後撰和歌集。卷第六。秋歌中。原文。
後撰和歌集。原文。
後撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。
又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照。
後撰和歌集卷第六
秋歌中
延喜の御時に秋歌めしありけれは奉りける
きのつらゆき
秋霧のたちぬるときはくらふやまおほつかなくそ見えわたりける
花見にと出にしものを秋の野のきりにまよ[とイ]ひてけふはくらしつ
寛平御時きさいの宮の歌合に
よみ人しらす
うらちかくたつ秋霧は[のイ]もしほやくけふりとのみそ見えわたりける
おなし御時の女郎花合に
藤原興風
おるからに我名はたちぬをみなへしいさおなしくは花々に見ん
よみ人しらす
秋の野の露におかるゝをみなへしはらふ人なみぬれつゝやふる
をみなへし花のこゝろのあたなれは秋にのみこそあひわたりけれ
母のふくにて里に侍りけるに先帝の御文給へりける御返事に
近江更衣
さみたれにぬれにし袖にいとゝしく露をきそふる秋のわひしさ
御返し
延喜御製
おほかたも秋はわひしきときなれと露けかるらん袖をしそおもふ
亭子院の御前の花のいとおもしろく朝露のをけるをめして見せさせ給ひて
法皇御製
しら露のかはるも何かをしからんありてのゝちもやゝうきものを
御返し
いせ
うへたてゝ君かしめゆふはななれはたまと見えてや露もをくらん
大輔か後凉[コウロウ]殿に侍けるに藤つほよりをみなへしをおりてつかはしける
右大臣
おりてみる袖さへぬるゝをみなへし露けきものといまやしるらん
返し
大輔
よろつよにかゝらん露ををみなへしなにおもふとかまたきぬるらん
また
右大臣
おきあかす露のよな〱へにけれはまたきぬるともおもはさりけり
かへし
大輔
いまははやうちとけぬへきしら露のこゝろをくまてよをやへにける
あひしりて侍ける女のあた名立て侍けれは久しくとふらはさりけり八月はかりに女のもとよりなとかいとつれなきといひをこせて侍りけれは
よみ人しらす
しら露のうへはつれなくをきゐつゝ萩の下葉のいろをこそ見れ
返し
伊勢
こゝろなき身は草葉にもあらなくに秋くる風にうたかはるらん
おとこのもとにつかはしける
よみ人しらす
人はいさことそともなきなかめにも[そイ]われは露けき秋もしらるゝ
人のもとに尾花のいとたかきをつかはしたりけれは返事に忍草をくはへて
中宮宣旨
花すゝきほに出ることもなき宿はむかししのふの草をこそ見れ
返し
伊勢
宿もせにうへなめ[イみ]つゝそ我はみるまねくおはなにひとやとまると
題しらす
よみ人も
秋のよをいたつらにのみおきあかす露はわか身のうへにそありける[名にこそありけれ]
おほかたにをくしら露も今よりはこゝろしてこそ見るへかりけれ
右大臣
露ならぬ我身とおもへと[はイ]秋のよをかくこそあかせおきゐなからも[にイ]
秋のころほひある所に女とものあまたすのうちに侍けるに男の歌のもと[上句也]をいひいれて侍けれは末はうちより
よみ人しらす
しら露のおくにあまたの聲すれははなのいろ〱ありとしらなん
八月中の十日はかりに雨のそほふりける日をみなへしほりに藤原のもろたゝをのへに出してをそくかへりけれはつかはしける
左大臣
くれはては月もまつへしをみなへしあめやめてとはおもはさらなん
たいしらす
よみ人しらす
秋の田のかりほの庵[宿イ]の匂ふまてさける秋はき見れとあかぬかも
秋の夜をまとろますのみ明す身はゆめちとたにそたのまさりけり
萩の花を折りて人につかはすとて
時雨ふり降りなは人に見せもあへすちりなはおしみおれる秋はき
秋の歌とて
つらゆき
ゆきかへりおりてかさゝん朝な〱鹿たちならす野への秋はき
宗于朝臣
わかやとの庭の秋萩ちりぬめりのち見ん人やくやしと思はん
よみ人しらす
白露のをかまくおしき秋萩を折てはさらに我やかさゝん
としのつもりにける事をかれこれ申けるつゐてに
つらゆき
秋はきのいろつくと[あイ]きをいたつらにあまたかそへて老そしにける
題しらす
天智天皇御製
秋の田のかりほの庵のとまをあらみわかころもては露にぬれつゝ
よみ人しらす
わか袖に露そおくなるあまの川雲のしからみ波やこすらん
秋はきの枝もとをゝになりゆくはしら露をもくをけはなりけり
我宿のおはなかうへのしらつゆをけたすて玉にぬくものにもか
延喜の御時うためしけれは
貫之
さをしかのたちならすをのゝ秋萩にをけるしらつゆわれもけぬへし
秋の野の草はいとゝも見えなくにをくしらつゆをたまとぬくらん
文屋朝康[アサヤス]
しらつゆに風の吹しく秋のゝはつらぬきとめぬたまそちりける
たゝみね
秋の野にをくしら露をけさみれは玉やしけるとをとろかれつゝ[ぬるイ]
題しらす
よみひとも
をくからに千くさの色になる物をしらつゆとのみひとのいふらん
白玉の秋の木のはにやとれると見ゆるは露のはかるなりけり
秋のゝにをくしら露のきえさらはたまにぬきてもかけて見てまし
から衣袖くつるまてをくつゆは我身を秋の野とや見るらん
大そらにわか袖ひとつ[イひつと不用]あらなくにかなしくつゆのわきてをくらん
あさことにをく露袖にうけた[とイ]めて世のうきときのなみたにそかる
秋の歌とてよめる
貫之
秋の野の草もわけぬを[にイ]わか袖の物おもふなへに露けかるらん
ふかやふ
いくよへてのちか忘れんちりぬへきのへの秋はきみかく月夜を
よみひとしらす
秋のよの月のかけこそ木のまよりおちはころもと身にうつりけれ
袖にうつる月のひかりは秋ことにこよひかはらぬかけとみえつゝ[るイ]
秋のよの月にかさなる雲はれてひかりさやかに見るよしもかな
をのゝよしき
秋の池[イ夜]の月のうへこく舟なれはかつらの枝にさをやさは[すイ]らん
ふかやふ
秋の海にうつれる月をたちかへり波はあらへといろもかはらす
惟[是イ]貞の御子の家の歌合に
よみひとしらす
秋の夜の月のひかりはきよけれとひとのこゝろのくまはてらさす
あきの月常にかくてるものならはやみにふる身はましらさらまし
八月十五夜
藤原まさたゝ
いつとても月みぬ秋はなきものをわきてこよひのめつらしきかな
よみ人しらす
月かけはおなしひかりの秋のよをわきて見ゆるはこゝろなりけり
月を見て
紀淑[ヨシ]光[望イ]朝臣
そらとをみ[イく不用]秋やよくらん久かたの月のかつらのいろもかはらぬ[すイ]
貫之
ころもてはさむくもあらねと月影をたまらぬ秋の雪とこそ見れ
よみ人しらす
あまの川しからみかけてとゝめなんあかすなかるゝ月やよとむと
秋風に波やたつらんあまの川わたる瀨もなく月のなかるゝ
あきくれはおもふこゝろそみたれつゝまつ紅葉々とちりまさりける
ふかやふ
きえかへり物おもふ秋のころもこそなみたの川のもみちなりけれ
よみ人しらす
ふくかせにふかきたのみのむなしくは秋のこゝろをあさしとおもはん
秋の夜は人をしつめてつれ〱とかきなすことのねにそなきぬる
露をよめる
藤原きよたゝ
ぬきとむる秋しなけれはしら露の千くさにをける玉もかひなし
八月十五夜
秋かせにいとゝふけゆく月影をたちなかくしそあまの河きり
延喜御時秋歌めしけれは奉りける
つらゆき
をみなへし匂へる秋のむさしのはつねよりもなをむつましきかな
人につかはしける
兼覧王
秋きりのはるゝはうれしをみなへしたちよるひとやあらんと思へは
題しらす
よみひとも
をみなへし草むらことにむれたつはたれまつ虫のこゑにまよふそ
女郎花ひる見てましを秋のよの月のひかりは雲かくれつゝ
をみなへし花のさかりに秋風のふくゆふくれをたれにかたらん
貫之
しろたへのころもかたしき女郎花さけるのへにそこよひねにける
名にしおへは[はゝイ]しゐてたのまんをみなへし花のこゝろの秋はうくとも
みつね
たなはたににたる物かな女郎花秋よりほかにあふときもなし
よみ人しらす
秋の野によるもやねなん女郎花はなの名に[をイ]のみおもひかけつゝ
をみなへし色にもある哉松虫をもとに[ともにイ]やとして誰をまつらん
前栽にをみなへし侍ける所にて
をみなへしにほふさかりを見る時そわか老らくはくやしかりける
すまひのかへりあるしの暮つかたをみなへしをおりてあつよしのみこのかさしにさすとて
三條右大臣
をみなへし花の名ならぬものならはなにかはきみかかさしにもせん
としころ家のむすめにせうそこかよはし侍けるを女のためにかる〱しなといひてゆるさぬあひたになん侍ける
法皇伊勢か家のをみなへしをめしけれは奉るを聞て
枇杷左大臣
をみなへしおりけん枝[袖イ]のふしことにすきにしきみをおもひ出やせし
返し
伊勢
をみなへしおりもおらすもいにしへをさらにかくへきものならなくに
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