新勅撰和歌集。撰者藤原定家。卷第十三戀歌三。原文。
新勅撰和歌集
新勅撰倭謌集。底本『廿一代集第八』是大正十四年五月十三日印刷。同十六日發行。發行所太洋社。已上奧書。又國謌大觀戰前版及江戸期印本『二十一代集』等一部參照ス。
新勅撰和歌集卷第十三
戀哥三
今日とたのめける女につかはしける
實方朝臣
大井河ゐせきによとむ水なれやけふくれかたきなけきをそする
女につかはしける人にかはりてよみ侍ける
郁芳門院安藝
こえはやなあつま路ときくひたち帶のかことはかりのあふさかのせき
百首哥めしける時
崇德院御製
戀ゝてたのむるけふのくれはとりあやにくにまつほとそ久しき
後法性寺入道前關白家百首哥よみ侍ける初逢戀
皇太后宮大夫俊成
おもひわひいのちたえすはいかにしてけふとたのむる暮をまたまし
皇嘉門院別當
うれしきもつらきもおなし淚にてあふ夜もそては猶そかはかぬ
法性寺入道前攝白家哥合に
基俊
かつみれと猶そこひしきわきもこかゆつのつまくしいかゝさゝまし
題不知
謙德公
かなしさもあはれもたくひおほかるを人にふるさぬことのはも哉
京極前關白家肥後
ひとめもるやまゐのし水むすひても猶あかなくにぬるゝそてかな
後朝の心を
土御門内大臣」37オ
きぬ〱になるともきかぬ鳥たにもあけゆくほとそこゑもおしまぬ
八條院髙倉
あふことを又はまつ夜もなきものをあはれもしらぬとりの聲かな
家に百首哥よませ侍けるに
關白左大臣
名にしおはぬゆふつけとりのなきそめてあくるわかれのこゑもうらめし
中宮少將
をのかねにつらきわかれはありとたに思ひもしらてとりやなくらん
源有長朝臣
かへるさをゝのれうらみぬ鳥のねもなきてそつくるあけかたの空
戀哥よみ侍ける中に
權中納言家良
うかりけるたかあふ叓のならひよりゆふつけとりのねにわかれけん
有明の比ものこしにあひたる人につかはしける
相摸
あけかたにいてにし月もいりぬらんなをなかそらのくもそみたるゝ
陽成院哥合に
よみ人しらす
おしとおもふいのちにかへてあかつきのわかれのみちをいかてとゝめむ
題しらす
あけぬとてちとりしはなくしろたへのきみかたまくらいまたあかなくに
家の哥合に
後京極攝政前太政大臣
わすれしの契りをたのむわかれかなそらゆく月のすゑをかそへて
曉戀の心をよみ侍ける
鎌倉右大臣
さむしろに露のはかなくをきていなはあかつきことに消えやわたらん
戀哥讀侍けるに
八條院髙倉
わすれしのたゝひとことをかたみにてゆくもとまるもぬるゝそて哉
内大臣
なをさりの袖のわかれのひとことをはかなくたのむけふのくれかな
權大納言忠信
ちきりをくしらぬいのちをうらみてもあかつきかけてねをのみそなく
左近中將基良
いまはとてわかれしまゝのとりのねをわすれかたみのしのゝめのそら
前關白家哥合に寄鳥戀といへる心を讀侍ける
中宮少將
あかつきのゆふつけとりもしら露のをきてかなしきためしにそ鳴
千五百番哥合に
侍從具定母
くれなはとたのめても猶あさつゆのをきあへぬとこにきえぬへきかな
堀河院に百首哥奉りける時後朝戀
京極前關白家肥後
そまかはのせゝのしら波よるなからあけすはなにかくれをまたまし
後法性寺入道前關白家百首哥
皇太后宮大夫俊成
となせ河いはまにたゝむいかたしやなみにぬれてもくれを待つらん
二條院に百首哥奉りける時後朝戀
大宰大貮重家
あひみてもかへるあしたのつゆけさはさゝわけしそてにをとりしもせし
關白左大臣家百首後朝戀
源家長朝臣
きぬ〱のつらきためしにたれなりて袖のわかれをゆるしそめけむ
別戀といふ心をよめる
法印幸淸
あふ坂のゆふつけとりもわかれちをうきものとてやなきはしめけん
懇切戀と云心をよみ侍ける
藤原隆祐
いかにせんくれをまつへきいのちたに猶たのまれぬ身をなけきつゝ
題しらす
西行法師
きえかへりくれまつほと[そてイ]そしほれぬるおきつるひとは露ならねとも
よみ人しらす
うつゝともゆめともなくてあけにけりけさのおもひはたれまさるらん
權大納言實國
うつゝともゆめともたれかさたむへきよひともしらぬけさのわかれは
女のもとより返りてつかはしける
謙德公
つゆよりもいかなる身とかなりぬらんをき所なきけさのこゝちは
題不知
伊勢
あひみてもつゝむおもひのかなしきはひとまにのみそねはなかれける
中納言兼輔
しのゝめのあくれは君はわすれけりいつともわかぬ我そかなしき
源宗于朝臣
しら露のをくをまつまのあさかほは見すそなか〱あるへかりける
女のもとより歸りてつかはしける
業平朝臣
我ならてしたひもとくなあさかほの夕かけまたぬはなには有とも
題しらす
延喜御製
あかてのみふれはなりけりあはぬ夜もあふよも人をあはれとそ思
朝につかはしける
大宰帥敦道親王
戀といへはよのつねのとやおもふらむけさのこゝろはたくひたになし
返し
和泉式部
よのつねのことゝもさらにおもほえすはしめてものをおもふ身なれは
たいしらす
ゆめにたにみてあかしつるあかつきのこひこそこひのかきりなりけれ
謙德公
とりのねにいそきいてにし月かけの殘りおほくてあけしそらかな
家哥合に夜戀のこゝろを
後京極攝政前太政大臣
みしひとのねくたれかみのおもかけになみたかきやるさよのたまくら
晝戀
大藏卿有家
くもとなりあめとなるてふなか空の夢にも見えよゝるならすとも
戀哥とてよみ侍ける
中納言親宗
うたゝねのはかなき夢のさめしよりゆふへのあめを見るそかなしき
後京極攝政家百首哥よみ侍けるに
小侍從
雲となりあめとなりても身にそはゝむなしきそらをかたみとや見ん
いかなりし時そや夢にみしことはそれさへにこそわすられにけれ
戀哥とてよみ侍ける
從三位賴政
きみこふとゆめのうちにもなく淚さめてのゝちもえこそかはかね
淸輔朝臣
いかにしてさめし名殘のはかなさそまたもみさりし夜半の夢かな
久安百首哥奉りける戀哥
堀川
夢のことみしはひとにもかたらぬにいかにちかへてあはぬなるらん
百首哥たてまつりける戀哥
前關白
みるとなきやみのうつゝにあくかれてうちぬるなかの夢やたえなん
權大納言忠信
我こゝろやみのうつゝはかひもなしゆめをそたのむくるゝ夜ことに
題しらす
藤原永光
さりともとたのむも悲しむは玉のやみのうつゝの契りはかりは
師光哥合し侍けるに戀の心をよめる
藤原隆信朝臣
こひしなむのちのうき世はしらねともいきてかひなきものは思はし
後法性寺入道前關白家百首哥
俊惠法師
あかつきの鳥そ思へははつかしきひと夜はかりになにいとひけん
題しらす
よみ人しらす
玉の緒のたえてみしかき夏のよの夜半になるまてまつ人のこぬ
二條院皇后宮常陸
とへかしなあやしきほとの夕くれのあはれすくさぬなさけはかりに
建礼門院右京大夫
わすれしの契りたかはぬ世なりせはたのみやせまし君かひとこと
内にさふらひける人のこよひはかならすと申ける返事につかはしける
髙松院右衞門佐
これも又いつはりそとはしりなからこりすやけふの暮をまたまし
戀哥よみ侍けるに
中宮少將
いつはりと思ひとられぬゆふへこそはかなき物のかなしかりけれ
百首哥めされける時
後京極攝政前太政大臣
淚せく袖におもひやあまるらんなかむる空もいろかはるまて
うき舟のたよりもしらぬ波路にも見しおもかけのたえぬ日そなき
式子内親王
わきも子か玉ものとこによる波のよるとはなしにほさぬ袖哉
建保六年内裏哥合戀哥
前内大臣
まつ嶋やわか身のかたにやくしほのけふりのすゑをとふ人もかな
權中納言定家
こぬひとをまつほの浦のゆふなきにやくやもしほの身もこかれつゝ
題しらす
權中納言長方
戀をのみすまの鹽干ひに玉もかるあまりにうたて袖なぬらしそ
正三位家隆
こゝろからわか身こす波うきしつみうらみてそふるやへのしほかせ
平忠度朝臣
たのめつゝこぬ夜つもりのうらみてもまつよりほかのなくさめそなき
源家長朝臣
こきかへる袖のみなとのあまを舟さとのしるへをたれかをしへし
眞昭法師
いはみかた波路へたてゝゆく舟のよそにこかるゝあまのもしほ火
百首哥奉りけるに二見浦をよみ侍ける
正三位家衡
わか戀はあふ夜もしらすふたみかたあけくれ袖に波そかけゝる
題しらす
鎌倉右大臣
しらま弓いそへの山の松のいろのときはに物をおもふ比かな
内大臣に侍ける時家に百首哥よみ侍けるに名所戀と云心を
前關白
わくらはにあふさか山のさねかつらくるをたえすと誰か賴まん
むさし野やひとのこゝろのあさ露につらぬきとめぬ袖のしら玉
權中納言定家
くるゝ夜は衞士[ゑし]のたく火をそれと見よむろの八嶋も都ならねは
正三位家隆
岩のうへに波こすあへのしまつ鳥うき名にぬれて戀つゝそふる
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