玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第八旅歌。原文。
玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
玉葉和謌集卷第八
旅哥
不知何日又相違といふ心を
大江千里
わかれての後はしらぬをいかならん時にかまたはあはむとすらん
あひしれりける人の物へまかりけるに馬のはなむけしける間雨ふりてとゝまり侍にけれは
つらゆき
きみをおしむこゝろのそらにかよへはやけふとまるへきあめのふるらん〇
題不知
紀郎女
しろたへの袖わかるへき日をちかみこゝろにむせひなきのみそなく〇
遠き國にまかりける人につかはしける
鎌倉右大臣
やまとをみくもゐにかりのこえていなは我のみひとりねにやなきなん
賀茂社へ奉りける百首哥中に別
皇太后宮大夫俊成
いり江こくを舟になひくあしのほはわかるとみれと[はイ]たちかへりけり
近江國へまかりけるに人ゝまうてきて別おしみけるに郭公待心をよみ侍ける
藤原淸正
さよふけて今もなかなんほとゝきすわかれををしむ聲ときくへく
人のもとよりいとゝしくうきにつけても賴むかな契し道のしるへたかふなと申をこせて侍ける返事に
西行法師
たのむらんしるへもいさやひとつ世の別にたにもまとふこゝろは
みちの國に侍ける比能宣朝臣につかはしける
重之
わかれてはいかにこひしとおもふらんをのかこゝろそひとをしりける
別心を
寂超法師
待つけん命もしらぬ身にしあれはけふのわかれをかきりとそおもふ〇
前中納言定家
つかのまもわすれんものかいてかてに月をしほりし袖のわかれは
承平五年十二月から物の使に藏人藤原親衡かまかり侍けるに餞し侍とて
源公忠朝臣
わかるゝかわひしきものはいつしかとあひみんことを思ふなりけり
和泉式部丹後國にくたりける時ぬさなと給はすとてそへられたりけるあふきに書つけさせ給うける
上東門院
あき霧のへたつる天の橋たてをいかなるひまにひとわたるらん
平經正朝臣攝津國にまかりてなとをとつれぬそと申て侍ける返事に申つかはしける
平忠度朝臣
われのみやいふへかりけるわかれ路にゆくもとまるもおなし思ひを
遠國へまからんとてかとしたる所に人ゝまうてきて別おしみて哥なとよみけるついてに
刑部卿賴輔
歸りこんさためなき身はこのたひやつゐのわかれにならんとすらん〇
藤原資隆朝臣しほゆあみに淡路の方へまかりけるに扇つかはしける中に繪もかゝぬ扇のかたつまに書付侍ける
歸りきてとふ人あらはみすはかりゑしまをこれにうつせとそおもふ
思ふ人のあつまへまかりけるを逢坂の關まて送るとて
前中納言匡房
限りあれは八重の山路をへたつともこゝろは空にかよふとをしれ〇
女友たちの物へまかりける時よみてつかはしける
安喜[嘉イ]院大貮
かゝらすはなにかわかれのおしからんなれぬるはかりくやしきはなし
別の心を
つらゆき
わかれゆく人をおしむとこよひより遠きゆめ路にわれやまとはん〇
小一條左大臣藏人頭に侍ける時あつまへくたる女にくしのはこ鏡なとをくりて侍けるによみてつかはしける
讀人しらす
わかれてもけふよりのちは玉くしけあけ暮みへきかたみなりけり
ある所にみやつかへし侍ける人世をそむきて都はなれて遠くまかりけるにかはりて讀侍ける
西行法師
くやしきはよしなく君に馴そめていとふ都のしのはれぬへき
題しらす
人麿
あつまのゝけふりのたてる所みてかへりみすれは月かたふきぬ〇
たつかねのきこゆる田井[たゐ]にいほりしてわれたひなりといもに告こせ
題をさくりて千首哥人ゝによませさせ給けるついてに旅の心を
院御製
あしひきの山松かねをまくらにてさぬるこよひは家し忍はる
百首哥の中に
式子内親王
出てこし都は雲にへたゝりぬすゑもかすみのいくへなるらん〇
羇中霞といふ叓をよみ侍ける
皇太后宮大夫俊成
なにとなく物あはれにもみゆるかな霞や旅のこゝろなるらん〇
正二位知家
道のへのかすみ吹とくやまかせにかすあらはるゝ春の旅ひと〇
題をさくりて哥よませさせ給けるに春旅といふ叓を
永福門院内侍
歸るかり我も旅なるみやまちに都へゆかはことはつてまし
配所にて歸雁を聞てよみ侍ける
前權少僧都全眞
うらやましいかなる鴈の春くれはもとのこし路にたちかへるらん
羇中見花といふ叓を
前中納言定家
かりころもたちうき花の陰にきてゆくすゑくらす春の旅人〇
宇津山にて
中務卿宗尊親王
しけりあふつたも楓[かへて]ももみちして木かけ秋なるうつのやまこえ
あつまへまかりけるに野路といふ所にて日暮かゝりて時雨さへうちそゝきけれは
安嘉門院四條
うちしくれふる鄕おもふそてぬれてゆくさきとほき野ちのしの原〇
おなし道にてやす川渡りけるにさきたつ人のをとはかりきこえて霧いとふかゝりけれは思つゝけける
たひ人もみなもろともに朝たちて駒うちわたすやすの川霧
正治二年百首哥奉りける時旅哥
宜秋門院丹後
よはのつきわれのみをくるやまちそとなれしみやこのともにつけこせ〇
おなし心を
從三位爲實
あふ坂やいそく關路も夜やふかきそてさへしめる杉のした露
弘長三年九月十三夜内裏十首哥の中に月前旅行
從二位行家
こえやせん夜はふかくともあふ坂の鳥のねまたは月もこそいれ
あつまへくたり侍けるに逢坂にて
前參議能淸
あふさかのせきのとあくるしのゝめにみやこのそらはつきそのこれる〇
遠き國に侍ける時都の人にいひつかはしける
平康賴
思ひやれしはしと思ふ旅たにもなほふるさとはこひしきものを
秋物へまかりける道にてよみ侍ける
藤原淸正
旅ねしてものおもふほとに秋のよの有明の月も出にけるかな
百首哥奉し中に夜旅
前大納言爲兼
とまるへき宿をは月にあくかれてあすの道ゆく夜はの旅ひと〇
旅哥とて
太宰大貮俊兼
あけやらぬ草のまくらの露のうへに月をのこして出るたひひと
中原師宗朝臣
くさのいほかりねのとこのおもひいてはまくらにちかきさをしかの聲
平齊時
朝つゆをさきたつ友にはらはせておなしあとゆく野への旅ひと
左近中將爲藤
かりねするよのまのつゆにそほちつゝひとりあさたつのちのさゝ原〇
都に侍ける比よめる
平宗宣朝臣
露わけし袖になれきて秋の月みやこも旅のなみたをそとふ
嘉元百首哥の中に旅
後二條院權大納言典侍
ことゝへとこたへぬ月のすみた河みやこの友とみるかひもなし
おなし心を
二品法親王性助
かり枕をさゝか露のおきふしになれていく夜のありあけのつき
羇中月といふ叓を讀侍ける
中院入道前内大臣
旅人のわくる野はらのつゆおちてやとりもあへぬ秋のよの月〇
羇旅の心を
丹波長典朝臣
露ふかき野へのをはなのかり枕かたしく袖に月そことゝふ
修行し侍ける比月のあかく侍けるにもろともにあそひ侍ける人を思ひ出て
大僧正行尊
つき影そむかしのともにまさりけるしらぬ道にもたつねきにけり
修行し侍けるに大峯にて
前權僧正敎範
しくれふるとやまのすゑははれやらてくものうへゆくみねの月かけ〇
後法性寺入道前關白右大臣に侍ける時よませ侍ける百首哥の中に旅の心を
俊惠法師
みやこひとおなし月をはなかむともかくしも袖はぬれすや有らん
千五百番哥合に
參議雅經
あはれとてしらぬやま路はをくりきと人にはつけよ有明の月
かつさよりのほるとてくろとのはまといふ所にとまりて侍けるに月いとおもしろく侍けれは
菅原孝標朝臣女
まとろましこよひならてはいつかみんくろとの濱のあきのよのつき
旅にて雁のなくを聞て
中務
はつかりのたひのそらなるこゑきけはわかみをゝきてあはれとそおもふ
題しらす
赤人
あき風のさむきあしたにさのゝをかこゆらん君にきぬかさましを
道助法親王家五十首哥の中に野旅
西園寺入道前太政大臣
草まくらかりねのいほのほのほのと尾花かすゑにあくるしのゝめ
旅哥の中に
入道前太政大臣
朝あけの山わけ衣ぬれてけりふかき夜たちのつゆのしめりに
前内大臣
むすひをく宿こそかはれ草まくらかりねはおなしよなよなの露
後京極攝政家詩哥合羇中眺望
前中納言定家
秋の日のうすきころもにかせたちてゆくひとまたぬをちのしらくも〇
住吉社哥合に旅宿時雨を
後德大寺左大臣
うちしくれものさひしかるあしの屋のこやのねさめに都戀しも
前參議經盛
難波かたあしのまろ屋の旅ねにはしくれは[をイ]軒のしつくにそしる〇
前大僧正隆辨
めにかけていくかになりぬあつまちやみくにをさかふふしのしは山
法印任辨
こえきても猶すゑとをしあつま路のおくとはいはし白川の關
題しらす
讀人しらす
よそにのみ君をあひみてゆふたすき手向の山をあすかこえなん
さゝ波のなみくら山に雲ゐては雨そふるてふかへれわかせこ〇
坂上郎女
ゆふたゝみたむけのやまをけふこえていつれの野へにいほりせんかも
源信明朝臣陸奧守にてまかりけるにともなひて任はてゝのほり侍とて逢坂の關にてよみ侍ける
中務
みやこ人まつらんものをあふ坂のせきまてきぬとつけややらまし
旅の心を
今上御製
こゆれともおなし山のみかさなりて過ゆく旅のみちそはるけき
左近大將實泰
くさまくら苔のむしろにかたしきてみやこ戀しみあかす夜はかな
名所御哥の中にあらち山
新院御製
あらち山ゆふこえくれて矢田の野の淺ちかりしきこよひかもねん
夕旅といふ叓を
從二位兼行
をくれぬと今朝はみえつる旅ひとのやとかる野へにこゑそちかつく
雜哥の中に
中務卿宗尊親王
たひゝとのともしすてたるまつのひのけふりさひしきのちのあけほの
右大臣
たひ人のゆくかたかたにふみわけて道あまたあるむさし野の原
物へまかりける人のかへりてまたかゝるためしなけれは草枕露かゝらんと思はさりしをと申つかはして侍ける返し
伊勢
草まくら露はかりにやぬれにけんとまれる袖はしほりしものを
つくしにくたりける時海路にてよめる
人丸
名に髙きいはみの海のおきつ波ちへぬ[にイ]かくれぬやまと嶋ねは
都を住うかれて後安樂寺へ參りてよみ侍ける
前左近中將重衡
すみなれしふるき都のこひしさは神もむかしにおもひしるらん〇
物へまかりける道に心ゆかぬ叓や有けん行つきて都なる人に申つかはしける
京極前關白家肥後
旅ころもきては袖のみ露けきにおもひたゝてそあるへかりける
旅哥の中に
西園寺入道前太政大臣
たひ衣きなれの山は名のみして猶うらかなし秋のゆふくれ
初瀨にまうてけるか伏見里にやとりてよめる
能因法師
むかしこそなにともなしに戀しけれ伏見の里にこよひやとりて
天王寺へまううて侍けるになからの橋はいつくそと人にとふにはや過ぬとこたへけれは
小辨
橋はしらそれとはかりもみるへきにしらすなからも過にけるかな
參河の國八橋をとをるとて
安嘉門院四條
さゝかにのくもてあやうきやつはしを夕くれかけてわたりかねぬる
旅哥の中に
皇太后宮大夫俊成
かりそめと思ふ旅ねのさゝのいほ[庵]も夜やなかゝらんつゆのをきそふ
洞院攝政前左大臣
いつかわれなれしみやこにたちかへりかゝるたひねをひとにかたらん〇
俊賴朝臣
くさまくらさゝかきうすきあしのやはところせきまて袖そ露けき
西行法師
風あらき柴のいほりはつねよりもねさめそものはかなしかりける
四國の方修行し侍けるに同行の都へかへり侍けるかいつ歸るへきなと申侍けれは
柴のいほのしはしみやこへ歸らしとおもはんたにもあはれなるへし
題しらす
常盤井入道前政大臣
いさこゝにこよひはさねん旅ころも山おろしふきて袖はさゆとも
山階入道前左大臣
野邊のいほ磯のとまやの旅まくらならはぬ夢はむすふともなし
鎌倉右大臣
たひころも袂かたしきこよひもや草のまくらにわれひとりねん
前大僧正慈鎭
はつせ川さよのまくらにをとつれてあくるひ原にあらしをそきく
家に百首哥よみ侍けるに
前大納言爲家
岩かねをつたふかけちの髙けれは雲のあととふあしからの山
羇旅野
前左兵衞督敎定
あつまのゝつゆわけころもはるはるときつゝみやこを戀ぬひもなし
旅哥とて
藤原景綱
みやこにてまたれしみねをこえきても猶やまよりそつきはいてける〇
太宰大貮俊兼
まきのたついくへの山をこえ過て里ちかくなる松のした道
前中納言俊光
かへりみる雲もいくへの嶺こえてまたゆくすゑも霧ふかき山
源兼胤朝臣
遠山のふもとになひくゆふけふり里あるかたのしるへなりけり
大江賴重
分ゆけとまた峯遠したかせ山雲はふもとの跡に殘りて
旅の道にてよめる
前大僧正道昭
ゆきくれて宿とふ山のをちかたにしるへうれしきいりあひの鐘
野夕雨と云叓を
從三位爲子
雨のあしもよこさまになる夕かせにみのふかせゆくのへのたひひと
雨中旅といふ叓をよませ給うける
院御製
とまるへきかたやいつこにありま山やとなき野へのゆふくれの雨
前大納言爲兼
旅のそらあめのふる日はくれぬかと思ひてのちもゆくそ久しき
前大僧正慈鎭
雨晴ぬ旅のやかたに日かすへてみやこ戀しきゆふくれのそら
千五百番哥合に
惟明親王
かりそめとおもひしものをあすかゐのみまくさかくれいく夜ねぬらん
建仁元年八幡宮哥合旅宿嵐
前中納言定家
ふる鄕にさらはふきこせみねのあらしかりねの夜はの夢はさめぬと
羇中嵐
平政村朝臣
けふいくか野やまのあらし身にしめてふるさと遠くわかれきぬらん
弘長元年百首哥に旅
衣笠内大臣
草まくらあまり夜ふかくたちにけり鳥のはつねも今そ鳴なる
題しらす
紀皇女
我せこをやまとへやるとさよふけてあかつき露にわれたちぬれぬ
伊勢國修行しける道にて鹽のひたるにみわたりと云濱をすきんとて夜中におきてゆくに道いまたくらくてみえさりけれは松原の中にやすみて夜をあかしよみ侍ける
增基法師
夜をこめていそきつれとも松かねに枕をしてもあかしつるかな
修行し侍とてたかせ舟にのりてよみ侍ける
大僧正行尊
いつくともさしてもゆかすたかせ舟うき世のなかを出しはかりそ
旅哥の中に
九條左大臣女
かへりみるわかふる鄕の雲のなみけふりもとをし八重のしほ風
大江宗秀
わけくたるふもとの道にかへりみれはまたあとふかきみねのしら雲
法印覺寛
我のみとおもふ山路の夕くれにさきたつ雲もあともさためす
あつまへまかりける道にて濱に鵜のおほくむれたるけしきおもしろくみえけれは
安嘉門院四條
しらはまに墨のいろなるしまつ鳥筆もおよはゝゑにかきてまし
備前守にてくたりける時むしあけといふ所のふるき寺の柱に書つけ侍ける
むしあけのせとのあけほのみるをりそみやこのこともわすられにける
題しらす
平政村朝臣
由良[ゆら]のとや波ちのすゑははるかにて有明の月にわたるふなひと
大江忠成朝臣
なるみかた鹽せの波にいそくらし浦のはまちにかゝる旅ひと
五十首哥奉りける時旅泊月を
後鳥羽院宮内卿
またしらぬうきねのとこの波よりもなれたる月の袖ぬらすらん
安藝の一宮へ參りけるにたかとみの浦と云所にて風に吹とゝめられて程へにけれはとまふきたるいほりより月のもりけるを見て
西行法師
波のをとを心にかけてあかすかなとまもる月の影を友にて
題不知
中納言行平
いくたひかおなしね覺になれぬらんとまやにかゝるすまの浦なみ
難波に蘆おひたるかたに舟のゝほりくたるをみて
壬生忠見
難波かたゆきかふ舟のつなてなはくるともみえすあしのまもなみ
旅哥
人麿
近江路[あふみち]の野しまかさきの濱かせにいもかむすひしひも吹かへす〇
赤人
嶋つたひとしまの崎をこきゆけはやまと戀しくつる澤になく
高市黑人
いそさきをこきてめくれはあふみちややそのみなとにたつさはになく
笠金村
天乙女[あまをとめ]たなゝしをふねこきいつらし旅のやとりにかちのをときこゆ
住吉にはしめてまうて侍とて
祭主輔親
またしらぬなにはの浦の蘆間わけこきゆくかたやすみよしのうら
つくしへくたり侍ける道にて
重之
あまの原なみのなるとをこく舟のみやこ戀しきものをこそおもへ
弘長百首哥の中に海路
衣笠前内大臣
和田の原めに見ぬ風をしるへにてなみちのふねのゆくもはかなし
雜哥の中に
豐原政秋
いつくをかけふのとまりと賴むらん風にまかするおきつふなひと
道助法親王家五十首哥に海旅
從三位行能
まつかうらのとまりのいそときくものをなにもさはらす歸る波かな
照念院入道前關白難波のかたへまかりけるにともなひて讀侍ける
高階宗俊朝臣
あしの屋のかりねもちかくみつ鹽に磯こす波をまくらにそきく
津の國あし屋と申所にまかりて侍とて
前參議雅有
みやこにてきゝわすれにし波のをとに又たちかへりなれんとすらん〇
寶治百首哥奉りける時旅泊
常盤井入道前太政大臣
尋ねてもおなしとまりのうきねせむ波路へたつな夜はの友舟
前大納言爲家
たつねみんおなしうきねのとまり舩わか思ふかたにたよりありやと
栗田宮哥合に寄海朝といふ叓をよませ給うける
後鳥羽院御製
とまりするひと夜のちきりこきわかれをのかさまさまいつる舩人
旅泊の心を
院御製
かち枕ひと夜ならふるとも舩もあすのとまりやをのかうらうら
前大納言爲家
みなと風さむきうきねのかち枕みやこをとをみいも夢にみゆ
爲兼佐渡國へまかり侍し時越後の國てらとまりと申所にて申をくり侍し
遊女初君
ものおもひこしちのうらのしら波もたちかへるならひありとこそきけ
順德院位御時名所百首哥めされけるに美豆御牧
皇太后宮大夫俊成女
舩とむるみつのみまきのまこも草からてかりねの枕にそしく
題不知
院新宰相
よをこめてまたこきいつるひともあれやあまたこゑするよそのともふね〇
海旅
院御製
たちかへるつき日やいつをまつら舩ゆくゑもなみのちへにへたてゝ
正治百首哥奉りける雜哥
前大僧正しい慈鎭
つきかけを袖にかけても見つるかなすまのうきねの有明の波
旅泊夕と云叓を
中務卿宗尊親王
暮ぬとてとまりをいそく浦なみにつきのみふねそ出かはりぬる
題しらす
前中納言定家
過ゆけとひとのこゑする宿もなしいり江の波に月のみそすむ〇
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