雪舞散/亂聲……小説。12
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上お読み進めください。
雪舞散/亂聲
哥もの迦多利
亂聲
さがしてた、と。
「ずっと、」
女が云ったのはとりとめもない女の近況と「いま、ね。」みぶのいなくなった店の近況の「ずっと。」ほうこくするおんなのこと葉に相槌くらいはうってやる退屈を壬生は倦みはてゝむしろなにもかんじなくさえもなってから。もう遲くてふかい比とはいえいまだに午前にはちがいない空はいよいよに靑みをこくしてますますにとりつくしまもないほどに透き通るもの乃街路の樹木乃上そゝりたったビルの切れ目にみえる靑はつつみこむような大きさなど一切かんじさせもしない。「しってた?」
しらない。ききもせずにそういった時壬生がじぶんのこと葉などなにもきかないでとっさに口にしたにすぎないことには氣づいてむしろ女はわらい顏をこぼす。この、と「わたし、ね」うつくしい。愛「さがしてたんだよね。ずっと」すべきどうしようもないくらいにせ「さっき」つないひとつのいきもの。「ね?」
あなたのそばに
「おれを?」
ずっとただよう
「なんで?」
くうきのように
「おれ、さがしてたんでしょ。」
あなたのはだには
「なんでわかっちゃうの?」
ふれていたとしても
「ずっと」
でもね
「うそ」
あなたの
「しってた。」だって、と「それいがい、お前にできることなんてなにもないじゃん」壬生がそのゆびさきに女のくちびるにふれてやったとき、ややあって女はなんのことわりもなくいきなりの滂沱の淚を埀れはじめた。嗚咽どころかわずかの泣き聲をのどにたてる叓もないまゝにゆくはるもゆく秋もふゆも名はあれと五月のはしめをなんと呼ふへき
やっぱ、すきなんだね。と、そう、まなざしがとられた眞向いの他人をけいべつしきったたかのように口ばしったとき久松史子は「わたしって」あなたが、と、いまだに淚をせきとめられてはいなかった。あるいは、と。壬生はいま女はみづからのないていることさえきづいてはいないのかもしれないとも苦してふことをは知るや蝶の羽は雨の搏てれは落ちて失せるも
飮む気もないコーヒーがひとりでにふたつテーブルの上に匂った。なにをしてても、と、おまえは、と。さゝやかれたそれら。
こと葉。
「おれを思いだす。」
「…そ。」
「どこにいても」
「…そ。」
「いるはずもないとこにも」
「…そ。」
「ゆめのなかにも」
「…そ。」
「おれがでてくるはずのないゆめ」
「…そ。」
「さいごまでおれのでてこないゆめのなかにまで」
「…そ。」
「朝のひかりのなか」
「…そ。」
「カーテンをひきあけた瞬間の路上にも」
「…そ。」
「雨のふった日の夕暮」
「…そ。」
「傘の中からみた風景のどこにもかしこにも」
「…そ。」
「雨のしずくの中にさえ」
「…そ。」
「はいったカフェのなか」
「…そ。」
「おとこが自分によりそってきたふいにみた街灯のひかり」
「…そ。」
「そのむこうのビルの谷の影」
「…そ。」
「いつかタクシー留めた瞬間に」
「…そ。」
「ひとりでのったタクシーの横の席」
「…そ。」
「はいった店の向こうの写真パネルの下」
「…そ。」
「表參道の街路樹の下」
「…そ。」
「歩道橋の上」
「…そ。」
「目には見えてなくても目のとどかない氣づかなかったどこかに俺がいたんだってなぜか後悔する」
「…そ。」
「ひとりになれば初めて気づく。いろんなこと」
「…そ。」
「おれのたいせつさ」
「…そ。」
「いまここにおれがいてほしいこと」
「…そ。」
「おれしか自分が愛せなかったこと」
「…そ。」
「おれがいままでしてくれたこと」
「…そ。」
「おれがあたえたいっぱいのくるしみ」
「…そ。」
「そのいとおしさ」
「…そ。」
「おれがしてくれなかったことのすべて」
「…そ。」
「そのかけがえのなさ」
「…そ。」
「してほしいこと」
「…そ。」
「おもいつづけていてほしいこと」
「…そ。」
「おもいつづけてはくれないこと」
「…そ。」
「それでもおもいつづけていたいこと」
「…そ。」
「けっきょくおもいつづけてしまうこと」
「…そ。」
「だからわすれられはしなこと」
「…そ。」
「だからおもいつづけてばかりいた」
「…そ。」
「おまえ、」
「ね」
「莫迦?」すき、と、久松史子はようやくにしてささやき軈ては金も払ってやらずに女をそのまゝに放置して店をでれば壬生はまっすぐに部屋にかえるきにもなれずに道玄坂をそのままのぼろうとしてそれがユイシュエンの部屋のちょうど反対にむいていることは知っている。息をきらせるほどもない急とはいえない坂みちがいつか足にかすかなおもさをかんじさせはじめて壬生はふいに、さっきまで雨がふっていたことに氣附く。想へばたしかに雨は降って居た。雨の中カフェにはいったのだから。もっていた淡いむらさきの傘はわすれた。ささやかな名殘りをあたえてやったきもないままに雨のあがった湿気が肌にふれた。たちどまろうとしたその寸前に街路樹の根の土をつき上げた狭間に花。それ、あしもとのちかくにかろうじてさいてゐたはなをみてやがては立ち返ってしゃがみこむ壬生をとおりすがりに人はなにかを落として仕舞ったのだとしか思わなかったに違いない。花弁にふれれば露をおとしてしらざりきあはれかくもやかほるとはその花すみれ更衣の比
久松史子はそれから壬生と逢わなかった。
しゃがみこんでゆびさきにゆれていた花のいろにも馨にも倦んでしまったということではなくてふいにしょうじた諦めにようやくたちあがった十三の夏のいまだにをとつれないあいまいな比に壬生は仰ぎ見た石段の數十歩分の先に母親が咎めぬいたはてに疲れきったようなまなざしをうかべて自分をみつめているのを見い出す。美しいと人は思うだろうとは知れる。ながれた髮の毛のさきまでもが美しいと、いまあなたの眼のまえにあるものにのめりこんで悔い歎きただ絶望しながらほろびてしまえと意図もなくさゝやきかけてゐる、そんな女ほどくだらないものはないと壬生は思った。あなたなんて生まれてこなければよかった、どうせ、と。
不幸でさえない。おれのそばにいられる以上は、と、竹林の茂って石段をひたすらに追う路、壬生の耳は周囲にこすれなる風のならしたさゝのひびきをきゝとるがこれは自生のそれなのか。それとも不遜な迄に暴力的なまでに繊細な忠雅の審び眼のしくんだものだったのか。いずれにしても笹の葉は風にこすれゝばかすかにでもなるしかなくて果てもみえないほどにしげりつくせばかさなりあってもはやみゝには轟音とでも戀せずにいられないなら戀せよとさゝやきかける笹の音の闇
あなたは終に救われない。この世に俺がいる限り乃至おれがいたという事実を殘すそのかぎりに、と、あめがおちる。つらなったくもがなすすべもなくたたきつけた豪雨のなかにおとこは刀の血をあらった。みやこをおちてをくよしのにながれついたその僧侶のいうままにほんとうにじぶんがすべらぎの血をひくものだとはおもてはいなかった。いずれにしてもその慈延となのったいまだにみそぢのそのおとこのしくんだまにまにじぶんが宮こにあらがわなければならないことはしっていた。長祿の元年のきさらぎ十八の年を數えたをとこは夢に櫻の木のしたにをんなをほうむるのを見た。そのながつきの櫻ははなをさかせるすべもない。をんなのなまえはしっていた。そのをんな、おさない比か躬に添うたなじみの、と、千とせを千たびくりかえしてめぐりあひつづけたをんなのさいご、やきおちたやしろのけむりのにおい、なにを、と。おんながとまどいもせずに云った叓は知っている。なにをまよふておられるのか、と。そのふりあげた短刀をおんなのむねにつきさしたときに見える、と。ふじのちかくのないしはふぢの。その瀧のおちるをとのふもとにふたゝびめぐりあふとおんなの最後のこと葉のつたえるさきの世のちぎりはいまだにおとこの夢にあらわれなければおもいあわせようもない。あしもとのものゝふの小僧なきがらはじぶんよりもわかくてしのびこび夜うちをかけてとりもどした神器に慈延は淫した。みだらなまでにほをずりさえもさらして戰。そうもなってしまえば血にまみれるしかない。これからいったいなんにんよしのに血がながれほむらがあがるのかおとこは豪雨のなかに憂ひをんなのもとに、と。ふいにうしろからおそいかかった小僧は先兵だったのか。都の御いくさのやがてしのびこむにはちがいなくそのまえにと。おとこはをんなのまつ躬をひそめた山のいただきのやしろににげこまなければならないと雨。たたきつけて飛沫をあげてなにかいいかけて檜山花繪がふいに口をつぐんだのをみぶはみていた。十ご歳にあと數日でなる日にも壁にひらかれたまどからみえた校庭に雪のふっていることはしっていた。みようとおもえばすぐにまなざしにとゝめられる淡いその舞散樣をみぶはあえてみようともせずに雪をはいごにしてかれをみつめた少女をみつめてやった。休み時間にふいに話しかけたもの乃ふりむきみられたしゅんかんにこと葉をいっしゅんにしてわすれて仕まった少女にはすでに女の匂いがした。自分へのもえたつ戀のせいとばかりに壬生はおもひそれがなにをいみするのか壬生はあるいは少女とかの女の男い外の誰にをも終にきづかれもしなかったまゝにをんなの手が震えていた。きづかないほどにかすかにだけ胸の近くにもたげられたそのゆびさきは不意にかじかめどむ月にも頬朱にそめば花ともまがひて散る雪を見よ
なんのまちがいだったのか軈てなきがらの検視官さえも四つきの受胎をみおとしたのは胎児のみ玉のせめてものあわれみだったものか。
0コメント