それでもわたしたちはせかいをいやしたがった、あいかわらずに猶も/小説□2



以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。





(承前)

日本で日本人の感染者の誰かが野放しの儘にフィリピン・パブに繰り出して、すくなとも女の一人に感染を擴げた。その後で男は死んだ。癌だったか何だったか。重篤な疾患を已に躬に抱えていたと云った。殘された彼の親族の見るべき風景を思った。あるいはその男の最後に見た風景が氣になった。インターネット上に、樣ゝな聲が樣ゝにも逢ったことも無い男についてさゝやき合っているはずだった。非難。中傷。嘲笑。揶揄。中傷的な感傷。抽象的な干渉。政府批判。人種差別。いまさらの倫理の稱揚。こと葉の逍遥。商用のウェブ・サイトに躍る。憂鬱な氣がした。なにも見なかった。眼を閉じた。

最後まで導く氣もなくていつまでも、悪戯じみた妃奈子は笑んではたわむれた。

その日私はそれ以上に女を知ることもなくて、妃奈子の唇もそれ以上をは知ろうとはしなかった。私の唇をさえもふれずに、或いは、賢明だったかも知れない。肺に居るのなら、すくなくともそこは遠い。後に、精巢にもヴィルスは潛伏するいう報告のあることを知った。本等かどうか知らない。少なくとも呑める程度のお湯は人もヴィルスも煞さない。すべて二時間以上煮沸してしまえばいゝ。


二月終のいつか。緊急事態宣言ということ葉を知る。はやいはなしが戒嚴令のようなもの。

スマートホンにベトナム語でBo y theという名義で通知が入る。ベトナム語は判らない。醫務局とか、醫學部とか、

そういった政府機關。


早朝のカフェでひとりの時間を過ごして家に歸ったその日の午前は二月の終りだったのか。その年の舊曆でようやく如月の初めにふれるかふれないか。その日にシャッターが半分だけひき開けられた中に入る。そこは妻の家族たちの家だった。My、——ミーという名の二十九歳の女。それが私の妻だった。三年前に結婚した。日本のロジスティクスの會社で働いていた。私の口利きではない。ウェブで勝手に見つけた。日本語は話さ旡い。片言のへたくそな日本語よりは流暢な英語のほうが重要だった。會社の家族ぐるみの慰安會に乞われて出席した時に日本人管理者たちのスピーチを聞いた。明らかに現地のだれよりも癖のある參攷の敎科書が透けて見えそうな英語のスピーチに、お前はあれが理解できるのかと聞いたらこれみよがしに頷いて判り易いと云った。easy、と、——de、卽ち易しい。おそらくはそのベトナム語の直譯としての英語。英會話として正しいかどうかは知ら旡い。英語など私には片言の知識しか旡い。開発途中の更地を廣大にも曝して、ダナンの川沿いの開発の進むエリアの古い家はブーゲンビリアの樹木を庭に抱いた。そこだけが昔の統一の三十年戰爭の比のたゝずまいを、想うに、殘して居た。かろうじて。コンクリート造りの古い家屋。かろうじて崩れない。餘にも粗雜な。——あの山を。と。かろうじて父親たりえているミーの父親はかつて海沿いの山を差して云った。米兵はモンキー・マウンテンと呼んだんだ。巨大な觀音像が海のむこうを見る。そこに寺がある。

家の中に入る。日が翳る。綠色の淡いペンキで壁の全面が塗られて染みを曝し、所々にはげかけさせる。人の氣配がした。今日が日曜日だったことを思い出す。奧に步て炊事場の近くの私の、ないしはミーの部屋の戸の半ば開かれたのを押し開けた。背骨に鳴ったきしむ音に、ベッドの上に素肌を曝したロイ、——Loiが横たわったまゝにのけぞった。私を見た。一瞬、彼が何が起きているの判らなかった顔をした。ミーと父親の違う弟のロイは父親に似ずに美しい。長身で堀の深い顔をさらして、寧ろ南部風の顔をさらしていた。ロイは不意の夫の亂入に戸惑った。姉との交尾のおわりのまどろみのうちに。はにかみ、耻らい、そして夫に讓るように立ち上がって適當にベッドの上に投げられていた衣服をつかむと立ち上がる。

——歸ってきてたの?

そんな親しみのある笑顔を呉れて、服を着ることも無くてそのまゝに部屋を出た。驚くともない。ロイとミーとのその關係は已に知っていた。とはいえ居心地が惡いのはお互いに同じには違いなかった。ミーは寐てゐた。或いは寢たふりをして居るのか、朝の起き抜けの行爲の終わったあとの肌の汗ばませたまゝに、背を向けて寐息さえ立てるでもない。年中張り放しの蚊帳をもたげてベッドに座った。振り向きざまにミーの二の腕をなぜた。ようやくにミーが目を開いて私を返り見た。まどろみの朧の中にやゝあって、零れるように笑顏をくれた。あざやかなそれ。纔の邪氣も無くに。どこに行ってたの?と、——di dau ?

おそらくは、女のそう云った聲を聞く。私は應なかった。微笑むわたしの顏を見つめて、ミーは見蕩れるような眼差しをくれた。他人の潤みを見た。身をよじって腕をひらいて差し伸べた。——わすれてる。

こと葉もなくてさゝやく。

わすれてるわ。

赤裸ゝにも。

わたしを抱きしめることを、と、気配に、わすれてるわ。ミーの求めるまゝに私は女の汗を知った肌を抱いてやった。ミーの寢汗。あるいは、昨日添い寢して遣った私のそれを含み、かついまロイの移したそれをも。いくつものバクテリアを繁殖させるのかさせ旡いのか。或いは、繁殖さえさせ旡い肌ならば、それはあまりにも荒廢した肌だったに違い旡い。滅んだ壞滅の肌。鐵でつくったロボットでさえも命の有機体をその表面にいくらかは繁殖させる筈だった。しぶとく、強靭な類のそれらを。生きる。汗がにおった。生きて有る。髮の毛の匂いも。姪っ子だからなのか。チャン、あの少女のそれに似て思えた。チャンを思うともなく想起する。或いはヒト種の鼻孔は犬の樣にはとぎすまされてい旡い。見かけをおなじくするそこにあからさまな差異を見つけ出しておのゝくほどには。人間種の下等で劣等な嗅覺。及び聴覺。私が猫だったらシャッターを潛った瞬間にはふたりの人間のさゝやき聲か寢息かくらいは聞き取ってゐたはずだった。さゝやく。たしかにそうだった。聲。部屋に入ったとき、背を向けて横たわったロイはミーの腰をなぜながらに何かさゝやきかけて居たように見えた。——愛してる。或いは。彼女が眠っていた譯は無かった。——ぶっ煞す。或いは。——子供つくらない?或いは。ミーが好んで私に買い与えたユニクロの——肉食べたい。或いは。Tシャツごしにもミーの肌の汗の質感が——今朝霰が降った。或いは。執拗に——俺の口の中に。或いは。傳わった。——灼熱の霰が。或いは体溫。發熱する生き物の有機躰。

唇を呉れた。ミーは抗わなかった。六歳か五歳にはミーの母親は死んだ。その死の理由は知ら旡い。聞いてはい旡い。その時ミーは口ごもった。軈而目を逸らした。あえて詮索し旡かった。その死。おそらくはおよそ二十世紀の終り、且つ九十年代の終り。だから戰爭のせいでは旡い。好き好んで中東のどこかの戰地にでもベトナム製の線香か念佛でも売りさばきに行ってゐたのでもなければ。佛陀には目が三つあるのよ。ミーが敎て呉れた。解脱の時まさにその目が額に口を開ける。そう云った。いつか。ミーの眼差しに怯えと恍惚が見えた。その時に。娑羅雙樹の花を見たことが在る。夏椿ではない。ベトナムで。沙羅の大樹。南の巨木。墓地の奧の手入れの旡い森林の中にかならずしも美しいとも可憐とも瀟洒ともいえ旡いそれ。寧ろあきらかに歪な小さな花が竊におびたゞしく咲いて、寄生の菌種の繁殖じみた白を曝す。美しい緑の間に間に。——花、と。佛陀の花だ。そう云ったのはミーだった。ほそい指に、その大樹の、見上げた上方を差した。彼のシッダールタ王子の華といえば蓮か沙羅雙樹に決まっている。この花はその花に違い旡い。アメーバ状の生き物が無數に蛸のように手を広げたかの。花。妙に原始的な匂いのするかたちだった。無殘な迄の無數の繁殖。その形と色彩。ミーの母親の墓地。死の二年後にはやもめのタン、——Thanhは後妻をもらったに違い旡い。ロイは今年二十歳になったと舊正月の日にミーが云った。或いは數えなのか。ならば十九歳なのか。その母親のヒエン、——Hienは死んではゐなかった。ヒエンの兩親の家に圍われていた。保護?ないし隔離にも似て。タンが彼女を嫌ったに違い旡い。誰かの所謂法事だのなんだの機會にヒエンが連れられて姿を顯すたびにタンは目を背け、そして何處かに出かけて仕舞うのが常だった。いつから姉弟の關係が始まったのかは知らない。想うに相當に長い間二人は睦みあってゐた筈だ。つれ添うた夫婦よりも親し氣な氣配が二人には在った。抑ゝ私が妻を奪われたのでは旡くて、むしろ強奪したのは私の方だった。すくなくともロイの見た風景の中では。愛し合い求めあうふたりの見た風景。彼は永遠の伴侶の形通りの幸福のために身を引いたに違い旡い。——あなたのために。

と。

あなたの幸福の爲だけに彼を赦す。

躬づから達の思いを斷ち切る必然をは決して感じずに。はじめてふたりの關係を目の當たりにしたのは二年前にこの家に迻り住んだその日の、軈而明けた朝だった。寢起きに目を覺ましたわたしが庭にでた時にふたりはブーゲンビリアの樹木の下に抱きしめ合って、奪い合った互いのくちびるにはもはや私の存在には氣附く餘地は旡かった。情熱の溫度があった。ふたつの肉躰の周圍にだけ。ロイはバイクの洗浄をしていたに違い旡い。左手につかんだまゝのホースから、とめども旡くに水はあふれ出し續けて、飛び散り、撥ね、亂れ、空間にきらめいては足元に泥の飛沫を散らす。無樣な迄に。聲はかけなかった。ふたりの頭上にブーゲンビリアの花が夥しい儘に搖れた。あるいは、鳥。上空には。

乃至猫。地の翳りには。

見る。

私を。

——誰?

不意に目を開いたロイが私を見た。それとも、氣附いたから目を開いたのか。慌てゝロイはミーを引きはがした。水がミーの下半身をずぶぬれにして、彼女の立てた悲鳴を私は笑った。ミーは惡びれなかった。私が何を云うでも旡いはずだと已に知っていたのかも知れ旡かった。謂わば感覺的に?女なら慥かに幾らもいた。私には。私が彼女を咎める筋などありうべき筈も旡い。怒りを感じ旡いでも旡かった記憶があった。及び屈辱?最早ミーは水びたしだった。私は大げさなミーの悲鳴を笑った。姉にしどろもどろのロイが水滴を更に撒き散らさせた。宙に雫がおびたゞしくも儛う。ミーが聲をたてゝ笑った。私はそれを見た。邪氣も旡くに。飛沫。

散った。

美しい。

聲がさわぐ。

音響は耳にだけ響く。

一瞬だけ、ロイが私を氣遣った、その癖に身構えた、云って仕舞えば複雜で雜然とした一瞥を呉れた。——くるの?

と。

お前、くるの?

例えば、

こないの?

彼は私が彼を羽交い絞めして血祭りにすることを瞼の裏に見ていたのか。齒をへし折り、指を折り、髪を引っ掴む。

ミーは私たちに笑いかける。

泥水で口をすゝがせのけぞらせた顏面に蹴りをくれる。

笑う。

血まみれの豚じみて哭け。

聲。

たゞ今在る叓を身體の痛みにおいてだけ認識させてやる。

飛び散る飛沫は水の、それら、その。

虹を、——と。私は想った。えがけばいゝと。

ホースの先にでも、ちいさく。

私は赦したわけでは旡い。まさか。そんな家畜じみた。糾弾したなどさらにだにもない。何故?しがみつくミーの腕を引き解いて、部屋から立ち去ろうとする私にミーは明かな不満の顔をくれた。——もっとよ。

こと葉も旡くに、

——むしろ永遠に。

その汗まみれのからだを?

私が髪をなぜるのをミーはゆるして、云々、


4月27日に片山郁夫、通稱專務に電話した。

「桧原って、元気?」

役軄は必ずしも專務ではない。

「代々木上原の?…頑張ってますよ。あいつ。ま、あんなことの跡ですけど」

そ、と。

私はそう言って、ま、がんばれって、おれが云ってたって傳えて。

「あれ?あいつだけ?」

「あいつだけ。がんばれ、って。」

「なんか、在りました?」

片山は不審を隱さ旡かった。いまや現場のトップたる自分を越えて部下の一店長如きが本來雲の上であるべき社長に飛び超えてなにか絡んだらしいのが不快である、と。

私は微笑んだ。

音声通話だった。私のうかべた笑顏のかぎりもないやさしさなど、片山に傳わるはずも旡かった。








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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