きさらぎの雪、54の文型と風景/雪舞散亂序……小説。□雪のうちに春はきにけり鶯の/下


以下、ちょっと前に掲載した「雪舞散」という小説の、長い序の部分です。

前の小説の主人公の父親や母親たちの物語、なので、だいたい1960年代末から70年代前半以降が舞台になります。

短い小説がいくつか連鎖してひとつらなりになる、要するにいわゆる連作長編です。

読んでいただければ、とてもうれしいです。


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。




いにしへなる古今和哥集よりおもいつくまゝに撰へる

五十四の倭哥を基本文型として各ゝに戰後式のいまや

滅ひたる樣式の散文を展開させるさきの哥物かたりの

亂序をなす群像劇としての五十四の風景名をつけれは

きさらぎの雪

文型

春哥上

二條のきさきの春のはしめの御うた

雪のうちに春はきにけり鶯のこほれるなみたいまやとくらん

或る風景

承前

大まかにもふれた雲の全體のかたちを微動だにさせずに押し流す上の空のひたすらな大きさをおもう。

とはいえふたゝびおもいだされたまにまに焦がれたこゝろのゆき場所もない焦燥の氣もまぎれないまゝに、正彦はさゝやかな風のあるかないかにはこんだ悠貴の髮の毛の匂いを嗅ぎとった。

黑めにうつるしろい翳りは自分の姿の殘骸にちがいなかった。

ことごとくが、なにかの間違いに違いない。

ひとつのうえの兄は自分には似て居ない。

たとえちゝ親のほうの血しかつながってはいなかったとはいへそれほどにてゐなくてよいものか。

兄はあわれなほどに、遺影でだけ垣間見たことのある彼のはゝ親にゝて丸顏を膨張させずに小づくりにまとめた端正な穩さはときに學校の敎師にさへお公家顏と邪氣もなくにからかわれた。

それに比べれば、と。あまりにもな他人と同じ家屋に共生し、おなじ苛酷を生きてみせる。

さらにことさらにおもいあてるまでもなくてはゝ親にも綺麗なほどにゝずに、ましてやちゝ親にも、ならばこゝに添うてある雙りにだけ互にかよってゐることのさけがたく顯わしたのは雙りのより添うことの宿命をこそともおもわれた。乃至は美しさは抑ゝ不穩な兆の息吹に過ぎないとも。だれのめをもこがれさせる正彦はじぶんのうつくしさをはおさなくもしり盡し、そしてそれに仍てしあわせを得たものがいるとはおもへない。躬のまわりにあふれかえった厥れら家畜じみた無抵抗のまなざしが、くらく陰湿な自虐の絶望のまなざしか。

壬生正彦はだれもが、目をあわせれば耻らいにいたゝまれないのか、勝手にもおもひあぐねて押しつぶしたおもいの自分勝手の翳りのくらさにたえきれずまなざしをそらせる他人の目の無數。

ひとのむごたらしい厥れら。

女たちのそれぞれのまなざしの悲慘。

あこがれ見蕩れてあることを隱せずにたゝ開きなおった眼差しのあけすけさの姦淫じみた穢らしいさ。

まるで犯罪者をみるようにも見る糾弾者のまなざしの、哀れにも隱されえないすくわれない戀の恨み。

たゝたゝあきらめた女のかなしいまでに澄んだ目の赦しのいき遣い。かの女はなにを赦したのか。

むしろむごたらしい自分のむごたらしさを?

時にはぶしつけに眼差しをおしつけてめのうちに愛でてみる老いさらばえた人ゝの死にかけの恥知らずなたゝずまい。

それら。

躬づからにそゝかれたいくつものまなざしのそれぞれがそれぞれの樣ゝで曝すなすゝべもないそれぞれの固執のかたちの樣ゝを兆すそれぞれの不穩の樣ゝと樣ゝの不吉とそれぞれも殘忍さの樣ゝに正彦は「あ、」と。

きいた。

ふれて、愚弄するようにも。

その耳に。聲。

いとしいひと。慥かに、かぎりもなくも。と、——いま、意味もなくて淚さえこぼさるべきほどに?彼はきゝとった妹の聲のなにげなさにむしろたじろいで、こゑの、あどけないばかりのそのまゝに自分のこゝろの内の穢らしい懊惱をみすかされたけはいをかげば、一瞬だけそっと目を剝いた。

「なに?」

と。

みゝもとにふれて自分勝手にとおりすぎる。そんな、

「あれ、…」

厥れ。

「なに?」

やゝひくめのアルト。

ひとつの花弁のかすかなふるえ。

生起の瞬間にもきえさる悠貴の聲を耳にして自分の聲も、と。

玉かぎる。

あるいはこんなふうに大氣に鳴るのか。

はく、息。

思う。「花。」

悠貴はそうさゝやいた。

隱し、とはいえかの女のこゝろのうちをおもんばかるほどの余裕もなくていたゝまれずにそのかたわらに近づけば、悠貴の足の下の断崖のいつの時代かの遺構らしい石組みの苔の下、躬の丈を九重にかさねたほどのはるかな下に竹林のさゝは下の風にさわがされて、こすれて、かさなり、ざわついて、しかもき附きがてのあたりまえさに、赤裸ゝにも、無數の音を無數にならしていずこかへかにながす。

「あれ、」

——ね?

「花?」

——ね。

「…はな。」

こゑはためらいがちにもきこえた。いつかはあざやかだったにちがいないむらさきのいろのすでにうせてしまったのちのなごりとばかりにもあわくはかないちいさな點ゝがさゝの密集のは隱のふいにわれたすきまの好き放題の散亂をことごとくにうずめて、色彩。わすれがちなまでにほのかな紫色の。正彦はただこと葉もなくもいろの群れの點在にまなざしを投げてゐた。

慥かに、花ら。

それら。

はなのいろ。

それらは慥かに。

厥れ。

顯らかに。

色彩。

無數にも。

おびただしい點在。

意図も無くて、ふれあうほどのちかくに悠貴の肌がにおって、嗅覺はゆたかな髮の毛のそれをまでとも連れに、已にあるもの總てに倦んだ。つかれはてゝさえした。なぜかはしらないまゝにたゝ正彦はせつなさに躬のうちを痛めた。

「竹って、花、咲かせるの?」——いま、と。

この妹をむりやりにふりむかせて抱きしめ、唇をうばって、あらがおうともうけいれようとも微笑もうとも淚ぐもうとこゝろごとのもゝろともにこの崖から飛びおりればそれはそれでも雙りは添い遂げたという叓になるなのだろうか、と。

竹に咲く花。

思って正彦は紫がかるそれを花ともなんとも思いさだめえずに、軈ておもわずにも悠貴にほゝえんでやるしかなかった。その朝の日は瑞ゝしくもゝはやき附かないうちにも古びかけて、知りそめた晝のひかりのそのまにまにも軈て正午にかがやけばゆく日もろともに暮れのいろの、盡きたはてにはかたぶく月をいただいて空はくらむ。そうにちがいない。

くらい空にたなびいた雲は靑黑の色彩のうちによこなぐりの白さを兆して、おぼろげな瑪瑙じみた躬づからの色のまゝにも立ちずさんでゐた。

そこで、ながれもしない。

まがうことなき停滞。

ひたすらな。

そこにだけは時間などながれてはいないとでもいゝたげに。

ながれても、と。

地上の時間にはかゝわりようもない。

大氣圏のいちばんうへ。

宇宙のしちばんした。

叫び聲をきいた。

正彦は目を覺し、閨のベッドのなかに耳をすます。

それぞれにひとつづつわりあてられた並びの寢室のなかで、たしかにとなりのへやに悠貴のたてたみじかく吐かれた叫びを聞いたのだった。

みゝをすませた。

躬をおこさないまゝに壬生正彦はいき遣い、自分が生きてゐて、いまめ覺めてあることにいまさらにき附く。ことさらにも。

いきを吐く。しばしそのまゝにとどまる。

まようわけではない。

かの女を救うことを。

正彦は躬じろぎさえしない。

そのまゝすて置く氣などない。

できるはずもなく、してよい譯がない。

かの女はいま、泣き叫びながらその躬づからの聲をかみ殺したのか。

正彦は自分の胸のうちに息吹くいき遣いの音をきいた。

そんな音などいまゝでにきいたこともなかった氣がした。

いまきいているとも云いがたかった。

もはや完全に目はさまされてゐた。

ね覺のまどろみさへもなく。

意識は冱えた。

音ら。

家屋の裏のしげった竹の林のたてたに違いない。

音は立ってゐた。

なんどめかにも聞こえた。

極度に難解な音響。

ときほぐせない。

するどさとやわらかさ。

あじけないばかりの杜撰さとこまやかさ。

小心なこゝろ細さとおおらかなまでの不遜さ。

大胆な。

あどけない。

それらにも花は咲いてゐたのか。

なんともいひかねた音響はさゝの無數のこすれあうひとつひとつの刹那のかけがえもないふれあいの、と。

雪。

舞い散る雪などあるものかと思う掌にひとつぶだけ降って墜ちた雪のひとかけらが皮膚にその温度を與えた。

つめたくて、そのすぐあとにはきえさってゆく。

のちにはなにものこりはしない。

温度。

あらわてすぐさまにもゆきさる厥れ。

氷の。

ゆき、きえ、なんまよいもなくとけてしまえばいまやたゝの水滴にすぎなくて違う、と。

玉散る。

壬生正彦は思った。

雪など降りはし無かった。

と。

たゝ何處かでふった雨がひ沫を散らしただけだと、夢。

正彦は覺めきった意識の内にいつか自分がうたゝ寢におちていたことに氣づいてゐた。あるいは覺めながらにでも。

おもわずに躬をおこすた正彦は毛布をはねのけるとたちあがり春の冷氣たゝはゝだにふれる。

雪など。

軈ては温度もかたちもいろもにおいさえをも殘さずに、化生のつゆのつぶのいつかふりはじめた雨にながされてさかる夏の光の温度にさしつらぬかれゝば、ふたゝびの暮の秋のこの葉の色にも染めあげられてしまうのにと、壬生正彦は戸をあけて廊下にでたところに未だ馴れ合わないまゝの新築の板は足元にきしんでたつのは音。

きゝとられ、なにをはゝかるともなくに。

正彦は息をひそめた。

自分がなにをしようとするのか定かにはなにをも定められないうちにも迷いも无くて、正彦は隣の戸を引き悠貴のへやに人の氣配などなにもないのをいぶかる。

かの女のたてたにちがいない悲鳴ごとにどこかにきえてうせでもしたのか。

あるいは朝の露の日のひかりに乾いて果てるようにも?

いずれにしても露のつぶは地のそこにはえた草の葉のうえにもきえて天の髙みにあがって終には雲をなすのなら、それはひとつのあざやかな昇天の無數の營みのひとつだったのか。

數えるすべさへもないむ際限の。

まなざしはベッドの上に悠貴が寢いきをたてゝいる叓をすでに知っている。

心はそれを疑った。

ちか寄る足のうらがしかれた絨毯の繊細な毛の触感にむせかえる。

悠貴の肌は匂った。

寢あせをふくんで意識などないまゝにも肌はめ覺めつゝけて匂いたち、それはあきらかに正彦を導いていた。

さゝがなった。

遠くに。

おもいだしたようにみゝのうちになんどもかさなってつらなり、きえ、たち、つらなって又ふたゝびと、さゝの葉の音のかずしれない散りぢりの。

はてなくも思う。それらの。

ひゝく。

外は山はだに風がたっているにちがいないことをいまさらに氣づいて正彦は、まぶたを一度だけやわらかく閉じた。

次の日時間をすぎてもいつになく起きてこない悠貴を美彌子はいぶかった。

母親に謂われるまゝに正純の妹を起こしに立ったすきに正彦は箸をおいて立あがると、途中やめの朝食を咎める美彌子の鼻にかかった聲をは無視した。

顏をあわせるのを羞じたのか。

そんなわけではなくて、慥かにそんなきらいもないでもなかった。

お互いに、と。

起きているに違いない。

自分と同じように、妹も眠れたはずなどないのだからと、正彦は玄關の戸をひいてあらためて見い出された外の風景の明らかに新たな姿をさらして見えたのをこゝろにあざわらった。

なにをいまさらにあたらしい息吹をさらすのか。

あるいはことさらにその夜のあけがたのまぼろしめいたひとゝきをこゝろにとどめつづける自分の心のうちを、とはいえ男などそんなものかとも思えば悠貴もおなじ息吹を空に、樹木に、土に、吸い込まれる空気に感じだしさえするものだろうか。おもいおもいながらにおもうともなくおもいなおしおもえば同じ風景におなじ息吹をかんじるのかもしれあいと心と心は空間の隔たりをさえ無視してふたゝびふれあう氣がした。

ふとおもいだされて、頬は忘れてゐた感触を味わった。

くらがりに息をひそめてふれあったはだの?

ひろがってなじむあたゝかみの?

ふれあうやわらかさの。

ひやんだ温度。

こごえる。

一瞬だけ、それは、と、——つめたさ。

何?

おもわずに口さえ出して仕舞いそうになって壬生正彦はその正體を心にさぐり、思いだそうとしたまなざしはいま自分が雪の降りはじめた中にいた叓を見い出す。

雪、と。

それはみはるかす空間のいっぱいに靜かにたゝ舞い降りていた。

まちがいなく積もる雪、と、きさらぎの三月に雪をふらせた不意の寒波こそがさっきに感じられた眞あたらしさの正體だったのかともおもえば正彦はほゝえましくてことしの春は今日、はじめて雪を知った。

正彦はそう独り語散た。

そしてまた、と、おちる。

雪。

櫻の花も雪を知った、と、色。白。知る。花。雪。

またも彼の肌にふれてあられもなくに體温に消えれば雪も知ったにちがいなかった。春に散る花を。

その色も馨も触感さえもあますところもなくにと彼はほゝえみをだけこぼして雪の落ちたてのひらに白い色はいろもなく消えゆきのうちに春はきにけり鶯の

   こほれるなみた

      いまやとくらん

二年二月、正月

妋ノ尾雅









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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