新古今和歌集。卷第十七雜歌中。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第十七
雜哥中
河島皇子
朱鳥五年九月、紀伊国行幸の時
白波の濱松が枝のたむけぐさ幾世までにか年の經ぬらむ
題しらず
式部卿宇合
山城の岩田の小野のははそ原見つつや君が山路越ゆらむ
在原業平朝臣
葦の屋の灘の鹽やき暇なみつ黄楊[※つけ]の小櫛もささずきにけり
晴るる夜の星か河邊の螢かもわが住む方の海人のたく火か
よみ人知らず
しかの蜑の鹽燒く煙風をいたみ立ちはのぼらで山にたなびく
貫之
難波女の衣ほすとて刈りてたく葦火の煙立たぬ日ぞなき
長柄の橋をよめる
忠岑
年經れば朽ちこそまされ橋柱昔ながらの名だに變らで
惠慶法師
春の日のながらの濱に船とめていづれか橋と問へど答へぬ
後德大寺左大臣
朽ちにけるながらの橋を來て見れば葦の枯葉に秋風ぞ吹く
題しらず
權中納言定賴
沖つ風夜半に吹くらし難波潟あかつきかけて波ぞ寄すなる
春須磨の方に罷りてよめる
藤原孝善
須磨の浦のなぎたる朝は目もはるに霞にまがふ海人の釣舟
天曆御時屏風歌
壬生忠見
秋風の關吹き越ゆるたびごとに聲うち添ふる須磨の浦なみ
五十首歌よみて奉りしに
前大僧正慈圓
須磨の關夢を通さぬ波の音を思ひもよらで宿をかりけり
和歌所歌合に、關路秋風といふことを
攝政太政大臣
人住まぬ不破の關屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風
明石の浦をよめる
俊賴朝臣
あま小舟苫吹きかへす浦風にひとりあかしの月をこそ見れ
眺望のこころをよめる
寂蓮法師
和歌の浦を松の葉越しにながむれば梢に寄する海人の釣舟
千五百番歌合に
正三位季能
水の江のよしのの宮は神さびてよはひたけたる浦の松風
海邊のこころを
藤原秀能
今さらに住み憂しとてもいかがせむなだの鹽屋の夕ぐれの空
むすめの齊宮に具して下り侍りて、大淀の浦に禊し侍るとて
女御徽子女王
大淀の浦に立つ波かへらずは松のかはらぬ色を見ましや
大貮三位、里に出で侍りにけるをきこし召して
後冷泉院御歌
待つ人は心ゆくともすみよしの里にとのみは思はさらなむ
御返し
大貮三位
住吉の松はまつともおもほえで君が千年のかげそ戀しき
敎長卿、名所の歌よませ侍りけるに
祝部成仲
打ちよする波の聲にてしるきかな吹上の濱の秋の初かぜ
百首歌奉りし時、海辺歌
越前
沖つ風夜寒になれや田子の浦の海人の藻鹽火たきまさるらむ
海辺霞といへるこころをよみ侍りし
家隆朝臣
見わたせば霞のうちも霞みけりけぶりたなびく鹽竈の浦
太神宮に奉りける百首の歌の中に、若菜をよめる
皇太后宮大夫俊成
今日とてや磯菜摘むらむ伊勢島や一志[※いちし]の浦のあまの少女子[※をとめこ]
伊勢に罷りける時よめる
西行法師
鈴鹿山うき世をよそにふり捨てていかになりゆくわが身なるらむ
題しらず
前大僧正慈圓
世の中を心髙くもいとふかな富士のけぶりを身の思ひにて
あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山をよめる
西行法師
風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬわが思ひかな
五月の晦に、富士の山の雪白く降れるを見てよみ侍りける
業平朝臣
時知らぬ山は富士の嶺[ね]いつとてか鹿[か]の子まだらに雪の降るらむ
題しらず
在原元方
春秋も知らぬときはの山里は住む人さへやおもがはりせぬ
五十首歌奉りし時
前大僧正慈圓
花ならでただ柴の戶をさして思ふ心のおくもみ吉野の山
題しらず
西行法師
吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ
藤原家衡朝臣
厭ひてもなほ厭はしき世なりけり吉野のおくの秋の夕暮
千五百番歌合に
右衞門督通具
一筋に馴れなばさてもすぎの庵に夜な夜な變る風の音かな
守覺法親王五十首歌よませ侍りけるに、閑居のこころをよめる
有家朝臣
誰かはと思ひ絕えても松にのみ音づれて行く風は恨めし
鳥羽にて歌合し侍りしに、山家嵐といふことを
宜秋門院丹後
山里は世の憂きよりも住みわびぬことの外なる峰の嵐に
百首歌奉りしに
家隆朝臣
瀧の音松の嵐も馴れぬればうちぬるほどの夢は見せけり
題しらず
寂然法師
ことしげき世を遁れにしみ山邊にあらしの風も心して吹け
少將髙光、横川に罷りて頭下し侍りけるに、法服遣はすとて
權大納言師氏
奧山の苔のころもにくらべ見よいづれか露の置きまさるとも
返し
如覺
白露のあした夕べにおく山の苔の衣は風もさはらず
能宣朝臣、大原野に詣でて侍りけるに、山里のいとあやしきに住むべくもあらぬ樣なる人の侍りければ、いづこわたりよりす住むぞ、など問ひ侍りければ
よみ人知らず
世の中を背きにとては來しかども猶憂き事はおほはらの里
返し
能宣朝臣
身をばかつをしほの山と思ひつついかに定めて人の入りけむ
深き山に住み侍りける聖のもとに尋ね罷りけるに、庵の戶を閉ぢて人も侍らざりければ、歸るとて書きつけける
惠慶法師
苔の庵さして來つれど君まさでかへるみ山の道ぞつゆけき
聖、後に見て、返し
荒れ果てて風も障らぬ苔の庵にわれはなくとも露はもりけむ
題しらず
西行法師
山深くさこそ心は通ふとも住まであはれは知らむものかは
山かげに住まぬ心はいかなれや惜しまれて入る月もある世に
山家送(レ)年といへる心をよみ侍りける
寂蓮法師
立ち出でてつま木をり來し片岡の深き山路となりにけるかな
住吉の歌合に、山を
太上天皇
奧山のおどろが下も踏みわけて道ある世ぞと人に知らせむ
百首歌奉りし時
二條院讚岐
ながらへて猶君が代を松山の待つとせしまに年ぞ經にける
山家松といふことを
皇太后宮大夫俊成
今はとてつま木こるべき宿の松千世をば君となほ祈るかな
春日社歌合に、松風といへることを
有家朝臣
われながらおもふか物をとばかりに袖にしぐるる庭の松風
山寺に侍りける頃
道命法師
世をそむく所とか聞く奧山はものおもひにぞ入るべかりける
少將井の尼、大原より出でたりと聞きて遣はしける
和泉式部
世をそむく方はいづくもありぬべし大原山はすみよかりきや
返し
少將井尼
思ふことおほ原山の炭竈はいとどなげきの數をこそ積め
題しらず
西行法師
たれ住みてあはれ知るらむ山里の雨降りすさむ夕暮の空
しをりせで猶山深く分け入らむ憂きこと聞かぬ所ありやと
殷富門院大輔
かざし折る三輪の繁山かき分けて哀れとぞ思ふ杉立てる門[※かど]
法輪寺に住み侍りけるに、人のまうで來て、暮れぬとて急ぎ侍りければ
道命法師
いつとなきをぐらの山のかげを見て暮れぬと人の急ぐなるかな
後白河院栖霞寺におはしましけるに、駒引のひきわけの使にて參りけるに
定家朝臣
嵯峨の山千世の古道あととめてまた露わくる望月の駒
歎くこと侍りける頃
知足院入道前關白太政大臣
佐保川の流れひさしき身なれどもうき世にあひて沈みぬるかな
冬の頃、大將はなれて歎くこと侍りける明くる年、右大臣になりて奏し侍りける
東三条入道前攝政太政大臣
かかるせもありけるものを宇治川の絕えぬばかりも歎きけるかな
御返し
圓融院御歌
昔より絕えせぬ川の末なれば淀むばかりをなに歎くらむ
題しらず
人麿
もののふの八十[※やそ]うぢ川の網代木にいざよふ波の行方知らずも
布引の瀧見にまかりて
中納言行平
わが世をば今日か明日かと待つかひの淚の瀧といづれ髙けむ
京極前太政大臣、布引の瀧見に罷りたりけるに
二條關白内大臣
みなかみの空に見ゆるは白雲のたつにまがへる布びきの瀧
最勝四天王院の障子に、布引の瀧かきたる所
藤原有家朝臣
ひさかたの天つをとめが夏衣雲居にさらす布引の瀧
天の河原を過ぐとて
攝政太政大臣
むかし聞く天の河原を尋ね來てあとなき水をながむばかりぞ
題しらず
藤原實方朝臣
天の川通ふうき木にこと問はむ紅葉の橋は散るや散らずや
堀河院の御時、百首歌奉りけるに
前中納言匡房
眞木の板も苔むすばかりなりにけり幾世經ぬらむ瀨田の長橋
天曆の御時、屏風に國々の所の名を書かせさせ侍りけるに、飛鳥川
中務
定めなき名に立てれど飛鳥川早く渡りし瀨にこそありけれ
題しらず
前大僧正慈圓
山ざとに獨ながめて思ふかな世に住む人の心ながさを
西行法師
山里にうき世いとはむ友もがな悔しく過ぎしむかし語らむ
山里は人來させじと思はねど訪はるることぞ疎くなりゆく
前大僧正慈圓
草の庵をいとひても又いかがせむ露の命のかかる限りは
都を出でて久しく修行し侍りけるに、訪ふべき人の訪はず侍りければ、熊野より遣はしける
大僧正行尊
わくらばになどかは人のとはざらむ音無川にすむ身なりとも
相識れりける人の、熊野に籠り侍りけるに遣はしける
安法法師
世をそむく山のみなみの松風に苔のころもや夜寒なるらむ
西行法師、百首哥歌勸めてよませ侍りけるに
家隆朝臣
いつかわれ苔のたもとに露置きて知らぬ山路の月を見るべき
百首歌奉りしに、山家の心を
式子内親王
今はわれ松の柱の杉の庵に閇づべきものを苔ふかき袖
小侍從
しきみ摘む山路の露にぬれにけりあかつきおきの墨染の袖
攝政太政大臣
忘れじの人だに尋はぬ山路かな櫻は雪に降りかはれども
五十首歌奉りしに
雅經
かげやどす露のみしげくなりはてて草にやつるる故鄕の月
俊惠法師身まかりて後、年頃遣はしける薪など、弟子どものもとに遣はすとて
賀茂重保
煙絕えて燒く人もなき炭竈のあとのなげきを誰かこるらむ
老いて後、津の國なる山寺に罷り籠れりけるに、寂蓮尋ね罷りて侍りけるに、庵のさま住み荒してあはれに見え侍りけるを、歸りて後とぶらひ侍りければ
西日法師
八十ぢあまり西の迎へを待ちかねて住みあらしたる柴のいほりぞ
山家の歌、數多よみ侍りけるに
前大僧正慈圓
山里に訪ひ來る人のことぐさはこの住まひこそうらやましけれ
後白河院崩れさせ給ひて後、百首の歌に
式子内親王
斧の柄の朽ちし昔は遠けれどありしにもあらぬ世をもふるかな
述懷百首の歌よみ侍りけるに
皇太后宮大夫俊成
いかにせむ賤[※しづ]が園生[※そのふ]の奧の竹かきこもるとも世の中ぞかし
老の後、昔を思ひ出で侍りて
祝部成仲
あけくれは昔をのみぞしのぶ草葉ずゑの露に袖ぬらしつつ
題しらず
前大僧正慈圓
岡のべの里のあるじを尋ぬれば人は答へず山おろしの風
西行法師
古畑のそばのたつ木にゐる鳩の友よぶ聲のすごきゆふぐれ
山賤[※やまがつ]のかた岡かけてしむる野の境に立てる玉のを柳
しげき野をいくひと村にわけなして更に昔を忍びかへさむ
むかし見し庭の小松に年ふりてあらしのおとを梢にぞ聞く
三井寺燒けて後、住み侍りける坊を思ひやりてよめる
大僧正行尊
住み馴れしわがふるさとはこの頃や淺茅が原に鶉[※うづら]啼くらむ
百首歌よみ侍りけるに
攝政太政大臣
ふる里はあさぢがすゑになりはてて月に殘れる人のおもかげ
題しらず
西行法師
これや見し昔住みけむ跡ならむよもぎか露に月のかかれる
人のもとに罷りて、これかれ松の䕃におり居て遊びけるに
貫之
䕃にとて立りかくるればからころも濡れぬ雨ふる松の聲かな
西院邊に早う相識れりける人を尋ね侍りけるに、菫摘み侍りける女、知らぬ由申しければよみ侍りける
能因法師
いそのかみふりにし人をたづぬれば荒れたる宿に菫摘みけり
ぬしなき宿を
惠慶法師
古へを思ひやりてぞ戀ひわたる荒れたる宿の苔のいははし
守覺法親王、五十首歌よませ侍りけるに、閑居のこころを
定家朝臣
わくらばに尋はれし人も昔にてそれより庭の跡は絕えにき
物へまかりける道に、山人數多あへりけるを見て
赤染衞門
なげきこる身は山ながら過ぐせかし憂き世の中に何歸るらむ
題しらず
人麿
秋されば狩人越ゆる立田山立ちても居てもものをしぞ思ふ
天智天皇御歌
朝倉や木の丸殿[※まろとの]にわがをれば名のりをしつつ行くは誰か子ぞ
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