きさらぎの雪、54の文型と風景/雪舞散亂序……小説。□むはたまのやみのうゝつはさたかなる/4


以下、ちょっと前に掲載した「雪舞散」という小説の、長い序の部分です。

前の小説の主人公の父親や母親たちの物語、なので、だいたい1960年代末から70年代前半以降が舞台になります。

短い小説がいくつか連鎖してひとつらなりになる、要するにいわゆる連作長編です。

読んでいただければ、とてもうれしいです。


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。




いにしへなる古今和哥集よりおもいつくまゝに撰へる

五十四の倭哥を基本文型として各ゝに戰後式のいまや

滅ひたる樣式の散文を展開させるさきの哥物かたりの

亂序をなす群像劇としての五十四の風景名をつけれは

きさらぎの雪

文型

戀哥三。題しらす。よみ人しらす

むはたまのやみのうゝつはさたかなる夢にいくらもまさらさりけり

或る風景

承前

花は匂う。

とにかくにも、その食欲をうばってだいなしにしないでおかない不吉でさえあった香氣の芳醇を氣もそらしがてにも鼻孔にくすぐり、明け方にいきなり雨は降ったに違いない。

悠貴はそれにはき附いていた。なぜなら耳の内にそれとなく鳴り響きつづける雨の音響を聞いていたから。

いまだに明けきらないしのゝめにもふれずに垣間見られもしないそらされたまなざしの、窓の外はガラスごしにどこに東をくわえこんでどこに西を抱くのか、その兆しも得られ无い儘の黑の一樣の純粋さを曝してゐたに違いない。

のどもとにすいついて、憐れみを乞うかにも舌をはわせてゐた唇がはなれると、唾液の糸をひく線が夜の部屋のひかりの點在にきらめかされるのを悠貴は見るでもなくて、たゝ氣配に感じる。

男がふくらんだ腹をさらす自分にそれでも飢えるともなくて、たゝ離し難くてにはちがいなくも寄り添って、夜な夜なに部屋に忍び込むのを悠貴はかなしくも感じいじらしくも思うものゝ、男を赦す氣には終になれなかった。

おとこに添わせるこゝろなどありえもし无くて必死に、むしろあやうくに親しもうとさえしはじめる心を無理にも引きはがせば、壬生正彦はいつものように目を剝いて、眉を皴めた悠貴の思いのくらさの自虐を憐れむ。

女の心は躬づからが戀していることから目をそらして、なにゝしても違うなにかを見ようとし、みいだせないまゝのうつろさをだけそのままにさらしていることの双渺の矛盾の色を正彦は確認した。

あなたを、と。

悠貴は思う。

それでもわたしは必ずしも罰しはしない、と。

耳に触れる音。

なぜなら、と。

瓦をたれて、あなたはたゝ弱者だから、と、したゝってなにかを擣って鳴る。——いわば、と。

絶対的な被害者。

と。

それぞれに。

雨の無數の水の粒が壊れてなった。

樣ゝに。それぞれに、そしてそれとなく受胎にき附いてから正彦は彼女と肉をかさねようとはしなかった。

肌をふれあいながらそこをいまだかつてにもふれたことなどないかにも擬態して回避し、腹部が豐なふくらみを見せはじめればなおさらそれを忌避した。

ふいに正彦がくちびるを奪ったのはみ開いためがいたゝまれなかったからだった。

軈てはなれた唇に、下になった悠貴の唾液が埀れ落ちるまぼろしがありえないまゝにかんじられたときに、雨、と。

「あめ、降ってる?」

十二歳の正彦は今更に云った。

いまや雨の音は自分の存在を隠しもせずに空間に鳴り響いて赤裸々なほどに、外に雨は降って居た。

はじめておたがいのはだをしりあって、いまだに何か月もたったわけでもない紫陽花の花の咲き始めるころに、

「あれ、さ。」

なに、と。悠貴はあえて口にしない。

自分の聲を

「お前でしょ。」

聴いた。

「お兄さん、密告したの。」…違う?

目を逸らした悠貴の額のわずかなうえに正彦の笑い聲がたった。

「…煙草。」

聲。…と。

「お前が、いったんでしょ。」

わらう。正彦は邪氣もなく。

むしろ息遣いとでいう可き、なったのかならなかったのか分けがたいほどの?

何も音などたたなかったにこそ等しいほどの。

ゆれ。

さらっとしてふれもしない。

大氣の。

きえてしまうほどにもない。

氣配の。

その。

悠貴は愕然としていた。

ひとりでこと葉にだしてあえて抗うともなく、抑ゝ自分が愕然としていることなど自覺さえできないまゝに。

悠貴は自分がだれかのまなざしのうちに犯罪者になってしまっていたのを知った。

眼の前に、乃至視野のいきとどかない眼差しの背後の隅のどこかにでもくらい血まみれの悠貴自身がどす黑い臭気をでもはなっている氣がした。

まさか、自分が兄を売り飛ばそうはずもなく、それは單に單なる事實だった。

悠貴は自分こそが兄を父に売り飛ばしたに違いことを確信してむしろ怯えた。

悠貴の眼差しの中に血をはきながら悠貴が目を剝く。

無垢な肌。

壬生正純はそう想った。ホテルを予約した譯でもなければ忠雅が歸ってもこなかった鎌倉の屋敷に雅雪の泊まり込むのは誰に斷るともなくも、雅雪は悠貴たちとこと葉らしいこと葉をかわすでもない夕食のあとに正純の部屋に引きこもった。悠貴はふくらんだ腹を羞じるでもなかった。思いつめたようにも明るく、陽氣でさえあって、雅雪はこれからはゝ親になるものゝ特有の傲慢さとも。ひとりでおもい出話に淫してゐたすみ江のひきとめようとするのを正純は笑って斷る。

部屋の中に雙りが籠れば雙りの男の肉體とこゝろと魂のそれぞれの軈てはじめる叓はひとつしかなかった。

焦がれる思いがあったとはいえ雅雪の肉體は少年の日ゝのおわりかけにいよいよにさかりのあやういおさなさを曝しながら、必ずしも獸じみて飢えている譯では無かった。こゝろが望みさえすれば火の憑くだにも狂ってしまう、そんな餘地をだけおおまかに殘した躰に雅雪はかれをおもうこゝろに素直にかさなった壬生正純のあせりのある愛撫を受け入れた。ほゝえみ、時にもてあましながらも雅雪は彼のいつくしむ男の爲にだけ皮膚の感覺を赤裸ゝに研ぎ澄ます。あるいは、いまだになれきらない少年のウブの愛撫。ゆびさきがかたちをなぞって、舌は肌の体温を感じた。うえになって、正純は噎せ返るような自分の聲のつらなりを耳の奧に聞く。

誰も知らなかったのか。薄ゝには氣づいていたのか。陽氣なすみ江さえも?陽氣にみせた悠貴、咎めるとも歓迎するとも懷かしむともそれらのなんの氣もなくて、たゝ赦すようにもしたしげなまなざしをななめから送った正彦も。雅雪のうすくひらい眼差しが天井に顏を見せた亡き父の無殘に砕けた黑い顏を見た。辰年生まれの眞砂龍也は腹を切って雅雪の十四歳の時に死んだ。渋谷の元代々木の居宅近くの代々木八幡に夜の明けかけた朝に辞世の句だけを殘しただけに過ぎなかった龍也の自決の意味は妻の八重子にさえしっかりとは理解できていなかった。その午後には駆け付けた八重子の母なる久安久乃は病院の靈安室の前の待合に元ゝ、と。

頭の中のねじの狂った男だったといかにも穢らしくも穢らしい口調になじった。雅雪は素直に泣き顏をさらしながら穢さに淫するとしか見えなかった祖母のさらした穢らしさを彼の女爲にひとり憐れんだ。

雅雪は自分が必ずしも父との永訣の時の予想だにしなかった到來を悲しがっていはしない叓をは知っていた。彼にはもっと辛辣で恥辱じみた死こそがふさわしく想われたから。そして彼の眼差しの内に死んでも滅びることも無い死者たちの命はこと葉も意識も魂さえをも綺麗に消し去りおおせて謂わば不滅のものとしてその姿を曝し続けていたから。死に、かなしみの純粋はふれあってはいけない。幼時の彼の時に口にするのんきな血まみれの黑いゆがんで砕けた原型のとどまらない命との遭遇の告白ともない告白を、周囲が不穩にして不吉のこと葉とあやぶんで目をしかめ彼のゆくすゑを案じているらしいのにき附きもすれば、軈て雅雪は彼の眼差しにうつる死者の不滅の殘骸めいた命の群れの存在については常に口を閇ざして仕舞う叓にした。

父の死が、素直に雅雪の頬に淚を伝わらせている事実をむしろ雅雪はあやしんだ。死など何ほどの別離でさえないくなにが失われたというわけでもなにはずなのに何故自分は今淚するのか。うまれてきたこと自體があやまちだった男。赦してはならない罪に罪をかさねた。淚。あたたかな温度をさらしてあふれだし、やまず、肉體がいま腦をも神經をも含めて総力をあげて自分を裏切っていると已むをえなくも雅雪はおびえた。

怯えの鮮度が喉の奥を這ってのぼり頭の中に血の味をちらせた。頬にながれて淚が顎の先に玉散る。好き勝手にも、いよいよ四肢をわなゝかせて泣きじゃくった十四歳の雅雪を久安久乃はもらい泣きのうちにもたゝ切實に悲しむ。

このめはる、と。

あしたのまへにはなにさへ散ゆきまかへはかたみとそみん、と。そのおそらくはたゝ墨をすりなれないためだけの薄墨書きの辞世の懐の句の血染めの意味するところは雅雪には判りがたくて、ましてや八重子にも祖母にもだれにも判るはずがないものと思う。

ゆびが乳首をなぞる。

そのかたちを確認するように、事實、執拗なまでに確認しつくして。

ゆびのはらという、身體のなかで何番目かには固く武骨なはずのその皮膚が、研ぎ澄ますだけ研ぎ澄まされてそのふれたものゝかたちをなぞれば、眞砂雅雪は壬生の指に自分の躰のありもしない最期の秘密をさえ見い出されつくして仕舞ったかにもの羞恥にのまれそうにさえなって、肌は体温をはなっていた。

すれすれのちかくに、乃至はりつけられた恥じらいさえしらない肌のかさなりあいの刹那のそれぞれのそこに。

雅雪は他人のぶんだけあざやかすぎても感じ出される躰温のあたゝかさを、他人叓じみてさえに聲をたてゝ笑いそうになる。

口にふくむ。

舌。

さぐる。

なぜて、しめらせる。

味覺。

そういうしかない、どこかぶざまで、懷しくもある不意擣ちのような。

ひとのはだ。

雅雪はあおむけに身をよこたえさせた正純に、うまのりなりかゝっておたがいのそれを身をよじった口にふくめば軈てはやばい、と。おとこのくちびるが救いを求めて下の方に、ふるえて切にもさゝやいた。「聲、でちゃいそう。」と、いつか熱をおびた瞼の裏に、さゝやかれた壬生正純の聲の性急さを腿のふれた耳にも聞きとればむはたまのやみのうゝつはさたかなる

   夢にいくらも

      まさらさりけり

二年二月、正月

妋ノ尾雅










Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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