雪舞散/亂聲……小説。16


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。




雪舞散/亂聲



哥もの迦多利

亂聲

まな差しのなかにながれるふう景の疾走のうちにみぶは雪、と。櫻の雲の舞い上がる夢を思いだして雪とこそみまかう色はさくらはな雲にもまかいて霞にましる

なにもかもいりまじってもはやなにがなにともわけがたくさえあればそれらに抑差異があるなどということなどひとの頭だけがみいだした知性というけなげなものゝ見い出すさく亂のふうけいだったのかもしれない。かま倉のはずれのひと氣のたえたあかつきがたに躬の周囲にたつをとといえばみぶのバイクのそれいがいないはないかのようにも想われた。ふた葉の住ゐはすぐにみつかった。ま新しいたて直されたばかりの家屋はゝいごにせりあがりはじめた山のけい斜をいただいてあやまっておとした絵筆の散らしたそれじみて菫のしげみはこの葉翳なすいちぶにだけ繁もした。しげった樹もくの風にこすれあう葉のつらなりはひびいてかさなり家族と住んでいるに違ない。しのび込むつもりだった。門の前にばいくをとめて鉄門をおすといつもそうだったかのかたまたまにそうだっただけなのかあっけなくもひらかれた鉄門の下の蝶番はかすかな軋みをあげた。ひとのいきる氣配などもとよりなかった。みぶはしのばせて息をひそめるでもなくそのまゝに玄関のとをひけばドアはす直に壬生をいれた。いつも鍵をかけないというわけでもないだろうにと壬ぶはふいにわらいそうになってせきとむるすべなきおもいならばこそ關もりもねぬるはるのあけぼの

おんなのへやのありかはわからない。明けをしったばかりにすぎない早朝の家屋のうちがわはいまだに夜にかわらない。くらさにめがなれゝばかろうじておぼろにも軈てみわたせばまなざしのさきに階段があってみぶはさそわれるともなくそれをあがった。いつものままにしのばせもしない足を床はかすかなきぬずれの音の反響にだけこたえて二階の廊下に想い附きでつきあたりの部屋の戸をひらけば介ご用の巨大なベッドのうへにふた葉の身がらは寢いきをたてゝいた。あるいは惡夢を、と。時には間歇的にもあれた息につまりは自分にかくのごときさだめをあたえた交通事故の記憶をたぐっていたのか乃至それいこうのいつかのくらいなにかのき憶のいたみのみせた夢のわざか。ふた葉の息は呻くにちかいいき遣いを、そのとき、おおきく亂した。聲をさえ失ってしまったに違いない。にく體の障がいなのかこゝろのうちのそれなのか壬ぶはしらない。いずれにしても聲を發しえるならは首からしたをやせおとろえさせてふたまわりも小さくなってみえたふた葉はいま喚きちらしていたにちがいない。あるいは、と。もはや十二歳ではない自分のまなざしがひつよういじょうに雙はをちいさくみせていたのかもしれないとみぶは独り言ちればをんなに手あついかい護がなされているのはすけてみえた。

ふた葉のときに痙攣をさらしたまぶたにさえもやつれた氣しきはみえもせずしわせ?

と、「ちがう?」

おもわずにみぶはいまだに耳をねむらせたまゝの雙はのきこえないみみにさゝやきかけた。「ひょっとして」と、あなたは、いま。

「しあわせなのかな。」頭の中にじぶんの感情のない聲をきく。茫然としたかのそしてふた葉のねむりを覺めさせるきはなかった。同居のりょうしんなり兄弟なりなんなりがおきだしてくるき険せいなど抑かんがえてもいなかった。みぶはふたばのしぜんにしがってめをひらくのをまちベッドの傍らにひざまついてみぶはかの女のやすからとはいえないそれではあってもね覺のまえのしばしのねむりをせめても覺まさせないですむように息をひそめた。

カーテンのしめられない窓のうちにいまだに朝の明るさになれないくらさになれきった空間のなかにあってさえふた葉の顏をおおきくゆがめた骨格の變けいのそんかいはいたみのかんかくをみぶの視やにあたえた。鼻を顎を額のいちぶさえかいてむしろちいさくまるまってみえる顏はみぎから左にながれるゆがみにそってかきくずした九の字に目口をながした。近しん者たちはかわりはてたとえばそういうしかないふた葉のすがたをあわれみ歎いたにちがいなかった。腦のそん傷はどれくらいなのかあるいはじ故の乃ちのねたきりのせいかつが彼の女のみいだすふうけいをいかにへんようさせていたのか瞼さえとじられていれば壬ぶにうかがいしるよしはなかった。不いに叫んだ。ふたばは絶叫してそれはみじかく目をみ開き大口をあけた口の中に唾液の線がひくのをみぶはときになんどかまぼろしみた。むかいのかべにくらく黑をなす沙羅双樹のひかりが腐ったおほぐちをあけて壬ぶをみるともなくみていたからしたたる血の臭気に見たまぼろしだったかもしれなかった。みぶはそっとゆびさきをのばして眼の前にうかんだ沙ら双樹の佛のみぎのくろめにふれた。そのくろめはかたほうだけ壬生をむいてはいたがまなざしのうちに壬生をとらえていないことなどめいはくだった。いついかなるときにであっても、と。

おれを見つめておれを歎きおれのためにだけにも淚しているというのに?

すくいのひかりらはいつもながらにでたらめに空間のうちにそれぞれの躯体をつきださせ、うごめく。みぶはそのままにゆっくりとくろ目をおした。うるおいにすべりもせずにいざなわれたににてゆびさきは眼球をおしくぼませればふいに目の玉は破れた。ゆびさきをほとけの血がよごした。腐っていた。血は玉をなしてうかんでただよいほとばしらせた血のなかでも沙羅双樹のひかりは念ぶつのひとつでもくちずさむわけでもなかった。むしろみぶはじぶんのちにまれるすくいのほとけらのむ數の爲にあわれんだ。ゆびさきにしたゝる血はさりげなくもすくわれたようにうかびあがりただようたわずかのゆらぎのはてに腕に。華奢にすぎてもはやいたましくもみえたふた葉の腕にはった。

目を開いたふた葉はみぶのすがたを確認しているはずだった。こと葉も無ければまなざしがみぶになにかをうったえることもにおわせることもなくてそこにはたゝじ分をみつめただけのみひらいた双渺のむ感情があった。みぶはそれにみとれた。ここまでにいかなるおもいも無い容赦もなく純なまな差しがありえるのかとおもえばむしろいまはじめて人間のまなざしのそのほん性をさらだしたきがした。

みぶはら眼に人間の裸眼をみた。絶叫していた。そうとしか言えなかった。悲嘆恥辱憂いおの乃きにかなしみに絶望乃至いとおしさたゝ純粋にこがれた思い愛嫌惡憎惡悔恨、と。さまざまにさまざまでさまざまないろをさらしてかたちさえなしえないそれらあるいはたゝおもひとだけみじかく言ひすてゝしまうべきだったかもしれないものら。それらむ數の感情の喚き散らすむ際限のおん響のむれが聲をさえかたちつくりえずに哭きたってひゝき。たゝのおとの鳴ったひゝきとそうとでもいうしかない音響は結局は絶叫をかたちつくるしかなくてよもにもひびきわたる。ふた葉は自分のたてるそれがみぶには聞き取られえもしないことにはきづかずにたゝしずかなまなざしのをんなをみぶはみつめた。

まばたいた。

ふいにいちど、そのら眼のさう渺が。

みぶははなにだけちいさくわらったいきをたてた。…ね。

「久しぶりだね」——おぼえてる?みぶのこゑをふた葉はきいていた。みゝをすますまでもなくそれはじかにかの女のみゝのうちがわにだけ鳴る氣さえして「おれ、…」

おぼえてる?

「なんで、おれ」

わすれちゃった?…て

「こんなことしてるんだろ」

そんなわけないね

「ね?」

あなたは

「わらっちゃうよね。まったく」

思ってたんでしょ。

「ね、完全に」

ずっと

「無意味」

じゃない?

「だよね。もう」

ちがう?

「てをくれ」

おれのこと。おれの

「あなたにとっては」

たゝ

「なにもかも」

おれのことだけ

「もう」

ずっと

——逢いに來たよ。

と。さゝやいた。壬生が耳もとにたてたその聲にをんなはいかなるはん應もしめそうとはせずに壊れてる、と。もう。

なすゝべもなく。そう思って壬生は、とはいえそれを歎くでも憐れむでもなくてむしろめのまえにいき遣うものがたゝうつくしいとしかおもわなかった。なにがどうというでもなくて壬生はそっと女のほゝにふれるかふれないかそのすれすれの口づけをくれた。淚が、と。

ふた葉は思った。

いまこそ一生を千たびくり返したくらいの滂沱のなみだがひとおもいにながれだしてしまわなければならなかった。ふた葉の淚腺はかの女のいわば魂にかさなりもせずにたゝひらかれたまゝにかわいた網まくをいたませた。

そんなつもりはなかった。

抑やのふた葉をつれだそうなどとは。わかれをおしみはなれがたくおもったというわけでもなくてせめてもかの女にふさわしかるべき死にばしょでかの女のまいそうの儀式をでもしてやるべきだとおもわれた。かの女が早世どころかこのさき八十をもうすこしでこえようとする比にまでいきのびることなど壬ぶはいつかに夢の思い合せにしってはいたながらにも。いまゝさにかの女はかの女にとってのもっともうつくしいまい葬がなされるべきだった。みぶがたくらんだようにみゝもとにわらったのをひょうじょうのない女がきづいたはずもなかった。みぶはただじ分にだけたわむれて「ね」

と、

「つれだしたげる」云い終わらないうちにふた葉をうでに抱きかかえた。その瞬間にかんじられたいびつなまでのかるさに壬ぶはもはやこの肉たいのうちには玉しゐのかけらの影だに殘ってはゐないに違いないことをかくしんすればかべからはえたさら双樹のひかりはくちを朽ちはてたかのごとくにおおきくひらきゝって吐く血。腐った肉のしる。匂い、なにごともなくて右目にあかくろいよどんだ血をたれながした。ゆかに生えた腕の爪の無い蛸足じみた指がなにかをまさぐりつゝけて裂けそれはあるいは壬ぶのこゝろにふれて救おうとしていたのかもしれなかった。のたうちまわる指に足をまさぐらせながらも壬ぶはへやをでた。ドアはしめなかった。ひかり。だれにもすれちがわなかった。すくいの、餘にもおだやかすぎるひかり。だれもいない。むしろいま世界中にうでにいだかれた女とじ分いがいにはだれひとりとしてそんざいしてさえいない實かんがあった。そうとしかおもわれずにみぶはおんなのもはや魂のうつ蟬のむけがらの殻朽ちないゝきいきとした肉のいき遣う細胞のいのちのかたまりに、と、もはやそうにすぎなければ今やおれはこのせかいの中にひとりだけいき遣っているにちがいないとも明けのそらにすでに月はない。

日昇のときのゆふ暮じみては綻したくれないとオレンジの色彩のたわむれはもはやうせてあとかたもなく空はたゝあおくろくしだいにひるのひかりをましてゆくにちがいない。くろく重いゝたたまれないゝろのまゝにそらはひたすらにも純粋にすんでいた。

地のすれすれ乃至は山のはにの背後にうかびあがっているはずの日の玉はみえない。ほしがひとつだけまなざしにふれた。あるいは雙つかみっつ。有明の月というならばそれはありあけの星とでもいうべきなのか。ほしのひかりはたゝしろくそのちいさな點。あきらかに巨大な燃え立つ恒星のなまえを壬生はしらない。

からっぽの空虛な人形をだいたににてかるいふた葉をうでにしたまま壬生はバイクにまたがった。木の枝じみたふた葉のりょう足はひらかせればすなおにバイクをもゝにはさんでたれおち壬生はむねにふた葉の肉たいをあずけさせたままにバイクをはしらせる。みぶのたい温をかんじとるすべさえふた葉のひふにはもはやなかった。髮の毛のはえぎわだけは鮮明におとこの息吹に淫した。ひらかれた乾いたまなざしのうちに乾ききったあげくにかすかに淚がにじみはじめ時に性急にまばたかれた瞼がせめてもの潤いをまつげにちらした。空はあを闇の透明を濃く曝す。バイクの受けたふう壓は触感となって雙葉の顏の面にだけいきづき山のはビルの頭乃至みはるかす地にふれたそこからわきたった雲はその隱しえないしろさをくらがりに徽した。あるいは遠いぐるりの地の底から中天にむけてたちのぼったとどきもしない中途に力盡てかすみにきえるそんなしらくもに思う。死のう、いま、もはやこのうつくしさとゝもに。と。ふた葉はさゝやく。あたまのうちに鮮明に、いま、と。ふた葉はその聲をきゝいままさに死のう。この絶望的なまでのうつくしさとともにわたしはあはれわれ死なんとよくす時そいまかすむそらさえ立春知

はるの風はいまだにはだにさむい。

かならずしもふた葉をつれだすときにかの女のまいそうの場しょをきめていたわけではない。

耳もとに鳴った。

みゝなりにもにたひゝき。

風、といふ可きもの。

停たいしたくう気を速どはあれた風に變えた。

耳になるおん響。

ひびき、かさなるでもなくそれは層をなす。

いつかおもいつくともなく壬ぶはまいそうのば所をきめてゐた。

藤の花に、と。

弔うにはけばけばしすぎるほどににおいたつむらさきいろの色彩の下に。

うみのちかくの小がっ校のこう庭のそばに藤だながあったはずだった。

埀れ墜つたの亂したむらさきのさん亂をおもう。

色彩。

つたの匂い。

花の。

路をまるでゆき場所もさだめてはいないかのように迂かいする。

そのまゝどこにたどりつかなくともそれでよい氣さえした。

やがて止まったバイクは路面にあわい影をなげた。

空はもはやたゝ靑みをだけさらした。

だきかかえられてふた葉は校庭のへいの影をくぐった。

胸にあずけられたにのうでのはだに影のふれて過ぎるのをみぶはみた。

他人の家のにわさきだった。

奧に見えた家屋に人の氣配はなかった。

廃屋であるはずはなかった。

ねむり、と。

ひとがいまだにねむってる事實にふいにみぶが違和を感じたのはなぜだったのか。

空はすでに明けていた。

藤の花は紫色にたれおちて風にふかれればかすかなひゝきを。

たつ音。

こすれあいふた葉はきくともなく聞いた。

鳴りあう花のそれ。

葉。

ときには濁音をさえにおわせながらみゝに。

すれて匂う。

花の。

乃至はつたの。

あるいは葉の。

馨。

いきものの臭気。

むらさきのはなばなははただしきさいをさからせてふた葉のまなざしは見ていた。

もれおちるひかり。

花の間に。

葉の、つたの。

それらのわずかに切れめに。

朝の空の。

ひざまづくようにしてみぶはところどころに墜ちたはなびらをちらした土の上におんなをよこたえさせてかすかに笑い聲を立てた。いま、と。あなたはまい葬される。みぶはそうおもってそして永遠に、と。そっとおんなのひたいに躬つからの唇をくれゝばふちたなにかせさへとまり薰闇あくかる玉もたちすさみつゝ

大氣はかすかに風をしってうつろいながらも花の馨をいっぱいに飽和させて藤の花つたはうつゆは淚とぞだれながしたるそれともつげずに

みぶはそのまま女をそこにほう置した。

むらさきに繁茂し亂る藤にしる雅とは是凶暴の牙と、みぶは女をころしてしまった執ような實かんをだいていたうでののこす名殘の体おんのき憶とかすかしびれとをかんじた。









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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