後撰和歌集。卷第十。恋歌二。原文。
後撰和歌集。原文。
後撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。
又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照。
後撰和歌集卷第十
戀歌二
女のもとにはしめてつかはしける
藤原忠房朝臣
人を見ておもふ思ひは[もイ]あるものをそらにこふるは[そイ]はかなかりけり[るイ]
みふのたゝみね
ひとりのみおもへ[ふイ]はくるしいかにしておなしこゝろに人ををしへん
きのとものり
わかこゝろいつならひてか見ぬ人をおもひやりつゝ戀しかるらん
またとしわかゝりける女につかはしける
源中正[タゝ]
葉をわかみほにこそいてね花薄[※すゝき]したのこゝろにむすはさらめや
人をいひはしむとて
兼覧王
あしひきの山下しけくはふ葛のたつねて戀る我としらすや
[イ年月をへて忍ていひ侍ける人に]
忠房朝臣
かくれぬに忍ひわひぬるわか身かなゐてのかはつとなりやしなまし
女のさうしによる〱たちよりて[つゝイ]物なといひてのち
藤原輔文[一本輔仁]
あふくまの霧とはなしによもすからたちわたりつゝよをもふるかな
文つかはせとも返事もせさりける女のもとにつかはしける
よみひとしらす
あやしくもいとふにはゆる心かないかにしてかはおもひやむへく[きイ]
くにもちかをとせさりけれはつかはしける
本院右京
ともかくもいふことのはの見えぬかないつらはつゆのかゝりところは
題しらす
橘[‐ノ]敏仲[トシナカ]
わひ人のそほつてふなるなみた川おりたちてこそぬれわたりけれ
返し
大輔
淵瀨ともこゝろもしらすなみた河おりやたつへき袖のぬるゝに
又
敏仲
こゝろ見になをおりたゝんなみた河うれしき瀨にもなかれあふやと
わさとにはあらてとき〱ものいひふれ侍ける女の心にもあらて人にさそはれてまかりにけれはとのゐものにかきつけてつかはしける
藤原敦忠朝臣
かゝりける人のこゝろをしら露のをけるものともたのみけるかな
あひしりて侍ける女を久しうとはす侍けれはいといたう[いたうなむイ]わひ侍るとひとのつけ侍けれは
藤原顯忠朝臣
うくひすの雲ゐにわひてなく聲をはるのさかとそ我はきゝつる
ふみかよはしける女のこと人にあひぬときゝてつかはしける
平時望[モチノ]朝臣
かくはかりつねなき世とはしりなからひとをはるかになにたのみけん
おとこのこさりけれはつかはしける
こまちかあね[いとこイ]
我かとのひとむらすゝきかりかはんきみか手[タ]なれのこまもこぬかな
題しらす
枇杷左太臣
よをうみのあはときえぬるみにしあれはうらむることそかすなかりける
返し
いせ
わたつみとたのめしことも[のイ]あせぬれはわれそわか身のうらはうらむる
人のもとにつかはしける
源等朝臣
あつまちのさのゝふなはしかけてのみおもひわたるをしるひとのなき
人につかはしける
紀[‐ノ]長谷雄[ハセヲノ]朝臣
ふしてぬる夢路にたにもあはぬ身はなをあさましきうつゝとそおもふ
女につかはしける
よみ人しらす
あまの戶をあけぬ〱といひなしてそらなきしつるとりのこゑかな
夜もすからぬれて佗つる[つイ]から衣あふさかやまに道まとひして
おとこにつかはしける
おもへともあやなしとのみいはるれはよるのにしきのこゝちこそすれ
女のもとにつかはしける
をとにのみきゝこし三輪の山よりも杉のかすをはわれそ見えま[にイ]し
をのれをおもひへたてたる心ありといへる女の返事につかはしける
兼輔朝臣
なにはかたかりつむ蘆のあしつゝのひとへもきみをわれやへたつる
とをき所にまかりける道よりやむことなき叓によりて京へ人つかはしけるつゐてに文のはしにかきつけ侍ける
よみ人しらす
わかことや君もこふらんしら露のおきてもねても袖そ[のイ]かわかぬ
あひしりて侍ける人のもとより久しう[くイ]とはすしていかにそ[やイ]またいきたりやとたはふれて侍けれは
つらくともあらんとそ思ふよそにても人やけぬるときかまほしさに
人のもとにしは〱まかりけれとあひかたく侍けれは物に書つけ侍ける
在原業平朝臣
暮ぬとてねてゆくへくもあらなくにたとる〱もかへるまされり
男侍る女をいとせちにいはせ侍けるを女いとわりなしといはせけれは
元良のみこ
わりなしといふこそかつはうれしけれをろかならすと見えぬとおもへは
女のもとより心さしのほとをなんえ知らぬといへりけれは
藤原おきかせ
我こひをしらんとおもはゝ[ならはイ]たこの浦にたつらんなみたのかすをかそへよ
いひかはしける女のもとよりなをさりにいふにこそあめれといへりけれは
貫之
いろならはうつるはかりもそめてましおもふこゝろをえやは見せける
物のたうひける女のもとに文つかはしたりけるにこゝちあしとて返事もせさりけれは又つかはしける
大江朝綱[アサツナ]朝臣
あしひきのやまひはすともふみかよふあとをも見ぬはくるしきものを
おほつふねに物のたうひつかはしけるを更にきゝいれさりけれはつかはしける
貞元[元良イ]のみこ
おほかたはなそやわか名のおしからんむかしのつまと人にかたらむ
返し
おほつふね
人はいさわれはなき名のおしけれはむかしもいまもしらすとをいはん
かへりことせさりける女の文をからうしてえて
よみ人しらす
あと見れはこゝろなくさのはま千鳥いまはこゑこそきかまほしけれ
おなし所にて見かはしなからえあはさりける女に
河と見てわたらぬ中になかるゝはいはてものおもふなみたなりけり
こゝろさしありける女につかはしける
橘公賴[キンヨリ]朝臣
あま雲になきゆく鴈のをとにのみきゝわたりつゝあふよしもなし[かなイ]
貫之
すみの江の波にはあらねとよとゝもにこゝろをきみによせわたるかな
兵衞につかはしける
よみ人しらす
見ぬほとに年のかはれはあふ叓のいやはる〱とおもほゆるかな
まかり出て御文つかはしたりけれは
中將更衣
けふすきはしなまし物を夢にてもいつこをはかときみは[かイ]とはまし
御返し
延喜御製
うつゝにそとふへかりける夢とのみまよひしほとやはるけかりけん
題しらす
藤原ちかぬ
なかれてはゆくかたもなしなみた川わか身のうらやかきりなるらん
ありはらのむねやな
わかこひのかすにしとらはしろたへのはまのまさこもつきぬへらなり
貫之
なみたにもおもひのきゆる物ならはいとかくむねはこかささらまし
さかのうへのこれのり
しるしなき思ひやなそとあしたつのねになくまてにあはすわひしき
とし久しくかよはし侍ける人につかはしける
貫之
玉のをのたえてみしかき命もてとし月なかきこひもするかな
題しらす
平定文
我のみやもえてきえなんよとゝもにおもひもならぬ[イはなれぬ不用]ふしのねのこと
返し
きのめのと
ふしのねのもえわたるともいかゝせんけちこそしらね水ならぬ身は
心させる女の家のあたりにまかりていひ入侍りける
つらゆき
わひわたる我身は露をおなしくはきみかかきねの草にきえなん
題しらす
在原元方
みるめかるなきさやいつこあふこなみたちよるかたもしらぬわか身は
東宮になるとゝいふ戶のもとに女と物いひけるにおやの戶をさしてたてゐて入にけれは又のあしたに遣しける
藤原滋幹[※左字右部夸][シゲモト]
なるとよりさし出されし舟よりもわれそよるへもなきこゝちせし
題しらす
よみ人も
髙さこのみねのしら雲かゝりける人のこゝろをたのみけるかな
長明のみこの母の更衣里に侍けるにつかはしける
延喜御製
よそにのみまつは[そイ]はかなき住の江のゆきてさへこそ見まくほしけれ
たいしらす
源等朝臣
かけろふに見しはかりにやはまちとりゆくゑもしらぬこひにまとはん
あり所しりなからえあふましかりける人につかはしける
藤原兼茂朝臣
わたつみのそこのありかはしりなからかつきていらんなみのまそなき
女のもとにつかはしける
橘實利[サネトシ]朝臣
つらしともおもひそはてぬなみた河なかれて人をたのむこゝろは
返し
よみ人しらす
なかれてとなにたのむらんなみた川かけ見ゆへくもおもほえなくに
人をいひわつらひてつかはしける
平定文
なにことをいまはたのまんちはやふる神もたすけぬわか身なりけり
かへし
おほつふね
ちはやふる神もみゝこそなれぬらしさま〱いのるとしもへぬれは
女のもとにまかりたりけるを只にてかへし侍けれはいひいれ侍ける
貫之
うらみても身こそつらけれから衣きていたつらにかへすと思へは
あひしりて侍ける人を久しうとはすしてまかりたりけれは門よりかへし遣しけるに
壬生忠岑
すみのえの松に立よるしらなみのかへるおりにやねはなかるらん
おとこのもとより今はこと人あんなれはといへりけれは女にかはりて
よみ人不知[或小野宮左大臣]
おもはむとたのめし事もある物をう[なイ]き名を立[タテ]てたゝにわすれね
かへし
かすかのゝとふひののもり見しものをなき名といはゝつみもこそう[あイ]れ
たいしらす
わすられて思ふなけきのしけるをや身をはつかしのもりといふらん
人の心かはりにけれは
右近
おもはんとたのめし人はありときくいひしことのはいつちいにけん
さたくにの朝臣のみやす所ときよかけの朝臣とみちのくにゝある所々をつくして歌によみかはして今はよむへき所なしといひけれは
源淸蔭朝臣
さても猶まかきのしまのありけれはたちよりぬへくおもほゆるかな
こと女の文をめの見んといひけるに見せさりけれはうらみけるに[イ侍らすとてうらみけれは]其文のうらにかきつけてつかはしける
よみ人しらす
これはかくうらみところもなき物をうしろめたくはおもはさらな[るらイ]ん
久しうあはさりける女につかはしける
源さねあきら
おもひきやあひ見ぬ叓をいつよりとかそふはかりになさんものとは
題しらす
藤原治方[ハルカタ]
よのつねのねをしなかねは逢叓のなみたのいろもことにそ有ける
大伴黑主
しら波のよするいそ間をこく舟のかちとりあへぬ恋こひもするかな
源うかふ
こひしさはねぬになくさむともなきに[イを]あやしくあはぬめをも見るかな
年をおへていひわたりける女に
源すくる
久しくも戀わたるかなすみの江のきしにとしふる松ならなくに
題しらす
藤原淸正
あふ事のよゝをへたつるくれ竹のふしのかすなき戀もするかな
かれかたになりける人にすゑもみちたる枝につけてつかはしける
よみひとしらす
いまはてふこゝろつくはの山みれはこすゑよりこそいろかはりけれ
女のもとよりかへりてあしたにつかはしける
源重光朝臣
かへりけんそらもしられすをは捨の山より出し月を見しまに
兼輔朝臣にあひはしめて常にしもあはさりけるほとに
淸正[タゝカ]母
ふりとけぬ君か雪けのしつくゆへたもとにとけぬ氷しにけり
かたふたかりける比たかへにまかるとて
藤原有文朝臣
かたときも見ねは戀しき君をゝきてあやしや[くイ]いくよほかにねぬらん
題しらす
大江千ふる
おもひやる心にたくふ身なりせはひと日に千たひきみは見てまし
忍ひてかよひける女のもとよりかりさうそくをくりて侍りけるにすれるかりきぬの[イニナシ]侍けるに
もとよしのみこ
あふことはとを山すりのかり衣[イ山とりのすり衣]きてはかひなきねをのみそなく
題しらす
あつよしのみこ
ふかくのみおもふこゝろはあしのねのわけてもひとにあはんとそおもふ
忍ひてあひわたりける人に
藤原忠國
いさりひのよるはほのかにかくしつゝありへはこひのしたにけぬへし
寛平のみかと御くしおろさせ給ての比御帳のめくりにのみ人はさふらはせ給てちかうもめしよせられさりけれはかきて御帳にむすひつけゝる
小八條御息所
たちよらはかけふむはかり近けれと誰かなこそのせきをすへけん
おとこのもとにつかはしける
土左
我袖はなにたつ末の松山かそ[うイ]らより波のこえぬ日はなし
月をあはれといふはいむなりといふ人の有けれは
よみ人しらす
ひとりねの佗しきまゝにおきゐつゝ月をあはれといみそかねつる
おとこのもとにつかはしける
からにしきおしき我名はたちはてゝいかにせよとかいまはつれなき
はしめて人に給ひつかはしける
人つてにいふことのはのなかよりそおもひつくはの山は見えける
はつかに人を見てつかはしける
貫之
たよりにもあらぬ思ひ[わか身イ]のあやしきはこゝろを人につくるなりけり
人の家より物見にいつる車を見て心つきにおほえ侍けれはたそと尋ねとひけれは出ける家のあるしときゝてつかはしける
よみ人しらす
人つまにこゝろあやなくかけはしのあやふきみち[ものイ]は戀にそありける
人を思ひかけて心ちもあらすや有けん物もいはすして日暮るれはおきもあからすと聞てこの思ひかけたる女のもとよりなとかくすき〱しくはといひて侍けれは
いはて思ふこゝろありその濱風にたつしらなみのよるそ佗しき
心かけて侍けれといひつかんかたもなくつれなきさまの[イに]見えけれはつかはしける
ひとりのみこふれはくるしよふこ鳥こゑになき出て君に聞せん
男の女に文つかはしけるを返事もせて絕にけれは又遣しける
ふしなくて君かたえにし白いとはよりつきかたき物にそ有ける
おとこの旅よりまてきて今なんまてきつきたるといひて侍ける返事に
くさまくら此たひへつる年月のうきはかへりてうれしからなん
男のほと久しうありてまてきてみこゝろのいとつらさに十二年の山こもりしてなむ久しうきこえさりつるといひ入たりけれはよひいれて物なといひてかへしつかはしけるか又をともせさりけれは
出しより見えすなりにし月影は又山のはにいりやしにけん
返し
あしひきの山におふてふもろかつらもろともにこそいらまほしけれ
人をおもひかけてつかはしける
平定文
はまちとりたのむをしれとふみ初るあとうちけつなわれをこす波
かへし
おほつふね
ゆく水の瀨ことにふまんあとゆへにたのむしるしをいつれとか見ん
人のもとにはしめて文つかはしたりけるにかへり叓は[イも]なくてたゝかみをひきむすひてかへしたりけれは
源もろあきらの朝臣
つまにおふることなし草を[とイ]見るからにたのむこゝろそ數まさりける
かくてをこせて侍けれと宮つかへする人なりけれはいとまなくて又のあしたにとこ夏の花につけてをこせたり[てはへりイ]ける
よみ人しらす[イニナシ]
をく露のかゝる物とはおもへともかれせぬものはとこ夏[イなてしこ]のはな
返し
かれすともいかゝたのまんなてしこの花はときはのいろにしあらねは
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