きさらぎの雪、54の文型と風景/雪舞散亂序……小説。□梅か枝にきゐるうくひす春かけて/6
以下、ちょっと前に掲載した「雪舞散」という小説の、長い序の部分です。
前の小説の主人公の父親や母親たちの物語、なので、だいたい1960年代末から70年代前半以降が舞台になります。
短い小説がいくつか連鎖してひとつらなりになる、要するにいわゆる連作長編です。
読んでいただければ、とてもうれしいです。
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上お読み進めください。
いにしへなる古今和哥集よりおもいつくまゝに撰へる
五十四の倭哥を基本文型として各ゝに戰後式のいまや
滅ひたる樣式の散文を展開させるさきの哥物かたりの
亂序をなす群像劇としての五十四の風景名をつけれは
きさらぎの雪
春
文型
春哥上
題しらす
よみ人しらす
梅か枝にきゐるうくひす春かけてなけともいまた雪はふりつゝ
或る風景
(承前)かならずしも革命集團が危険な組織であるとはいえない。雅雪はすくなくともそのときにはそうおもった。譬えば時の流行りのルキノ・ヴィスコンティのそれやいまさらのアングラ劇團のいかがわしい時代ものないしくだんの三島由紀夫のみじかい白黒映画にもにて、コスチュームあそびに興じたいにしへの亡びた様式への惑溺と、あられもない好き物のおあそびとしか思えなければ假に、市谷事件のごとき顛末にいたろうがいたるまいがせいぜいが自分たちの好きでしでかしたただの自傷にしかいたらないとも思われて、ならば彼自身がその躬を亡ぼすならそれはそれでうけいれてやるべきかもしれなかった。あるいは、むしろ思いあたった抑ゝの、友の身の安全をいのるともない自分の冷酷をこそ雅雪は案じた。…どうする?
と。
雅雪はおもわずにも思いあぐねて、かたわらの男にさゝやく。
「あいつらが、たとえば」
としうえの男には確實に、自分がいまだ
「集團自殺でもしでかしたら。そう強制したら。」
あきらかには獲得していない匂いがする。肉體の男になった男の躰の。
「アメリカの宗教團体みたいな?」
男に成った男というものがなにをさすのかはわからないながらに、肉體そのものゝ現實として雅雪は自分との隔たりを、文也の肌にも骨格にもその擧動のひとつにも感じた。
「…まさか。」
「わかんないじゃない。いつ、組織が転向するか。」
「転向って、」と。いいかけて笑って文也は顧みれば「それ、言葉の使い方間違えてるぜ。」笑みに邪氣のかけらもない。たゝ、すなおな、「いいたいことは判るけど」
「変質、とか。…なんか、でも、あゝいう組織ってあやういよ。」
「あゝいうって?」
「美學?」
雅雪はふいにまばたく。
「自分たちの、…でも、だからってそれが正しいなんておもってない。——なんだろ。先験的に?アプリオリに、…」
「だれから敎わったんだよ」たかふみ、と。
聲にかぶせてさゝやいた雅雪の、くちにしたその名を聞き取ったときに文也はおもわずにもしかめた眉に不快をさらす。「ただの詐欺師じゃん。あいつ。」
「でも、本等はうそだったしってるものを敢えて信じようとしてる奴ら。そういう似非信条集團って、なんか、これからどうなっちゃうかわからない。」
「あぶない?」
「狂信的。…ちがうな。本等はしんじてないんだから。自殺行爲?…そういうの、なんだろう——」
「から、こそ。」
と。
ふいに想い附いて文也はいった。「…の。美しさってあるんじゃない?」
「自稱詩人とか?…フリー・ジャズやってる奴らとか?破滅型ぶってるうちに本等に破滅しちゃう奴らみたいな?」
「なにそれ?」
「死ぬなよ。」
云ったときに、雅雪は自分のこと葉にみゝを疑う。それは彼にそうなることに誘うかにも思え、さらには、すなおにかれの身を案じる健全なやさしをも感じさせた。
どちらともにおもい定めらえない儘に、いつか雅雪は例えば生首をさらす文也の肉体をまぼろしみる。——うそだよ。
やゝあって、一瞬のなにかを思案するふうのまなざしをさらしたのちにふりかえる文也に、雅雪をとがめる気配はなにもなくて「お前、むしろ俺の破滅をみたがってるだろ?」
さゝやく。
わらった。
つられるともなく、なんの邪氣もなくに笑い聲をたてた雅雪を、通りすがりに人の疎らはそのおかしさの他人にはけっしてつたわらないたのしさを不意に見留めた雙りの朋輩の罪もないたわむれとしか思わない。箸がころがってもわらう式のそれ。
「破滅?」
「めちゃくちゃ、悲慘なやつ。」
「なんで?」
「判るよ。お前は俺のそういうのを見たいんだ。」
「見せろよ。」
雅雪は云った。
こゝろにはなんの殘酷も冷酷もひらめかない。たゝ、彼に親しみ、いつくしみ、かわいくさえ思って、「血まみれの。…めをそむけちゃう末路」
文也は聲を立てて笑って、雅雪もかれの孝文嫌いの理由は知っている。革マル派の末端に身をつらねた孝文が安保の前に、警察に尋問されゝばそのまゝに身内をうりさばいたことなど誰もが知ってゐた。ほそぼそとでも存續したそれら革命派集團の、どこも孝文をいまさらに受け入れるものはなかった。孝文は裏切り者に過ぎなかった。彼の自己正當化の意図もない昔かたりがすぐさまにそれをにおわせた。曰く、転向し變節しゆく組織に天誅を加えたのだ、と、——いわば發展の爲の自己破壊だよ。それができるのは俺しかなかった。
悔しげにもつぶやく孝文が本氣でそう思っているらしいことはたやすく知れた。雅雪はおもしろがるともなくそれに人のすがたのある典型をさえかんじて哀れみ、文也は單なる卑怯を軽蔑した。——知ってるか?
新日本革命集團を雅雪に口傳てしたときに、それは夕方のだれもいない日曜日の喫茶店のなかだったが、「おれたちは戰前っていうのをきちんと再評価して、総括すべきときにきてる。」
「なにそれ?」
かならずしも興奮をさらすでもない孝文のつぶやくような聲に、雅雪は新手のジャズの傾向のはなしでもはじめるのかとも思った。
「かの、世界に飛び火したアジアの革命獨立戰線の、その後衛にして最前衞だったというのが、かの大日本帝國の矛盾した一時期の眞實だ、と。そういうことをだよ。」
日差しがさして、孝文の横顏を白濁させればそのおうとつに応じた翳りは彼の身のこなしに添うて這う。
雅雪はみるともなくそれをおかしがるともなくにもかすかに愉しみ、自分の顏のにやつくのをはしっている。——嘘を。と。
あなたはいつでも嘘を言う。
思う。
そのうちに、はかれた嘘を聞き取った彼のみゝが素直にも、赤裸ゝなこゝろの告白の眞實と錯覺して仕舞うのか、さきばしる錯覺の故に嘘がはかれるのか。それは雅雪にも判らなかった。「かのレーニンの露西亜革命にしてもスターリンの改革にしてもだよ。乃至カストロの、ゲバラのキューバの革命にしてもなんにしても、彼等の革命は所詮は一國に留まる。とはいえ戰前のかの唾棄すべき帝國主義日本は、その治安維持法と國民總動員法の帝國主義のもとにありながらは抑ゝ海外の革命派たちの活動據點だった。孫文にしてもなんにしてもね。いま毛沢東の解放するところも中華人民共和國もあるいはそれに反目した中華民國も結局は大日本帝國に起源をもつ…」
「たんに、殖民地支配されて无かったからでしょ。」
「だけじゃない。時のアジア主義者たち、要するに今風にいう皇道右翼の母體になった連中こそがかれら革命獨立派の最大の支援者だった。これはおおいなる矛盾だよ。」
「それとその中國人の右翼ごっこと何の關係があるの。…戰後だよ。すくなくとも形上は平和憲法と自由主義の。」
「米國政府の傀儡どもの巣窟だけどな。サイゴン政府となにが違う?いずれにしても俺たちのおもい描いた赤色革命っていうのはどうやら本等に失敗してしまったわけだよ。これからどうなるかはしらない。赤軍派兵士たちもなにも煮え湯をのまされる現状がある。いさぎよく失敗は失敗として認めよう。なぜ失敗したのか。それを考えなければならない。」
「翻って右翼に転向するわけ?それって文字通り不毛な退廃じゃないの。——左翼っぽい言い方をすれば、だよ。」
「矛盾が、…」と。
云った孝文の聲のまにまに、耳にふれる自殺した創業者のゝこした中型のモニター・スピーカーのながれださせた氣のふれたようなマリオン・ブラウンのサキソフォンのうねる音響が響いて、あるいは、と。
それはうつくしい音楽なのかもしれない。ヤニス・クセナキスすら美しいのだから。
雅雪は騒音じみたそれを理解はしないまゝに赦した。「矛盾こそが生産の母體なんだ。」
「凄慘?」
「生み、つくる。そっちのほう。たしかにマル・エンからトロツキーにいたるまで理論に矛盾はなかったんだよ。修正の若干は必要でもね。サルトルでさえ、アルベール・カミュですらもね。とはいえ矛盾をはらみこまない理論は實存そのものにふれたときに常に無力だ。矛盾こそ孕み込まなければならない。國家はその終に至った終局の理論的な姿をはさらしえないんだよ。終局にいたっても、そこにおいてこそゝれは常なる闘爭の現場として創造と破壞をのみくりからす。たとえば今、かつて終戰の混亂の中でおれたちにさきがけた金日成のかの國こそがひとゝきは地上の樂園だったはしても、あるいはやがて米軍が撤退したのちにベトナムにつくられるはずの統一國家が樂園たらんとしても、それは理論的樂園で在る以上かならず退癈する、退廃そのものであるということなんだよ。むしろ俺はあえて矛盾そのものたらんとする。たとえば戰前の日本のような、だよ。226事件が不斷に發生し不斷に公安が暴力的な目を光らせて、かつ、眼玉くりぬくレヴェルの轉覆と破壞を日のなりわいともする。…そんな、」
「救いようがないね。」言って、雅雪は笑ったが、——ちょっと、ヴォリューム下げない?
だって、だれも聞いてない…
「お前には理解できないよ。」
さゝやく孝文の聲をなんとかしてもきゝとれば雅雪は、思わずにもほゝえみかけて、やがて、つぶやいた。
「なんで?」
「理解する氣がないから。」
聲をたてゝわらった雅雪の、そんな目の前の事實の存在にはき附かないようにも孝文は靜かに雅雪をだけ見つめるのだったが、——妄想だよ。
雅雪は、そういった。
「あの中国人なんて…731部隊に殺されかけた生き殘りだって?…本等かな。嘘っぽい。その歷史的な悲劇をちゃかしてなんかないよ。けど、あいつのは、——あの人も。ユイシュエン。たぶん、かの女には孝文さんみたいな理論武裝ってないんじゃない?ただ面白がってるだけ。」
「妄想でかまわない。抑ゝ人間の形作る體制自體は本質的に妄想的である。故に革命派はつねに妄想的なみかけを纏う。…違うか?」
「そして、」と。
「あくなく權力志向。實際は、自分の思うままに世界を操りたいだけでしょ。自分の理想通りに。人類理想の名のもとに。つまりは、アドルフ・ヒトラーとどこがどうちがうの?」
「それが矛盾なんだよ。矛盾に無自覺である奴こそが革命家になりおおせ、そして、退癈し破滅するのさ。」
やがて雅雪と文也は表參道の街路樹の翳をくぐる。
新手のミニスカートをひけらかした女たちの何人かにすれ違い、ジーンズの女たちの長髪が匂った。このところに、女の香水のつかう量がふえた氣がする。においの藥をこれみよがしににおわすことを羞じなくなった。
女たちのそれぞれの流儀にこびた眼差しがいつものように自分にこすれて後ろにながれていくのを雅雪はもはやあきはてゝ、ごめんなさい。
おもわずにかの女たちに、おれ、あなたたち淫売の家畜じゃないから。そうとでもさゝやきそうにもれば、おもいつきのそのことばの容赦の無い侮辱にひとりで聲を立てゝ笑いそうになる。そえぞれにかたちもあり樣もちがえどもいずれにしても撒き散らした發情の雌の色に違いはない。哀れにも思う。たぶん單なる生理反應にすぎないそれらいろづいた懊惱に精神の純粋さえもときにかぎとってみる生き物たちの生態。あるいは、文也も、正純も、自分自身をもふくめて。思いだす。弓緒の歸ったあとのしばらくののちに已んだ雨の、そして雅雪は居間の窓をあければいまさらにも春の、いまだに冬の冱えた冷氣に支配されたまゝながらにもひと肌じみたやわらかなあたゝかさをにおわせた不毛の、空氣はその曝す複雑のまゝにながれこんで、となりの家の庭に雪。
木のかぼそい折れ曲がった枝に。
そう想った。すぐにも気づく。さいていたのは梅、白い花。
しら梅、と。そういうのだろうか。いつも窓のそとをみればそこに已にさいてゐたそれ、ここ數日見慣れた、そして窓をあけるまえからとっくにそこに存在しているのを眼差しは慥かにとらえてゐたのだったが、おもわずにふと、はじめて見い出した色彩の樣にもおもわれて、「なにしてるの?」
振り向く。
きゝおぼえのない聲に、そしてかえり見たその室内のくらがりに目のなれた刹那のゝちに、それが八重子にほかならかったことにき附く。
おかえり、と。そうとでも聲をかけてやるべきだったにはちがいない自分の、見ずしらずの他人の存在に茫然としたかの眼差しの過ちにもき附かずに、「…どこ行ってたの?」
ひとりごとのようにさゝやいた。
「見れば判る。買い物よ。おなかすたでしょうよ。」
はゝおやは笑った。
邪気も無く、あるいは、そのよそおわれた丁寧な無邪氣を雅雪はおもいあたる理由も無くて、たゝ嫌惡する。
「どこにもいかないの?」
「なんで?」
「いい若い者がさ。ずっと引きこもって。暇持て餘して。そとで、だれかと遊びまわるべきものよ。」
聞く。
雅雪はほゝえみをうすくうかべながらにはゝ親にえんで、八重子はその、なんの氣もなくも誘惑じみて見える息子のえみを見なれたまなざしのうちにもゝう一度だけ確認した。
眉と眉のあいだに匂うかすかな不穩なきざしのいつものその匂いとゝもに。
はゝ親は買い物袋をぶら提げて、たいして買い込んでいないものをいかにもおもたげに食卓のうえにもちあげると、「手傳ってくれてもいいんだよ。孝行息子なんだから。」
「だれのこと?」
わらい合う。いま、と。
おれたちは仲のいい親子だ。
そうひとり、口の中にだけつぶやく。
はゝ親をみつめた。
目を逸らした。
床になげすてられかけたまなざしがなゝめにかたぶく日のひかりに白濁する塵のむれの、こまやかなきらめきの無造作な散乱を見留めて、ふいに雅雪はいった。
「あのはな、なに」
八重子は自分を、すがるようにも見えなくもない色を双渺にさらしてみつめた息子を、そして、——なに?
「花。…部屋の。——」
ああ、…と。
やゝあって、ようやくにおもいあたった八重子はつぶやく。「あれ、ね。」
「なまえ、なに?」
「なんで?」
「きもちわるいじゃん。」
「なにが?」
「なまえもしらない花がさいてるの、」と、——もう死んで仕舞ったけれど。
噛み殺したこと葉が、雅雪を一瞬だけ不快にした。
「しらない。だってさ、あれ、おとうさんがもってきたのよ。」はゝ親のこともなげな聲をきゝ、「庭に植ゑてあったでしょ。お父さんがかってに撒いた種の自生しちゃったやつだもの。知りゃしないわよ」いつかはゝおやの目の前にあること自體に倦みはじめれば梅か枝にきゐるうくひす春かけて
なけともいまた
雪はふりつゝ
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