ、私には起こさせない類の女。東野が情にほだされたとのだしか思え旡かった。俺、こいつといると、なんか、心が自由になるんすよね。——結婚式の前日、逢った東野は私にそう云った。ときめくとか、そういうんじゃなくて、…んー、心のいちばん深くで、っていうか。そこで、なじんじゃうのが、ひょっとして…うん。ホントの愛なんかなって。ホストには向かなかった。十代で、喧嘩の最中に誤って人を殺したことが在った。十四歳の時だと云った。なぐった拳が、いまだに覺えてます。はっきり。人が死ぬ、その一瞬の、その感覺。命が、いきなりぶっこわれて碎ける感覺。いつだったか、そうつぶやいた。云い終わって沉黙して、軈而聲も旡く笑った。あれから被害者の兩親の顏を見れたことがないと、忘れた比につけたした。殺した後、自首した。警察に電話したのだった。…俺、やっちゃったみたいなんで、來てくれないっすか。今すぐ。鑑別所に入った。前科が附いた。私以外に彼を管理職に仕立て上げる人間など居る筈も旡かった。實際には彼にはそれが向いていた。實務の人間では旡かった。事實、隙の旡い經營ではあった。私よりもはるかに管理能力に長けていた。…いずれにせよ。結局は、今となれば、結果的にではあれいずれにせよ私は彼を追い詰めた。行く末はなんとなくに、其の時から讀めていた。しでかす叓の可能性は50/50だった。


夢を見た。

當時の謂い方で云う精神分裂病、スキゾイド。その藥を手放せなかった私の母親が、自分の肛門に間違って頭をくっつけて、血をながす空っぽの頸の先からシャンパンの泡を唾液じみて吹き飛ばしながら地面中に散った花を食い散らしてた。

その白いちいさな花。

綺麗なとも可憐なとも言え旡い。どこか生物的で、アメーバかイソギンチャクが無樣な手を擴げたような。

可愛げもなにも旡い、そして白くちいさいくせに純な穢れない雰囲気さえも全く旡い花。

沙羅雙樹。…沙羅の樹の花。

母親がよだれを埀らした。十八の時何度目かで病院に入った。連絡などした叓が旡い。嘗ての地元の奴等との緣は已に切っていた。連絡のしようも旡い。生きて居るのかさえ、私はしら旡い。

目覺めにまどろみは旡かった。なにもかにもが、肉體の隅、指の先の先端の尖りまでもが醒めきって明晰なまゝに、私は自分にまどろんでいる嘘をつき通そうとした。

夜は未だ明けかけの、暁の光さえ曝さなかった。

かたわらにミーとチャンの寢息を聞いた。

…三月。

二十日くらいの比。

——ともだち、入院したんだよ。

妃奈子は云った。

寢たふりの儘に、あるいは本当に半分以上眠ったまゝで、傍らに妻がスマホの聲に聽き耳を立てていることは知っていた。

——ともだち?

——びっくりする。

——だれ?

——まさかさ…自分だけ例外みたいな、そんな感覚、慥かに逢ったよね。

——どうしたの?

——コロナ。…あいつ、…でも、いま、仕事して旡かったのに。

——あいつって?

——由樹。…客とやってたのかな。ひそかに。市中感染?…どうなの?

——やばいの?

——まだわからない。本人とは連絡つか旡くて。これって、當たり前?既読すらつか旡いんだね。入院すると。でも、なんか、…これ鳥羽さん情報なんだけど、

——だれそれ?

——店の人。いゝ人だよ。すっごく。昔、私もお世話になってゝ、でもさ、熱、ずっとさがん旡いんだって。もう、何週間も。夜になったらなんか、每日、熱出て。がーって。コロナって思ったわけじゃ旡かったらしいんだけど。病院云ったらしいの。そしたらいきなり入院で。調べたらこれ、例のやつですって。

——covid

——いちキュー。やべー、これからウチ入院するわーって。あいつ鳥羽さんに連絡くれたらしいんだけどさ。それから一日連絡不通。ずーっと。なんか、店も大變らしいよ。

——警察?

——保健所とか。營業内容片っ端からしらべられたっぽい。これもう再オープンでき旡いねって。

——輕いの?

——處分?

——コロナ。

——わかんないんだよ。全然。まったく。かんっぺき。…心配だけどね。…若干。

でも、と。

息をついて妃奈子は云った。「意外。なんか、すっごい、意外。」

私はまばたく。何を思うとも旡い。むしろ出來旡い。

他人だから?







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000