雪舞散/亂聲……小説。17
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上お読み進めください。
雪舞散/亂聲
哥もの迦多利
亂聲
檜山はなゑのわななきそうになるくちびるををか野ゆうじはみていた。花ゑのくちびるはわなゝきかけてはちんもくしわずかなふるえをもさえさらさなかった。ひざまづいた格好のままに背をへしおるようにくねらせて逸らしたまなざしの端にをかの雄二の目のあらわにした表情をさえなくしたまな差しをかくにんすれば花繪はいつも、と。あなたがそれをするときにはぼう然としてなんのかんじょうをさえもなくしたような顏をする、と。
あくまでも怒りにわれをさえわすれながら。おもったその十さん歳のいまだにおんなつかない贅肉の萌えたせなかにをかのは煙草の火をおしつけた。いきものゝはだのうるみにきえる脆弱な火の玉はひふのやけた惡臭をもにおわさずにたゝ自分のけむりだったにおいをだけ撒いてはだかにむかれたはな繪のからだに窓越しの日のひかりがさす。をか野はかすかに恐ふする。このままほう置してしまえば俺は、と。この少女をけがしてしまうにちがいないと、この本性に於いて薄汚いしょうじょを、と、他人の罪に俺は穢されてしまうともをか野はその然る可きわずかなみらいのまぼろしを嫌惡してそれがいっそうの憎惡をまき散らすのにまかせた。少女に血のつながりはない。髮をひっつかまれたしょうじょは聲をさえたてずにうめき声をしのばせたながい息を吐く。指のあいだに絡んだかみの毛の触かんが亂れてのけぞる少女はまな差しのふちのまどの向こうにみあげれは流る横くも夏のそら髙みの風のふきあれるを知る
地上にはおだやかなび風をさえ吹かせずに。
たかあき、と。
男の声がして立ち止まった。みぶのふりむいたそこには自由ケ丘のいつものまばらともいえる人のそれぞれにむ關係な群れのなした人らのそれら散漫な集團がうごめくにすぎずに「久しぶりだね。」さゝやかれた聲にみぶは目の前に壬生正彦のうかべた微笑をみつめた。そのなにか秘密ごとをあばかれたかににた居心地惡げなほゝえみにみぶはおもわずにも憐れんでしまう。いつでも、と。あなたは場違いだった。みぶはそう独り言散たゝ雅が四十をこえてから二十歳と何歳だった年の離れた妻に生ませたこどもだった正彦はいわば一代の豪商の嫡子としてそだったせいだったのか、じ由ケをかのいかにも余裕ありげな人のむれの中にもす直に馴染んで姿をけしていた。め立つなにもかんじられないほどに正彦はただそこにいたゝまれなげにみぶを見ていた。やさしすぎるまな差しをすぐさまに壬生は嫌惡した。「元気だった?」
みぶはまさひこをかならずしもけいべつしたこともにくんだこともなかった。「ん、」
「ね」
いつでも
「お前、ちょっとみないうちに」
「元気だったよ。って、」
「なんか、」
「そっちは?」げんき…と、正ひこは「だ、ね。」自分に自身に確認してさえ自信もなげに、入る?
壬生はささやく。
「ん?」
「話すでしょ。俺ら。たぶん。…ね。どっか、はいろうよ」壬生にまさひこはあらがわなかった。
カフェに入った時に耳にふれたきゝ覺えのあるピアノ曲のなまえがなんだったかとっさに思ひ出せずにみぶたか明のたちどまりかけたふりむきざまに「なにこれ?」正彦に云った。
「ね」
みゝもとにささやくようなやさしげな。あるいはたゝた人をいつくしんだやさしさをしかしらないとでもいいたげなきゝばれたみぶたか明のいつものこゑをまさ彦は不いに懷しくもおもう。「…この曲」
「なに?」
「しらない?名前」
「なんの?」
椅子に座って身をなげだして、もはやこと葉を繼ぎもせずにみぶは「ね」
聲をひそめた。
「みんな元気?」
おまえはいつも
「元気だよ。基本…」
じ分じ身をさえあわれんだ。
「ゆうきさんも?」
そのまな差しの
「みんな…」と、いいかけて正彦は思えばこのうつくい少年、——ないし今やおんなもなにも知り過ぎるほどにしったらしい男のにくたいを持って在ることにさえ飽きてみえたすてばちなわかい華奢な存在は、思えばそのおんなのことをおかあさんとは呼びもしなかった。かならず、いつからだったのか。か族の人間がゆうきさんと戯れてよんでいたそのくち眞似の樣にいつかさんづけで名をよぶようになってから悠きもそれをわらって赦してはいたも乃の違和感をぬぐうことができない。あるいは自分がそのうつくしいそんざいを躬つからのはゝ親を理不盡にも穢して入水にまで追い込んだ犯罪者としてしかそこに見い出して居ないがゆゑにそうなのかとも思えばみぶ正ひこはむしろ少年に申し譯なくもおもった。しょうねんにとってあの彼じ身にうりふたつの美しいおんながお母さんと呼ぶ可きそんざいではなくて單に悠きさんとよぶとし上の女にすぎないのだったとしたら抑少年の日のこがれた魂の行いは犯罪だったとはいえないのではないか。戀のやみと正彦はだれにもいわずに独り言ち弖思いしずみかゝるき持ちのす直にまなざしをかげらせたのをみぶたかあきはみ逃さない。
「なにかあった?」
花ならば
「基本的に、…」
さきこぼれてにをふその
「だれか死んだとか?」
きさらぎの
「生きてるよ。お母さんも」と「あれから普通にかいふくして…」ためらいもなくでたその呼稱にみぶまさ彦はあられもなくと惑う。ああ、…と。
みぶは想い出したように口に出して目をほそめた。ながしたまな差しがまどのそとにさ迷いかけて不意にみぶたか明は「いきてるの?」身を乗り出した。
はなにかゝる聲をきく。
におうのは脇の植栽の葉の。
軈ては眞正面から自分をみつめた眼差しの血なまぐさいまでのぞう形のうつくしさにまさ彦は思わずに目を逸らした。「云って。ほんとのこと。」
はるのひにも
「いきてるよ」
むしらはつちのそこ
「まだ?」
あたたかなそこに
「ふつうに」
身をやしない
「…そ」なんだよ、と。まさ彦は自分の聲をきく。「おまえ、あいつに死んでほしかったみたいないいかたするね」
「だって、しにたかったわけでしょ。」
「だろうね。海にはいったんだから」
「だったら」
「なに?」
「しねなかったら、おれだったらもう一度やっちゃうよね、」
「入水?」
「ちがうの」
「なにが」
「方法。次は、たとえば、飛び降りるとか?」墜る女、と。みぶは邪氣もなくて笑い、いつかたしかどこかで見た、とも、そのすきかてにも空間をみだした笑い聲にはひとのみゝをひきつけずにおかない透明な心地よさあった。みぶまさひこのまなざしのさき髙あきの背にしたおんなのふたりのうちのひとりが「かわいい顔してずんぶん残酷だな、おまえも」
スプーンの音がたつ。
「だってそうじゃん…て、いうか」
聲。
「そういうこと葉が」
さゝやきあうような、それら。
「あきらめたとか?」
自分たちの立てるそれをも、
「なにを?」めのまの少年の体臭が「失敗だったってこと」匂った。
あめにぬれた獸じみた悪臭。
「なんか、もううまれてきたこと自體が。自殺にさえしっぱいしっちゃった事實。…ぬぐいがたいでしょ。」云って、「殘酷」みつめたまな差しをそのまゝにちん黙したしばしのあいだのた人の音響。そのあとに、みぶは目を下にながすと鼻にちいさな笑い声をたてた。「そうでもないよ」
せきらゝに
「わるいことしたなって」
なにもかもがそもそも
「完全に失敗とか…不幸?」
せきらゝに、ほんらいは
「おもわなくもないかな。ん、」
あくまでもそのせきらゝな
「そうとは言えない氣がする。なんか」
それぞれのいたいけない
「と、ね。ときどき」
じじつをだけそこに
「そんなに単純じゃないじゃん」
せきらゝに
「いま、幸せなの?」正彦はゆびさきに白い木製のテーブルのその表面をなぜた。「あのひと。」
わざと剥げさせてある。慎重に、
「その人の感性によるんじゃない?その判斷は」
馴れた手つきで。
「たとえ地獄のそこでいくつもの剣につらぬかれて炎にやきつくされて目をくりぬかれて舌をひきぬかれて口からけつのあなにまで棍棒さしつらぬかれてゝも單純に超ドMだったらしあわせなんじゃないって?」云って、みぶは聲をたててわらった。
あきらかな自分へのそのくせ氣つきもし無い儘の軽蔑の鮮明さをまさ彦は兩の耳にかんじとっていた。「きれいさっぱり、」と「わすれちゃったかな。」
みぶまさ彦は云った。「まえのこと。まるで、海にはいって、生まれ變わって、きれいさっぱりわすれちゃったみたいに。」
「…そう」みぶまさ彦はそんな相槌ともみえないはなにかかった聲をたててかすかにくびをかしげながら自分にほほえむたかあきをみていたのだったが、「みそぎ、みたいな。」ふいに聲を立てて笑い、「なにそれ?」まるで、と。
あなたは總べてしくんだかのようなぎこちなさでいま、と。
笑った。壬生髙明はそう思った。「なんかね。がっかりすることがあるんだよ。」
「なにが」
「だって、」まさ彦はじぶんのまえ髮にゆびさきでふれ「あんな」ささやく「…死」
まどごしの陽光がかすかにのけぞった正彦のひたいにふれた。「だって、謂っちゃえばすっさまじい情熱、と、いうか。熱情。熱狂。——發狂?おもいつめた、こう…ね。情念みたいな?そういうもうこゝろの氣持ちの最後の燃燒があったはずじゃない?」
「俺に對して?」
「死にたいして。」ねぇ、と。「じぶんの、」まさ彦は「…死。」つぶやく。「死ぬって、すっごい叓だよ。たぶん。だから、」おまえ、本氣でおもってる?
「自分で自分を殺しちゃうって、さ。そんな」
なにを?
「自殺ってもの」
じぶんをあの人が愛してたって。
「すごく思い詰めないと」
ほれ込んでたって。
「ね」
そうなの?
「出来ない筈なのに」
だれが云った?
「いまはもう」
あのひと、おまえに一度でも謂った?
「そんな過去さえどこにもないみたいに」
愛してるって。
「きれいに、もう」
こと葉にだして。
「さっぱりと」
お前に。——いや。
と。もはや糾弾するかにきこえた口調に壬生はこたるしかない。「一度も。」
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