玉葉和歌集。撰者京極爲兼。卷第五秋歌下。原文。



玉葉倭謌集。底本『廿一代集第七』是大正十四年十月十四日印刷。同十八日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。





玉葉和謌集卷第五

 秋哥下

  題不知

  天智天皇御製

わたつうみのとよはた雲にいりひさしこよひのつきよすみあかくこそ

  よみ人しらす

もゝしきのおほ宮ひとのたち出てあそふこよひの月のさやけさ

  五十首御哥の中に夕月

  院御製

またくれぬ空のひかりと見るほとにしられて月の影になりけ[ぬイ]る

  月哥の中に

  從一位良敎

やまのはをいてやらぬよりかけみえてまつのしたてるいさよひのつき

  常盤井入道前太政大臣

くるゝまのまかきの竹をふく風のなひくにいつる秋の夜の月

  信實朝臣

窓あけて山のはみゆる閨[ねや]のうちに枕そはたて月をまつかな

  前大納言爲家よませ侍ける百首哥の中に

  從二位家隆

ひさかたの月そさやけきもゝしきの大宮人やあくかれぬらん

  秋御哥の中に

  順德院御製

つま木こる遠山人はかへるなり里まてをくれ秋のみか月

  百首哥讀侍ける時

  中務卿宗尊親王

たかさこのをのへはれたるゆふくれにまつの葉のほる月のさやけさ

  月の御哥の中に

  後二條院御製

あき風は尾上の松にをとつれて夕への山をいつる月かけ

  家にて人ゝ哥よみ侍ける月漸昇といふ叓を

  平貞時朝臣

あきのよのなかきほとをやたのむらん出ていそかぬ山のはのつき

  題不知

  從三位範宗

雲はらふ外山のみねのあき風にまきの葉なひきいつるつき影

  大江貞廣

やまもとのすそ野のこかけまたくらしわかすむ峯を月いつるほと

  從三位宣子

澄のほるたかねの月は空はれてやまもとしろき夜半の秋きり

  月卅首御哥の中に

  永福門院

そらきよくつきさしのほるやまのはにとまりてきゆるくものひとむら

  古寺月を

  從三位爲子

初瀨山ひはらか嵐かねのこゑ夜ふかき月にすましてそきく

  前大僧正慈鎭

月影の出入みねは松のあらしふくれは野へに荻のうは風

  千五百番哥合に

  前中納言定家

思ひいれぬひとの過ゆく野やまにも秋はあきなる月やすむらん

  建仁元年八月十五夜哥合に野月露冷といへる叓を

  後京極攝政前太政大臣

あきのゝのしのにつゆをくすゝのいほはすゝろに月もぬるゝかほなる

  秋哥の中に

  平貞時朝臣

やとるへき露をはのこせよひのまの月まつほとの野への秋風

  從三位親子

風にふす荻のうは葉の[風イ]つゆなから月しく庭の秋そさひしき

  大藏卿隆敎

もろくちる花のまかきの露のうへにやとるもおしき月のかけ哉

  月夜秋と云叓を

  院御製

露をみかく淺茅か月はしつかにてむしのこゑのみさ夜ふかき宿

  深夜月を

  從一位敎良女

きりきりすなくよりほかのをともなしつきかけふくるあさちふのやと

  秋哥の中に

  前參議雅有

こよひこそ秋とおほゆれつき影にきりきりすなきて風そ身にしむ

  寶治百首哥に湖月を

  皇太后宮大夫俊成女

にほのうみや秋の夜わたるあまを舟つきにのりてや浦つたふらん

  貞永元年八月十五夜家に哥合し侍ける名所月

  光明峯寺入道前攝政左大臣

すまのうらやあまとふ雲のあとはれて波よりいつる秋のつきかけ

  家百首哥に

  前大納言爲家

浦とをきしらすのすゑのひとつ松又かけもなくすめる月かな

  月哥の中に

  西行法師

月さゆるあかしのせとに風ふけはこほりのうへにたゝむしら波

わたの原波にも月はかくれけり都の山をなにいとひけん

  後嵯峨院御時八月十五夜の哥合に

  冷泉前太政大臣

なにはかた波まをわけて入月の猶かけのこるあはち嶋やま

  湖邊月

  入道前太政大臣

さゝ波やうら風ふけて秋の夜のなからの山に月そかたふく〇

  題しらす

  前大僧正道珍

紀の海や波よりかよふうら風にとを山はれていつる月かけ

  海邊月といふ叓を

  前内大臣[通]

紀の國や由良[ゆら]のみなとに風たちて月のてしほの雲はらふなり

  權中納言實衡

もしほ火も月の夜ころは燒さしてけふりなたてそすまの浦ひと

  月哥の中に

こき出つるすまの夜ふねのをちこちはさなから月のかけのしら波

  海邊月明

  西行法師

つきすめはたににそくもはしつむめるみねふきはらふかせにしかれて

  藤原爲守

うき雲にはやくちかひて行月のはれまになれは風そしつまる

  大江茂重

橋たてや松ふきわたるうら風にいり海とほくすめる月かけ

  橋月といふ叓を

  右兵衞督雅孝

いそのかみふるのたかはしよゝかけてつきもいくよかすみわたるらん

  水鄕月

  法印憲基

やまもとのとをきあたりはみえわかて月にそしろきうちのかは波

  正治百首哥奉りける中に

  二條院讚岐

秋の夜はたつぬる宿にひともなしたれも月にやあくかれぬらん

  永福門院中宮と申ける時秋の比西園寺に出させ給へりけるに大納言三位内にさふらひけるにつかはしける

  入道前太政大臣

いつくより出し雲ゐの月なれは秋の宮[色イ]をはよそにすむらん

  返し

  從三位爲子

すみなるゝ秋のみやまのほかにてはくもゐのつきもみる空そなき

  月哥あまたよませ給うける中に

  今上御製

風のをとも身にしむ夜はの秋のつきふけてひかりそ猶まさりゆく

  上東門院太皇太后宮と申ける時八月はかりおまへに前栽うへさせ給て人ゝに哥よませさせ給ける時秋月さやかなりといふ叓をよみ侍ける

  權大納言長家

あまつ風くもふきはらひつねよりもさやけさまさる秋のよの月

  夜雲おさまりつきて月行遲といふ心をよみ侍ける

  貫之

あまくものたなひけりともみえぬよはゆくつきかけそのとけかりける

  法性寺入道前關白家に月三十首哥よませ侍けるに

  按察使公通

あき風は夜さむなりともつきかけにくものころもはきせしとそ思ふ

  月五十首御哥中に

  永福門院

秋風は軒はのまつをしほる夜につきはくもゐをのとかにそゆく

  月前風

  左近大將實泰

澄のほる月のあたりは雲はれてよそにしくるゝまつ風のこゑ

  題しらす

  九條左大臣女

山もとのしけきひはらのしたはかり光およはぬ秋のよのつき

  平貞時朝臣三嶋社にて講し侍ける五首哥の中に

  前大僧正源恵

世をいのる我たつそまのみね[杣峯]はれてこゝろよりすむあきのよのつき

  月御哥の中に

  法皇御製

あくかるるこゝろはそらにさそはれてぬるよすくなきあきのよのつき

  章義門院

なかめわひあくかれたちぬ我こゝろ秋にかなしき月のよなよな

  八月十五夜十五首哥めされけるに

  從三位親子

をのつからすまぬこゝろもすまれけり月はなれても[そイ]みるへかりける

  正治二年百首哥奉りける時秋哥

  小侍從

なかめてもたれをかまたんつき夜よし夜よしとつけん人しなけれは

  題不知

  藤原賴氏

なかめ佗つきのさそふにまかすれはいつくにとまる心ともなし

  百首哥中に

  從二位家隆

うみのはてそらのかきりもあきのよのつきのひかりのうちにそありける〇

  月をよみ侍ける

  西行法師

人も見ぬよしなき山のすゑまてにすむらん月の影をこそ思へ

  前中納言定家

こしかたはみなおも影にうかひきぬゆくすゑてらせあきのよのつき

  院みこの宮と申侍し頃をのことも題をさくりて哥合し侍し時月前懷舊といふ叓を

  前大納言爲兼

いかなりし人のなさけか思ひ出るこしかたかたれ秋のよの月

  月哥の中に

秋そかはる月とそらとはむかしにて世ゝへし影をさなからそみる

  順德院御時杜間月といふ叓をよみ侍ける

  前參議忠定

そめかぬるときはのもりのこすゑよりつきこそあきのいろはみえけれ

  月哥の中に

  大江宗秀

秋ことにしのふこゝろも色そへはみやこの月よなれしとそおもふ

  家に十首哥よみ侍けるに月を

  皇太后宮大夫俊成

世をうしとなにおもひけん秋ことにつきはこゝろにまかせてそ見る

  守覺法親王家五十首哥の中に

あはれとはわれをも思へあきのつきいくめくりかはなかめきぬらん

  題しらす

  西行法師

うき身こそいとひなからも哀なれ月をなかめて年のへぬれは

  百首哥の中に月

  前中納言定家

なにとなくすきこしあきのかすことにのち見るつきのあはれとそなる

  山里にて八月十五日比曉かたの月いみしくあはれにて所のさまも心すこくおほえ侍けれは

  菅原孝標朝臣女

あはれしるひとにみせはや山さとのあきのよふかき有明の月

  山家秋月といへるこゝろを

  後鳥羽院御製

柴の戶やさしもさひしき深山[原書太山、今從次田香澄校本及他諸本。みやま]への月ふくかせにさをしかのこゑ

  五十首哥中に

  前大僧正慈鎭

こゝろすむかきりなりけりいそのかみふるき都のありあけのつき

  權大納言顯朝中納言になりて九月十三夜よろこひ申侍けるにつかはしける

  後深草院少將内侍

こゝろゆくほとまてのほれくらゐ山名たかき秋の月のしるへに

  百首哥の中に

  式子内親王

いつかたへ雲ゐのかりのすきぬらん月は西にそかたふきにける

  皇太后宮大夫俊成家に十首哥よませ侍ける時

  道因法師

身につもるわかよの秋の更けぬれは月みてしもそ物はかなしき

  源師光家にて月哥よみ侍けるに

  從三位賴政

秋の夜もわかよもいたくふけぬれはかたふく月をよそにやはみる

  月の哥とて

  西園寺入道前太政大臣

七十[なゝそち]にあまりかなしきなかめかないるかたちかき山のはの月

  僧正公朝

むかしみしつきにもそてはぬれしかとおいはさなからなみたなりけり

  從二位隆博

身はかくてさすかある世の思ひ出にまたこの秋も月をみるかな

  三十首哥めされし時深夜月を

  從二位兼行

庭しろくさえたる月もやゝふけてにしの垣ねそかけになりゆく〇

  後鳥羽院に五十首哥奉ける中に月前竹風

  前中納言定家

ふしわひて月にうかるゝみちのへのかきねのたけをはらふあき風

  題しらす

  大江嘉言

秋の夜の空すみわたる月み[なイ]れは行ともなくてかたふきにけり

  前右兵衞督基顯

ふけぬともひとりおきゐんなかめ捨て月よりさきにいらしと思へは

  月をよませ給うける

  後二條院御製

更ぬれとゆくともみえぬつき影のさすかに松の西になりぬる

  八月十五夜月十五首哥人ゝによませさせ給けるついてに

  院御製

ふけぬともなかむるほとは覺えぬに月より西の空そすくなき

  曉月

あけぬるかわけつるあとにつゆしろしつきのかへさの野へのみちしは

  嘉元百首哥奉りけるに月

  關白前太政大臣

雲はるゝいそ山あらしをとふけて興津鹽瀨[おきつしほせ]に月そかたふく

  月哥の中に

  建中納言公雄

月のこる磯邊の松をふきわけているかた見する秋のうら風

  前參議雅有

ありあけはいるうらみなき山のはのつらさにかはるあかつきの空[雲イ]

  廣田社哥合に

  基俊

あかつきになりやしぬらんをくら山しかの鳴ねに月かたふきぬ

  建仁元年八月十五夜哥合に古寺殘月といへる叓を

  皇太后宮大夫俊成

またたくひあらしの山のふもと寺すきのいほりに有明の月

  月御哥の中に

  朔平門院

しらみゆく空のひかりにかけきえてすかたはかりそありあけの月〇

  前大納言爲家

をくら山みやこのそらはあけはてゝたかきこすゑにのこるつきかけ〇

  曉霧といふことを

  平貞時朝臣

空まてはたちものほらて有明の月におよはぬ峯の秋霧〇

  題しらす

  藤原爲顯

きりはるゝくもまにつきはかけみえて猶ふりすさふあきのむらさめ〇

  藤原定成朝臣

いる月のなこりの影は嶺にみえてまつ風くらき秋のやまもと〇

  かつらなる所へまかりて侍ける[かへりけるイ]に小倉山にて月の入にけれは讀侍ける

をとにきくをくらのやまはつきかけのいりぬるときの名にこそ有けれ

  秋御哥の中に

  永福門院

ゆふくれの庭すさましきあきかせにきりの葉おちてむらさめそふる〇

  秋雨を

  中務卿宗尊親王

雲かゝる髙根のひはらをとたてゝむらさめわたる秋のやまもと

  平時春

風にゆく嶺のうき雲あとはれてゆふ日にのこるあきのむらさめ

  今出川院權中納言

うきてわたる夕へのそらの雲く[はイ]れて風にそきほふ秋の村雨

  晴後靑山臨牖近といふ心をよませ給うける

  土御門院御製

窓ちかきむかひの山に霧はれてあらはれわたる檜原まきはら

  關霧

  常盤井入道前太政大臣

しゐてやは猶すきゆかむ逢阪の關のわらやの秋のゆふ霧

  題不知

  前中納言定家

みねのくもふもとのきりもいろくれてそらもこゝろもあきのまつかせ

  延喜二年中宮月次屏風に

  貫之

山路には人やまとはん河霧のたちこぬさきにいさわたりなん

  千五百番哥合に

  土御門内大臣[通親]

朝ほらけまきのお[をイ]山は霧こめてうちの河おさ舟よはふ也

  題不知

  藤原景綱

まきの葉のしつくそおつる朝きりのはれゆくやまのみねのあきかせ

  霧をよめる

  藤原秀長

分けわひていつくさとゝもしらすけのまのゝかや原霧こめてけり

  前參議雅有

そともなるならの葉しほれつゆおちて霧はれのほる秋のやまもと

  秋哥の中に

  前參議實俊

あさひさすいこまのたけはあらはれてきりたちこむるあきしのゝ里

  平宗宣朝臣

淸見かた波路の霧ははれにけり夕ひにのこるみほの浦松

  建保元年八月撰哥合に

  後鳥羽院

明石かたうらち晴ゆく朝なきに霧にこきいるあまの釣ふね

  長月の比伏見とのにまいりけるか前大納言時繼深草の山庄に一夜とまりてかへるとて讀侍ける

  前關白太政大臣

かりにきてたつ秋きりの明ほのにかへる名殘もふかくさの里

  題しらす

  左近大將實泰

さきたちてわたる人たに見えぬまて夕きりふかし勢田[せた]のなかはし[長橋]

  嘉元百首哥奉けるに霧を

  前中納言俊光

たちこむるあさけのきりのそのまゝにくもりてくるゝ秋のそらかな

  遠山霧

  入道前太政大臣

霧ふかみそことみえねと影うすき月のゝほるや秋の山きは

  秋哥の中に

  後一條入道前關白左大臣

あききりのたえまをみれは朝つく日むかひのをかはいろつきにけり〇

  權大納言内經

そことしも麓はみえぬあさきりにのこるもうすき秋のやまのは〇

  萬葉集哥の一句を題にて人ゝ哥つかうまつりけるにかくれぬ程に

  從三位爲子

はなのいろはかくれぬほとにほのかなるきりのゆふへののへのをちかた

  題しらす

  平政長

夕ひさす山のははかりあらはれて霧にしつめる秋のかは波

  寶治二年百首[哥イ入]に秋田

  冷泉前太政大臣

ほにいつるふしみのをたをみわたせはいな葉につゝくうちのかはなみ

  前右兵衞督爲敎

くれかゝる伏見の門田うちなひきほなみをわたるうちの河ふね

  亭子院御屏風に

  大中臣賴基朝臣

しら露のおくてのいねもかりてけり秋はてかたに成やしぬらん

  百番哥合に

  順德院御製

秋をたにいつかと思ひしあらを田に[はイ]かりほす程に成そしにける

  秋夜の心を

  前參議爲相

にはのむしよそのきぬたのこゑこゑに秋の夜ふかき哀をそきく

  承久三年内裏哥合に聞擣衣といふ叓を

  光明峯寺入道前攝政左大臣

ふけぬるかこの里ひとはをともせて遠やまもとにころもうつなり

  霧中擣衣を

  藤原隆信朝臣

ゆふ霧に道はまとひぬころもうつをとにつきてやゝとをからまし

  秋哥の中に

  二品法親王覺助

あきかせはふけにけらしなさととをききぬたのをとのすみまさりゆく〇

  前右近大將家敎

ふけゆけはところところにきこえつるきぬたのをとそまれになりゆく〇

  擣衣をよめる

  小辨

さ夜ふけてころもうつなり我ならてまたねぬ人はあらしと思ふに〇

  百首御哥の中に

  後二條院御製造

いまよりはころもうつなり秋かせのさむきゆふへのをかのへのさと

  賀茂社へ奉りける百首哥の中に擣衣を

  皇太后宮大夫俊成

月きよみ千さとのほかに雲つきてみやこのかたにころもうつなり〇

  おなし心を

  平長時

ひさかたの月も夜さむになるまゝに秋はふけぬと衣うつなり

  源家淸

暮かたの秋さり衣ぬきをうすみたへぬ夜さむに今そうつなる

  入道前太政大臣

いりかたのつきのそらさへひゝくまてとをちのむらはころもうつなり〇

  千五百番哥合に

  醍醐入道前太政大臣

衣うつしつかふせやの板間あらみきぬたのうへに月もりにけり〇

  百首哥の中に

  前中納言定家

しくれゆくはしのたちえにかせこえてこゝろいろつくあきのやまさと

  杜紅葉

  兵部卿有敎

うつりゆくけしきのもりのしたもみち秋きにけりとみゆる色かな

  龜山院よりめされける秋十首哥の中に

  延政門院新大納言

をくら山秋とはかりのうす紅葉しくれてのちの色そゆかしき

  建保四年内裏百番哥合に

  西園寺入道前太政大臣

たれかそめし外山の峯のうすもみち時雨ぬさきの秋のひとしほ

  秋哥に

  前大納言爲氏

かた山のはゝそのこすゑ色つきてあき風さむみかりそなくなる

  水無瀨殿にて秋哥よみ侍けるに

  前中納言定家

夕つく日むかひの岡のうすもみちまたきさひしきあきの色かな

  九月十三夜人のもとにまかりて夜もすから物語して侍けるつとめてあかさりし君かなこりに久堅の月を入まてなかめつるかなといひをこせて侍けるかへりことに

  基俊

我もしかあかてかへりしつき影の山のはつらきなかめをそせし

  題しらす

  院新宰相

秋ふかき寢覺のしくれきゝわひておき出てみれは村雲の月〇

  秋雨を

  前大納言爲家

あきのあめのやみかたさむきやまかせにかへさの雲もしくれてそ行〇

  御前に菊をおほくうへさせ給へりけるを辨乳母申けるをたまはせさりけれはほしとのみみてやゝみなん雲のうへに咲つらなれる白菊の花と申て侍けれは

  後三條院御製

色ゝにうつろふ菊を雲のうへのほしとはいかて人のいふらむ

  寶治二年百首哥奉りける時重陽宴

  常盤井入道前太政大臣

むらさきにつらぬるそてやうつるらんくものうへまてにほふしらきく

  兵部卿隆親

もゝしきのおほみやひとのけふといへはかさしにさせるちよの白菊

  菊を讀侍ける

  平齊時

さきそめし梅よりきくにうつるまて花のいく色なれてみつらん

  寛平菊合にたみのゝ嶋の菊をよみ侍ける

  讀人しらす

たみのともいまはもとめし立かへり花のしつくにぬれんと思へは

  延喜御時菊合に

  平希世朝臣

きくの花しもにうつるとおしみしはこきむらさきにそむる也けり

  天曆七年内裏菊合によめる

  中務

たつのすむみきはの菊はしら波のおれとつきせぬ影そみえける

  上東門院菊合に

  大貮三位

うすくこくうつろふいろもはつしものみなしらきくとみえわたるかな〇

  庭菊

  前大僧正慈順

枝も葉もそれともみえす暮ぬるに花こそのこれ庭のしら菊

  建保内裏名所百首哥に

  前中納言定家

いこま山あらしもあきの色にふくてひきの絲のよるそくるしき

  百首御哥の中に

  後鳥羽院御製

やまもとの里のしるへのうす紅葉よそにもおしき秋のいろかな

  紅葉哥とて

  從一位敎良

染やらぬみむろの山のうす紅葉今いくしほの時雨まつらん〇

  權中納言兼季

あき山のみとりの色そめつらしきもみちにましる松のひともと〇

  僧正實超

みむろ山ふもとの松のむらむらにしくれわけたる秋のいろかな

  從三位行能

あきゝりやゝまたちかくしそめつらんはれていろこきみねのもみちは〇

  寶治百首哥中に杜紅葉

  前大納言爲氏

時雨もてをるてふ秋のからにしきたちかさねたるころも手の森

  よし峯に侍ける時よみ侍ける

  慈道法親王

わきて猶もみちもいろやふかゝらん都のにしのあきのやま里

  題しらす

  權大納言宗家

秋ことに神なひ山の紅葉ゝはたれかたむけの錦なるらん

  鳥羽院位におましましける御前にて林葉漸紅といふ叓をよみ侍ける

  前中納言匡房

時雨するいはたのをのゝはゝそ原あさなあさなにいろかはりゆく

  紅葉を

  赤人

雁かねのなくなるなへにから衣たつたの山は紅葉しぬらし

  人丸

つまかくすやのゝ神やま露しもに匂ひそめたりちらまくもおし[おしもイ]

  天曆御時紅葉合に

  讀人不知

しらつゆのこの葉をわきておくやまのふかきもみちはいろもかはらし

くれなゐのやしほのいろはもみちはにあきくはゝれるとしにそありける

  山里の紅葉尋ぬとて

  權大納言長家

うちむれて紅葉たつぬと日はくれぬあるしもしらぬ宿やからまし

  秋御哥の中に

  新院御製

あきふかきやまよりやまにわけいれは猶いろそへるもみちをそみる〇

  題しらす

  藤原爲理朝臣

むらむらにこすゑのいろもうつろひてゆふひのやまにくもそしくるゝ

  權大納言冬基

しくれつるほとよりも猶いろこきはうつるいりひのをかのもみちは〇

  生阿法師

山もとのすそ野のこはき散ぬれと錦をのこすみねのもみちは

  近衞關白表奉りてこもりゐて侍ける年の秋紅葉を人のもとにつかはして侍けるを見て

  永福門院二條

紅葉ゝのおりを忘ぬなさけにもなれにし雲のうへや戀しき

  これをみて返しによみ侍ける

  近衞關白前右大臣

おりしらぬ身にはよそなる紅葉はにいろをそへけるあきの宮人

  題しらす

  前大僧正慈鎭

年をへて苔にむ[う]もるゝふる寺の軒に秋あるつたの色かな

  秋里といふ叓を

  從三位爲子

あれわたる庭は千くさに虫のこゑ垣ほはつたのふる鄕の秋

  紅葉御覧せらるへしとて侍ける日さしあふ叓ありてのひにけれは後嵯峨院へよみて奉らせ給うける

  月花門院

尋ねすてけふも暮なはもみちはをさそふあらしの風やふきなん[らんイ]

  堀川院御時百首哥めされけるに紅葉を

  隆源法師

たきのうへの御船の山の紅葉はゝこかるゝほとになりにけるかな

  おなし心を

  權僧正雲雅

しくれゆく立田のこすゑうつろひてそめぬかは瀨も紅葉しにけり

  題しらす

  貫之

もみちははてりてみゆれとあしひきのやまはくもりてしくれこそふれ

  かれゆくきりきりすの聲を聞て

  中務卿具平親王

風さむみいく夜もへぬにむしのねのしもよりさきにかれにける哉

  庭虫漸衰といふ叓を

  前右兵衞督爲敎

秋ふくる淺茅か庭のきりきりす夜やさむからし聲よわりゆく

  暮秋の心を

  從三位宣子

庭もせに聲ゝきゝし虫のねのときときよはき秋のくれかた

  暮秋虫をよみ侍ける

  權僧正覺圓

ゆふつくひ色さひまさる草のしたにあるとしもなくよはるむしのね

  中原師光朝臣

なきよはるむくらかしたのきりきりす今いくかとか秋をしるらん〇

  西行法師

秋ふかみよはるはむしのこゑのみかきく我とても賴みやはある〇

  暮秋望

  前大納言雅言

やまのはのゆふひのかけもたえたえにしくれてすくるあきのむらくも

  秋夕を

  遊義門院

花すゝきほすゑにうつる夕ひかけうすきそ秋のふかきいろなる

  堀河院に百首哥奉りける時薄を讀侍ける

  前中納言匡房

花すすきほに出てまねく比しもそすき行秋はとまらさりける

  野暮秋

  從三位親子

野邊とをき尾花にかせはふきみちてさむき夕ひに秋そくれゆく〇

  題しらす

  靜仁法親王

むしのねのよはるあさちはうらかれてはつしもさむきあきのくれかた

  式部卿親王

くれてゆく秋の名殘はおしてるや難波のあしもうらかれにけり

  家に百首哥よみ侍けるに暮秋の心を

  入道二品親王覺性

過ゆくかつれなき秋の心かな戀しかるへき野へのけしきを

  秋哥の中に

  前參議爲相女

くものいろ野やまのくさ木ものことにあはれをそへて秋そくれゆく

  權中納言兼季

おほかたの日かすのみかは草も木もうつろふいろに秋そ暮行

  名所百首哥めされける時宇治川

  順德院御製

あきふかきやそうちかはのはやきせにもみちそくたるあけのそほ舟

  正治二年百首哥に

  二條院讚岐

なか月の有明の月もふけにけりわかよのすゑをおもふのみかは

  皇太后宮大夫俊成女

かたしきの袖に馴ぬるつき影の秋もいくよそ宇治のはしひめ

  春秋月と云叓を

  後光明峯寺前攝政左大臣

ゆくあきのわかれにそへてなかつきのありあけのつきのおしくもあるかな

  九月盡に讀侍ける

  前關白太政大臣

けふのみと名殘おもはぬ夕へたに秋にはあへすぬるゝたもとを

  權中納言公雄

長月の日數はけふに過ぬともこゝろに秋やあすものこらん

  九月盡に菊をよませ給うける

  今上御製

うつろはて庭のしら菊のこらなん秋のかたみとあすよりはみん〇

  嘉元百首哥奉りける時秋哥

  入道前太政大臣

くさ木みなあすみさるへき色もなしわかこゝろにそ秋は暮ける

  暮秋十首哥奉りし時

  前大納言爲兼

こゝろとめてくさきのいろもなかめをかんおも影にたに秋やのこると

  圓融院の石川におはしましける時九月晦日殿上人ともうきはしと云所へまかりてかへり侍けるに

  前大納言公任

我たにもかへる道にはものうきにいかて過ぬる秋にかあるらん









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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