玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第十七雜歌四。原文。
玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
玉葉和謌集卷第十七
雜哥四
題不知
伊勢
むさしののくさ葉にやとるしら露のいくよあるへきものならなくに〇
世のはかなき比水にやとれる月を見て
前大納言公任
よのなかはみつにやとれるつきなれやすみはつへくもおもほえぬかな
題しらす
雅成親王
とゝまらぬひとのいのちとあしひきのやましたみつといつれはやけん〇
花山院かくれさせ給て御わさの叓はてゝ又の日殿上にさふらふ人につかはしける
道命法師
もろともにきのふの野へにいさ行てかすみをたにもみてかへりなん
東三條院かくれさせ給にける又の年の春いたくかすみたる夕暮に人のもとへつかはしける
紫式部
くものうへのものおもふ春はすみそめにかすむ空さへあはれなるかな
小式部内侍なくなりて後よみ侍ける
和泉式部
あひにあひてもの思ふはるはかひもなしはなもかすみもめにしたゝれは
母の服に侍ける比山里にこもりゐて侍けるに正月司召なと過て雪のふりたるあした人のとふらひて侍ける返事のついてに
皇太后宮大夫俊成
おもひやれ春のひかりもてらしこぬみ山のさとのゆきのふかさを
圓融員かくれさせ給ての春人ゝ哥よみ侍けるに春雨を
前大納言公任
草も木もいろつきわたるはるさめにくちのみまさる藤のころも手
雅子内親王の思ひに侍ける比雨のふる日はらからのもとへつかはしける
藤原高光
ひねもすにふるはるさめやいにしへをこふる袂のしつくなるらん
髙倉院かくれさせ給ひける春權中納言實守許に梅を折てつかはし侍とて
三條入道左大臣
いかてかくうき世をしらてむめの花ことしもおなし色にさくらん
おなし比花の散をみてよみ侍ける
土御門内大臣
散のこる花たにあるを君かなとこの春はかりとまらさりけん
むすめの女御うせて後こと人參り侍けるを聞て内にさふらふ女房のもとへつかはしける
淸槇公
ここのへも花のさかりになるなかにわか身ひとつや春のよそなる
題しらす
龜山院御製
いくほとかなからへてみんやまさくらはなよりもろきいのちとおもへは
近衞關白かくれて後こもりゐて年久しく成侍ける比花哥よみ侍ける中に
從一位兼敎
春しらぬうき身もかなしいにしへにつらねし枝の花にわかれて
菩提院にまかりて花見侍ける所に近衞關白哥よみ詩つくりなとして書つけたる屏風の侍ける哀にみえけれは
歡喜苑前攝政左大臣
なきひとを花ゆへけふは忍ひてものちの春をはわれもたのます
後朱雀院の御叓を思召歎きて白川殿におはしましける比四月許に御前の花ちりはてゝ靑葉なる梢を御覧して
上東門院
おしまれしこすゑのはなはちりはてゝいとふみとりの葉のみ殘れる
九條内大臣かくれ侍にけるをとひ侍るらて四月になりて後法性寺入道前關白のもとへ申つかはしける
皇太后宮大夫俊成
いかにいひいかにとはんと思ふまにこゝろもつきてはるもくれにき
本院女御かくれて又の年四月一日侍從かもとにつかはしける
謙德公
ほとゝきすこそみしきみもなき宿にいかになくらんけふの初こゑ〇
後一條院四月にかくれさせ給ひにけれは
權大納言長家
かなしさのかゝる時やは又もありしむ[う]へもう月といひはしめけり
同し年の秋中納言又うせ給ひにけれは讀侍ける
さらてたにことしは袖のひまなきにかさねてしほる秋のつゆけさ
一條院かくれさせ給にける年の秋御はかに參りて哀なりし叓なと一品脩子内親王のもとにて申とて讀侍ける
式部大輔資業
いは[やまイ]かけのけふりを霧にわきかねてそのゆふくれの心ちせしかな
後白川院かくれさせ給にける後の御叓を經房卿に奉行すへきよし仰をかれたりけるを聞て申つかはしける
寂蓮法師
いさきよきこゝろもしるしいる月のなきかけをさへ君にまかせて
返し
前大納言經房
なきかけをみよとてつきのいりしよりいとゝこゝろのやみにまとひぬ〇
元曆元年世中さはかしく侍ける比平行盛備前の道をかたむとてたんの浦と申所に侍けるに八月十五夜月くまなきに過にし年は經正忠度朝臣なともろともに侍けるをいかはかり哀なるらんと思ひやられてそのよし申つかはすとて
全性法師
ひとりのみ波間にやとるつきをみてむかしのともやおもかけにたつ〇
返し
平行盛
もろともにみしよのひとはなみのうへにおもかけうかふつきそかなしき〇
月前無常といふ叓を人ゝよみ侍けるに
入道前太政大臣
むらくもにひかりかくるゝ月みれはくさのすゑ葉のつゆもけぬめり〇
德大寺左大臣かくれ侍にける比仁和寺にてよみ侍ける
後德大寺左大臣
やま里の秋のわかれのかなしきは鹿さへ聲もおしまさりけり
御心ち例ならすおはしましける秋よませ給うける
近衞院御製
むしのねのよはるのみかは過るあきをおしむわか身そまつきえぬへき
後嵯峨院失させ給にける年世をそむきて九月盡に
中務卿宗尊親王
うき世をはあきはてゝこそそむきしかまたはいかなるけふのわかれそ
仁助法親王かくれて後よみ侍ける
前大僧正實伊
秋かけてふりにし宿のむらしくれたのむかけなくぬるゝ袖かな
堀川關白服に侍ける時つかはしける
本院侍從
われさへそ袖はつゆけきふちころも[藤衣]きみおりたちてきるそと思へは
題しらす
覺昭法師
きりきりす[蛬]あはれとそきくつゐのわか蓬かもとの友そとおもへは
安嘉門院かくれさせ給て四十九日の御佛事はてゝまかり出にける又の日雨のふりけれは式乾門院御匣のもとへ申つかはしける
從三位爲信
けふはいかに淚ふりにしみやのうちもさらに時雨て袖ぬらすらん
返し
式乾門院御匣
なみたのみいとゝふりそふ時雨にはほすひまもなき墨そめの袖
八月の比はらからにをくれて侍けるおなし年の十月法橋顯昭又いもうとなくなりぬと聞てつかはしける
法印靜賢
おもひしれあきのなかはのつゆけさをしくれにぬるゝそてのうへにて
後朱雀院の御時中宮かくれさせ給うける御いみの比時雨のしける日彼宮にさしをかせ侍ける
出羽辨
まして人いかなることをおもふらんしくれたにしるけふのあはれを
弘徽殿女御うせて後雪のふるを御覧して
天曆御製
ふるからにとまらすきゆるゆきよりもはかなきひとをなににたとへん
大納言經信身まかりて後年の暮に讀侍ける
俊頼朝臣
あらぬよにふるこゝちしてかなしきに又としをさへへたてつる哉
題しらす
選子内親王
いつれの日いかなるや山のふもとにてもゆるけふりとならむとすらん〇
二條院の御わさの夜よみ侍ける
淸輔朝臣
ありしよにゑし[衞士]のたく火はきえにしをこは又なにのけふりなるらん
右近中將忠賴身まかりて後に太子廟にまうてゝ讀侍ける
花山院前右大臣
きえにしをうしとはかりはみはかやまさきたつくものゆくへしらせよ
はらからなる人の身まかりてをくりおさめける夜雲のむらむらたなひきけるをみて
永福門院内侍
鳥部山[とりへやま]けふりのすゑやこれならんむらむらすこき空のうき雲
式部卿重明親王かくれて後内より參るへき由のたまはせけれは
女御徽子女王
なけきつゝあめもなみたもふる鄕のむくら[葎]のかと[門]のいてかたきかな
春花門院辨身まかりて後定家卿一品經なと書供養して哀たしかにかれかくるしひのたすかるたよりとなれかしと歎き侍ける夜信實朝臣夢におりかみに書て定家卿の前にさしをくと見侍ける哥
やまふかみとふひとなしとおもへともひとりすむ身はけふそ嬉しき
此哥をきゝて
前中納言定家
ゆめのよはとふ人あらしとはかりの道のしるへをまちやつけけん
むすめにをくれて歎ける人の參りて出にけるあしたにたまはせける
宣陽門院
うかりけるこの世の夢のさめぬまをみるもうつゝのこゝちやはせし
六條攝政かくれ侍て又の年かの跡にまかりて侍けるに面かけもかはらすなからさひしく哀なりにけれは女房の中へ申侍ける
正三位季經
むかしにもかはらすゝめる池みつにかけたにみえぬ君そかなしき
世中はかなき叓おほく聞えける比
從三位親子
さきたつをあはれあはれといひいひてとまるひとなき道そかなしき
兄弟に一度にをくれて歎侍けるを平行盛をそくとふらひ侍けれは申つかはしける
法印忠快
うき身をはことゝはすともかゝる世のかなしきことはしるやしらすや
返し
平行盛
かなしさをよそのなけきとおもはねはひとをとふへき心ちたにせす
都を住うかれて後物申ける女のもとより前右近中將維盛はかなくなりにける叓を聞つたへて哀もいとゝいろそふさまにいひをこせて侍ける返事に
前左近中將資盛
あるほとかあるにもあらぬうちに猶かくうきことをみるそかなしき
紀伊二位身まかりにける跡にて
西行法師
なかれゆく水に玉なすうたかたのあはれあたなるこの世なりけり
ふな岡のすそ野のつかの數そへてむかしのひとに君をなしつる
女御熈子女王かくれて後よませ給うける
朱雀院御製
ひとりねにありしむかしのおもほえて猶なき床をもとめつる哉
紀伊國三穗石室をみてよめる
博通法師
ときはなるいはやはいまもありけれとすみけむひとそ常なかりける
いはやとにたてる松の木なれをみれはむかしの人にあひみるかこと
おやの思ひにて山寺のまかりて佛經供養なとして歸け[けイニナシ]る道にて
源道濟
かへりてはまつたらちねをみしものをけふは誰にかあはむとすらん
百首哥の中に
八條院六條
道のへの蓬かもとそあはれなるこの世のはてのすみかとおもへは
人のおほくなくなるをきゝて
待賢門院堀川
をくれゐて淚さへこそとゝまらねみしもきゝしものこりなき世に
前右近中將資盛身まかりて後忌日に忍ひて佛事なといとなみてもわかなからん世にたれかは是程もとふらはんなとかなしく思ひつゝけて讀侍ける
建禮門院右京大夫
いかにせん我のちの世はさても猶[あれイ]むかしのけふをとふ人もかな
おなし比何となき物語を人のしけるに思ひ出らるゝ叓ありて淚のとゝめかたくこほれけれは
うきことのいつもそふ身はなにとしも思ひあへてもなみたおちけり
あひしりて侍ける人あまた身まかりにけるを聞て
前大僧正源惠
をのつからをくれ先[さき]たつこともあれと老てとゝまる數そすくなき
母のはてに服ぬくとてよみ侍ける
女御藤原生子
いまはとてかたみのころもぬきすてゝいろかはるへきこゝちこそせね
遊義門院かくれさせ給て後後深草院の御忌日に法花堂へ御幸ありてよませ給うける
院御製
こそまてはわけこし友もつゆときえてひとりしほるゝふかくさの野へ
從三位爲俊身まかりてはての比前大納言經任すゝめて侍ける一品經の哥のついてに懷舊を
前左兵衞督範藤
うき時とわかれしまては思ひしにおなしつき日そかたみなりける
大炊御門右大臣父の服のうちに母又なく成ぬと聞てとふらひにつかはすとて
西行法師
かさねきる藤のころもをたよりにて心のいろもそめよとそ思ふ
右大將通房身まかりて法事の日服きたる人ゝを見て
土御門右大臣女
みわたせはみな墨そめのころも手はたちゐにつけてものそかなしき
なき人を戀て哥をくれりける人の返事に
躬恒
なきをこそ君はこふらめ年ふれはあるもかなしきものにそ有ける
小式部内侍身まかりにける比人につかはしける
和泉式部
ふれはうしへしとても又いかゝせん天の下よりほかのなけれは
久安百首哥に
上西門院兵衞
いつまてとのとかにものを思ふらん時のまをたにしらぬいのちに
後一條院中宮かくれさせ給にける比限なくかなしき色のうちの有さま七條后うせ給てあれのみまさるといひけんも思ひ出られて中宮亮兼房朝臣に申つかはしける
出羽辨
めのまへにかくあれはつる伊勢のうみをよそのなきさと思ひけるかな
返し
藤原兼房朝臣
いにしへのあまの住けんいせのうみもかかるなきさはあらしとそおもふ
おなし院の御事に世をそむきてよめる
從三位藤原豐子
をくれしと思ふこゝろにそむけとも此世にとまるほとそかなしき
おなし比人ゝおほくさまかへけるをきゝて
後一條院少將内侍
いままてに世にありへんと思はぬをそむく道にもをくれぬるかな
讚岐國にてかくれさせ給とて皇太后宮大夫俊成にみせよとて書をかせ給ける
崇德院御製
ゆめのよになれこしちきりくちすしてさめんあしたにあふこともかな
三條院太宰權帥經房に御笛をあつけさせ給へりけるをかくれさせ給て後見出てきさいの宮にもてまいりてまいらすとてすこし吹ならし侍けるを聞て
枇杷皇太后宮御匣
ふえたけのこの世をなかくわかれにし君かかたみの聲そかなしき
たまつさと申しやうのこと後深草院に侍けるを後には永福門院へ奉らせ給へきよし申をかせ給けれはかくれさせ給て後御忌なとはてゝかの御ことを奉らせ給とて
院御製
玉つさのそのたまの緒のたえしよりいまた[はイ]かたみのねにそなかるゝ
御返し
永福門院
いにしへをかくるなみたのたまつさのかたみの聲にねをそゝへぬる
世中はかなき叓おほく聞えける比前栽の露を風の吹みたしけるを見て
從三位爲子
ひとの世は猶そはかなきゆふ風にこほるゝつゆはまたもをきけり
鳥羽院かくれさせ給て御わさの夜昔つかうまつりなれにし叓なとまて思ひつゝけて讀侍ける
西行法師
道かはるみゆきかなしきこよひかなかきりのたひと見るにつけても
後深草院御葬送の夜昔折ゝのみゆきにつかうまつりし叓なと思ひ出てよみ侍ける
入道前太政大臣
わかれ路はえそしたかはぬむかしよりつかへなれにしみゆきなれとも
むすめの身まかりけるか念珠をうしなひて侍けるを物のなかより見いてたるとて三條女御の許よりかへりをくりて侍けるを見て
權中納言定賴母
わかれにしひとをかくてもみてしかなほとへてかへる玉もありけり
かたらひ侍ける女身まかりて後かの住ける所を見て
中納言兼輔
たちよらんかたもしられすうつ蟬のむなしきとこの波のさはきに
近衞院の御はかにわけ參り侍けるに野への氣色たくひなく哀にて春宮と申し昔より今の露けさまて思ひつゝけてよみ侍ける
西行法師
みかゝれし玉のうてなを露ふかき野へにうつしてみるそかなしき
八月はかり後深草院法華堂へはしめて參り侍けるにいまたふみなれぬしはのした道はるはるとわけ侍に御堂にまいりつきなん哀もかつかつ思ひたられて思ひつゝけける
入道前太政大臣
ふかくさの露ふみわくる道すからこけの袂そかつしほれゆく
龜山院かくれさせ給にけるつきの年の秋入道前太政大臣家に題をさくりて哥よみ侍けるに無常の心を
前參議實時
いにしへの鶴のはやしのはるはあれとなを龜やまの秋そかなしき
秋の比人の身まかりにける跡にて有明月をひとり見て讀侍ける
なくなくもしたひてそみるなき人のおも影はかりありあけの月
後一條關白かくれ侍ぬと申をくりて侍ける人の返事によみてつかはしける
從二位隆博
夢かともなにかおとろくさならてもうつゝなるへきこの世ならぬを
式乾門院御匣身まかりて後かの跡より人のよませ侍ける哥の中に
章善門院左衞門佐
さきたつもとまるもおなしゆめのよをよそにおとろく身さへはかなき
平貞時朝臣身まかりて後申をきて侍ける叓ともを聞て讀侍ける
藤原利行
おなし世のめくみたえぬと歎きしにあとまてのこるなさけをそきく
秋比人の身まかりにけるを歎侍けるに程なく三とせのおなし月もめくりにけれは
從二位行子
おもひきやみとせの秋をすくしきてけふ又そてにつゆかけんとは
嘉元三年神無月の比龜山院御忌にこもりてよみ侍ける
前右近大將公顯
もみちはをあきのかたみとなかめてもしくれとふるはなみたなりけり
權中納言俊忠遠忌に鳥部野の墓所の堂にまかりて夜更て歸侍けるに露のしけかりけれは
皇太后宮大夫俊成
わけ來つる袖のしつくかとりへ野のなくなくかへる道芝の露
白川院かくれさせ給にける秋よみ侍ける
法性寺入道前關白太政大臣
いかにしてきえにしあきのしらつゆをはちすのうへの玉とみかゝむ
歡喜苑前攝政かくれ侍にける秋近衞關白の叓にうちつゝき又かかることの哀さへなと申とて
從一位兼敎
見し夢のおなしうきよのたくひにもさめぬ哀そいとゝかなしき
返し
從三位爲子
としへてもさめすかなしき夏のよのゆめにゆめそふ秋のつゆけさ
藻壁門院かくれさせ給にける秋世をのかれて後よみ侍ける
後堀川院民部卿典侍
世のうさに秋のつらさをかさねてもひとへにしほる墨そめの袖
世間[中イ]常ならす侍ける比朝顏の花を人の許につかはすとて
紫式部
きえぬまの身をもしるしるあさ顏のつゆとあらそふ世をなけくかな
枇杷皇太后宮かくれ給て御忌の程に月あかき夜讀侍ける
少將
さやかなる月ともいさや見えわかすたゝかきくらす心ちのみして
一條院失させ給て後常におはしましける所に月のさし入たるを御覧して
上東門院
かけたにもとまらさりけりくものうへを玉のうてなとたれかいひけん
なき人の思ひに山寺にまかれりけるに花の散けれは
權大納言長家
さきはてすちりにしはなのわかれよりはるのやよひはうらみはてゝき
道命法師なくなりて後法輪寺のいほりの櫻の咲たるをみて
赤染衞門
たれみよと猶にほふらん櫻はなちるをおしみしひともなき世に
前大納言爲氏母の百箇日に一品經すゝめ侍ける捧物に水精の念珠を櫻の枝につけてつかはすとて
平親世
いかはかりけふはさくらの花みてもあたになりにしひとをこふらん
後京極攝政春身まかりにけれは前中納言定家もとへ讀てつかはしける
從二位家隆
ふして思ひおきてもまとふ春のゆめいつかおもひのさめむとすらん
二條院かくれさせ給ひて又の年の夏郭公を聞て
參河内侍
ね覺しておもひそいつるほとゝきすくもゐにきゝし夜のひとこゑ
世中の常なき叓を思ひてよめる
殷富門院大輔
春の花さきてはちりぬ秋のつきみちてはかけぬあなう世のなか
建春門院かくれさせ給にける秋うへをかせ給ける御前のせんさいのさかりなるなかに女郎花のさきこほれたるをみて
中納言
つゆきゆるうきよにあきのをみなへしことしもしらぬいろそかなしき
おなし年の十月太宰大貮重家の思ひに侍けるによみてつかはしける
權中納言親宗
見てすきしおなしうき世の夢なれはとふにつけてそ我もかなしき
返し
太宰大貮重家
かきりなきうき世のゆめをみてしかは此かなしさもおとろかれぬを
二條院かくれさせ給て彼院に中納言典侍御はてまてとて一人さふらひけるにいひつかはしける
前左兵衞督惟方
かくれにし雲ゐのつきをおもひ出てたれとむかしの秋をこふらん
返し
二條院中納言典侍
かきくらす淚はかりをともとしてかくれし月をこひぬよそなき
前中納言定家母の思ひに侍ける比玉ゆらの露も淚もとゝまらすなき人こふる宿の秋風讀て侍ける返事に
皇太后宮大夫俊成
秋になり風のすゝしくかはるにも淚のつゆそしのにちりける
後深草院かくれさせ給にける年の長月の十日あまり永い福門院御くしおろさせ給ける夜うち時雨侍けれは
玄輝門院右京大夫
わきてこの秋はいかなる秋なれはつゆそふ袖の又しくるらん
おなし年の秋の末つかた人のもとへ讀てつかはしける
前中納言經親
ふかくさの山のもみちにこの秋はなけきの色をそへてこそみれ
父の遠忌にて仁和寺へまかりたりけるに大納言師賴足引の山郭公けふしこそ昔をこふるねをは鳴らめと申をくりて侍ける返事に
大藏卿行宗
ほとゝきすことゝふからにいとゝしくむかしのけふを戀つゝそなく
待賢門院かくれさせ給て後六月十日比金剛院にまいりたるに庭も梢もしけりあひてかすかに人影もせさりけりこれに住そめさせ給し叓なとたゝ今の心ちして哀つきせぬ日くらいしの聲たえす聞えけれは
堀川
君こふるなけきのしけき山さとはたゝ日くらしそともに鳴ける
白河院七月七日かくれさせ給にけれは讀侍ける
平忠盛朝臣
又もこん秋をまつへきたなはたのわかるゝたにもいかゝかなしき
後深草院の御服奉るとて
永福門院
思はさりしふちの袂の秋のつゆかゝるちきりのあはれをそしる
おなし御叓に出家して後よみ侍ける
從二位兼行
よをすてはつらきあきもやなくさむと思ひしそてもつゆはかわかす
題すらす
後京極攝政前太政大臣
ひとの世はおもへはなへてあたし野の蓬かもとのひとつしらつゆ
鳥羽院の御叓の後ふるき文とものなかに彼院の仰を承りてさたしける叓ともをしるしをきたるをみるに思ひいつる叓のみありて泪の落侍けれは
前左兵衞督惟方
いはてのみむかしのことはおもへともおさへかたきはなみたなりけり
世中に叓ありてつくしのかたになかされて侍けるか後に召かへされ侍て建禮門院大原におはしましけるに參りて物申けるにつけてもさまさま思ひ出る叓おほくていみしうかなしく覺侍けれは
前權少僧都全眞
けふかくてめくり逢ふにもかな[こひイ]しきはこの世へたてしわかれなりけり
前右近中將資盛身まかりて後志賀の浦を過侍けるに風吹あれて波のたつのをみつにもかゝるわたりにもあらましかなと思ひ出られて讀侍ける
建禮門院右京大夫
こひ忍ふひとにあふみの海ならはあらき波にもたちましらまし
堀河院御叓の後讀る
前中納言匡房
いつかたのたにのけふりとなりにけん哀行衞もなきそかなしき
夢のやうにあひ見ける女さはりかちにて其後程なくはかなく成ぬと聞てよみ侍ける
前大納言忠良
きけとなを夢かなにそとたとられてうきもうつゝのこゝちこそせね
母の身まかりけるを九月はかり觀音寺といふ所にをくりをきて又の日よみ侍ける
從一位倫子
あらしふくみ山のさとに君ををきてこゝろもそらにけふはかへりぬ
權大納言長家大納言齊信女にすみ侍けるにをくれて歎きけるを程へてとふらひ侍とて
後一條院中宮宣旨
なへてにもあらぬわかれのかなしさはいかにとたにそいはれさりけり
枇杷皇太后宮の御ために佛作られけるにかさりの玉を藤原保昌朝臣丹波寺にて侍けるにめされけるを奉るとて
和泉式部
數ならぬ泪のつゆをかけてたに玉のかさりをそへんとそおもふ
崇德院につき奉りて讚岐國に侍けるをかくれさせ給にけれは都に歸のほりにける後人のとふらひて侍ける返事に申つかはしける
兵衞佐
君なくてかへるなみ路にしほれこし袖のしつくをおもひやらなん
つくしに侍ける比都なる母なくなりぬと聞て服きるとて別れし程の叓思ひ出てよみ侍ける
儀同三司
そのおりにきてましものをふちころもやかてそれこそかきりなりけれ
妻にをくれて後によみ侍ける
中納言家持
うつせみのよはつねなしとしるものを秋かせさむみしのひつるかも
小一條皇后宮三月卅日かくれ給にけるおなし年の七月髙松の女御又おなしさまに成にけれは讀せ給うける
小一條[院イ入]
わかれにしはるのかたみの藤ころもたちかさねぬる秋そかなしき
龜山院かくれ[うせイ]させ給にし去年の秋後深草院うせさせ給しを又程なく哀なる御ことなと女房中へ申送り侍とて
前大納言爲兼
ふたとせのあきのあはれはふかくさやさかのゝつゆもまたきえぬ也
御返し
院御製
またほさぬこその袂のあきかけてきえそふ露もよそにやはおもふ
同し御忌の比九月つこもりによみ侍ける
良助法親王
うかりしもかたみと思ふ秋にさへかさねてまたやけふは別れん
中務卿宗尊親王かくれ侍にけるをきゝて讀侍ける
前參議雅有
つかへつゝなれしむかしのまゝならはこよひや世をはそむき果まし
前大納言爲家身まかりて五七日の佛事し侍ける願文の奧に書つけて侍ける
安嘉門院四條
とまる身はありてかひなきわかれ路になとさきたゝぬ命なりけん
母の思ひに侍ける比安嘉門院四條子にをくれて侍よし聞てつかはし侍ける
中務卿宗尊親王家參河
かはらしな消にしつゆのなこりとて袖ほしわふる秋の思ひは
題しらす
平時村朝臣
ならひそとしりてもうきはめのまへにひとにおくるゝわかれなりけり
一品資子内親王の許より村上のみかとのかゝせ給へる物やと尋て侍けるつかはさるとて
選子内親王
子を思ふ道こそやみときゝしかとおやのあとにもまよはれにけり
後朱雀院の御叓の後源三位白河殿にさふらふと聞てつかはしける
辨乳母
なにゆゑにみやこのほかに旅ねして鹿のなくねにこゑをそふらん
承久元年六月八條院御忌日に蓮華心院にまいりて思ひ出る叓おほくて女房のなかに申つかはしける
前中納言定家
おしむへきひとはみしかき玉の緒にうき身ひとつのなかきよの夢
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