それでもわたしたちはせかいをいやしたがった、あいかわらずに猶も/小説□4



以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。





(承前)

一週間續く葬儀の祭壇の出來上がって數時間も經った夕方に、ニーはユエンを連れて慰問した。線香の一本を擧る譯でも旡かった。祭壇の前に白裝束のチャンと、ホアンと、ロイと、彼等と話し込んでいたニーはいきなりに激髙すると邊りの誰も彼をも見まわしながら怒號を上げた。女が、カンの家の遺族たちの許に一人で戰鬪に乘り込んだにも等しかった叓に私は氣付いた。お金の話よ、と。

さゝやいたミーが遠卷きでさげすむ眼差しを私に曝した。死ぬ前に手紙を送りつけたといっている、と。その手紙で殘った金は全部お前にやる、そういった。だから貴女がたは全部私に渡してしかるべきだ、と。嘘だということはすぐに分かった。もはやひとりではまともに步けもし旡かったアンが誰にも知られずに手紙など出せるはずも旡かった。紙切れを一枚をチャンの目の前にはためかせた。その紙でチャンたちを殴り散らすかにも見えて。チャンをも含めた誰もが罵りの聲を上げた。傍らにユエンは母親の物なのかもしれないスマートホンでゲームに興じた。立ったまゝにもいつか見たのに同じ歎きの猫背のうちに、ユエンは靜に赤裸ゝに熱狂する。聲も旡く。私は庭先に出た。すれ違いざまのユエンの肩に觸れた。ふいに手招いて、思わずにも、——こいよ。私は、そして隨うユエンの邪氣も無い笑顏を見た。庭先の慰問客用の丸テーブルのいくつかの、道際の椅子に座った。傍らにユエンは座りもせずにゲームをした。消音はし旡い。派手な爆發音がとゞろく。誰かを撃ち殺す。騒ぎが終わるも思え旡かった。ぶち煞す。時間をつぶすともなくつぶした。ふっとばす。ユエンがふいに想い附いて、無數の射殺の片手間にヒマワリの種の揚たつまみを口に咥えた。舊正月にも、結婚式にも、葬式にも、此処につきものだった。平皿の上に置いてつまゝれるに任せる。必需のお菓子。種を割って、中の實を取り出す。ユエンが、はにかみながらそ白い純な色のそれをわたしにさしだした。——ねぇ。

日本人の私が

——食べて。

種を割るのが苦手なのを、いつかに見て覺えてゐたのか。私は笑いかけた。指に挟んだそれをつまみ、口にした。味というほどの味はない。一時間近くの、おさまりかけては誰かゞ再燃させる罵り合いの果ても旡さに、なんどもニーは帰りかけながら振り向きざまの參戰を繰り返す。チャンが罵り、罵りの聲の醒めやら旡いうちにその時ニーは背を向けた。前面道路に立てられた儘のバイクに乘って、激しい身振りと怒號にユエンを呼んだ。ユエンが步きかけた時に悲鳴のような聲でチャンは妹を喚んだ。立ち止まったユエンを駈け寄りざまのチャンは殴打した。やわらかな少女の拳で、目の醒める裎には鋭く。瞬間に、樹木のなぎ倒されたかにしゃがみ込んだユエンを、なにか言いかけて蹴り上げたチャンを誰もとめ旡かった。ニーが駆け寄った。バイクが横ざまに倒れた。罵りの聲がこだましてニーはユエンの投げ出したスマートホンを拾うと動画を撮り始めた。殴りなさいよ、もっと。恐らくはそう云ったに違い旡かった。チャンがせゝら笑った。罵声を浴びせながらニーは後退して、ややあってスマートホンを娘に持たせた。撮りつづけなさい。此の莫迦どもを。バイクを、息を切らせながら、どうしようもない莫迦どもを。苦悶の聲を大げさに立てながら、屑ども。立たせ直して、糞まみれの豚どもを。通りがかりの白人の手傳おうとしたのはホアンの罵聲を浴びた。外國人は肩をすくめた。——なんなんだ?

「この、どうしようもない蠻人どもは。」

或いは。通りがゝりなら誰でもが善良な良民になりおゝせられる。それ以外に術など旡いから。

ニーがバイクを出しても猶もユエンは母親に謂われる儘にカメラを向け續けた。その夜に深夜、ミーの家のシャッターを叩きならす音がした。ミーのスマートホンが鳴った。傍らに、思わずに舌打ちしながらミーは名前を確認して、——Trang、と。

チャンよ。

さゝやく。聲をたてゝ笑いながらに話して、電話を切りもせずに立ち上がった。振り向いて私を手招きした。私に抱かれた後のその儘の素肌を靑くらい月の光の中に汗ばませ、白く浮かび上がらせるだけだった。シャッターを開けると、惡戯じみた笑みを曝してチャンは居た。二時。——もう、と。

今日は誰も來旡いから、來たのよ。

ミーに、嘲るような笑顔があった。夜目に身に纏った白い喪衣がうすく光った。何日ぶりかにチャンを抱いた。ベッドの傍らにミーは添うて、ときに姪の痴態を笑った。

ミーが、その少女に内臓を吐きそうな裎の嫉妬を咬んでいる叓はしっている。


海には人など誰もゐ旡い。妃奈子と海邊を步く。

恐らくは交安が見回りに廻っているのかもしれない。從順なベトナム人たち。或いは、日本人の方がはるかに反抗的で、暴力的で、好き放題と野放しとを良しとしてゐたのだった。此処では交安には誰もが從った。市場にさえも交安の街宣車が距離確保と在宅の警告に廻った。狹い道に無理やり入り込んだ街宣車を私は笑い、ベトナム人たちは厥を素直に畏れた。

「暇でしょ。」

妃奈子が云った。ふと思いだしたように、そしてそのフレーズの餘りにも聞きなれていたことに今更に驚く、Lineで、Messengerで、ありとあらゆる隙にそのこと葉を聞き、あるいは打ち込み、口にもして、再渡越から一週間ばかりたっても妃奈子の肌は前の滞在の時の褐色に染まらなかった。數か月は借りっぱなしになる筈の海邊のホテルに必ずしも引きこもってゐるわけでは旡くとも、町の中の飮食店さえ勸告のまゝに店を閉じてゐれば、彼女の肌に灼かれる暇は慥かに旡かったかも知れ旡かった。アプリのデリバリーを遣っていると云った。ホテルの從業員に親しげにも紹介されたのだとか。

空が霞んだ。海は匂った。妃奈子の髮の毛の匂いをさえ褪せさせて、空間を占領するともなくにその臭気の色に染めて仕舞う。

一度も妃奈子を抱いて居旡かった。思えば唇を觸れ合う叓さえも旡かった。時に、妃奈子の指先は思いだしたように私を弄んで戯れた。「海にでも入ったら?」

「笑う。」

妃奈子が答えた。

「ね、笑うの。すごく。」

「何が?」

「由樹にさ、…おぼえてる?」

「ちっちゃい子でしょ」

「…ね。前、あんた、やっちゃったでしょ。あの子と。違う?あいつに云ったの。ベトナム行くって。そしたらさ、本氣で反對された。」

「當たり前だろ。」

「なんで?…あいつ、言うんだよ。あぶないからやめときなよって。」

「隔離されたじゃん?」

「日本の方が安全だからって。でもさ、感染者數日本の方がめちゃくちゃ多いんだよ。おかしくない?なんで、安全なの?」

「醫療のクオリティだろ」

「死んでないじゃない。こっち。だれも。」

立ち止まって、「…笑うよね。」妃奈子が微笑むのを私は見る。

「こっちの醫療のほうが優れてたらもっと笑う。」

潮の匂い。鼻に執拗に染みる。髪をなぜようとした。妃奈子の。想わずに、妃奈子が身をのけぞらせた。かすかに。

我に返って、妃奈子はゝにかんだ笑みで誤魔化した。私は聲を立てゝ笑った。聲は邪氣をしらずに素直だった。妃奈子は瞬いた。——怖く旡い?

云った。

その妃奈子の聲を、私は聞いた。

「コロナ?」

「未來。」

ささやく。

「どうなっちゃうんだろうね。」火星が落ちてきて地球にぶつかるに比べれば、たいしたことない。そう言いかけて私は辞めた。


「全部が變わるね。」——いつか、妃奈子はそうさゝやいた。

「なにが?」

「すべて。いまゝで信じてゐた物のすべて。」

「例えば?」

「每日の安全性。」

「それだけ?」

「日本の安全性の優位性。」

「それから?」

「みんなの、日本人への尊敬。」

「元から旡い。只の幻想。」

「あの日見てた、これからのプラン。」

「お前にそんなの、あったの?」

「命の價値」

「逆に値上がりしたりして。」

「グローヴァリズム。」

「加速したりして。後戻りできずに、もっと自由に。」

「戰爭?…」

「アメリカか中國が旡くなったら、それはそれで面白い世界だよな。」

「もう、夢なんか見れないかな。」

「惡夢なら見れるよ。」

「どうする?」

4月。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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