きさらぎの雪、54の文型と風景/雪舞散亂序……小説。□なくなみた雨とふらなんわたり川/2


以下、ちょっと前に掲載した「雪舞散」という小説の、長い序の部分です。

前の小説の主人公の父親や母親たちの物語、なので、だいたい1960年代末から70年代前半以降が舞台になります。

短い小説がいくつか連鎖してひとつらなりになる、要するにいわゆる連作長編です。

読んでいただければ、とてもうれしいです。


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。




いにしへなる古今和哥集よりおもいつくまゝに撰へる

五十四の倭哥を基本文型として各ゝに戰後式のいまや

滅ひたる樣式の散文を展開させるさきの哥物かたりの

亂序をなす群像劇としての五十四の風景名をつけれは

きさらぎの雪

文型

哀傷哥

いもうとのみまかりにける時よめる

をのゝたかむらの朝臣

なくなみた雨とふらなんわたり川水まさりなはかへりくるかに

或る風景

承前

同じクラスの女生徒たちの、いかにもおとなびた道德じみて春奈をいたわってあやしたおとなぶりの、いつもなくにそれとなく排除の気配に變ったのはその秋の新学期のはじめの比だったか。ともだちづきあいを濃くする氣もなかった正彦にさえだれからともなくに、少女が少女たちの物品から金銭まで、めにつく樣ゝをぬすみとっていることはいつか傳えきかされされた。——かりかりすんな。

軈て、正彦はさゝやいた。

眉をしかめてめを、顏ごとそらした悠貴をはあえてすておいて、とりあえずは美津子にだけそっと、「どうせ、卒業したら別ゝでしょ。」

みゝ打ちした。

美津子はふいに、ちかづけられた男のくちびるに身構えた。

くちびるの接近をあらためて禁じるように、にらみつけかけたまなざさしはその色をさらしきることもなくて、あわてゝそらされて、——あ。

と。

やゝあってのふいに皐月はつぶやく。

「なに?」

云った、はやくちの美津子にはあきらかにとがめだての色が在った。

「…養護学校。」

皐月はじぶんのつぶやいた聲をきいた。

おもわずに、それがまるでことさらにも悲劇じみてかんじられて、行ったことも見たことも無いそこ、おなじようなこたちがおなじようにそれぞれに症状の差異をさらしながらにそれぞれにもかよわされるらしい施設を陰湿にもおもいえがけば、自分たちとは差異して生きるしかない躬のうえに無殘をかんじて、確定された將來の悲慘、と。

そうではないかもしれない。そうあるべきではない。そうにちがいない。そうなるしかない。そうおもうじぶんのこゝろこそはなにか倫理にふれて致命的な、それこそ陰湿な悲慘を躬づからにさらしている。そんな逡巡にもかすかにさらされながらに、いずれにしても春奈という惠まれないこどもの惠まれようのない未來の惠まれない慘狀をあわれにも、そらおそろしくもおもって他人の無殘。

うまれる可きではなかった他人のいきなければならない現實の苛酷。

おさないこどもは赤裸ゝでいつでも容赦が無い、と。おとなびてみせた片一方は躬づからを戒めた。

離別は確定されていた。れこそがいまだ下されない、已にくだされたにひとしい処罰にちがいなかった。き附けば皐月は、はかないばかりも純粋で幸福だった自分の穢れも無い少女期のおさない時期のおわりをつげたことにおもい至る。いつか、春奈は寶ものゝようにみんなにも自分をふくめていつくしまれたものだった。だれよりも優先されて、だれよりも氣づかわれて、誰よりもあいされさえして。いつからか。我に返ったかのようにもまちがいなくにその秋の九月、新学期のはじまっていまだに何日のすぎたわけでもない日の午前の授業の終わったばかりに、悠貴に美津子はみゝうちした。

昨日の体育の授業のあとで、——と。

思う。今年になってからふいにも男女別の敎室で着替えをしなければならなくったそのころに、そうなってしまえば區分は學校のいかにもおそすぎた對應におもえた。「はるな、いるでしょ。」

と、いつもになく呼び棄ての、その名に嫌惡をかくさないこと葉の色に悠貴は、いまみたこともなかった風景のうつゝに目を覺ました錯覺をさえかんじると、

——なに?

「あいつ、ぬすんだらしいよ。」

四時間目の体育の授業のおわりに、なかまにさきばしって敎室に着替えにはいった日向英子はじゃれた駆け足のとまらないうちにもおもわずに、ひとりだけいつものように見學した春奈のさきにひとりで室内の眞ん中にたっていたのに驚く。ちいさな春奈は、その一瞬には叩き擣つようにもあけられた戸にもき附かずに、二、三秒のゝちのようやくに、みひらいたまゝに白濁しておもえた呆然の目で入り口を返りみた。

なにも、と。

みえるわけがない。そんな目じゃ。

英子はわらいそうになる。

いまさらながらに目を剝いた刹那の驚愕のすぐさまに、春奈の顏はそのことごとくを家畜じみた無抵抗な笑みにくずした。

いつものまなざしだった。

かわいい、かわいそうで、だからたいせつにしてあげなければならないはるちゃん、と。

英子はじぶんの顏のさらすべき表情にまどった。

春奈がたっていたのは山下文緒の席のかたわら、机の上に文緒のたゝんだ制服の整然が、かすかに春奈のふれたゆびさきのちかくにだけみだされていた。——はやいね。

ようやくに、英子は云った。

おもわずに戸にとおせんぼをした英子の背に津島裕子がじゃれた。

そっか。

と。

「あたりまえだね。はるちゃん、見學だもんね」

わらって、春奈をいつくしむ自分のまなざしの善意に、英子は躬づからのやさしさをふと確認した。

その日の最後の授業のおわった終礼のまえの數分に山下文緒の、その至近のともだちにかの女の新しいノートの所在を尋ねているのがきこえた。皐月にはなしかけた自分のみゝの背後のむこうに、きゝとられるその文緒の聲のもつ已に見知っていたことのいまさらに出來したかの感覺に英子は一瞬とまどった。男子生徒に對してさえも勝ち氣の皐月の、不遜にさえみえたかん髙いわらい聲をみゝにきいて、「…莫迦なんだよ」

皐月の

「たつみくん。いっつも、」

まなざしが猫のめじみたつめたさに冱えたときには眼窩に玉散るおとさえきいて、——知ってる。

英子はつぶやく。ふりむきざまに、文緒のすがたをさがせば、文緒のまえの席にすわる春奈が、そのときにはだれの介護じみた女生徒の寵愛をうけるともなくて、ひとりでまえをみて口元に、なにのゆゑにかのほゝえみをうかべていた。

春奈はひとりだった。

いたゝまれなくも見えた。

その女は犯罪者だった。

かけよって、はなしかけの皐月を無視した英子が文緒にみゝうちしたときに、文緒はみゝにさゝやかれたこと葉の理解できなさに眉をしかめた。

皐月はきこえようのない聲にみゝをすましてゐた。

——なに?

自分のくちびるがそうつぶやいたときには文緒は、英子のはなした片言以上に事態の眞實をかぎあてゝゐた。武藤辰巳の、おもわずにまばたいてたえられずにめをそらすのを悠貴は見つめた。ことわりもなくにみつめては、すぐさまにも自分からめをそらしてしまう男のこゝろはしっている。むしろ、その純なこゝろの樣ゝに波だった自分勝手な懊惱の、それらは自分のしらないところで自分のせい以外のなにもでもなかったにちがいない叓の赤裸ゝの、どこか陰湿な匂いをたてる辰巳のまなざしにかの女は少女ながらにも罪、と。鮮明にきづき、戀。辰巳の初戀のむすばれることのありいえない絶望をじぶんのこゝろにさえふれさせて、ときをおなじくに戀されて、選ばれて在ることの恍惚じみた高慢をかぎとった鼻にみにくゝかんじた。

なれた感覺だった。じぶんのこゝろのいまだにだれへの戀をもしらないうちに、悠貴の周囲にはかの女を戀する男たちのまなざしはなまなましくて、悠貴へのじめついて自虐のいたぶりをさえさらしてしまう男たちの戀の、おもえば少年のからだとこゝろのおさない故のいたしかたのなさも厭わしげなまゝに切なくて、自分こそが彼等を傷つけた、ないしこれから辛辣にも彼等を絶望させるこゝろの純粋の純粋な破壞者にちがいなくもおもわれる。

ふいに、ふりむきざまにノート、と。

「かせよ。」

ささやいて、あえて悠貴を軽蔑しきったまなざしをさらす辰巳のこゝろのひだのすべがもはやいたみをだけかんじさせて、「ゆう、まじめだろ。ぼく、」悠貴のはだに「…さっき、」触感の錯覺を殘した。

「ねちゃってたからさ。」

「だめなやつ。」

云って、わらうひめごとめかした聲のみゝにふれる氣配に、前の席に座って身をよじった辰巳はあらためてもめにうつる女のにおうばかりにも邪氣の無い清冽を羞じた。

「だから、」

「だめっていったら?」

悠貴はわざとじゃれてみせて

「ころす」

ささやく辰巳のめをそらしがてな、かつにいまにもめをふせてしまいそうな氣配の繊細を、なんのゆゑにというでもなくの赤裸ゝに共感した。その赤裸ゝにもすぎておもえた共感のはだにさえふれて、傷をすらものこす感覺に悠貴はいちどだけまばたいて、そして辰巳をみつめなおしたものゝそのこゝろにはそれがおさない少女の自分にこそつげたいまだ不器用な告白にもみえて、辰巳は自分の戀されてあったに違いないしんじがたい現實に目のまえの風景をさえうたがえば、終礼の最後に全員起立の號令は久代一郎がたてた。

二学期の級長は投票で、おおよそスポーツマン・タイプがなるものに決まっていたから一郎もその類だった。担任の氷川という名のいまだに結婚しない三十越えの女が、——敎師っていうしごとゝ。

たぶん、結婚したんだとおもいますよ。

わたし、…いつものように物おもわしげなまなざしに教室をみまわしてたちさったあとに、「天職だとおもってますから。」歸りかけた春奈の肩をうしろから文緒はおさえた。——待って。

と。

ささやかれた文緒の聲にいつもどおりのいつくしみと眞あたらしい不穩のきゝなれない共存があきらかに、ふりむきざまの春奈は双渺にさぐっていた。なんの、と。

知性のかけらさえありはしないのに。

おもう。

ふいにこゝろに生じた鮮明な憎惡に、文緒はかくされた眞實のあばかれた感覺にあたまを上氣させた。認識、と。いま、わたしはすべてをありのまゝに知る。美津子にともなわれて文緒にちかづいた悠貴は、すれちがいざまに正彦の一郎にともなわれて敎室を出ていくのを見やった。兄はともかくも、一郎のなげた一瞥は悠貴には謎めいてゐた。そのつめたいほどにもやさしげなまなざしには自分へのこゝろなどなにもにおいさえたてようとはしないものを、ないし、女というものへの興味などねがってもかんじられないほどにも色氣をすてゝゐてさえみいださせれながらも、年の過ぎた春には歎かわしいほどにおもいつめてかんじられた戀のみじかい手紙を、彼は悠貴の机の中に置いた。

いつ、どんな拍子をうかがって机の中にいれたのか。

きれいに、そらくは三歳上の姉に教えられたのか、やゝ時代遅れの女手の折り方でたゝまれたそれをめにした瞬間に、文をみるまでもなくにおわれたおとこのこゝろのその高揚に悠貴はまなざしのうちがわをあからめた。









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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