玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第十三戀歌五。原文。
玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
玉葉和謌集卷第十三
戀哥五
元良のみこすみ侍ける比つらきことのみ侍けれは
よみ人しらす
ねに髙くなきそしぬへきうつ蟬のわか身からなるうきよとおもへは
題しらす
盛明親王
うらむへきかたさへそなきうきことのつき日にそへてみえしまされは
人麿
いまもおもふのちもわすれしかりこものみたれてのちそわれこひまさる
いかならん神にぬさをもたむけはか我おもふいもを夢にたにみん
うらみおほしめして久しうをとせさせ給はぬ人に
花山院御製
つらけれはかくてやみなんと思へともものわすれせぬ戀にもあるかな
いひたえにける女に五節の比ひかけの絲をときてとらすとて
藤原顯綱朝臣
おもへともひかけのいとのくりかへしたえにしふしのつらくもあるかな
恨戀の心を
院御製
思ひとる身にはいまはのうらみなるおよはぬうへのなくさめもうし
戀哥の中に
關白太政大臣
契りしもさのみは人のわすれしを思ひなからやとはすなるらん
左大臣
そのころはたのますきゝしことのはもうき今ならはなさけならまし
從三位宣子
さりともと思ふ賴みもほと過ぬ見しやなさけのかきりなりけん
院新宰相
うしと思ひ戀しとおもふそのあたりきかしや今は身をなきにして
院御製
あれはある命もさすかかきりあれや又ひときはのおもひそふ比
題しらす
光俊朝臣
逢叓はまたをのつからありとても賴みしもとのこゝちやはせん
戀哥の中に
安嘉門院四條
さてやさはこえにしものを今さらにまたは名こその關もりそうき
時ゝ文をこせる男の久しくをとせぬにつかはしける
和泉式部
うきよりも忘れかたきはつらからてたゝにたえにしなかにそありける
戀哥とて
從三位親子
ひともうく身もうきはての我身をはたゝおなし世にをかしとそ思ふ
入道前太政大臣[公]女
なをいかに思ふこゝろそかきりなくうきためしをは見はててし身を
從三位長宣
こゝろつきしよひあかつきの鐘のをともまたす別てきくしもそうき
後法性寺入道前關白家に百首哥よませ侍けるに遇不逢戀
皇太后宮大夫俊成
よとゝもにおもかけにのみたちなからまたみえしとはなと思ふらん
よそならはさてもやみなんうき物はなれてもつらき契り也けり
題しらす
民部卿爲世
なをさりのちきりはかりになからへてはかなく何をたのむ命そ
從三位爲子
せめてさらは今ひとたひの契りありていはゝやつもる戀もうらみも
絕戀の心を
前大納言爲家
朝ゆふはわすれぬまゝに身にそへとこゝろをかたるおも影もなし
前大納言爲兼
ありしよの心なからにこひかへしいはゝやそれに今まての身を
太宰大貮俊兼
いきて世にうきをみはてんためなれやいとふいのちのせめて久しき
從三位親子
いとはれし命のはてのきはになりてありてやもしとまた覺えけり
從一位敎良女
ありとても逢世もしらぬ命をはなにのたのみに猶おしむらん
小辨に物申侍ける比またこと人にかたらふと聞て
實方朝臣
ふたつあるこゝろをわれももたりけりうしと思ふにさても忘れぬ
いとうらめしき人につかはしける
從三位賴政
きゝもせす我もきかれし今はたゝひとりひとりか世になくもかな
遍昭寺哥合に戀の心を
正三位季經
つらさをもえこそうらみね數ならぬ身を歎けとやいはんと思へは
女のもとより常に夢になんみゆる心のかよふにはあらしをあやしくこそと申て侍ける返事に
前右近中將資盛
かよひける心のほとはよをかさねみゆらん夢におもひあはせよ〇
返し
建禮門院右京大夫
けにもそのこゝろのほとやみえくらん夢にもつらきけしきなりつる
權中納言長方よませ侍ける五首哥の中に久戀と云叓を
前中納言定家
それとたにわすれやすらん今さらにかよふこゝろはゆめにみゆとも
絕戀の心を
院御製
こほれおちしひとのなみたをかきやりて我もしほりし夜はそ忘れぬ
忘戀を
院中納言典侍
をのつからしはしはかゝるなさけもやとこゝろにまちしほとも過ぬる
永福門院内侍
おなし世のちきりを猶もまちかほにあらしやとてもあるそつれなき
遇不逢戀
丹波長典朝臣
たえはてゝ又あふことのたのみたに今はなくなく身をそうらむる
權中納言家定
佗ぬれはうしつらしともいまはいはしなさけはかりをかけよとそ思ふ
夢のやうにあひみける女のあらぬさまになりて年へてまた思ひの外に行あひて後つかはしける
刑部卿賴輔
なかなかにむかしの夢のまゝならておとろかしけんことそくやしき
中納言家持につかはしける
笠女郎
夕されはものおもひまさるみしひとのことゝひしさまおも影にして
世中はかなき叓おほかりける比いひ絕たる女のもとにつかはしける
前大納言公任
あひみねとわすれぬひとはつねよりもつねなき折そ戀しかりける
三十首哥めされし時遇不逢戀
院御製
そのまゝにそはましみましいたつらにおしや哀やよその年月
題しらす
太宰大貮俊兼
うきをしるこゝろのほともみゆやとて我もかきたえすくす比かな
前中納言經親
うきをしたふこゝろなかさを又ひとにおもひくらへてあはれとをしれ
嘉元二年五月内裏にて絕後驚戀といふ叓を
左近大將實泰
絕はてしそのとしつきになからへてしゐてさてもといふもつれなし
百首哥の中に
前大納言忠良
つらかれなさらは戀しき心にもうらむるかたはありもしなまし
はかなき叓につけて男の恨て絕なんと申けるに
和泉式部
うけれともわか身つからの淚こそあはれたえせぬものにはありけれ
恨る叓ありてしはしいはさりける女に文つかはすとて
皇太后宮大夫俊成
うらみても戀しきかたやまさるらんつらさはよはるものにそありける
戀哥の中に
前大納言爲兼
つらきあまりうしともいはて過すひをうらみぬにこそ思ひはてぬれ
從三位親子
なみたこそわかこゝろにもしたかはねうきをうらみぬ袖のぬれゆく
百首御哥の中に
院御製
淚こほれこゝろみたれていはれぬにうらみのそこそいとゝくるしき
絕にける男のもとより哀なる叓ともいひて侍ける返事に
和泉式部
たのむへきかたもなけれはおなしよにあるはあるそと思ひてそふる
朱雀院御時入内の後いかなる叓かありけん淸槇公のもとへつかはしける
女御藤原慶子
身のうきにおもひあまりのはてはてはおやさへつらきものにそありける
題しらす
前中納言定家
おしからぬいのちもいまはなからへておなしよをたにわかれすもかな
西行法師
とにかくにいとはまほしき世なれとも君かすむにもひかれぬる哉
戀哥とて
從三位親子
うつるかたのふかきかきりをひとのいふに我身のうへそつくつくとうき
遇不逢戀の心を
從一位敎良女
たえてすくす人の行衞そあはれなるいかになるともきく道もなし
夕戀
章義門院小兵衞督
ゆふくれの空こそいまはあはれなれまちもまたれし時そと思へは
戀哥の中に
關白前太政大臣
折ゝはつらきこゝろもみしかともたえはつへしとおもひやはせし
左近中將爲藤
なからへてあらはと待しとし月のつもるそはてはうらみなりける
恨戀の心を
前參議家親
とはすなるつき日の數にしたかひてうらみもつもるものにそありける
戀御哥とて
朔平門院
うきをうしといはぬよりまつさきたちてこゝろのそこをしるなみたかな
又こと人に物いふと聞ていひたえたる女のもとにつかはしける
道信朝臣
戀しさにまとふこゝろといひなからうきをしらすと人やみるらん
恨戀の心を
法性寺入道前關白太政大臣
うらみしと思ふおもひのともすれはもとのこゝろにかへりぬるかな
題しらす
重之女
わするるゝうらむるひとはなになれや思ふをいとふよにこそ有けれ
相模
數ならぬ身のことわりをしらさらはうらみつへくもみゆる君かな
久しうをともせぬ人の恨侍けるによみてつかはしける
二條太皇太后宮大貮
今よりそ君にはつらくなりぬへきうらむるかたにとふかと思へは
絕後逢戀
新院少納言
ふたゝひやものをおもはんたちかへりかゝるなさけのまたかはりなは
おなし心を
永福門院内侍
あらましの今ひとたひと待えても思ひしことをえやははるくる
戀御哥の中に
院御製
いとふともおなし世はかりゆるさなんありてよそにもおもひやるへく
いきてよにありとはかりはきかるとも戀しのふとはたれかつたへん
院新宰相
うらみてもかひなきはての今はたゝうきにまかせて見るそかなしき
互恨戀といふ叓を
惟宗廣言
うらむるもわかならひにそ賴まるゝ戀しきことのあるかと思へは
つらかりける女のゆへによしなきことの聞えけれはかの女につかはしける
賀茂成助
かひもなき身をいたつらになすものはうきをわすれぬこゝろなりけり
うらむることありける女につかはしける
皇太后宮大夫俊成
こひしさもわするはかりのうきことによはきは袖の淚なりけり
題しらす
藤原淸隆
うらみかね今はとはしとおもふよりわれも心のかはりそめぬる
百首哥よみ侍けるに戀哥とて
章義門院小兵衞督
よそにのみひとをつらしとなにか思ふこゝろよわれをうきものとしれ
戀哥の中に
普光園入道前關白左大臣
めくりあはん有明の月をかたみそといひしはかりを思出にして〇
惟明親王家十五首哥の中に戀心を
前中納言定家
おほかたは忘れはつともわするなよ有明の月のありしひとこと
人につかはしける
中務
袖しきてふしゝまくらを思ひ出て月見ることにねをのみそなく
題しらす
從三位爲子
うきになす身もたちかへり哀なりなれしそかしの名殘と思へは
かはるうへのなけのなさけはよしやきかしさらに心のみたるるもうし
院中務内侍
かはる世のうきにつけてそいにしへの哀なりしもおもひしらるゝ
實方朝臣
哀てふことの葉いかてみてしかなわひはつる身のなくさめにせん
後一條入道關白久しくをとつれさりける比つかはしける
典侍藤原親子朝臣
とへかしな哀夜なかきこのころのね覺はいかにものやおもふと
戀御哥の中に
院御製
なれしよのなこりもさすかありけんとしのはれそめし比も戀しき
おほかたに物申ける人のむつましくなりて後つらきに
和泉式部
世こそなをさためかたけれよそなりし時はうらみん物とやはみし
思ふ叓ありて讀侍ける
祐子内親王家紀伊
戀しさにたへていのちのあらはこそあはれをかけん折もまちみめ
戀御哥の中に
遊義門院
逢ふたひにこれやかきりとおほえしをけにありはてぬなかと成ぬる
新院御製
いまさらにそのよもよほす雲のいろよ忘れてたゝにすきし夕へを
女御徽子女王
さゝかにのいとはるかなる雲ゐにもたえんなかとは思ひやはせし
忘れにける人の文ののこれるをみて
和泉式部
かはらねはふみこそみるにあはれなれひとのこゝろはあとはかもなし
延喜御時硯のはこにいれて侍ける
女藏人二條
數ならぬわか身をうらの濱千とりあとはかもなく成にける哉
寄面影戀といふ心をよませ給うける
院御製
ひとのみするおも影ならはいかはかりわか身にそふもうれしからまし
建仁二年九月十三夜水無瀨殿戀十五首哥合に暮戀と云ことを
前中納言定家
なかめつゝまたはとおもふ雲のいろをたか夕くれと君賴むらん
はやう物申ける男のかよひける女のもとへまからすなりてほかになんあると聞けれはかの女のもとへ夕暮に申つかはしける
和泉式部
ゆふ暮はひとのうへさへなけかれぬまたれし比に思ひあはせて
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