雪舞散/亂聲……小説。15
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上お読み進めください。
雪舞散/亂聲
哥もの迦多利
亂聲
片山夕夏はみぶがじ分の肌に手もふれないだろうことはしっていた。いわれる儘にへやにまでころがりこみながらそれでも男ははじめからじぶんをもとめてなどいなかった。まるで目の前にみずしらずの他人の男をたゝせたににたへだたりがあってむしろくうかんさえ共有などしてはいないようにみえたもの乃おんなは壬ぶに戀していた。なんのゆるしないうちに勝手にベッドによこたわるみぶのめのまえでたったまま女はじ分でしてみせてやった。あなたは、と。
おとこじゃないから、とけばだった戯れの嬌聲、あるいはときにはたえられずに笑い聲をたてる片山ゆうかをみぶはせめてもみつめてやりながらにその背後にひらかれた廣い窓にカーテンはしめられない。所詮たわむれのはてることもない女のあざけるち態ははてようもなくてをんなは必死になにをあざけったのか。みぶをあざけるまなざしをかくさない女の目のないたようなうるみに酒の乃至はかるい藥ぶつの匂いがたって壬ぶは女を憐れんだ。「しにそう」
女はいった。かんじすぎてやばいかも、と、笑い「やばい。いましんじゃっていい?」
と、
「ね?」
女は壬生が自分をかけらさえあいしていないことをなん十どめかにもしった。
「しんじゃうね」
月。
「あんたにみつめられながらしんだげる」
女にてをひかれてみせをでたとき明けにおちたそらは夜の純な黑さをほろぼしてもはやなごらせもしないまゝにあおく光る月の白い圓をうかべていた。軈ては急速にながれる雲に隱されて歌ぶ伎町のまちのビルのたにまにみあげるしのゝめに日の玉に逢う有明の月をせきとむ雲のわきたつ
矢野先生っていたじゃん、と野島佳奈子がとうとつにいったときかの女のまなざしはあえておしころしたうたがいをかくそうとはせずにうかべて、同い年の女。眼差しがみぶのまなざしのむこうにあるべきものをさぐったが壬生のうちにはなにがあるというでもなかった。「だれ?」
「なに?」
「それ、だれ?」
「わすれた?」女は壬生がとぼけてみせたのだとおもった。せめても矢野ふた葉を氣遣って。同級のゝ島佳な子と鎌倉の海岸で顏をあわせたのは單なる偶然にすぎなかった。なにというでもなく或いはユイシュエンが一週間インドネシアにでかけた暇をもてあましてひさしぶりに鎌くらにたちよった十八歳の壬生は腐った血。
街路樹の枝。かさなる葉からも肉がたれてアスファルトを穢し、とびちったのは佛らの腐臭。夏休みに歸省していた野島佳な子が東京の大学にかよっていることをはじめて知った。すっごい、と。「ちかくだね」あるいは、——どこかですれちがってたのかも。云ったときに野しま佳な子は眼差しのなかに一瞬だけ夢に墜ちた錯亂の匂いを散らした。その日海岸で海をみるともなくみてゐた壬生のはいごに聲がたって、それは聞き覺えのない聲だった。自分の名字をよんだにはちがいなかった。ふりむいたそこにはしった顏があった。の島佳な子という名前を壬生はついに想い出さなかった。の島佳な子が壬ぶ髙明という名をわすれたことなどなかったのはめいはくだった。その獸じみた惡しゅうをさえ夜な夜なにも朝な朝なにもいとをしく「やばい」
女はいった。「こんなとこで、あっちゃった」邪氣も無い聲に「だれかが導いたかんじ?」壬ぶは女がひたすら自分につきまとっていた錯覺にとらわれた。なにを話すというでもなく海岸に戯れ言をすれちがわせたた別れがたいままで90%の沈黙がしめるしかなかったふたりの時間を女がなんとかひきのばそうとするのに倦んで壬ぶは女をカフェにさそった。「ほんと?」
女は云った。
「ほんと、おぼえてない?」
壬ぶの記憶喪失はすくなくとも矢野ふたばへの自分の勝利を女に意味した。どう時にふたばの敗北がじ分もきょうゆうする敗北にほかならいにちがいない匂いをは女はすでにいやというほどに感じられていておんなにはせめてそれに氣づかないでいるひつようがあった。「やばいよ」
たやすかった。事實、おんなはなにも氣づいて居なかったから。
女の聲はささやく。
「矢野先生ね」
秘密めかして。
「すごくかわいそうなの」おれに記憶されていないことが?…と、「いま、半身不随。というか」あなた自身と同じように。「首から下全部うごかないの」
「まじ?」
「交通事故で」
不意にの島かな子をみつめたみぶの擧動はかの女を一瞬おの乃かせすぐさまに色めかせた。おんなは「いつ?」ふいに
「きょねんじゃない?」
自分が一瞬であからあからさまな幸福におちいったのをいじらしくおもった。しらなかった?ささやいたの島佳な子のまなざしに鮮明な歎きのいろがうかんだ。「交通事故って?」
「なんかね、車と正面衝突したんだって。車と車で。でも、矢野先生なんか完全被害者だからね。パーフェクトに。對向車の飮酒運転?なんか、そんな。慥か、ね。わたしもよく知らないけど。矢野先生の車もうぐっちゃぐちゃで。救急車きたとき矢野先生ひっぱりだすのになんかチェーンソー?電ノコ?なに?そういうの。そういうなんかすっごい工具みたいなのもったきてぎりぎりぎりぎり車ぶった切ってもう足切っちゃう?みたいな。なんかそんなやばい状況やらなきゃだめだったらしいよ。特殊部隊かなんかが」
「特殊部隊はこないでしょ。さすがに。」聲をたててわらった壬生に野しま佳な子は咎める眼差しをくれたが、深刻な一秒のあとにやゝあって吹き出して「だね。」
「なんか、大変だったのな」
「めっちゃくっちゃやばかったらしい」かわいそう…——ささやけば野島佳な子はただひたすらに悲嘆をだけさらした。まなざしにも、いきづかいにも、けはいにさえも。「變な話だけど。」
「なに?」
「くまぞう君っていたじゃん」
「だれ?」
「髙岡くん」
「辰巳ってくまぞう君だったの?」
「死んだ方がよかったって。いってた」お見舞いいったときに、…と、あれなら、匂う。「あんなふうに生きてるくらいなら」口紅の匂い。乃至ファンデーションの。野島佳な子は眼差しのうちをみぶのすがたにうずめつくしながら「あの先生…矢野先生いゝ先生でゆうめいだったじゃん。あんなきれな、なんかもうきれいきれいだったひとがさ。あんなふうに。だったらいっそのことって。でもさ。わるぎあっていったんじゃないとおもう。だってさ。しってるよね?くまぞうの恩師じゃん。あのひと」
「なんで」
「くまぞう君の家が火事になってやけだされたとき、みんなに募金呼びかけたじゃん。先生。自分もそうとうおかねだしてあげたらしいよ。母子家庭だったじゃん。くまぞう。おとうさん、あのときってお父さんが無くなった直後」
「自殺?」
「過労死だよね。所謂。あれ。電車で。ホームから落っこちたんでしょ。ていうか自殺なの?あれ。結局會社にころされたんだよ」恩師だからね、——と。女はいって「よけいせつなかったんじゃない?」壬生は「あんなふうになっちゃえば。」野島佳な子が自分にいまだに戀したまゝだったことに憐れむしかなかった。あるいは誰の女になっても乃至誰の妻になってさえ叓あるごとにせつなくもみぶをおもだしてこゝろをそのときどきの感傷にそめあげてしまうにちがいなかった。おれは、と。
あなたをすでに殺した。「でも」思いだしたようにの島佳な子は
「かわいそう」云った。
「なにが?」
「みぶくんって、先生の事覺えてないんでしょ」
「わすれてはいない」あの先生さ…野島佳な子は「みぶくんのこと好きだったよ」鼻に笑い聲を立てた。「しかもすっごく」軽蔑を鮮明なまでにみせつけて「まんざらじゃなかったりする?」
「覺えてもいないのに?」
「でも、」想い出す。壬生がふたばという女がかつて自分に送っていた眼差しがあったことを思いだしたのは卒業して以來そのときがはじめてだったが盡もせで夢通路ひるにさえ木の葉の下のかげにもあくがる
「しってた?」
はだをさらしたままに片山ゆふ夏はたてたひだりのゆびさきにだけ自分のみぞおちをなでてまどぎわ、背後には「わたしってさ。まだだれもしらなかったりする」
光。もはや明けていくしかない朝の「あなたのためにだけ、うまれてきたきがする」片山ゆうかになんどもすがりつかれはだをふれあったにはしても壬生は終にかたやま夕夏を抱きはしなかった。「ね」と女がふいに吹き出してしまいながらやゝあってこ首をかしげればめのまえにながれた肩のせんにかの女のうぶ毛は逆光のちにもきらめきたって流れおつ淚よしぐれぬらすみち夢通路いづくにや果つ
大氣がかすかにも雨の氣配をしったその日に矢野ふた葉は十二歳のみぶの卒業式にあられもなく淚をこぼしていたのはたゝみぶのためだけにあふれでたそれにせめてもうずもれてゐたかったからに違いない。ふた葉は周囲のめのがさすがにみとがめはじめたのにはきづきながらも卒業式のおわりかけの体いく館のパイプ椅子にすわってもはやなにもみない乳はく色の淚のくもりのうちにしょう年をだけおもった。わかれをおしむこゝろにちぎりあうあわいのぞみさえもかさなってもはやなにを歎きなにに淚するのかさえもわからずに校庭の庭の櫻はみい出されもしないまゝにこれみよがしにも咲いてゐるに違いない。ふた葉はしょうねんにうりふたつの母をやのうかない顏をしたまなざしのの翳りをはついに正面からみなかった。卒業生にむけた在校生のうたがみゝにながれた。合唱の練習に例年通りの二週間をかけたはずだった。ふた葉はけっきょくのところ、と。わたしはなにをもとめていたというのか。あんないたいけもなく美しいせう年に、とながれおちるなみださえもがことごとくにうもれるはきだされるいきの亂れ洩れる嗚咽さえも穢れはてたきさえしてこなちらす蝶はなににかまといけん櫻はなかけ色馨みちるも
山田ひで房は窓きわにふいにたちつくすみぶにみとれた。じぶんとおなじくにす肌をさらしたみぶは床のうえに身をよこたえたかれのまなざしのなかにあわい逆光に淫した。夜のふかい、あるいはもうすぐ明けにふれもする比のそらのひかりも壬生のひかりに翳るだけの肉たいのうつくしさをかくしとおせはしない。彼のいつもの獸じみたあく臭がはなをつけばむしろこゝちよくて「なにあれ」
もっと、と。
むしろそのまま惡臭のうちにうずもれていたかった。「あかいの…」
あれ——と云ったみぶのまなざしのむこうには月が輝いてゐるに違いなかった。「知らないの?」山田ひてふさはゝや口にささやいて、今日、…さ。いひかけてやまた秀房はこと葉をのみ込んだ。振りむき見たみぶはほゝえんで居た。なきながらわらったような、と。山田秀房はやさしくもはかなくもた人をきずけてやまない彼の矛盾を愛した。みぶのまぶたがつかれ果てたけ配のうちにまばたきわするなよ老のはてまでつきあかきあかきつきのよてらされたはだ
やのふた葉はその朝まだきにうたゝねのうちにみていた夢のなんのゆめだったのかも覺えないまゝ目をひらけばそこにひざまづくようにしてかの女をのぞきもむうつくしい男のほゝえみをそのまなざしのうちに見た。覺めやらないまゝの夢のつゝきかとも思いまどうもののみまがうこともなくそれは哀、と。こゝろがいっしゅん窒息して軈て堰をきってふるえてすでに影をさえみなくなってから七年ちかくたったみぶたか明にほかならずなに?
と、「どうしたの?」發聲をうしなったじ分のくちびるがささやくべきだったこゑのあたまのなかにだけひびくのを聞いた。
壬ぶがわざわざふたゝびかま倉にまで歸りついてふた葉の家にまでゝむいたのは二か月まえにみゝにしたふた葉のしょう息をあわれんだからだけとは言えない。みぶはじぶんのいのちがあと半年もなくてつきてしまうに違いなことは夢そのいつかのあけぼのゝ霞むたつ春のそらのしたに舞い散った櫻がやがてはまいあがってほんとうにそらのなかばに雲を成して仕舞うその夢。ゆめの敎え示したことゝして彼はすでにしっていた。あるいはさいごにせめてふた葉にひとめ在りし日のじ分のすがたをみせてやるべきだとおもわれたからだったともいえてふた葉の住しょなど難なくさがせた。ほかならぬの島かなこにきゝだしたのだった。みぶ髙あきのかけた電わのむこうで女は一瞬のちん黙の乃ちにひらきなおった猜ぎのいろをもはやこゑにもかくさずに「どうしたの?」あいたいの?「なんで?」
好きだったりする?——と、おんなのさゝやく聲をきく。やつぎばやの「な、わけないじゃん」
「だったら」
「べつに、」
「なんで」
「関係なくない?」おまえに…じゃ氣もなく云って笑ったみぶの聲にもかな子はみゝのうちに咬みつくしかない。咀嚼されたこゑのまにまにあたまのなかにじ分の血がながれている氣がした。をんなはこともなげに壬生にじゅう所をおしえた。それからいっしゅうかんほどなにともなくほう置してそのきさらきの櫻のさきそめる比にみぶがバイクにまたがったのはその日のそのころのみぶのまいにちがそうだったようにたゝ暇をもてあましていたからにほかならない。まな差しのなかにながれるふう景の疾走のうちにみぶは雪、と。櫻の雲の舞い上がる夢を思いだして雪とこそみまかう色はさくらはな雲にもまかいて霞にましる
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