雪舞散/亂聲……小説。3
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上お読み進めください。
雪舞散/亂聲
哥もの迦多利
亂聲
ほしい?穗木が「餓えたくそまみれの耳から腐った脳みそたれながした犬っころみたく」アルコールにまぜこんだ錠ざいはユイシュエンには用をたさなかった。あるいはユイシュエンが感じていたかすかなめ舞いの感かくこそはそのピンク色の粒ふたつのせめてもの名殘だったのか。くろずくめのタイトな服に身をつゝみこんだパンツすがたのまゝで雨萱はすでにふり已んでしまったさっきまでのあめの音の殘響をみゝのうちに雨。ふりしきって已みそのゝじつをさえ日のしたにきえうせて仕舞うそのひゝきをひとりひゝかせてあそんだ。おまえ、と、「男の気もちなんてなんとも思って無いんだろ?」度胸あるの?そう云ったのだった。男がきゝめをみせない錠剤にごうをにやしたクラブの極さい色の暗がりのなかゝらかのじょをつれだして、ホテル、取ってあるから。云った穗木のもとめていることくらいユイシュエンは良く知っていた。あまたは、と。いつでもおとこというじ分にもっともちかいあわれな生き物が、と、おれは男なんだよ、と、じぶんをみいだしたとき終にはさかりがついたかのようにもとめはじめずにはいられなくなるものだったが俺の、と。
おれはおとこなんだよ。
ユイシェンのまなざしはつねにあなたとおなじような視やをひげている。…と、はだかにひきむいてふく雜なまでにうでとうで乃至足さえもからませあったところで一体かれらはなにを獲られたというのか。ユイシェンはみぶをふくめてついにかの女のおんなを赦したことはなかった。なにが、と、あなたはなにがほしいの?
「…ほら?」
いくら肌をかさねあわせたところで壬生への切實な思いになんの解決もゝたらされてはいないのとおなじように彼等も
「ひざまづく?あんた」
あけがたに——ほしいんだろ?
「…おれが。」ただ身をきるようなせつなさのそのくせなににもふれもしない空白のあじけなさにふいにと惑うためだけに「いいの?」誘われるままにホテルの部屋の中に「オッケー?」はいって軈て素はだをさらしたをとこに思い付きでなげつけたこと葉は穗木はしばらくちん黙しふいにいきどおった。度胸?
「なんの?」俺をあんたのものにしちゃう度胸。「度胸あんの?」聲を立ててわらいはじめたユイシュエンにほ木は一瞬ぼうぜんとして「つりあいとれなくない?きったいないあんたと、あんたの夢の中のすてきなお姫さまとじゃ。」プリンセス…
「はずかしくない?」
岡のうえのおしろのちいさな、「じぶんの顔、みたことある?」男は忘れさっていたにちがいなかった。自分がすでにユイシュエンの前でうまれたままのすがたをさらけだしてしまっていたことをは。
——何様だよ。
「せつなくなる」
——わけのわからない
「なんかさ、」
——どこのうまれかもわからない、所詮
「ときどきね、おれ」
——家畜みたいなもんだろう?
「胸の中に」
——お前なんて
「いたいは物が、なんか」
——他人の金にすがって生きるしか能がない
「つきささったまゝ」
——なんていうか知ってるか?お前
「えぐられもしない、そんな」
——屎みたいな
「あいまいで執ようでナイーブなくらいにさゝやかでどこまでも散らばりつくすたゝたゝせんめいな痛み。」
——お前みたいな
「人間のクズ。」ユイシュエンは云って、そして「つまりはにんげんの屑、」微笑んで見せた。「…でしょ?」むこうがすけてみえそうなほどにすんだ頬とさくらいろがかったうすいくちびるがたかちつくったじ分の表情におとこへのけいべつなど一切ふくまていないことをかの女だけは知っていた。なにが…と。こと葉をうしなってしばらくの長すぎるちんもくのゝちに男はようやくゝちにしかけたこと葉をそれでも彼はいひきる術をもたなかった。き憶。うつくしく、はかないほどに。乃至なきふしてしまいたくなるほどにせんさいでやわらかな記憶、穗木さんって、と。
ときどき、優しい顏するね。そしてさゝやき聲にくちびるをふるわせた眼のまえの女のよこ顏にその時くれがたの夕ひがしきさいをとどめえないでたゝしらんだ光沢をだけあたえていた。身をあずけるように彼のそばに無ぼう備にたって靑山のカフェのガーデン・テーブル。ふりむきざまにこぼれおりた肩をよごした髮のにおい。くびすじのしろさには赦しがたいはかなさがある。装飾としてすきほうだいに空間におとされた花の無い蔦の葉の匂い。あるいはそれは藤の木だったのか。ならば花は六月に咲くものではないとたゝしっていただけだったのか。「莫迦」
「いや。…ほんと」ときどき…「ね?」
なにもかもかなしくなっちゃうくらいやさしいかお、するねとユイシュエンはことの葉も花の簪いつわりのブーゲンビリア咲き誇れいま
花の無い蔦のかげりにでも。
「なにそれ。」その南國に咲くという花の「…ブーゲンビリア。」名前をだけ悔し紛れというわけでもなくて口にした唐突な唇をユイシュエンはうかがいみた。「なに?ぶ、…」
それって?「おまえのことだよ」ほ木はようやくにして吐き捨てるような音しょくを裝って云いあふれかえった色にまとう蝶はしらすやひとつ落つ花のちいさきしろき思いを
壬ぶ髙あきがかれが假に沙ら双樹のひかりとよんでおいたそれ。そのまなざしに見い出される黑い腐った肉躰のは綻のむれどもはいったいゝつからみぶに添うていたのか。數千年のながきにもいきながら腐はいしたそれらのふ臭こそはみぶの鼻につねにただよった。ものこゝろつく前にはみぶに見い出されつゝけていてあるいはそれらはさきの世のき憶をとゝめたみぶのその代償としてそこにさらされていたものだったのか。たとえば散る櫻のきのみきにさえ黑いうではつきだし空はあをいまゝにむ數のでたらめな足のかたちにうずまっていた。十三歳のみぶはすでにたえがたいほどに周囲をじ分にこがれたおんなたちの眼差しにうめられてしまいながらひかり。しゃら双樹のひかりが鎌倉の家の庭の藤だなの花かげにも目の前にそのきたない顏を突き出すのをみていた。まんなかでうちがわにゆがめられたきみょうな骨かくの水あめじみた黑い顏はなにもかたらずにたゝみぶをみつめていた。め玉さえすでに腐りおちていたというのにおれをいまさら見つめるのかとさきの世のはてのはてからいく千の死をもかさねてちぎりつゝけたあのおんなも同じふうけいのなかにいきるのかとみぶは思って悠きが嚴島神社で入水するなどというしばいがかったまつ路をおもいついたのがいつのころだったのか。そもそもゆうきにほんとうに死ぬ気があったのかどうかゆうき自身にさえわからなかった。ましてや壬生にわかり獲るはずもなくてかれがその母の宮しまのあさ瀨にうかんでやさしい朝の波にたゆたいながら茫然ともや立そらをみていたのを知った時、そのじゝつを告げた叔父正彦のこと葉がその樣をまなざしのおくに描かせる前にはもうかつてみた夢の中のだれもいないうみのまんなかにうかんだあおむけのをんなのら躰の美しかったことを思いだしていた。慥かにみぶははゝのまつ路を夢のなかですでにしっていたのだった。ようやくにして思い合せえた夢の謎ときのじつ現のよころびよりもたゝあぢ気もない文じ通り砂を咬んだいたみをだけ壬生は神經にかんじとりちった粒子のこまかくひろげたいたみの無さい限に「おかあさんが?」
さゝやく。
「知ってた?」…え?と顏をあげれば正彦はわざとつくったほゝえみをうかべていたがめずらしくおかあさんと女を呼んだ事實がかれをとまどわせたにちがいない。「なにを?」彼が自分に本気で同情しているなどとはおもえない。慥かにまさ彦は切じつなまでにまがりまちがえばほんとうに死んだかもしれない妹の躬を、乃至、そのほうがいっそのことよかったのかもしれないとさへかの女じゝんとのこされたひとりむすこの身の上を案じながらも「だって」二度目に聞いたみたいな顔したぜ、いま、「…お前。」
みぶはそのくちびるのつぶやく聲をきいていた。富豪の一家だった。すべては忠雅ひとりのこう績だった。よくもわるくもきわ立って毅然とした忠まさがいわば所謂ますらをぶりのすべてをすいとってしまったかのように彼がふたりのおんなにうませたさんにんの子どもたちはいかにもうすい影をかゝえて日かげにさいた草のはなかなにかをおもわせてやさしくさゝやきあうしかないのを壬ぶたか明はかつてあわれんだ。異國にせい息した獸じみたどこのだれともしれないおとこたちの暴力の果てにこのよにうまれおちたのならこんなやつれた病んだいきものたちとは違う血がじ分にだけは流れて居なければならないと壬生は「いつ?」
「明け方。六時に發見された」
「どこで?」
「境内の近く。朱の柱の…廣からね。おれも正かくなば所はしらない。巫女さんのひとりが海にうかんでるゆうきをみつけて、それで」
「飛び込んだの?そのひと、あのひとのいのち、救うために?」
「つう報したんだよ。もう、死んでると思ったから」
「なんで?」四方にあるのはすべて「そのひと、」海だった。「なんで」光が「しんでるっておもったの?」あふれた。海は靑くなどない。みだらなまでに轉在するおびただしいきらめきのざわめき。それらは千ゝの白だくのいっしゅんたりともとゝまらないしゅう合のそう體にすぎない。をんなのつめたいら躰はひかりのなかにうもれていつかかなしい翳としか見い出せもしない。十よん歳のときかま倉の別荘へつづく竹の茂ったながいゝし段の端ちかくでふいにたちどまった壬生が覺めたままに見る夢をみていたことに悠貴は気づかなかった。つられてたちどまったゆう貴はふり向き見てまなざしのとらえたそのやわらかな唇がなにかいいかけていたのを見た。どうしたの?
と、あるいはなにが、
「なにをみてるの?」問いかけかゝったこと葉をこゝろのうちにだけ独り語散らせるまでもなくしょうきづいたみぶ髙明がさゝやくのをゝんなは聞いた「ゆめ、みてた。たぶん」
「なに?」
「あなたの夢」ひろ島の海は氷にとざゝれることなどない。いかなるき節たとえち表の霜をしるふゆのさなかであったとしても、とはいえきさらぎの前の月いてつくばかりのくれゆく冬のおぼろゆきの日に海にうかんだ女はこゝえた。それでも體ないにはぐゝんでいた三か月のこどもゝろとも命をとりとめたのだった。そのときにはっ覺する迄おんなはじゅ胎をだれにもつげてはいなかった。壬生たか明にさえも。こゝ数しゅう間のかの女のまなざしが時にはいつにもまして涙ぐんでいるかにみえたほどにやさしくあったことに壬ぶ髙あきは軈てはおもいあたり日本間にぶぜんとして坐したたゝ雅にちゝ親の名を「おれ、…ね。」をのづから「あのひと、おれ、」告げてやった。「こわしちゃった。」受けたよう赦もない折檻の中にはなぢをながしさえしながらもその女。きのう海にふったゆきは女のはだにもふれたにちがいなくその女。くらくきらめく海にうかんで雪。おちる。はなにもまがう、と、それら、雪の舞い散ってほゝにおつやがてとけきゆ雪のかけひえゆく君の肌に殉死す
そのおんなをなんどあいしたのだろうとみぶはおもう。かの女。千とせが千たびふりゆくときのはてにまでくりかえし轉生しつゝけめぐりあいちぎりあいふれあいあいしあった永遠の、と、沙ら双樹のひかりがくらいひねまがって爛れたくちから血をはいた。十よん歳のみぶのそのひだりのうでのひふのうえにさらした沙ら双樹はくさった顏のみひらいた瞼からたれだした舌をひきつけさせたその腐しゅうにみぶはまゆをひそめてたわむれにゆらぎもしない黑い眼球をおしつぶしたゆびさきをふきだした腐った血がよごす。む數にとび散った血はそのまま空中に玉になって浮き上がりたゝよって、それらくうかんにてん在する穢らしいくろいゝきものたちのむれが所謂ほとけとよばれるものたちだということはしっていた。だれに或いはなにゝ敎られるまでもなくなぜならそれらはせつないまでにたゝ救おうとしていたから。それらのふれたすべてを。みぶのくびすじにかみついたかに齒をあてたしゃら双じゅはいきづかい鼻につきさゝるふ臭をまきちらしながらそれらがめに肌にきゅう覺にふれるもののすべてみいだすものゝすべてさらにはふれえないものゝふれなかったものゝふれるはずもないものゝふれえはしないものゝことごとくのすべてをまでも。まどのそとの眞なつのよう光。鎌くらの別邸の庭、みあげればそらをうめつくすしゃらそうじゅのひかりの無殘なにく體の残骸の黑いむれ。あをい。そら。その女。おもえばえい遠のあいは卽ちえい劫の業だったのか。永遠にもくりかえしこの世にうまれおちてほろびてゆきまたふたゝびときのところのどこかしらにうまれおちてほろぶ。千たびを千たびくりかえしていきつづけるのならばなぜ、と。沙ら双樹のくさった肉たいのむれはいまさらおれにふれるのか。たゝの惰性としてであってもむ意みにもおれにどうしてふれるて救おうとするのかと、何も。と、みぶは永遠に。彼は結局はなにもおまえたちにはすくえたものなどなにひとつとしてあえりはなかったのに、と、まなざしのさきの空間にとう突につきだしていたそれらのかたち。めのまえの壁にむ數につきだして腐りさかさにひん曲った腕のちょうどまんなかあたりにはえた蛸の足じみた指がにぎりしめられるたびに鋭りなそのつめは躬づからをきずつけて散る腐った血。
空間にうかんだ血の腐った玉。
千とせを千たびくりかえしたさきまでもたれながし吹き出されつづける無ざんなユイシュエンのゝばしたゆびさきが壬生たか明のむねのひふをなぜてそれとなくたった女のわらい聲を聞いた。みぶのタトゥーに色とられた十きゅう歳の肌を雨萱はかならずしもうつくしいともおもえないまゝにこばむ氣にもなれない。いまだにかろうじておさなさをのこした肌にはふれるはだをとかして仕舞いそうなうるおいといたゝまれない惡臭とがあった。雨にぬれた獸のじゅう毛をふいにそう起させもした壬ぶのたい臭はむしろ美しすぎるほどにうつくしいみぶの美しさをだけいよいよをんなにきわだゝせた。あるいはゆりのはなに宿ったような芳香のただようこそがふさわしい肉躰はまちがってもはないっぱいにすいこもうとはおもわせない惡臭をこそまきちらしてじぶんではかぎとれないにはしてもみぶは躬づからそれにきづきながらとりたてゝきにするでもなかった。しゃ羅さうじゅの佛らのふ臭ともことなるにおいはなににそまったにおいだったのか。をとこにあこがれたおんなたちのまなざしさえまゆをひそめ翳らせ瀟しゃにすぎたかれのあるいは轉生を繰りかへしたさきのよ乃至のちのよにいたるまでのすくわれようのない業そのものを顯わして覺めながらまぶたのこちらにみいだす夢に壬ぶはかれのさきのよのことごとくにおいてをんなたちになげきをだけあたえつづけたのをしっている。ふる雪のつぶを數えるにゝたいくつものまなざしが壬生にあくがれてもえてひとりでじぶんかってな情熱のうえにつぶれ壬ぶのかゝわりえないどこかでいつか勝手にこわれ、燃え盡きえもせずにたゝくらいゝらだちに似た思いを咬んだ奧ばに散らした。雨萱の澁谷の広大な部屋にはベッドルーム或いはそもそもへやといえるものはひとつしかない。買い取ったユイシェンの意向で佰平米をこえたくうかんの壁というかべは柱もはりもむ視してことごとくぶちぬかれ壁きわにベッドをひとつだけをいた。むなしいほどにもひろくてもはやすさんでさゑみえた空かんの中にユイシュエンはさびしさをは感じはしなかった。しろい壁のおもはすでに明けを知ってひかりにはえ一じ間ちかくたった氣のぬけかかった青みをさらしはじめたそらのいろは窓のむこうに自分のおんなのからだの中にうずく執拗な情熱がをとこのそれなのかをんなのそれなのか躬づからにもさだめられないきがしてユイシュエンはふいに聲をたててわらいそうになる。だとしたら、と。
おまえって、いま、——ね?
いっただれに愛されてるの?と、とまどいにそめたじ分のこゝろのかすかなゝみ立もしらないでひとりぼうぜんとしてまばたいたみぶにほゝえむ。眠られなかった明けの時刻にはありえない寢覺のまどろみにちかいこんだくにい識をくらませた壬生はいつもの夢でもみていたにちがいなかった。タトゥーまみれのはだをいぶかせてそしてかの女が壬ぶをあいしていることはじゝつだった。躬をよこたえたあたまのうえにかすかにだけひゝいた女の笑いこゑのとぎれがちに壬生は我にかえってみかえしてやるとユイシェン、夢の中にだけ見ることがゆるされたかのようにもうつくしいにをいたつ女は身をまげてかれにおおいかぶさって好きほう題に垂れおちたのばされたやわらかな髪の毛の芳香ははなさきにたゝ薰。そのおんなのえみの潤みをはらんだまなざしをみつめた。まなざしのむこうにどんなふう景がひろがっているのか壬ぶには見當もつかずにはだざむさがあるのはそのふるびはじめた年の暮の日ふりはじめてすぐにつもりもせずにふりやんだ雪の名殘せた冷きのせいにちがいない。どうしたの?と、壬生のくちびるがうごきだそうとするまえには女はなんでだろ?と。
雨萱がまばたきもせずにさゝやく。
——なんで俺、おまえなんかの叓、すきなんだろうね?
ユイシェンは壬ぶのゆびさきがかの女のくちびるのかたちをかくにんするようにしてなぞるのをゆるした。かならずしもじ分を愛しているわけではない筈のをとこのそれでも否定できずにくすぶっているはずのおぼろげな情熱の芽ばゑは女をもとめたおとこのにく體のありふれたそれだったのか。稀なるみぶにだけゆるされたなにかとくべつなあはれみでゝもあったのか。ふれるかふれないかのすれすれをもてあそんで倦まないゆびさきのいらだたしいたわむれに雨萱はかるく齒さきをあてゝふれる。咬みつくそぶりまではみせないで「俺を好きになるためにしか生まれてないからじゃない?」冗談めかしもせずに云った壬ぶの唇をくちびるでふさいでふりむきみもしないあを空のどうしようもないうつくしさをきらめくはだのひかりの反射のうえに知りこのくにのそらはいつでもかすんでみえるそのゆきのとけたはるをまつひも
十ご歳のみぶゆう貴の夏休みにフィリピンでのボランティア活動をすゝめたのはかの女の高校の敎師だった。提携するボランティア団たい主催の現ち交りゅう會でおとずれたミンダナオ島の日ざしの強れつさにゆうきはめをしばたゝかせて肌を隱した。ふれるもののことごとくを灼きこわしてしまいかねないそれ、熱帯の島のひかり。あから樣なほどのあかるさじたいの灼ねつのい吹がたいきにじゅうまんして色彩ははずかしげもなく眼差しのうちにいろを曝した。かならずしもつよいとはいえない自ぶんのはだがひかりにさらされたまゝまともでいられるとはおもえなかった1974年、まだフェルナンド・マルコス Ferdinand Edralin Marcos の治世下だった島くにゝはかつての大に本帝國の息ぶきの殘がいさえのこっているきがして人ゝはすなをに褐色の肌を日のしたにさらしてゐた。日のくれかたあまりにも偽善じみてみえるほどにきよらにもただしい誠實を裝うしかない同かう者たちの所作になぜか倦んでひとりで暮を知り初めた海邊の荒れた道路をあるいのはけっかとしては悠きの過失だったかもしれない。おどろくほどに褐色の色彩をさらした褐色のひとびとのまなざしのなかで顏たちのほねくみのちがう悠きは目立ってやまずもその肌の褐色はいわばさっ覺のうちに男たちには同朋のしきさいを見せたのか。異こくの人にたいする無せき任なぼうりょくへのしょうにんをあたえたのか。或いはかれ等に正気をたもたせることのもはやできないくらいの匂い立つうつくしさの存在に悠貴があまりにも無じ覺すぎたのか。最しょかの女を拉ちしたのはさん人の男たちだった。かこまれたかれらをとこたちのほゝえむと体臭。あせのにおいがただよったきがしてをとこたちへのせん烈な恐ふに思いつめすぎてのどにひ鳴をあげる一瞬さえもこゝろのうちにだけはなくてかけられた異國のこと葉。くちびるからながれてみゝにふれる。軽蔑をふくんだかにおもへた囃したてる聲のむれにいゝようにもてあそばれるしかない悠貴に男たちは自ぶんたちがすでに赦されているとおもった。ゆうきのほゝはほゝえみにゆがんでゐればそれはほころんだ花の朱にそまるようにいろづいたあからみを知る。ゆるされたおとこたちはにおいたつはかなげな褐色の花の肌がかれらにこゝろからつくすことをゆるした。つれこまれたバラックじみたかおくのなかのそ雜なまど、いち部に雨のしみのためにしろいペンキをはげさせたまどのむこうに空がくっきりと見て、じ分にうま乗りなって異こく語のさゝやきこゑをつらならせるおとこたちのあまりにも濃いかっ色の影は背におう靑のしき彩のけがれようもない切實さにくらぶべくもなくたゝむごたらしい。自分をも含めたくらくちいさくみじめで本しつ的にきたならしいゝき物たち。樹木のしげらせた葉の色彩に、花の、そらに翳なすとりの、それらのうつくしさのかけらもない汚點にすぎない穢なげなるかたち。ち上にはびこるこのしゅ屬として自ぶんたちが生きてあること自たいをあわれまなければならないきがした。からだはあたまのさきにまでつらぬくこすれるようないたみにむせかえりながらいまさらに痛みもなにもかんじはしなかった。ひふのこちら側をとどめようもないひ鳴と叫びのみがつらなり絶叫してあいかさなりあいはつ熱するかたまりにさへなって悠きはすがりつくようなほゝえみのひょうじょうをだけかたくなゝまでにうかべつづければそのみなみの島のしげらせた極さい色のくだものの實よりもやわらかな唇をおとこたちはかわるがわるにあいした。くちびるのはくおだやかな息づかいにをとこたちはかの女がいまやすらかなふう景の中にひとり憩うているにちがいないことを知り呼びこまれた朋輩たちは男の背後でちいさなかん聲をあげてたわむれる。不いに思う。何故、と。こんなにも海がちかいこのかおくの中でなぜ、どうしてしをさゐのをとさえもきこえてきはしないのか、と、さえた月のしたにもなみのをとはたちづけているはずとおもえばよる波もつきせすよるのためいきに異國の月はなにをか照らす
結果十人近くのおとこたちがゆう貴にはだを赦されたには違いなかった。おわれば憩い、ふたゝびたわむれてみもして軈ては何処かへちり失せてよるをとおした暁のそらのほう壊していくぐ蓮のあさ燒のころにはかおくのなかにはひとりのおとことその娣らしきをんなの子しかのこらなった。ね覺めたのか正気ついたのか。乃至はなんどめかのしっ神からとけたのかたゝわれにかえっただけなのか。それさゑわかりもはしないまゝに自ぶんよりとし下に見えた少じょが悠きのかい抱をこころみようとした気配のやさしさにかの女はほゝえんでやった。じぶんよりもしろい肌の少女はおどろくほどに白さの冱えたバスタオルでゆう貴のだれかのあるいはをんなじしんがたれながした汗にまみれた肌をふこうとしなにかそのみゝ元にさゝやきかけた。聲はせめてシャワーでも浴びろとでもいったにちがいなかった。ゆう貴が肌に穢れを感じたのは自分のしゅく泊ホテルにかえり着いてやゝあったのちだった。ベッドに身をなげまどろにやがてふたたびあびたシャワーの水がはだをはねたしゅんかんに悠貴はふいにくずれおちながらいずれにせよゆう貴はをとこのかおくのなかでたゝみかえりをもとめるでもない少女のやさしい気遣いの單純さにだけ哀れなほどのせつなさをかんじたのだった。かの女にすがりつこうとした。少女はあわてゝ躬をたててかわす。しょうじょのまゆに侮辱でもあたえられたににた不審の翳がきざした。かおくにのこったその兄らしいおとこ、そしてかれが最初の三人にはふくまれていなかったのが悠貴には奇妙にも思われたのだが、をとこは煙草に火をつけてかれの愛してやった女にもういちど微笑みかけた。おとこはこと葉をはなせないいわば失語症の聲なきおんなにあえてこと葉をかけるよりもむしろ正面のカーテンを開け放ってやることをえらんだ。男の眼差しのむこうに朝やけのひかりにちょくしゃされた褐色の夢みるほどに美しいかたちがあざやかにうかびたちたゝもうふたゝびこの異國の女を忘れる叓など出来はしないだろうとなんどめかに思った。たとえ天のうえの神のさいごのさばきの時にこの日の罪をだんざいされてぢ獄のごう火が自分をやきとこしえのさきにまでも絶叫しつづけることゝなったとしもそれでも躬を燒苦痛に呻きながらにはだに殘るわすれられもしないその肌のうるおいのきおくをまさぐって倦まないにちがいないと、男の妄想じみた嘆息にきづかないままに妹は悠きを咎める眼差しをもはや隱さなかった。かのじょのやさしさにあまりにも不に合いなその目のいろにゆう貴はいまめのまえのあどけないしょうじょのまなざしのむこうになんの葛藤があるのかいぶかった。慥かにいかなる葛藤もあり得る筈も無かった。なぜならすべて、ことごとくのすべて、ゆうきのめにうつりてにふれはだをなぜるものゝ総体そのものゝすべてがたゝたゝやさしく気髙くいきいきといきづかっているというのに、と、朝の日に燒けたひかりにてらされたそのときに悠貴のみゝはそれまでにも潮騒の音はききとられていたことを知った。どうして、と。おもう。こんなにもはっきりとあざやかすぎるほどだにもきこえていたものをきゝのがすことなどあったものかとしばしは茫然とさへしのゝめのくれなゐのいろにそめられてをとのみたつ波その海は見す
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