きさらぎの雪、54の文型と風景/雪舞散亂序……小説。□むはたまのやみのうゝつはさたかなる/3


以下、ちょっと前に掲載した「雪舞散」という小説の、長い序の部分です。

前の小説の主人公の父親や母親たちの物語、なので、だいたい1960年代末から70年代前半以降が舞台になります。

短い小説がいくつか連鎖してひとつらなりになる、要するにいわゆる連作長編です。

読んでいただければ、とてもうれしいです。


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。




いにしへなる古今和哥集よりおもいつくまゝに撰へる

五十四の倭哥を基本文型として各ゝに戰後式のいまや

滅ひたる樣式の散文を展開させるさきの哥物かたりの

亂序をなす群像劇としての五十四の風景名をつけれは

きさらぎの雪

文型

戀哥三。題しらす。よみ人しらす

むはたまのやみのうゝつはさたかなる夢にいくらもまさらさりけり

或る風景

承前

「あのこ、妊娠したの?」

ほゝえみがむしろ

「しらない?」

こぼれるような

「あの、…」

そんな

「妹。」

ほゝえみがきみににあうと

「だよね?」

おもったぼくは

「いってなかったっけ?」と、ごめんね。正彦がつぶやく。

雅雪は聴く。

「秘密にするつもりはなかった。」

その聲の

「なんでも、お前には…」

いたたまれないやさしさを、

「なんでだろ?」

燒けた鐵の棍棒を口から尻の穴にまでさしつらないで叫び聲をさえ禁じてなお飽き足らない、そんな、暴力的なまでのやさしい、

「云わなかったっけ?」

やさしさ。

「おれ、…」

「忘れちゃってた?」云って雅雪は笑った。つられるともなく正彦はやゝあって笑い聲をたてれば、取り巻いた周囲の葉のざわめきの端のちいさな空間のなかにだけ聲はよりそって響く。「秘密じゃないから。」

正純は立ち止まって、そしてひとくちに言った。

「おれ、お前にはなんの秘密も无い。おれにとって、お前はそういうのじゃないから。」

忠雅はいつものように不在だった。

家庭を顧みないというともなく忠雅は事業に追われた。熱海に作りかけたリゾートホテルにか、それとも沖縄の海邊の買収地にか。いずれにせよ忠雅が家庭を顧みなく成る叓をは美禰子が禁じてゐた。こと葉によるともなくそれにふれゝば火のついた岩を吐く、そんな気配を事實として匂わせた。

なにごとにもあけすけな忠雅がその都度に作った新しい女の數人を美禰子には隱し鎌倉の山には匂いさえ持て來ることがなかったのは女のこゝをそれとなくもしってのせめてもの思いやりだったのか。もとから豐滿だった美禰子は選ばれた幸福な女として自分のその幸福を山の中腹に浪費してますますに太り、バターまみれに肉付いた女のルーベンス風の色氣をまき散らして飽きなかった。もとは娘にも息子にも似通ってはいたに違いない美貌は豐な肥滿のうちに糜爛して馨り立った。

雅雪は通された洋間の方のリビングのソファに座って、もはや住み込みの婆やじみてゐた同居の六十すぎの女のお茶をいれるのを待った。女は忠雅の叔母だった。忠雅にゝて、とゝのいはしても如何にも荒い顏立ちをいわゆるますらをぶりにも曝しながらむしろ禁欲的にも瘦せた顏は男を終にひとりもしらないままに皴を刻んで枯れるともなく、久しぶりの雅雪が玄関口に顏をみせたのを待合部屋からのぞき出した眼差しに認めた瞬間に、息をつめらせて目をむき、我も無くしばしの沈黙に墜ちて、やがては今この世界が壊れて仕舞ったかのような驚嘆の聲をあげて駆け寄った。

その女曰く戀の住の江のちかくに生まれた壬生すみ江のいまだに着替えられない儘のパジャマの裾が足元にはでにはためくのを壬生正純はおもわずみとがめた。

わらう。雅雪はくちもとに、そしてとおされた居間のうちに憩うて息をつき、寐ま着のまゝにすみ江はマイセンにお茶を入れているに違いなかった。茶渋のいろをかすかにさらしたマイセンの白肌は、それがすみ江の來客のいつもの流儀だった。

ソファに躬を投げ出して不遜なまでにも、此処に自分を寛がせる光榮を與えてやって羞じない眞砂雅雪のたゝずまいに添うて、かたわらに身を置いて正純は雅雪の意図も無い傲慢が久し振りに面會の譽れを与えて戴いた老いさらばえたかけた女を色めかせたのをかすかにも嫉妬させられゝば、ソファのふちに投げ出された手がふいに指の先にふれあったのをあわてゝそらした。

うつくしい彼はもっと傲慢であってしかるべきだった。正純はこゝろにそうおもい、逡巡したゆびさきはふれあいそうな至近に顯らかに雅雪を咎めた。雅雪の、かたわらのそれにはき附きもし无かったまなざし、何叓かに心を奪われて、思い詰めるようにもみえたまなざしの、そこにうつしだされてもいない何かを見つめる双渺のしろい反射の光に、或いは、そして正純はまばたく。「何考えてるの?」

云おうとして、正純はそのこと葉を唇が吐こうとしないのをいぶかった。

「あいつ、連れてこようか?」

正純は自分の聲を聞き、「だれ?」

と。

眼をあげて自分をみつめた雅雪の目からそらす。その投げ捨てられた眼差しはふいにリビングの眞ん中の飾りのない水盤に行けられた花をみとめた。

その活け花は美彌子の活けたものに違いなかった。ほぼ毎朝の日課だった。美彌子は花を自分のむすめにも敎ようとはしたが、娘はたゝうつくしいばかりでうつくしいものをわざわざなま殺して生き生きと美しさを映えさせる、そんな手の込んだ仕事をするには鈍にすぎた。娘の活ける花には教科書めいた頭の固さしかないのを母親はこと葉にもださずに歎いた。雅雪の問いにはこたえないままに正純は彼をみつめて、自分を好き勝手なほゝえみのうちに見つめるだけみつめた男の、ふいに席を外したのをいぶかるともなく雅雪のまなざしは不審に翳る。

なにをしたいのか、彼の焦がれた彼に焦がれる男は数分の間彼を放置した。その時間をひとり持て餘すなど雅雪には赦されなかった。三人分のお茶を用意してきたすみ江がフローリングにじかに座ってそして問わず語りに嬌聲まじりの雜談に淫しはじめたから。

歸ってきた正純はあきらかに落胆の眼差しをさらし、そのわざと誇示するような赤裸ゝさを雅雪は疑う。

「來いっていったのに」

正純は云い

「だれ?」

はなのかげに

「悠貴。」

とぶ蝶ははなの

「…って、」

かげには躬も

「あいつ」

ふれず

「だれ?」

いつでも

「こないの」

そのはばたきをだけ

「なんで?」

さらせば散る

「久しぶりのあいさつくらい」

羽の粉は

「いいよ、」

脚のさきに

「はみかんでるのかな」

こびりつく

「別に」

花粉とさえも

「あいつ、…妹、」

まじるはず

「なんか、…なにも」

空のその一番ひくゝ

「駄々こねるみたく」

地にもっともちかづいたちかくの

「まったく、」

空に

「まったく問題ない」云って雅雪の笑う棘も影もないまなざしと頬のやさしい震えを正純は兩目に咎めた。「失礼じゃん。在り得ないって。」

その花。

活けられた花は慥かに野に捨ておれた以上の生氣をはなって匂った。正純のめにそれは趣味のいゝものとはおもえない。梅の枝を折ったのかと思った。庭のどこかで見たことのある記憶のある枝のほそい先のほうのちょうど蜘蛛の放棄された巢の亂れた樣にもひろがった横殴りを、あえてなゝめにながしてバランスをくずし、桃色がかった白のちいさな見慣れない花は移り氣に枝に蕾を幷せて散亂した。意図した不均衡の眞ん中を突き刺された縦の綠の長い葉がすがたのない垂直線に添って風景をつらぬき通す。綠に白い線を何本か投げたそれは百合科のなにかの葉だったのか。霞草の白い花辨がむぞうさに枝と葉の隙間をどころかとどかない空間にまでもを暗示して散ってあえて意図にそわない我が儘ぶりをほのめかす。枝の延びだ反対に上に伸びようとして力尽き、わずかに埀れて見えたのはローズマリーと、それから正純の名をしらない花。それぞれにうす紫の。正純は巧まれた仕掛けのむれの企まれすぎにき附いて興をさました。それぞれにそれぞれの紫の色彩を咲かした花の埀れかゝって見えたのはわずかに斜めに活けられているからにすぎない。活けたものゝこゝろのうちの底の淺さを見るきがた。









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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