玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第十一戀歌三。原文。
玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
玉葉和謌集卷第十一
戀哥三
寄海邊戀と云叓を
從三位爲子
うき波のかゝるとならはうと濱のうとくてひとにあらましものを
女につかはしける
前大納言爲家
波のよるしほのひるまもわすられすこゝろにかゝるまつか浦嶋
題不知
藤原泰綱
いせの海やをふのみなとにひくあみのうけくに人をうらみてそふる
寄海戀を
前中納言資平
をのつからみるめもあらはわたつうみとあれにしとこをうらみしもせし
寄木戀
小侍從
いかなれはくちぬる袖そ波かゝる岩ねの松もさてこそはあれ
思ふ叓侍ける比
女御徽子女王
こち風になひきもはてぬあま舟の身をうらみつゝこかれてそふる
寄舩戀
院御製
浦かくれいり江にすつるわれ舟のわれそくたけてひとは戀しき〇
戀哥の中に
待賢門院堀河
やまのゐのあさきこゝろをしりぬれはかけみんことは思ひたえにき
人のむすめに物申わたり侍けるにおやさもしらて思ひたつ叓ありと聞てわりなくおほえけれは
淸輔朝臣
我ためはしつくにゝこるやまのゐのいかなるひとにすまむとすらん
戀哥よみ侍けるに
京極關白家肥後
ふかき川のそこのみくつにあらねともおもひしつみて朽ちやはてなん〇
題しらす
大伴郎女
千とりなくさほの川せのさゝら波やむときもなしわかこふらくは〇
權中納言定賴
つれつれとなかむる比の戀しさはなくさめかたき物にそありける
淸少納言
いかにせん戀しきことのまさるかななかなかよそにきかましものを
戀哥中に
西行法師
身のうさの思ひしらるゝことはりにおさへられぬは淚なりけり
いくほともなからふましきよのなかにものをおもはてふるよしもかな
前大納言爲兼
時のまもわれにこゝろのいかゝなるとたゝつねにこそとはまほしけれ
從三位親子
さてしもははてぬならひのあはれさのなれゆくまゝになを思はるゝ
ふるき哥のことはにて千首哥人ゝによませ給うけるにことはかよへと
なをさりのことはかよへとそれしもそいつまてかはと心をかるゝ
戀哥の中に
宜秋門院丹後
つらからぬこゝろそつらきよそにてはいとこれほとの歎きやはせし
大江賴重
戀しさをあひみんまてと思ひしはこゝろのすゑをしらぬなりけり
題しらす
院中納言典侍
君ゆへにしつまん後の世をそおもふふかくていのちのたえもはてなは
永福門院
思ひけるかさすかあはれにと思ふよりうきにまさりて淚そおつる
從三位親子
おもふてふそのことのはよ時のまにいつはりにても聞こともかな
新院御製
君ゆへにたえすなりにし身そとたにしらしと思ふ[もイ入]かねてかなしき
中納言家持
わきもこかかたみのころもしたにきてたゝに逢ふまては我ぬかめやも
淸愼公女
なく淚そらにもなとかふらさらんあま雲はれぬ物をおもへは
興風
夢をたに思ふこゝろ[思イ]にまかせなんみるはこゝろのなくさむものを
女につかはしける
實方朝臣
戀しさのさむるよもなき心には夢とそおもふうつゝなからも〇
宇治入道前關白のもとより思ひいついつとかきてつかはしたりけれは
二條院宣旨
おもひいつることはうつゝかおほつかな見はてゝさめしあけくれの夢〇
返し
宇治入道前關白太政大臣
見もはてゝさめけん夢をおもふにもこれそうつゝといかてしらせん〇
夢に人のもとより戀しう思ふよしいひをこせたるとみてよみ侍ける
入道前太政大臣
をのつからうつゝにさもやおもふらんゆめなれはとて賴まさらめや
寄夢戀
左大臣
おもひねの夢にうれしきおも影のさなからやかてうつゝともかな
六帖題にて哥よみ侍けるにくちかたむといふ叓を
前大納言爲家
世にもらはたか身もあらし忘れねよこふなよ夢そいまはかきりに
なからへてもあらしとうたかひてあはぬ人のつねにまうてきけれは
和泉式部
つらからむ後のこゝろをおもはすはあるにまかせて過ぬへき世を
とふへしと思ふ人のとはさりけれはゆみ侍ける
ゆくすゑとちきりしことはかはるともこのころはかりとふひともかな
世にあらんかきりはさらに忘しなといひたる人に
ほとふへき命なりせはまことにやわすれはてぬとみるへき物を
題しらす
重之女
いへは世のつねのことゝや思ふらんわれはたくひもあらしと思ふに
辨乳母
さらてたにつゆけきころをなそもかく秋しも物をおもひそめけん
從三位親子
日にそへておもひのみそふ身のはてよおしからぬしもあはれなる哉
わつらふこと侍けるかをこたりて後久しくあはぬ人につかはしける
前大納言爲家
あらはあふおなし世たのむわかれ路にいきていのちそさらにくやしき〇
參議篁かよひける女をおんなのきひしういさめてえあはす侍ける程に心ち例ならすていとよはくなりにけるをいかゝといひて侍ける返事に
讀人しらす
消はてゝ身こそははひになるとても夢の玉しゐ君にあひそへ〇
たかためとおもふいのちにあらはこそけぬへきみをもおしみとゝめゝ〇
女につかはしける
忠義公
袖ぬれてほしそわつらふからころも君か手まくらふれぬ夜はには
安元御賀に地久をまひ侍ける中に心にかゝる叓のみ侍けれは
前大納言隆房
ふる袖はなみたにぬれて朽ちにしをいかにたちまふ我身なるらん〇
戀哥の中に
後德大寺左大臣
こゝろこそうとくもならめ身にそへるおもかけたにも我をはなるな
西行法師
うらみてもなくさめてましなかなかにつらくて人のあはぬとおもはゝ
悔戀の心を
從一位敎良女
つゐにかゝるうさにもならは何かわかおもふこゝろのそこをみせけん
寄書戀をよませ給うける
永福門院
玉つさにたゝひと筆とむかへともおもふこゝろをとゝめかねぬる
戀哥とて
從三位爲子
ものおもへははかなき筆のすさひにもこゝろにゝたることそかゝるゝ
相摸
もえこかれ身をきる[たくイ]はかりわひしきは歎きのなかのおもひなりけり
人のもとにつかはしける
祐子内親王家紀伊
あふことのかくてたえなは哀わかよゝのほたしとなりぬへきかな
戀哥の中に
能宣朝臣
さりともとたのむこゝろにはかされてしなれぬ物はいのちなりけり
躬恒
おもへともあひもおもはすおもふときおもふひとをやおもはさりけん
せちに覺えける女の人にゐましりて侍けるを一すちにまもらるるを人やいかにみるらんと覺えけれは
前大納言隆房
つくつくとみるにこゝろはくれはとりあやしと人のめにやたつらん
題しらす
從三位親子
とゝめあへすやかてこほるゝ淚ゆへ見せぬこゝろを人にみえぬる
章義門院
かはかりは何ゆへおつる淚そとわれもあやしきものをこそ思へ
永福門院内侍
せきやらぬなみたよしはし落とまれさまてはひとにみえしとおもふに
戀十首哥の中に
今上御製
かひあらしいはしよしとは思へともいまひとたひはうらみてもみん
章義門院小兵衞督
なをさりのあたしことのは賴ましと思ふものから又そなくさむ
寄風戀といふ心を
大江茂重
ふく風のたよりにつけてこととはゝうはの空にやひとのおもはん
いと忍ひてかたらひける女をおやこと人にあはすへしと急けるを聞て
藤原淸正
われならぬ人にとくなといひ置し君かしたひもゆるすなるかな
返し
讀人不知
むすふともとくともしらてしたひものよにみたれつゝものをこそおもへ
前右近中將資盛に物申ける比前左近中將重衡くさのゆかりを何か思ひはなつおなしことゝ思へと申侍けれは
建禮門院右京大夫
ぬれそめし袖たにあるをおなしのゝつゆをはさのみいかゝわくへき
人のもとよりえまうてこぬなと申て侍ける返事につかはしける
和泉式部
名こそとはたれかはいひしいはねとも心にすふる關とこそみれ
世をすてん[そむかんイ]とおほしめしける比三條關白の女の女御もとにつかはさせ給ける
花山院御製
世の中をはかなきものとおもふにもまつおもひいつる君にもあるかな
題しらす
後鳥羽院下野
さてもわかこゝろよはさのすさひゆへくやしきことを又やなけかん
從三位忠兼
つれなさの人のむくひをいかにしておなし世なから思ひしらせん
かとのまへをとをるとてうちとけたるさまをみんと人の申て侍けれは返事にかきてつかはしける
紫式部
なをさりのたよりにとはんひとことにうちとけてしもみえしとそ思ふ
宣耀殿女御にたまはせける
天曆御製
いきての世しにての後ののちの世もはねをかはせる鳥となりなん
御返し
女御藤原芳子
あきになることの葉たにもかはらすは我もかはせる枝となりなん
題しらす
伊勢
すむひとのかたかるへきににこり江はこひ路にかけもみえぬなりけり
戀十首哥の中に
院御製
ひとはしらしこゝろのそこのあはれのみなくさめかたくなりまさる比
從三位爲子
あはれをもうきにのみこそ人はなすに我そうきをもあはれにはなす
題しらす
永福門院
つらきをはさらにもいはす人こゝろあはれなるにもものをこそおもへ
藤原敏行朝臣
かくしつゝいかてか世にはなからへんなくさむはかりとふ人もかな
物思ふよしきかせ給人に
花山院御製
我身にはくるしきこともしりぬれは物思ふ人のあはれなるかな
正三位季經家の哥合に戀を
前參議經盛
うき人のこゝろをのみやうらむへき我身も物を思ひしるやは
久戀の心を讀侍ける
前關白太政大臣
うきを忍ひつらきにたへて年へぬるつれなさをたにいかてしらせん
戀哥中に
權大納言家定
かはるましきひとのこゝろとおもひなしてありはてぬ世を歎くはかなさ
かたらひける女の枕にたれかゝに思ひうつると忘るなよ夜な夜ななれし枕はかりはと書つけて侍けるを後に見つけてよみてつかはしける
前右近中將資盛
こゝろにも袖にもとまるうつりかを枕にのみやちきりおくへき
ある人の賴むへくもあらぬをさすかに心にかけて過す由よめと申侍けれは
京極前關白家肥後
なをさりのなけのなさけをたのますはよしなき[くイ]ものはおもはさらまし
伊勢にくたり侍けるおとこのとふ叓はたえたえなるをすゝか山をとなきにのみなけかるゝかなと申侍ける返しに
小馬命婦
數ならぬ身ははしたかのすゝか山とはぬに何の音をかはせん
太神宮へよみて奉りける百首哥中に旅戀
皇太后宮大夫俊成
ゆめ路にはなれしやとみゆうつゝにはうつの山への蔦ふける庵[いほ]
旅宿戀
三條入道左大臣
おもふひと都にをかぬ旅ねもや淚に袖を猶くたすらん
百首哥中に旅戀
前中納言定家
たれゆへとさらぬ旅ねのいほりたにみやこのかたはなかめし物を
おなし心を
わすれはやまつ風さむき波のうへにけふ忍へとも契らぬものを
小侍從あり所しらせさりけるを恨侍[侍イニナシ]けれはみわ山ならすともし
るくこそと申ける後程なく尋いてゝつかはしける
まつらんとなにをしるしの杉にてか心もしらぬやとをたつねん
返し
小侍從
ひとしれぬこゝろのうちのまつのみそ杉にもまさるしるしなりける
遠き所に行別れにける人につかはしける
前中納言定家
あな戀し吹かふ風もことつてよおもひわひぬるくれのなかめを
をのつからあはれとかけんひとこともたれかはつてん八重のしら雲
戀哥の中に
入道前太政大臣
戀しさはなかめのすゑにかたちして淚にうかふとを山の松
題しらす
重之女
なくさめむかたこそなけれあひみてもあはても歎く戀のくるしさ
せちに覺えける人に
平兼盛
おもふてふことの世にたにふりさらはわかいへるとそ君にいはまし
題しらす
讀人不知
わすられはともにわするゝならひにてひとりはものを思はすもかな
忠峯
わか玉を君かこゝろにいれかへておもふとたにもいはせてしかな
建長三年潤九月吹田にて十首哥講せられ侍ける時戀の心を
後深草院少將内侍
よしなしと思ふこゝろのかねてよりあらましかはといまそかなしき
戀哥とて
前右近大將家敎
時のまもあらぬこゝろをませはこそいまさら人を戀しとおもはめ
嘉元百首哥に遇不逢戀
前左近大將家敎
つれなさのそのまゝならはうきことにこひしきかたはそはすそあらまし
戀御哥の中に
遊義門院
おもはしとおもふはかりはかなはねは心のそこよおもはれすなれ
なにことのかはるとなしにかはりゆく人のこゝろのあはれ世中
忠義公の思ひに侍けるを内より馬内侍を御使にてとはせ給へりけれはその夜とゝめて曉かへし侍にけ[二字イニナシ]る後につかはしける
前左近大將朝光
いかてかは夢にもひとのみえつらん物おもひそめし後はねなくに
戀哥讀侍ける中に
前大納言成道
あちきなやたかためおもふことなれは我身にかへてひとをこふらん
興風
戀しともいまはおもはす玉しゐのあひみぬさきになくなりぬれは
正應三年九月十三夜三首哥講せられ侍し時夜戀
從三位親子
とへかしといつにも過て思ふ夜をよしあすもとや人はねぬらん
題しらす
盛明親王
思ひつゝぬれはなるへし夢にさへつらく見えつるけさのわひしさ
前右近大將道綱母
おもひつゝこひつゝはねしあふとみる夢はさめてはわひしかりけり
小町
はかなくも枕さためすあかすかな夢かたりせしひとをまつとて
戀の心を
忠峯
うれしくて後うきものはぬるとこの我身をはかる夢にそありける
前大納言爲家
とこのうみの我身こす波よるとてもうちぬるなかにかよふ夢かは
寄夢戀
院御製
あくかるゝ玉の行ゑよ戀しともおもはぬゆめにいりやかぬらん
後二條院御製
こひしさのねてやわするゝとおもへともまたなこりそふ夢のおも影
入道前太政大臣女
見てしもにまさるうつゝの思ひかなそれとはかりのうたゝねの夢
前大納言爲兼
なくなくもひとをうらむと夢にみてうつゝに袖をけにぬらしぬる
おもふかたにみえつる夢をなつかしみけふはなかめてわれ戀まさる
近衞關白前右大臣
をのつから心かよふとみる夢もさむれはうさに又かへりぬる
戀哥の中に
前中納言定家
をのつから人も淚やしるからん袖よりあまるうたゝねの夢
女のもとへつかはしける
後德大寺左大臣
君ゆへにたえん命をなへて世のあはれとたにもなをかけしとや
返し
讀人しらす
なへて世のあはれはなとかかけさらんたれゆへたゆる命なりとも
前右近中將資盛家に哥合し侍けるによみてつかはしける戀哥
小侍從
おなし世にあるを賴みのいのちにておしむも誰かためとかはしる
戀の心を
院御製
あちきなしありへしすへてうきよかな思ふこゝろに人はかなはす
天曆の御門忘れぬるかとのたまはせたりけれは
女御徽子女王
わすられすおもはましかはわすれぬをわするゝものとおもはましやは
御返し
天曆御製
わするらんことをはいさやしらねともとはぬやそれととひしはかりそ
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