玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第十六雜歌三。原文。
玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
玉葉和謌集卷第十六
雜哥三
嘉元百首哥奉けるに松
前關白太政大臣
ことゝはんふるきの松よなれのみやわか忍ふ世のむかしをもみし
湖邊松といふ叓をよみ侍ける
藤原爲道朝臣
よせかへりうら風あらきさゝなみにしつえをひたす志賀のはま松
海邊松を
從三位爲子
なみのうへはあめにかすみてなかめやる沖のしらすに松そのこれる
いほりのまへに松のたてりけるをみてよみ侍ける
西行法師
谷の戶にひかりそまつもたてりけりわれのみともはなきかとおもへは
ひさにへて我のちの世をとへよ松あと忍ふへきひともなき身そ
題しらす
市原王
ひとつまついくよかへぬるふく風のこゑのすめるは年ふかきかも
貫之
あめとのみふくまつ風はきこゆれとこゑにはひともぬれすそ有ける
なみよするきしにとしふるまつの葉のひさしきこ戶ろたれかしるらむ
亭子院西川におはしましけるに江松老といふことをつかうまつりける
躬恒
ふかみとりいり江の松もとしふれはかけさへともに老にけるかな
みさきと云所へまかり侍ける道に磯邊の松年ふりにた[けイ]るをみてよみ侍ける
鎌倉右大臣
いそのまついくひさゝにかなりぬらんいたく木たかきかせのおとかな
恒德公家に障子に國ゝの名ある所を繪に書たるに哥よみてかき侍ける中に
順
うちよする波と尾上のまつ風とこゑたかさこやいつれなるらん
題しらす
權少納言嚴敎
まつにふくあらしのをともたかさこの浦しくるゝあきのゆふ暮
上西門院に人ゝ參りて哥よみ侍けるに後德大寺大臣松を題にて人しれす賴むと[みイ]きはのそなれ松まつことあれやあはれかけなんとよみて侍けるをみてつきの日申つかはしける
兵衞
むかしより賴むみきはの松なれはなみもあはれをかくとしらすや
庭松といふ叓を
院御製
ゆふくれのまつにふきたつやま風に軒はくもらぬむらさめの空
九條左大臣女
にはのおものひと木のまつをふくかせにいくむらさめのこゑをきくらん
從三位親子
きゝわひぬのきはのまつをふきしほるあらしにこもるいりあひのこゑ
從三位爲子
風たにも軒はの松にこゑやみてゆふへのとけきやまかけのやと
山家の心を讀侍ける
前參議家親
なかめやるみやこのかたは日かけにてこのやまもとはまつのゆふかせ
山家夕風
前大僧正慈順
やまふかみゆふへの鐘のこゑつきてのこるあらしのをとそさひしき
山家の心を
惟宗忠景
やまさとにしはしは夢もみえさりきなれてまとろむ峯のまつかせ〇
松尾社哥合に山家夕を
如願法師
やまふかき里のしるへになるものはいりあひの鐘の聲にそありける
嘉元百首哥に山家を
前攝政左大臣
さひしさはをかへのいほのあきの暮まつかせならてをとつれもなし
入道前太政大臣
のかれえぬひとめはおなしみやこにてわか山住みそ猶あらはなる
民部卿爲世
このさとはやまかけなれはほかよりもくれはてゝきくいりあひの聲
前參議爲相
いほちかきつま木のみちやくれぬらん軒はにくたる山ひとのこゑ
後二條院權大納言典侍
ふきたゆむひまこそいまはさひしけれきゝなれにけるみねのまつかせ
治曆二年十月大堰川逍遥によみ侍ける
大納言經信
やま里のゆふくれかたのさひしさを嶺のあらしのおとろかす哉
山家哥の中に
後京極攝政前太政大臣
この里はくものやへたつみねなれはふもとにしつむ鳥のひとこゑ
やまかけやのきはのこけのしたくちてかはらのうへにまつかせそふく
嵯峨家に年久しく住てよみ侍ける
前大納言爲家
をくら山まつをむかしのともとみていくとせ老のよをおくるらん
淨金剛院にてよませ給うける
後嵯峨院御製
いく里かあらしにつけてきこゆらんわかすむ寺のいりあひの鐘
嘉元百首哥奉りけるに山家
二品法親王覺助
わふとたに誰かはしらんあともなき雲の奧なるやまのすみかは
雪ふりける日北山の家に御幸ありて人ゝに哥よませさせ給うける時よみ侍ける
入道前太政大臣
やま里に我身ふりてそかたかたにつもるみゆきのあともまちみる
山家心を
中務卿宗尊親王
やまさとをうきよのほかの宿そとはすまておもひしこゝろなりけり
行圓上人
やまさとのこゝろしつかにすみよきはとふひともなしまつこともなし
權少僧都顯範
谷の水みねの薪[たきゝ]にあけくれていはほのなかもいとまなのよや
正治百首哥に山家
宜秋門院丹後
ひとゝせのみやこのひとのそらたのめ思ひはてぬるふゆのやま里
雜御哥の中に
今上御製
ときは木のしけきみとりのしたにして日かけもみえぬ谷かけのやと
山家嵐
前大納言爲兼
やまかせはかきほのたけにふきすてゝみねのまつよりまたひゝくなり
卅首哥めされし時おなし心を
院御製
やまあらしの過ぬとおもふゆふくれにをくれてさはく軒の松か枝
題しらす
從一位敎良女
いりかたの月はすくなき柴の戶にあけぬ夜ふかきあらしをそきく
嵯峨の家にて秋哥よみ侍けるに
右大臣
をくら山のき端の西にちかけれはほかにはいらぬつきそかくるゝ
老の後西園寺にてよみ侍ける
常盤井入道前太政大臣
なこりをはいは木につけて思ふにもあらさらん世のあれまくもをし
いつといはん夕へのそらにきゝはてんわか住やまのまつ風のをと
山家の心を
光俊朝臣
うきたひの身のあらましにおもなれてすむこゝちする山のおくかな
前中納言實香
さひしさを世のうきかたにおもひかへて深山[みやま]のつきをひとりみるかな
嘉元百首哥奉りけるに山を
關白前太政大臣
やまふかくまたたかかよふ道ならんこれよりおくの峯のかけはし
家に百首哥よみ侍ける時
前大納言爲家
やまきはの田なかのもりにしめはへてけふ里ひとは神まつるなり
法成寺入道前攝政淸水寺にこもりて侍けるにつかはされける
花山院御製
瀧のをともいかゝきくらん都たにものあはれなる比にもあるかな
龜山殿に御幸ありてかへらせ給とて
月花門院
いくかへりくるともつきしかめの尾のやまの岩ねのたきのしらいと
髙山寺にまうつとて
權大納言冬基
たか雄やま淸たき川をそこにみて谷かけめくる松のした道
題しらす
新院御製
やまかせはふけときこえすいはかねやたきりておつるたきのひゝきに〇
かたらふ人のをとせて日比は山寺になんあると申たりける返事に
和泉式部
ひとりやは見えぬやま路もたつぬへきおなしこゝろになけくうき世を
千五百番哥合に
後鳥羽院
さとひとのいほりにたけるしひしは[椎柴]のけふりふきしくやまおろしのかせ
建保元年内裏哥合に山夕風
前中納言定家
鐘のをとをまつにふきしくおひ風につま木やをもきかへる山ひと
山家の心を
順德院
あはれなる遠やまはたのいほりかな柴のけふりのたつにつけても
雜哥の中に
一條内大臣
としつきのかすをもしらしふもとよりつもれるちりのたかさこのやま
杣山
常盤井入道前太政大臣
よのなかはいつみのそま木とるたみの[もイ]ふか[るイ]きをさらにひきおこさなん
寂然大原に住侍けるに髙野より山ふかみといふことをかたみにきて十首哥よみてつかはしける中に
西行法師
山ふかみなるゝかせきのけちかさに世をとをさかるほとそしらるゝ
此返事に大原の里といふ叓を下句にをきて五十首を讀てつかはすとて
寂然法師
ひとりすむおほろのしみつ[淸水]友とては月をそやとす大原の里
河内國敎興寺に住侍を此比すむ所はいつくの程そと尋ねる人のあるよし申て侍ける人の返事に讀てつかはしける
阿一上人
たつた山あらしのをともたかやすの里はあれにし寺とこたへよ
鞍馬に參りて通夜したるに夜明なんとするとて人ゝいそきけれは
御形宣旨
名にしおはゝ明すもあらなんくらま山みちみえすとて我はかへらし
山里にて夜ひたのをとをきゝて
道命法師
あしひきの山田のひたのをと髙みこゝろにもあらぬねさめをそする
嘉元百首哥奉ける時田家をよみ侍ける
從三位爲子
いほむすふ秋のやまたのひたすらにいとへやこれはかりそめの世そ
左近大將實泰
いほりさすそとものをたに風すきてひかぬなるこのをとそきこゆる
閑居の心を
前中納言定家
のこるまつかはるこくさ[木草]のいろならてすくるつき日もしらぬ宿かな
入道前太政大臣
はなのゆき木のはしくれのいくとせを身はふるさとの庭にみるらん
東三條にてよみ侍ける
女御徽子女王
われならてまたうちはらふひともなき蓬か原をなかめてそふる
淡海公の家の池をよみ侍ける
赤人
むかしへのふるきつゝみはとしふかきいけのなきさにみくさおひにけり
雜哥の中に
前中納言定家
よのなかをおもひのきはの忍ふ草いくよのやととあれかはてなん
百首哥の中に閑居の心を
從三位爲子
まつにあらしあさちかつゆにつきのかけそれよりほかにとふひとはなし〇
題しらす
皇太后宮大夫俊成
くさのいほにこゝろはとめついつかまたやかて我身もすまむとすらん
法眼慶融
うち山のむかしのいほのあとゝへはみやこのたつみ名そふりにける
伊豆盛繼
こけのむす軒はのまつは木たかくてみしにもあらぬふる鄕の庭
寂寞柴門人不到といへる心を
大江宗秀
雲にふす峯のいほりの柴のとをひとはをとせてたゝくまつ風
雜哥の中に
前中納言定家
さとひたる犬のこゑにそしられけるたけよりおくのひとの家ゐは
寶治百首哥に里竹を
前大納言爲氏
たかさとの家ゐなるらんかた山のふもとにめくる竹のひとむら
慈鎭和尚の賴むそよあとへん竹のそのゝうちにわか後の世を思ひをくかなとよみ侍ける叓を思ひつゝけて
慈道法親王
のちのよをおもひおきけむくれたけのそのすゑまてもあはれとはみよ
三首御哥の中に竹を
後嵯峨院御製
この君のみよかしこしとくれたけのすゑすゑまてもいかていはれん
嘉元百首哥におなし心を
前關白太政大臣
くれ竹のよゝのむかしもしのはれて忘れぬふしのおほくも有かな
題しらす
新院御製
その世こそ猶こひしけれもゝしきや我ともとみし庭のくれたけ
題をさくりて人ゝ哥つかうまつりしついてに鷺を
院御製
たのもよりやまもとさして行さきのちかしとみれははるかにそとふ
題しらす
後京極攝政前太政大臣
夕ま暮木たかきもりにすむ鳩のひとりともよふ聲そさひしき
後京極攝政家に百首哥よみ侍けるに
寂蓮法師
籠[こ]のうちも猶うらやまし山からの身のほとかくす夕かほの宿
には鳥のかいこうのいまたかへらぬ程におやのなくなりたるをあはれに思ひけるにまたすゝめの子をうしなひておやおやなくをきゝて
選子内親王
とりとりのわかれのほともかなしきにすへてこの世にまたはかへらし
題しらす
後嵯峨院御製
さゝかにのくものふるまひ哀なりこれもこゝろのすちはみえつゝ
虫十首御哥の中に
土御門院御製
のきちかきまかきのたけのすゑ葉よりしのふにかよふさゝかにの絲
文を題にてよませ給うける
院御製
なさけみせてのこせるふみの玉のこゑぬしをとゝむるものにそありける
する墨のいろしみえすはみつくきのなかれてのよのあとをとめゝや
藤原貞憲朝臣出家後の髙野にこもり侍ける時大原の坊にまかれりけるに哀なる叓を障子にかきて侍えるをみてそのかたはしに書きつけ侍ける
法橋顯昭
おもひけるこゝろのみゆるたまつさはぬしにかたらふこゝちこそすれ
前大僧正慈鎭常に申かよはす叓侍ける比申つかはし侍ける
前右近大將賴朝
僞のことのはしけきよにしあれはおもふといふもまことならめや
歎くこと侍ける人をとはさりけれはあやしみて人にたつぬと聞きて申つかはしける
西行法師
なへてみな君かなけきをとふかすに思ひなされぬことのはもかな
題をさくりて哥よみ侍けるに弓を
從三位爲子
あらちをのかりゆく野への草たかみひくやまゆみのすゑはかりみゆ
題しらす
延政門院新大納言
やまひとの眞柴にませてさす尾はな風ふかねともまねきてそゆく
一條内大臣大將辭申侍ける時表のはこを友二條院にまいらせをきて侍けるを身まかりて後返し給はりて侍けれは讀むて奉りける
權大納言内經
みるからにおつるなみたのたまくしけみにつたふへきかたみなりけり〇
御返し
後二條院御製
かたみとてかへすもよゝの家のかせ吹つたへよとおもふとをしれ
位におましましける時大納言三位きぬをぬき置て局へおりにけるか夕立のもりていたくぬれて侍けれはからきぬの袖にをしつけてたまはせける
院御製
つゝみけるおもひやなにそから衣よにもるまての袖のしつくは
御返し
從三位爲子
たかもらすなみたなるらんから衣わかみにしらぬ袖のしつくは
後堀河院御時家隆卿祐朝臣を侍從に申なんすへきよし申とて年をへてしものしたるなるあしたつの子を思ふねにはるをしらせよとよみて侍けるを其よし奏し侍けるにゆるさるへきさまの御氣色なりけれはかへりことに
常盤井入道前太政大臣
あはれとは雲ゐをかけてきこゆなりあしへのたつの子をおもふこゑ
位の御時蓮花王院寶藏よりあしたつといふ箏をいたされて年久しくをかせ 給へりけるに正安三年の夏比法皇へ奉らせ給とておほしめしつゝけさせ給ける
院御製
くもゐよりとしへてなれし蘆たつのかへるわかれにねをそそへつる
法皇位におはしましける時中殿にて御遊び侍けるに玄象をつかうまつり侍ける明るあした院いまたみこの宮と申侍し時四の緒のしらへもことにたへなるよしきこしめさるゝこそなと仰つかはされ侍ける御返事に申侍ける
入道前太政大臣
道をゆつるきみにひかれてよつの緒のそのねも髙き名をそあけぬる
題しらす
寂惠法師
つたへこし道もみちあるみよにあひてたえせぬ家のあとたえめやは
後深草院御前にて人ゝにおほみきたまはせける時御さかつきまいらせけるに哥つかうまつるへきよし仰こと有けれは
前大納言爲氏
むそち[六十]あまり老ぬるとしのしるしとてきみかなさけの身にあまるかな
東三條入道攝政ほかより歸るとてはすのみを一もと見よとてをこせて侍けれは
前右近大將道綱母
はなにさきみになりかはるよを捨てうき葉のつゆとわれそけぬへき〇
一品宮と申ける時後冷泉院春宮におはしましけるに參らせ給て藤つほにすませ給ける比上東門院内にまいらせ給へりけるにひんあしくて御對面なかりけれは聞えさせ給うける
二條院
きみは猶ちりにし花の木のもとにたちよらんとはおもはさりけり
御返し
上東門院
花ちりしみちにこゝろはまとはれてこのもとまてもゆかれやはせし
ゆかりある人のとし比うとくて過けるにまかりあひて後いひつかはしける
法性寺入道前關白家參河
ことのはの露はかりたにかけよかしくさのゆかりのかすならすとも
返し
二條院讚岐
むらさきのいろにいてゝはいはねともくさのゆかりをわすれやはする
折句の哥よみ侍けるにひえのみや
前大僧正慈鎭
ひとことにえてうれしきはのりのはなみよの佛のやとのものとて
紅葉はをといふ五文字を句のかしらにをきてよめる
貫之
もる山のみねのもみちも散にけりはかなきいろのおしくも有かな
物の名をかくし題によみ侍けるに月鈴虫紅葉
皇太后宮大夫俊成
みねつゝきやまへはなれすすむしかもみちたとり[るイ]なりあきのゆふきり
後德大寺左大臣家に百首哥よませ侍けるに男女をかくし題にてよみ侍ける
藤原隆信朝臣
いりあひの鐘のをとこそかなしけれけふをむなしくくれぬとおもへは
0コメント