雪舞散/亂聲……小説。10


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上お読み進めください。




雪舞散/亂聲



哥もの迦多利

亂聲

ふたゝひの雨とおもえはしのゝめのやみなすさゝの露の飛沫か

つらなるさゝの葉のざわめき。さえも無い静寂。と。そう謂うしかなかったほかのしのゝめに乾ききった熱風。むかしをとこありて彼は掌に血を拭った。夢の中で知っていた。いつか見た鮮明な匂いをさへ伴った夢の内にかれは何度も死んで生死が百度を幾千度數えたときの叓だったのか。北原和馬という名でいきたその沖縄でふりむきざまに胸をつらぬいた銃彈をうちこんだのがだれだったのか壬生にはわからない。米兵だったのか仲間内の流れ彈か。

ゆめに見た。なんども夢の中で轉生にはだを變ながらも愛した女がひとりだけいた。いまのよにいまだめぐりあわなかったそのさきのよには原田なみことよばれていた女のちぎり合った魂はそれでもそのさきのよのさきのさきのよのさきのいつかにおなじくに終にむすばれたとはいえなかったかもしれない。としわかくはたちになるまえには從軍したみぶはもはやなみこの顏もみないで数か月がたったものゝ燒けつくばかりの痛みがむねをかきみしる。ふきだす血はにおいたってかれの肌の野生のあめにぬれた獸じみた惡臭さえもおゝえばみあげるまでもなく空は靑。

すみきって靑かく晴る以外のなんのなしようもないとばかりにも晴れわたったそらの夏の熱氣がふりそゝいでいる叓も和馬はわすれた。戰爭などすでにおわったにひとしい。部隊のいきのこりなどこの島の住人ふくめてなんにん殘ってゐたのか。のたうちまわっても生き殘るべきだと和馬は思った。そうでなければかの女の涙がそのほゝをつたうばかりが慟哭のけいれんさえもがひとつしたのおさなゝじみの少女のからだをわなないてのみこんでしまうにちがいなかった。失神からめざめたときにじぶんが失神していたことにきづく。ふたゝびきをうしないそうになりながら氣をうしなえばもはや死んでしまうきがして踏みとどまろうとする。なんどもおそいかゝるかるい失神のうちにそのたびにめざめて流れ出す血はもはやい識のすべてをはくだくさせようとするものゝ戰線はすでに銃彈とばく撃をまきちらして地形をさえ破壞し北のほうにすぎ去ったあとだった。ゆめのうちにかうつゝのまゝにかをんなの聲がいゝの、と。さゝやき彼はききとろうとしてそれでいいの。

と、みゝもとにさゝやかれた聲は聞かれていた。なぜ、とゝいかえしかえたときには壬ぶはおんなのそれでもいいの。と、その聲のさきにゝおった本心をりょうかいしたきがした。壬ぶの戰死をしったときのしん夜その死をつげられてなみだのひと雫どころかなげきのこゑをたてるでもないほゝえみの「いいんです。」自分をいぶかりもするりょう親の「だって、」めのとどかなかった湘南の「りっぱにお國に殉死なさられて、」うみべに浪のおとをきくともなくきゝながら「まだ、まけたわけじゃない」

「でも、しなばもろともって」

「それはともかくも」と。ちちおやなる喬文のなげたをしい叓をした、と、むすめのちぎったおとこの死をいたむこと葉はすでにわすれた。さゝなみのをとのまにまに本土決戰に備えた護身の短刀をのどにつきさしときになみこはみみにとおい南の島の銃彈のをとがこだまして自分の血をはくをとこの苦痛はただ鮮れつににく躰にすきまもなくいっ致した。いきたえるさなかのいつか亂れもせずにもはやおだやかさを知り始めた息のきえゆくさなかのいつかおとこは遠くに女の微笑んだまなざしを見いだしてそれはおもひ出されたきおくだったのかせめてものさいごにあくがれでた魂が夢に通っておんなのかたわらにたどりついた徽だったのか。喉はすでに血の味もかんじられずに終にふれもしなかったをとこの唇のあじをかんじてみひらいたまなざしをひとたび亂れてわなゝかせれば頭の中を死にかけの叫び聲がつらぬくものゝ契りをく松枝朽ちたさきまても誰もゐぬ時果てたさきまても

たえもせず、と。いわゆる穢たのむらに出自をもったかず馬の戰地からの手紙がなみこのめにふれることなどなかった。娘のしんだあとにようやくとどいた最後のてがみをめにしたときにかず乃という名の母親はあのおとこにころされたようなものだと男をだけ呪えば花散色ひとのすかたにかさなれは夏のみとりのしけりはいつこそ

なぜあなたはいまだにこの世におれのまえにすがたをあらわさないのかとみぶはいぶかしみながらも腐った血。さら双樹の腐りおちた肉躰の慘殺されたかのできそこないの斷片がそらをうめつくしひかり。おだやかにもなつかしくこそあるすくいのほとけらの光にむせかりあを空のいろをだいなしにして散乱する佛らの肉の腐臭。ひかり。なつかしい匂いをかんじたきがしてめざめたのはなにかの錯覺だったに違いない。わずかの刹那にだけおちたかるい失神に似たうたゝねにすぐさまめざめてみぶはもういちどあの匂いをかぎとろうとしたがその時にはただ夢にもみなかったはずのハイビスカスの花の殘像がまぶたのうらになごりとしてだけ残っていたのをいぶかった。あるいはその花が悠貴のいつくしんで鉢にうえてそだてゝいたものだったからなのかじぶんのはだが悠貴のそれのうえにかさなって今からだのしたにいき遣う女の諦めをさらしよこになげすてられた眼差しがなにをとらえているのか壬生はさぐろうとする氣さえない。ただいちどの契りのおわったあとにも悠きのからだは肌にしつような体温をはなっていただけで何をつぶやき何にあらがい何をうけいれるでもなくをんなはちん黙した。思いを遂げたのはむしろおんなのほうだったはずだった。しんやにしのびこんでいまだに淺いねむりからさめもしないかの女のくちびるをうばい短くふるえたまぶたのほんのわずかなまどろみのあとで眼差しはそのこにおんなのいつくしんだただひとりのいきものがほゝえんでいたのをみいだしていた。あなたのほしいものがここにある、と。

壬生がひらきかけたくちびるのうちにそうおもったときにもわずかな軽蔑さえやどりもしないひたすらにおんなをいつくしんだ同情だけがひろがって神な月のくれかたの忠雅のかま倉のにわにはいつものとしのいつもにかわらないおびただしいそれぞれにただいちどきりのそれらそれぞれに色づく紅葉ゝのそれぞれのはなやぐ散亂があった。台風は関東のどこかのうみぞいのまちの山をけずっていくつかの集落をこりつさせた。ことしは何人しんだのかわからずこれから何人しぬのかもわからない。じしんにえぐられなかっただけましではないか。まどのそとには通り過ぎた台風の名殘の突風がときおりにだけ音をならして葉のむれは墜ちた地のうえにあってさえふたゝびまいあがってちっていくに違いない。いくつかは池のおもに文字通りの錦のいろどりをやがてしずませてゆきながら。月のすがたながれた雲の翳りをもわずかな波たちにくだき秋の暮のにしきさえをもうかべたならば水のおもはいまなんそうにわたって色彩に淫したのか。女の息遣いだけがきこえるきがするのはおれが、と。いまそれだけをきいているからだ、とみぶは戯れたこゝろのなせるわざだったのかふいにゆたかな胸にほゝをあずけてをとこのいたずらに悠きはもはやあらがうこゝろ正気もない。おんなのこゝろはすでにこわれて失せて死んだ。壬生はおしつけたみゝのこちらに鈍くやさしくひびいたおんなのからだのなかの音響をきき滑稽なまでにいきものゝ騒音にあふれたそれらを亂れを壬生はあざけわらうきにもなれずに悠貴はなにをおもうていたでもない。かんじていたでもよろびにのまれたでもまして愁いていたでも憂くでもなんでもなくてなにかはっきりとかんがえてなにか鮮明にでもかんじとらなければならないとはおもいながらも冴えたままに霞をしるだけの意識はもはやかたにもならない思いのなみだちの無際限をのみ見い出す。悠貴がなぜおとこがいまさらに忍び込んでじ分をだいたのかおもいつきもしなかった。じぶんのうつくしさにめがくらみかつていのちをあたえられたからだであることなどわかりながらもなすゝべもなくうずもれてついには我が物としてけがしてしまうよろこびにくらく淫するには少年自体があくまで彼じしんのうつくしさに倦みきっていた。櫻のはなに散る雪にもまがう花の切なるうつくしさへのこがれもしっともなにもあるはずもない。悠貴はじぶんのかたちざまのなにをもが壬ぶたかあきをひきつけるすべなどないことはよく知っていた。であるなら自分のはだにそのしろいはだがふれている叓はどうしようもなくゆるしがたいありえないあやまりだったとしかおもえずにあるいは躬づからの心だけはこゝろのそこからのぞみこがれまつのえだにかけてもにまつにまってまちあぐねていたのかもしれない夜のあけがたの時の到來をむしろ悠貴はただはかない夢よりもはかなくかなしく身をきられる痛みとしてもおもうしかない。しらすんで霞い識のかたわらにはむぞうさにわきたつ歡喜のなみのなみだつ聲のむれがひびかれながら、時には贖罪、と。もっともいつくしみ愛した少年がいまじぶんのせいでとりかえしようもないくらい闇のゆくどまりのはてにまどいかがやかしかくべき乃至こころからそうねがわれたしょう來をまで穢れさせてしまった叓にはまちがいもなく或いはならば躬つからのもとめていたのはなんだったのか。むすばれても歎き歎くばかりにむすばれようともとめ焦がれむすばれなくてさえ歎きまどうならもとから歎く以外になんのしようのあるわけでもなくひかりを見る。

壬生のまなざしのなかにいつでも見えたしゃ羅そうじゅのひかりがあふれかえっているのかれはせきとめようもなくて聲をきく。すくいのほのかなおんど。おまえは、と。腐った匂い。すくわれるのだよ、と。佛らの聲がきこえてひかり。あたたかな。いつくしみだけさらしたかなしいすくいの、それらかさなりあう聲はただひかりにあわせて自分がかってにきゝだしたにすぎない自分のたてたおん聲に過ぎないことは知っている。うつくしく、ここちよいひかり。よくもなにをもすくえもせずに未来永劫ひととりけだものむしもしくはくさあるいはきあげくはなみずそらかぜありとあらゆるたましいというたましゐそのそれら魂のそんざいするかぎりのときのうちくうかんのなかにひかりつづけていられるものだとよくも、と。腐った血が女のはだにめばえた佛のきたない顏のりょうのめからなみだににてたれながれてきたないにおいの腐臭のひかり。

あたゝかな、たれながれてひたすらにいつくしみ、あいし、みとめ、ゆるし、ほゝえみ、とわなるほとけの微笑のひかりのほとけのながすなみだのしずくのこぼれおつればそれはあざやかにはえるはすのはなのみとりなるいろのふくんだうつくしいたゝひたすらにうつくしいはなの花弁のしづくになってゆれるみつのおもにひかりのさゝなみはしろくみたれてちってとこしへにとめともなくとゝまりやうもなくてのみつくせよ、光。

しゃらそうじゅのひかりはこれほどまでにむえきにはてもなくきらめきつづけながら腐臭を放ち腐った肉を腐らせ腐った血を吹き出してよくもきもくるわずにいられるものだと思えば抑佛もおれもなにもかももとからくるっているのだと壬生は思う。あらがうということをどこまでもほう棄したおんなのかほそいうでに指をはわせた。かっしょくのはだにもれこむ月のあかりにいよいよ色を濃くしたそのはかなすぎるやわらかさのうえに壬生のまなざしはじぶんの雪のようにもしろい無ぞう作にしかも無垢な色彩がはうのに見いる。ゆびさきがやがては女のみぎのてのひらをまさぐろうとしたときに女はいともなく少年の指を掌につゝみんだ。思い出す。十六歳のはじめははなるおんなにおんなのからだをはじめてしったあけがたに壬生は夏の日のいつかにみた風景。十二歳の比だったに違いない。いま肌を合わせて居る女はそのときにはうまれてからおとこのはだのおんどなどしりもしないとばかりに夏、清純な黑くよごれた花。あくまでもきよらにとはいえちかづけばかの女のおんなのにおう芳香の翳ったどこかに汗のにおいがしみついている。のぞきこんだおんなのほゝえみかけるまなざしからめをそらして悠貴がなにをかれにかたりかけていたのか少年のき憶にはない。その夕暮かゝる庭の池の汀に振り向けばあしのしたに蝶が舞うのを花。くさのはなの黄色のその色にあそぶ夢みた蝶あはれまどわし捨て置きふいに散りおつ

その花の名前は知らない。

をんながちをはいた。あけひろげられたくちからはたしかにまなざしのうちにひかりつづける佛らがまきちらすににたくさったにおいがし天曆の御時のすゑのころに二條の局にをとこはめをふせた。やまからおりた僧らがあげる讀經の供養がとりつかれた惡れいからをんなをときはなつともおもへなかった。もはやをんなに色彩はなく黑くさえない色彩の喪失のなかにさけぶ。我妻とはいえないかの女は御ゝ門の御寵愛をつゐにうけいれずにをとこにひそかにこがれつづけた純をさらし御みかどのをとこにをくりたまふたせつなる哥のせつなるあはれにをとこはかへしのしやうもなかくて腐つた血を吐いてあられもなくもひろげた大股に血をながすおんなにいかなる邪靈のとりついてあるのかをはをとこはしっていた。新院の御后、と、そのいきりょうのはじをしらないまでのこひにこひするすくひなくもこひこかれてとりついて亂れてかのとりつゐた御かたじしんはひたすらになげきてはかなみ佛にひたすらにも祈り神にもひたすらなる御禊にあけくれながらも狂ふた生靈の咒の執拗。憑かれた女。とわをもちかい千とせを千たひくりかえへしてもちきりあひつゝけた咒はれたおんなのあけはなたれたくちはさけてたれなかれるのは血くちのまわりにちった糜爛のちの玉をあはれ、と。

僧らの讀經は叫びにちかく抑すくひもなけれはたゝひたすらに畜生餓鬼おにけものの道にまよふてくるふてしにたえよいまとゝりたてゝいうところもない六本木のカフェに壬生がかよいづめたのはそこに山城美幸がいたからだった。女に戀したわけではない。むしろ戀こがれたのはおんなのほうにほかならずとゝのった顔だちにめぐまれながらも奇妙なまでに色氣をはかんじさせないはたちすぎのとし上のをんなはたぶんおとこのくちびるどころかゆびにさえもふれたことはなかったにちがない。カフェのアルバイトかとおもわれた彼の女が店の初老のオーナーのむすめだったらしいことにきづいたのはいつのことだったのか、たしかに鬚をたくわえた端正なおとこはいまだに五十代にしかみえないおもだちをさらしてパパ、となにの折にかふりむきざまに一度だけ云ってしまった女を彼はそれ以上にはとがめなかった。なんの必然性の許のそれかはふたりにしかわからないまゝにあきらかにかれらのルールを破ったことをじかくしていたみ幸はほんの一瞬だけ顏のいろさえしろくひょうじょうをなくしたがふたりい外に從ぎょう員のいない店になんの規律がひつようだったのか壬生には理解できなかった。をんなのくちびるがかすかにわなないて美幸はわざとのように時には垂れ墜髪の毛のふれあいそうなすれすれにみぶに給仕した。戯れ言に晝休みををつぶしたおんなたちにこのまれたちいさなカフェのみぶの周囲に散ったおんな客はあるいはぶしつけでさえあるほどに壬生へのかくされた色目をみゆきのきょ離にときにしっとさせるそのし草を壬生はかならずしも不快にもおもわなかった。

いつも、ひとりなんですね。

ふいに女がいったとき、客のひけたみせの中ゆうぐれがたにいろづいたそらは六本木通りの路面の街路樹の影の切れ目にいろづかせた。たくらんだわけではなくてこと葉のふいにくちにこぼれたにすぎないことをかくしようもない女の意図もないまなざしは洩れたこと葉のあとにいっしゅんにさえたりない短いちんもくを咬んだあとで軈ては羞ちと悔恨をすなおにさらしまぶたのきれめだけにかすかな硬直を見せた。

だめ?

「なにが、ですか?」

ひとりで來ちゃ。

「すみません」

なんで?

「…ん」

——ね、と。名前、なんていうの?

いひかけた壬生のまなさしがやさしくしかないほゝえみゆがんでいたのを美ゆきはかの女のまなざしになんどめかに確認する。「…と」

——あてようか?ふいに云った壬ぶは聲をたててわらった。

「かすみ」おんなのまなざしにまどごしの「ゆきな」さしこむ夕の日がおぼろげな「ゆうか」しろいきらめきとそのきらめかない表面の「ふみか」うるおいに「はなよ」しつようなほどにすんだかげをあたえ「はなこ」あなたは、と「ひなた」もうとっくに「くみこ」おれをしか愛せない。

「はなこはない」おもい出したように女はわらって「センス、うたがっちゃうかも」

「なんで?かわいいじゃん」

「どこが?」

「失礼だろ。はなこさんに」

「今どきいないと思う」

「いるよ」

「いませんって。ぜったい、」

「じゃ、おまえ今日からはなこ。」

「ちがいますから」

「おれ的にははなこ」

女のまなざしにはどこにも翳りさえもなくて赤裸ゝなほゝえみがたゝすなおにほゝをゆがめてゐたのを壬生はあやうくおもいみるものゝいろづいてなまめきだって薰るだにはかなくくるしき花など無くば

おもえば夏にも秋にも冬にさえ咲く花はある。あめのうち梅雨のまいにちのこまやかなあめのなかにさへ。









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000