玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第七賀歌。原文。



玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。





玉葉和謌集卷第七

 賀哥

  題不知

  忠峯

しほかまの磯のいさこをつゝみもて御代の數とそ思ふへらなる

  從一位倫子六十賀し侍ける時后三人行啓侍て人ゝ[二字イニナシ]哥よみ侍けるついてに

  二條關白太政大臣

かそふれはまたゆくすゑそはるかなるちよをかきれるきみかよはひは

  權大納言行成

めつらしきけふのまとゐは君かためちよにやちよにたゝかくしこそ

  大宮院西園寺にて從一位貞子の九十賀給はせけるに行幸御幸春宮行啓なとありて人ゝ哥つかうまつりける時

  前内大臣

み[三]かへりのみそちをへてもいくちよとかきらぬ春のすゑそ久しき

  祝部成仲九十賀し侍けるによみてつかはしける

  藤原隆信朝臣

老の波猶しつかなれ君か代をこゝのそちまてみつの濱風

  建仁三年京極殿にて松有春色と云叓を講せられ侍けるに

  六條入道前太政大臣

君か代の春にしあへはときはなる松の千とせもかけをそへけり

  祝心を

  郁芳門院安藝

よろつ代をきみにゆつらんためとてや苔むす岩に松もおひけん

  小一條左大臣五十賀の屏風哥とて人のよませ侍けるに

  前右近大將道綱母

おほそらをめくるつき日のいくかへりいまゆくすゑにあはんとすらん〇

  規子内親王伊勢のいつきにてくたり侍けるに中納言庶明長奉送使にてかへりまうしの時祿なと給て人ゝ哥よみ侍けるに

  順

神のますやまたの原のつるの子はかへるよりこそ千世はかそへめ

  東三條院四十御賀屏風の哥

  道濟

ひめこまつおほかる野へに子の日してちよをこゝろにまかせたるかな

  正月七日若菜につけて常盤井入道前太政大臣のもとへつかはされける

  月花門院

かすか野のねのひの松にひかれきてとしはつむともわかなならなん

  題しらす

  鎌倉右大臣

千ゝのはるよろつの秋になからへて月と花とをきみそみるへき

  守覺法親王家に五十首哥人ゝによませ侍けるに

  正三位季經

わか葉さす松のみとりにしるきかなみむろの山の千よのゆくすゑ

  堀河院御時中宮近衞御室にわたらせ給て松久綠といふ叓を講せられ侍けるに

  俊賴朝臣

まつ陰のうつれるやとの池なれはみつのみとりも千よやすむへき

  天曆のみかとむまれさせ給て御百日の夜讀侍ける

  參議伊衡

日を年にこよひそかふる今よりやもゝとせまての月かけもみん

  御かへし

  延喜御製

いはひつることたまならはもゝとせののちもつきせぬ月をこそみめ

  延長七年十月元良親王四十賀女八のみこし侍ける時の屏風にうちのおほせによりて

  貫之

ひさしくもにほはんとてや梅のはなはるにかねては咲そめにけん

  延喜十九年十月貞信公四十賀尚侍藤原貴子朝臣のし侍ける時右大將保忠よませ侍ける哥

こゝろありてうへたる宿の花なれは千とせうつらぬ色にそありける

  後冷泉院位につかせ給にける年の三月南殿の櫻のさかりなるをみて讀侍ける

  出羽辨

風ふけと枝もならさぬ君か代に花のときはをはしめてしかな

  二條院御時花有喜色といへる叓をよみ侍ける

  皇太后宮大夫俊成

九重に匂ひをそふる櫻はないくちよ春にあはむとすらん

  正元ゝ年三月大宮院西園寺にて一切經供養せさせ給けるに行幸春宮行啓なと有て翫花といふ叓を講せられ侍ける時よみ侍ける

  權中納言公宗

よろつよのためしをきみにはしめおきてさきそふはなのはるそひさしき

  治承の比賀茂社にて述懷の心を讀侍ける

すへらきをちよのはるとそいのりつるわかゆくすゑにはなやさくとて

  正應二年三月鳥羽院に行幸ありて花添色といふ叓を講せられし時

さくら花をのかにほひもかひありてけふにしあへる春やうれしき

  位におましましし時禁庭花盛久といふ叓を人ゝつかうまつりしついてに

  院御製

雲のうへこゝのかさねの宿の春あらしもしらぬ花そのとけき

  後深草院位御時花のさかりに上達部殿上人鞠つかうまつりけるを御覧せられけるよしきこしめして松枝にまりつけて奉らせ給とてむすひつけさせ給うける

  後嵯峨院御製

ふく風もをさまりにけるきみかよのちとせのかすはけふそかそふる

  御返し

  後深草院辨内侍

かきりなき千よのあまりのありかすはけふかそふともつきしとそおもふ

  關白少將にてよろこひ申侍けるつきの日前關白の許へよみてつかはしける

  前大納言爲氏

さしのほるひかりにつけてみかさ山かけなひくへきすゑそみえける

  嘉元百首哥奉りけるに山

  左近中將爲藤

あめのしたくもりなかれと照すらし三笠のやまにいつるあさ日は

  中納言行平家に人ゝまうてきてあそひけるに藤花のしなひ三尺あまりなるをかめにさしてそれを題にて哥よみけるに藤氏の榮花のさかりなる叓を思ひてよみ侍ける

  在原業平朝臣

さくはなのかけにかくるゝ人おほみありしにまさるふちのいろかも〇

  延長六年内裏にて御まへに菊うへさせ給て人ゝ哥つかうまつりけるに

  大輔

もゝしきにねをしとゝめて菊の花君みぬ秋はあらしとそ思ふ

  後一條院むまれさせ給て七夜に

  前大納言公任

秋の月影のとかにもみゆるかなこやなかきよのためしなるらん

  承保二年四月淸凉殿にて久契明月といふ叓を講せられしついてに

  白川院御製

しつかなるけしきそしるき月かけのやほよろつ代をてらすへけれは

  建久五年八月中宮御方にて月契秋久といふ叓をよみ侍ける

  正三位季經

雲ゐにていくよろつよかなかむへき月になれたる秋の宮人

  建保二年七月哥合に

  從三位行能

のとかなる世をみやかはの淸きせにすむもかひある秋の夜の月

  同六年八月十五夜中殿にて池月久明と云叓を講せられ侍けるに

  前大納言爲家

くものうへにひかりさしそふ秋のつきやとれるいけも千よやすむへき

  後嵯峨院にて八月十五夜契多秋と云叓を

  後花山院入道前右大臣

もろともに君そすむへき久かたのあまてる月の萬代の秋

  正治二年後鳥羽院に百首哥奉りける時祝の心を

  二條院讚岐

和田津海[わたつうみ]よせてはかへるしき波の數かきりなき君か御代かな

  皇太后宮大夫俊成

玉つはきはつねの松をとりそへてきみをそいはふしつのこやまて

  堀河院御時宮うちにさふらはせ給けるにうへの御琴ひかせ給けるを聞たてまつりて

  二條太皇太后宮大貮

琴のねはむ[う]へ松風にかよひけり千とせをふへき君にひかれて

  内大臣に侍ける時法性寺入道關白のれいにて人ゝに哥よませ侍けるに鶴契齡といふ叓を

  關白前太政大臣

わかの浦やなかく久しきあとしあれは猶ちよそへてたつも鳴なり

  寄社祝

  前僧正公譽

たのむそよ神もうけひけみしめ繩なかくと祈る君か千とせを

  寄松祝と云叓を

  平時廣

ゆくすゑの久しき御代にくらふれはむかしはちかし住吉の松

  松添榮色といふ心をよめる

  前大納言師重

よろつ代をきみにまかせてまつかえのふかきみとりもいろをそふらん

  題しらす

  前大僧正禪助

つかへつゝゆくすゑとをくたのむかな竹の薗生[そのふ]によゝをかさねて

  建長三年住の江に御幸侍ける時よみ侍ける

  岡屋入道前攝政太政大臣

老らくのわか身もまつもよゝをへてけふのみゆきに色まさりけり

  山路の苔に松たけの十もとおひて侍けるを院未みこの宮と申ける時奉るとて

  前關白太政大臣

ためしなき君か千とせのとかへりもおひそふ松の數にみゆらん

  守覺法親王家五十首哥の中に祝の心を讀侍ける

  皇太后宮大夫俊成

きみかよはたかののやまのいはのむろあけんあしたののり[法]にあふまて

  寄國祝といふ叓をよませ給うける

  院御製

よゝたえすつきて久しくさかえなん豐蘆原の國やすくして

  建長五年七月三首哥めされける時述懷の心を

  山階入道前左大臣

君かへん千世にやちよのすゑまても我身かはらすつかへてしかな

  蓬生法師八十賀し侍けるによみてつかはしける

  前右兵衞督爲敎

ふりにける八十[やそち]の後をかそへても殘るよはひのすゑそ久しき

  寄星祝と云叓を

  法印榮算

あまつそら星のくらゐをかそへてそゆくすゑとをき御代はしらるゝ

  恒明親王むまれてはしめて七瀨のはらへし侍とて讀侍ける

  賀茂在藤朝臣

きみかためなゝせの川にみそきしてやほよろつ代をいのりそめぬる

  二條院御時中宮御方に哥合あるへしとて淸輔朝臣殿上ゆるされて侍けるよろこひ申つかはすとて

  太宰大貮重家

わかのうらにとしへてすみしあしたつのくもゐにのほるけふのうれしさ

  今上御卽位の時大納言三位とはりあけつとめて上階して侍し時申つかはしける

  入道前太政大臣

たかみくら雲のとはりをかゝくとてのほるみはしのかひも有哉

  左兵衞督にて侍ける時別當惟方衞督になりて侍けるよろこひいひつかはすとて

  前大納言光賴

いにしへもたくひもあらしわか宿に枝をつらぬるかしは木のかけ

  正應元年女御入内の時よみ侍ける

  從三位爲子

くもりなきつき日のひかりいくめくりおなし雲ゐにすまんとすらん

  千載集奏覧の時いれて侍ける手箱にあしてにまきたりける哥

  皇太后宮大夫俊成

わかの浦に千ゝの玉もをかきつめてよろつ代まても君かみんため〇

  文永三年三月續古今集竟宴をこなはせ給とてよませ給うける

  後嵯峨院御製

三代[みよ]まてにいにしへ今の名もふりぬひかりをみかけ玉つ嶋姬

  天慶九年大嘗會悠紀方近江稻舂哥

  讀人しらす

あふみなるあさ日の里はけふよりそ世のさかゆへきひかりみえける

  承保元年大嘗會主基方さかゐの村を

  前中納言匡房

八隅[やすみ]しるわかすめらきの御世にこそさかゐの村の水もすみけれ

  康治元年大嘗會悠紀片風俗哥辰日樂急長等山

  左京大夫顯輔

きみかよはなからのやまの岩ねまつ千たひやちたひ花のさくまて

  同御屏風に靑柳村柳花多

きみかよは民のこゝろのひとかたになひきてみゆるあをやきの村

  仁安元年大嘗會悠紀方巳日樂急木綿園

  皇太后宮大夫俊成

ゆふそのゝ日かけのかつらかさしもてたのしくもあるかとよのあかりの

  貞應元年大嘗會主基[方イ入]御屏風に備中國あきさか山

  前中納言賴資

はつしくれふりにけらしなあすよりはあきさかやまのもみちかささん

  寛元四年大嘗會悠紀方近江國巳日樂破

  前中納言經光

そらはれててらすつきひのあきらけき君をそあふくいやたかの山

  永仁六年大嘗會悠紀方御屏風近江國千枝村藤花淺深

  前中納言俊光

うすくこくちえたにさけるふちなみのさかりも久しよろつよのはる

  正慶二年大嘗會悠紀方稻舂哥近江國暗部里をよめる

いにしへにいまをくらふのさとひとはよゝにこえたるみしねをそつく












Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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