玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第二十神祇歌。原文。



玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。





玉葉和謌集卷第二十

 神祇哥

あまてらす月のひかりは神垣やひくしめ繩のうちとゝもなし

 此哥は西行法師太神宮にまうてゝはるかにあらかきの外にて心のうちに法施奉りて本地はへたてあるきにあらぬに垂跡のまへにちかく參らさる叓を思ひつゝけ侍てすこしまとろみけるにつけさせ給ひけるとなん

つくつくと思ひしとけはたゝひとつほたひの道そこの山のみち

 此哥は春日社の廻廊つくられ侍ける時おほん神のつけさせ給けるとなん

いさきよきひこのたかねの池みつにすまはこゝろのすまさらめやは

 是はある人つくしのひこの山に籠りて後世の叓祈申けるついてにいさきよきひこの髙ねの池水にすます心を又はけかさしと思ひつつけてまとろみ侍ける夢につけさせ給ける御返しとなん

とをか[十日]あまりよよ[四よ]といふよの御戶ひらきひらくる御代はかくそたのしき

 これは正慶の比賀茂社の御戶のひらきに參りて通夜したりける人の夢につけさせ給けるとなん

いよの國うはの郡[こほり]のうけ[をイ]まてもわれこそはなれ世をすくふとて

 此の哥は住吉の社へいやしき男の參りて侍けるか魚を食したる身にてかゝる所に參りたる叓はあしき叓にやとおそれ思ひてまとろみたる夢にかくなむつけさせ給ける

まちわひぬいつかはこゝにきのくにやむろのこほりははるかなれとも

 此哥はつくしに侍ける人の子の三にてやまひして日數かさなりけるをおやとも歎きて熊野へ參らすへきよし願書を書てをきなからをこたりけるを年月へて七歳にて又をもくわつらひける時託宣ありけるとなん

われゆかんゆきてまもらん般若たい釋迦のみのりのあらんかきりは

 此哥は貞慶上人般若臺といふ所にうつりゐて春日大明神を勸請し奉らんと思ひけるにかくつけさせ給ひけるとなん

夜もすから佛の御名をとなふれはことひとよりもなつかしきかな

 是は德治三年の春の比新熊野に本山の衆ともうつりゐてをこなひなとしけるに或人筝をひきて手向奉らんとしけるかたはらに髙聲念佛を申人の侍けるをいとはしく覺えてうちまとろみ侍ける夢に見えけるとなん

千早振玉のすたれをまきあけて念佛のこゑをきくそうれしき

 日吉の聖眞子の御哥となん

千はやふる君かいかきにまとゐせむかたみにめくみたるゝとをしれ

 此哥は春日大明神髙辨上人に託宣し給けるとなん

たのもしきちかひたかへてもろひとのまつためしにはなれをひかせん

 此哥はある人賀茂大明神より哥を給はると夢に見ておとろきて侍けれは白きうすやうにかゝせ給てをかれたる御哥と申つたへたるとなん

いろふかく思ひけるこそうれしけれもとのちかひをさらにわすれし

 此哥は武藏國に侍る人熊野に詣て證誠殿御前に通夜して後世の叓を祈り申侍けるに夢のうちにしめし給けるとなん

時のいたるおりをしらぬもあはれなりつとめてを見よくるゝ日やなき

 是は大原野大明神の御哥となん

ちかひてきあまのいはとをあけしよりかたきねかひをかなふへしとは

 此哥はある人司をのそみ申て淸水寺の地主權現に祈り申けるにしめしける[たまひけるイ]となん

まてしはし恨みなはてそ君をまもるこゝろのほとはゆくすゑを見よ

 この哥はある人身のしつめる叓を熊野にまうてゝうれへ申けれとしるしなくて久しくなりける叓を恨みて御前に通夜してはくゝまぬ人こそあらめうきによりて神たに身をは思ひ捨けりとよみてまとろみ侍けるに西の御前の方より人の聲にてしめし給けるとなん

つらけれはつらしといひつつらからてたのむとならは我もたのまん

 此哥は治承の比淸水寺僧長玄彼寺をはなれて法性寺邊にすまんと思ひたちて地主權現の御前に通夜したりける夢にあつけしはこをはとりかへすなりと仰られけれはあさましく思ひてをこたり申とて七日こもりたりけるに又寶前より取返しつるはこもとのことくかへし給はるとて此哥をしめし給けるとなむ

櫻花ちら[りイ]なん後のかたみにはまつにかゝれる藤を賴まん

 これは熱田大明神の御哥となん昔彼社の大宮司尾張氏代ゝなりきたれりけるに尾張員職か女の名を松と申けるか藤原季兼にしたしく成て季範をうめりける後明神かく託宣せさせ給けるによりて彼季範はしめて大宮司になりて其末今にたえすとなん

風はやみ波のさわくにまかひつるちとりの聲はたえやしぬらん

 是は北野の御哥となん

わか宿に千もとのさくら花さかはうへをくひとの身もさかへなん

 是は祇園の御哥とて人の夢に見えけるとなん

  神祇哥の中に

  後京極攝政前太大臣

わか國はあまてる神のまゝ[末イ]なれは日の本としもいふにそ有ける

  伊勢遷宮の年よみ侍ける哥

  鎌倉右大臣

神かせや朝日の宮のみやうつしかけのとかなる世にこそありけれ

  承元ゝ年賀茂社哥合に社頭述懷といふ叓をよませ給うける

  後鳥羽院御製

みつかきやわかよのはしめちきりおきしそのことの葉を神やうけけん

  龜山院すみの江に御幸侍て人ゝに哥よませ給うけるに

  入道前太政大臣

めつらしきみゆきにゆつれ住吉の神のまゝなる松の千とせを

  題しらす

  荒木田經顯

くもりなくいまもますみのかゝみとはあまてるそらの日かけにもしれ

  神祇の心を

  祝部匡長

神にのみつかふる道の家の風ふきつたへても世をいのるかな

  天台座主になりて侍ける比よみ侍ける

  良助法親王

むかしよりたのみし神のちかひにももれぬ我身といまそ知りぬる

  日吉神輿咸神院におはしましける時月あかく侍けるによみ侍ける

  前大僧正忠源

神よいかにみやこの月に旅ねしておもひやいつる志賀のふる鄕

  貴布禰にまいりて讀侍ける

  增基法師

うき叓のつゐにたえすは神にさへうらみをのこす身とやなりなん

  熊野に參りて御前にて讀侍ける

  大僧正行尊

ひとこそはわかこゝろをはしらねとも神はあはれとなとか見さらん

  神祇の心を

  後白河院御製

いはしろのまつにちきりをむすひをきてよろつ代まてのめくみをそまつ

  年久しくこもりゐて後弘長元年又關白かうふりてよみ侍ける

  善光園入道前關白左大臣

霜枯しかすかの野へのくさの葉も神のめくみに又さかえけり

  春日社にまうてゝよみ侍し

  前大納言爲兼

たのむへき神とあらはれ身となれりおほろけならぬちきりなるへし

  除夜に賀茂社にまうてゝよみ侍ける

  前大納言忠良

ひとはみなをくりむかふといそく夜をしめのうちにてあかしつる哉

  賀茂祭の近衞使つとめて後程なく春宮亮になりてつきの年本宮の使つとめ侍けるに思ふ叓ありて

  前中納言隆良

神はよもおもひもすてしあふひ草かけてふたゝひつかへつるかな

  四月八日松尾祭使にたちて侍ける内侍は誰そと上卿の尋ね侍けるに折しも郭公の鳴けれは

  後深草院少将内侍

ほとゝきすしめのあたりになく聲をきく我さへに名のりせよとや

  神祇哥の中に春日を

  常盤井入道前太政大臣

くもりなくわきても袖にかけとめよ賴むみかさの山のはのつき

  九條左大臣女

みかさ山ひ原まつはらみとりなる色もてはやすあけの玉垣

  題不知

  後深草院御製

いはしみつなかれのすゑのさかゆるはこゝろのそこのすめるゆへかも

  寶治二年十首哥合に

  後久我前太政大臣

やはたやま[八幡山]さかゆく嶺はこえはてゝ君をそいのる身のうれしさに

  百首哥の中に

  前中納言定家

きくたひに賴むこゝろそすみまさる賀茂のやしろのみたらしのこゑ

  身のうれへ侍ける比賀茂社にまうてゝよめる

  左京大夫顯輔

わかたのむ賀茂のかは波たちかへりうれしきせゝに逢よしもかな

  臨時祭舞人にて八幡へ參りて侍けるにはゝかる叓ありて御前へはまいらてむ[う]まは[にイ]たちて侍けるかたうとけなる僧の侍けるにかたらひつきて殿上のそみ申ける祈り申つけて侍けるに程なくゆるされにけれかの僧のもとへよろこひ申つかはすとて

  平忠盛朝臣

うれしともなかなかなれはいはしみつ神そしるらんおもふこゝろは

  日吉社に奉りける百首哥の中に

  前大僧正慈鎭

まことには神そほとけの道しるへあとをたるとはなにゆへかいふ

  おなし社にまうてゝよみ侍ける

  前大僧正良覺

たのもしな法[のり]のまもりとちかひてそわか山もとを神はしめけん

  神祇の哥とて

  法印賴舜

をとこ山みねよりてらす月かけはくもらぬひとのこゝろにそすむ

  前大納言公任臨時祭の使にて侍ける時いふつかはしける

  讀人しらす

いはし水かさすふち波うちなひき君にそ神もこゝろよせける

  正元ゝ年御讓位近くなりて内侍所に行幸侍けるによみ侍ける

  後深草院辨内侍

おほかたの世はうつるともますかゝみたのみをかけしかけな忘れそ

  題しらす

  權大納言冬基

みかさ山もりのあたりは神さひて月すむ野へにさをしかのこゑ

  小辨

あめのした神のますて三笠山かけにかくれぬ人はあらしな

  後法性寺入道前關白右大臣に侍ける時家に百首哥よませ侍けるに

  皇太后宮大夫俊成

しきなみにたのみをかけしすみよしのまつもやいまはおもひすつらん

  神祇の心を

  中臣祐賢

かすかやま神のめくみはむかしにもこえてさかゆる北の藤なみ

  大中臣泰方

みかさやま神はすてしとおもふこそうき身にのこる賴みなりけれ

  建長七年十月春日の社に行幸侍ける時御留守にさふらひて還御待奉りけるに有明の月くまなきに左衞門陣いらせ給ふ程さきの聲聲なと聞えけれは思ひつゝけ侍ける

  後深草院辨内侍

かすか山ちよのみゆきのかへるさにつき影したふありあけの空

  後白河院御時八十嶋の使にて住吉にまうてゝ讀侍ける

  從二位朝子

すへらきの千よのみかけにかくれすはけふすみよしの松をみましや

  後深草院御灌頂長講堂にて侍けるにとらの時の水とらせ給はんとて六條若宮の閼伽井に臨幸の時よみ侍ける

  前大僧正公什

石淸水なかれはふかき契りともこよひや君かくみてしるらん

  熊野御幸卅二度の時御前にておほしめしつゝけさせ給うける

  後白河院御製

わするなよ雲はみやこをへたつともなれて久しきみくまのゝつき

  御かへしかんなきに託宣せさせ給ける

しはしはもいかゝわすれん君をまもるこゝろくもらすみくまのゝ月

  題しらす

  法印良守

みくま野のみなみのやまの瀧つ瀨にみとせ[三年]そぬれし苔のころも手

  十月はかり賀茂にこもり曉かたによみ侍ける

  增基法師

みつかき[瑞籬]にふるはつ雪をしろたへのゆふしてかくと思ひけるかな

  そのかみよりつかうまつりなれけるならひに世をのかれて後も賀茂社に參りけるを年たかく成て四國のかたへ修行しけるか又かへりまいらぬこともやとて仁安三年十月十日夜參りて幣まいらすとてたなおの社のもとにてしつかに法施奉りける程木の間の月ほのほのにて常よりも神さひあはれに覺え侍けれは

  西行法師

かしこまるしてに淚のかゝるかな又いつかはと思ふあはれに

  日吉社に三十首哥奉りける中に

  法橋春誓

うつしをく法のみ山をまもるとてふもとにやとる神とこそきけ

  後法性寺入道前關白家百首哥に神祇の心を

  皇太后宮大夫俊成

そのかみにいのりしすゑはわすれしをあはれはかけよ賀茂のかは波

  賀茂社によみて奉りける百首哥の中に

  前大納言忠良

さりともとわれはたのみしいにしへもうかるへき身と神はしりけん

  熊野新宮にてよみ侍ける

  中原師光朝臣

あまくたる神やねかひをみつしほのみなとにちかきちきのかたそき

  神祇の心を

  權大僧都淸壽

きみかよを神もさこそはみくまのゝなきのあを葉のときはかきはに

  藤原爲守

みな人のいのるこゝろもことわりにそむかぬみちを神やうくらん

  百首哥の中に述懷

  參議雅經

神垣にひくしめなはのたえすして君につかへんことをしそ思ふ

  走湯山にまうてゝよみ侍ける哥の中に

  鎌倉右大臣

いつのくにやまのみなみにいつるゆのはやきはかみのしるしなりけり

  嘉元百首哥奉りけるに神祇

  二品法親王覺助

ひとつにそ世をまもるらしあとたるゝよもの社の神のこゝろは

  三種の寶物の心を

  從一位敎良

神代よりみくさのたからつたはりてとよあしはらのしるしとそなる

  社頭祝

  前大僧正慈順

たのむそよ神のみかきのひと夜松まつにかひあるいろをみるにも

  神祇哥の中に

  左近大將實泰

たのもしなひかりをちりにましへつゝあとをたるてふくにつもろかみ

  吉田社を

  從三位爲實

すへらきも賴む宮ゐとなりにけりたゝ山かけのなこりはかりに

  題しらす

  前大僧正慈鎭

たちかへる世とおもはゝや神かせやみもすそ川のすゑのしらなみ








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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