きさらぎの雪、54の文型と風景/雪舞散亂序……小説。□はるたてはきゆるこほりのゝこりなく/1


以下、ちょっと前に掲載した「雪舞散」という小説の、長い序の部分です。

前の小説の主人公の父親や母親たちの物語、なので、だいたい1960年代末から70年代前半以降が舞台になります。

短い小説がいくつか連鎖してひとつらなりになる、要するにいわゆる連作長編です。

読んでいただければ、とてもうれしいです。


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。




いにしへなる古今和哥集よりおもいつくまゝに撰へる

五十四の倭哥を基本文型として各ゝに戰後式のいまや

滅ひたる樣式の散文を展開させるさきの哥物かたりの

亂序をなす群像劇としての五十四の風景名をつけれは

きさらぎの雪

文型

戀哥一

たいしらす

よみひとしらす

はるたてはきゆるこほりのゝこりなくきみかこゝろはわれにとけなむ

或る風景

いわば夢の戀にあこがれた戀の夢のうちにみるまぼろしの、そのわすれがたみの人とでも。壬生正彦は誰の目をもひとめのうちに魅了して仕舞ったものだった。華奢な體躯がめにふれて肌はいやがうえにも澄んだ白さを息吹かせれば、繊細にも繊細をかさねてえがゝれた眉のこめかにきえかゝるきえぎわのわずかな亂れは、なにというでもなくて物おもわしげにおぼつかなく、いたゝまれないほどにやわらかなまなざしはこと葉もなくに、——いいんだよ。

と。

だいじょうぶ。

もう、いんだよ。そうさゝやくにもおもえたかなしげなやさしさの色にこゝろを擣たせないではいられない。女たちはそれぞれのまなざしに背骨に咬みつくかれらようにのいたみさえかんじながらも、容姿と肌にこぼれだすあまやいだ花の蜜のかおりは潮のにおいをすこしだけとけこませたひとつの難解な芳香になって、いまだ十五歳にすぎないというのに同じ年比の少女たちの目にはひときわに際立たないではいられない。まなざしのむれに文字通りにほのかにもはなやかにも馨り立って見い出されゝば、惱ましい惱みのうえに惱ましい惱みのにおいをぬりたくらせてやまない彼のたたずまいはいつか、赤裸ゝな恨みに翳る眼差しにさえもまみれた。

敎師、親族、ともだちの親兄弟、それら年上の女たちをさえそれぞれにまなざしを潤わせしめて、その、めをひらけば眼にふれざるをえない美しい存在。

卑賤をしる自分の手が穢してはいけないともときにめをそらし、はかなげで稀なる生き物のかけがえのなさをそれぞれの流儀の内にひたすらにも愛でゝ已まない。それらことごとくにおもい詰めたまなざしの過剰を躬に纏わせながらも壬生正彦は、色気づいた素振りを誰に見せるともなくに、時にさゝやかれた少女の告白のためらいや送られる戀の手紙の自虐にもかの女らのこゝろの傷附かないですむ繊細の注意を払いながらに、結局は報うでもなく無きものにようとした。つれないというよりは何に對しても凛としていると見えて、壬生正彦は周囲に失恋の束を積ませれはそれほどにいよいよに稀な人として憧れさせて、いったいどこのだれがいつこのうつくしい男を自分のものにするのか。女たちは軈ては見なければならないにはちがいない遠い未來の決定的な失戀のありえなくだにおもえた覺束なさを、その覺束なさゆゑにこそなんらむくわれないこゝろのうちの慰めにもする。

とても生きた生身の女が彼の躬に添う特權を與えられるとはおもをえず、あるいはひとつのなぐさめとして、正彦ほどにうつくしさをあり餘らせた少年であればこそ、他人にはゝかりがてなゝにげない氣の迷いにでも、とりたてゝいうほどでもない女のありふれたものにこそ軈ての恩寵をそゝいでしまうものなのかもしれないとも。

春の三月。あたらしい學期とはいえ正彦のこゝろはなにゝ時めくというでも无かった。新入學の少女たちがひとづての噂には聞いていた美少年のまなざしの蠱惑にすぐさま焦がれはじめた憧れの眼差しのざわめいてばかりにおちつかない散亂さえもがうとましくかんじられたころには、いつか正彦はすでに自分のこゝろだけが老いさらばえて、自分勝手にわかさを濫費した肉體だけが春の馨りに他人事に噎せ返っている氣さえもする。まるでだれかの肉體のむかえた恥しらずの春のさかりを見るようにも正彦は自分の薰る肉体を、こがれるまなざしのむれをふくめて嘲た。本人の目が鏡に見い出した姿はともかくも、おさなさを殘すかよくひよわな年の比のせいだったのか、正彦は彼に寄り添う片山眞弓という同い年の少年の明らかに戀を芽生えさせたこゝろの気配を、躬づからは緣のないおもいにかんじながらも疎ましくおもう叓はなかった。

正彦は彼が自分にあこがれるのを赦していた。その赦しはこと葉の外にすでに眞弓にも認識されていた。山の奥の幾百年の樹木を勝ち割ったをもおもわせて、武骨に武骨を重ねた眞弓の骨ぶとの體躯は部活の柔道に鍛えられて、一年の時にはもはや大人たちを見下ろすほどの図太い自生の樹木の巨體を曝した。事實、強すぎる若年者が陥りがちな散漫の虛をつかれて、技をとられでもしないかぎりは眞弓は柔道に負けというものをしら無かった。古武道の復古に情熱を傾けた祖父片山藤尾の敎育のたま物とは言える。所謂筋無力症のせいで日に日にも痩せて枯れ今や自力の歩行をさせ困難にさせた藤尾の、やがてはおおきすぎて餘すかにもみえはじめていた車椅子を眞弓は引き引きに、大會の結果の報告のたびに祖父をよろこばせる。大學の古式ゆかしい近世文学の敎授にして、酒も女も飮まないかすみ草のようにも柔弱なちゝ琢磨を眞弓は嫌惡した。さぐってもその嫌惡の根據はおもいつきようがない。むしろ生理的にとしか。あるいは瀟洒なものへの軽蔑の、赤裸ゝに正彦に焦がれる躬づからのこゝろの倒錯への耻が含まれている本質を、誰に指摘させれるまでも无くて眞弓は自覺し、さげずむ。

「おまえ、明日の午後、來いよ」と。

風。

その土曜日の放課後、部活にむかう眞弓は正彦に敎室の前で別れながらさゝやいた。

ふきこんで、赤裸ゝにも。

飾りのないこと葉は、その聲に執拗にこゝろの繊細さをうらはらにもほのめかして、ふれる。

ほゝにも。

風。

かすかに裏返りさえする語尾のおもいあぐねたふるえを眞弓はひとり、羞じてゐた。めはあえてそらさない。正彦は朝の部活の終わった日曜日の午後の自己鍛錬に誘われたのだった。なんという叓も无い。いつもの叓だった。自分で自分の肉體を限界にまで痛めつける叓にこそよろこびを見い出す男の、自虐じみた日常のひとゝきを彼はそのかたわらにほゝえみのうちにでも見つめてゐてやれば、それで眞弓はじゅうぶんに滿足するのだった。

「また?」

わらう。

「お前、嫌かよ。」

邪氣もなく。

「別に、…」と。眞弓は取り立てゝ何の趣味があるでも無くて、あえて自分からは友達づきあいをひろげようとはし無かった正彦の、日曜日に暇を持て餘しているにいつもの事實をはしっている。本心ではなくまして裝うという譯でもなくて、正彦はいつもなにゝ惹かれるともないゝわば気配の味氣なさをたゝよわせる。眞弓はそれに馴れてゐながらも、つれなさにこゝろのかすかな不安の翳りのおびえのさわぐのを關とめられもしなかった。

「お前に、やってもらいたいこともある。」

眞弓は自分のこと葉が已に焦燥をしるのに気附く。笑いそうになった。

慥かに、彼に戀してゐる。

まさに、まさなる事實として。

「また?」

ほら

「嫌かよ?」

こゝろが

「べつに」

ふるえた

「だったら來いよ。」

眞弓は結局は何をせがむ必要も無く正彦が來る叓をは知っている。いつもの叓だった。抑ゝは正彦の方こそが眞弓を、本來緣もない同性の戀などにかたぶかせたのかもしれない叓に、正彦はき附いている。おさな馴染だった。馴染み初めたのは眞弓のほうであるよりは正彦のほうだった。

十をこえるか越えないかのうちにも正彦の目に、同級生の中にひと際にめ立った眞弓の巨體はどこかで忠雅を想起させた。長じればちゝの樣にもなるかもしれない少年の肉體にしたしみをというよりは恐れと隔たりをだけさきにかんじた正彦は、彼をほかの誰もと同じように敬しながらも赤裸ゝなこゝろには軽蔑をひそめて、あたりさわりもなく忌避した。小學校の校庭にジャングル・ジムが在った。地元の卒業生會から寄贈されたばかりの眞新しい設備のそれに、囃されたまゝにてっぺんまで登った眞弓は上で身を起こして、み渡せば慥かに髙い。みあげれば空にはあまりにも低い。——なぜ?

と。

下を見た瞬間に、やゝあって思いつめたような眼差しを見せた。昼休みだった。通りすがりに見上げた正彦の目にその一瞬の眼差しは奇異に見えた。聲を立てる餘地もなかった。すぐさまに眞弓は落ちた。ジャングルジムの鐵柱の數本にいまだ幼い体を叩きつけて、句の字にも四肢をへしまげながらにもその腕の何をもすがろうともしなく無力だったのを正彦の眼差しは他人叓の樣に見る。

鐵柱にぶつけたらしい頭部のたてた音の鈍さをいまさらにみゝはきゝ取った。

からのずた袋を棄てたようにも、なすゝべもなくて地にたゝきつけられて、土の地面に頭から落ちた眞弓を正彦は自分で飛び降りたに違いないとさえおもった。一番近くにゐた誰かが彼に駆け寄って、誰かが敎師を呼びに走った。誰かが立ち盡すくして、誰かが顏を靑ざめた。ざわめきをきいてゐた。子供の喚声にすぎなったそれら聲のむれのうずは正彦のみゝには荒くれた男たちの乱雑な聲にこそきこえる。ようやくに、ひとに遲れてちか寄った正彦に他人を掻き分ける必要はなかった。誰もが頭から血を流すうつぶせにうずくまった巨體からは一定已上の距離を取っていたから。頭部はさゝいな傷にも理不盡なまでにも派手な出血を見せる。だから巨體はあたまから埀れながれる夥しい血潮の黑ずみにまみれる。慥かにうまれて初めてみるひとの出血らしい出血だったには違ない正彦をふくめた、むらがった彼等の小心をあざ笑いあらがったというでもなくて正彦は、むしろそれぞれに設けてゐた隔たりの散亂の家畜じみたいたいけなさに違和感を感じたのか。遁れるようにも正彦はいつか眞弓のかたわらにひざまづいてその微動だにしない體躯を触れた。

生きてゐた。

顯らかに脈打ち、息遣う生き物の生ゝしさしかそこには存在しなかった。…大丈夫?

云って、ふいに自分の膝のふれた眞弓の、力無くもたゝ開かれて、なにもつかまない拳がちゝのそれのようには、人を殴りに殴ってつぶれた樣をは曝してはいない叓を見留めた。眞弓の手のひらはたゝ地にふれていた。力の无い手つきが赤裸ゝにすぎてさえおもえた。それだけがのちにまで記憶されたあざやかな印象だった。あわてゝ医務室に彼を連れ込む敎師の二人がかりに正彦は附き添った。手を貸されてみれば自分でそのままに小走りにあるいてみせる眞弓は、一度だけ振り向いて背後の美しい付き添いにはにかんだ笑みを曝す。

正彦はそのこゝろをさぐった。

こわれそうにも意氣地の无いまなざしだった。

いまだ誰もなぐったこともなければ何を殴ったことも无いに違いない眞弓の手の、いってしまえば白うをじみた拳は敎師の背にまわしたそこでたゝ、地にふれたとおなじようにもふれてゐた。眞弓の手に、以前には荒くれたつぶれた拳が宿っているもと思い込んでいたのかもしれない自分の淺はかを羞じさせて、おもえばその拳になど興味もなくて、目に入れたことさえも無かったのをは綺麗にも忘れ、正彦に芽生えたなんというでもない秘密の共謀者じみた共感はかならずしも正彦の一方的な思いだったとは言えない。急速に親しみをました雙りを周囲の人のむれは美しいものと獸じみたものの在り得ない同衾のようにさえ見たに違いない。さらにはその物めずらしげにもしばたゝかせたまなざしのむれがいよいよに正彦に彼への接近を赦したのかもしれなかった。

結果として、壬生正彦が眞弓に寄り添うてゐたのか。片山眞弓が正彦に寄り添うてゐたのか。ときには敎室の中にでも正彦は眞弓のほゝにあけすけにもふれた。

目留められる。

ひとの目をよぐことなどかんがえない。

ゆび先にもてあそんで、「…ね。」

と。

笑った。

「おまえのほっぺ、すべすべしてるね。」











Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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