新古今和歌集。卷第十五戀歌五。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第十五
戀哥五
水無瀨戀十五首歌合に
藤原定家朝臣
白栲[※しろたへ]の袖の別れに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く
藤原家隆朝臣
おもひ入る身は深草の秋の露たのめしすゑや木枯の風
前大僧正慈圓
野邊の露は色もなくてやこぼれつる袖より過ぐる荻の上風
題しらず
左近中將公衡
戀わびて野邊の露とは消えぬとも誰か草葉を哀れとは見む
右衞門督通具
とへかしな尾花がもとの思ひ草しをるる野邊の露はいかにと
家に戀十首歌よみ侍りける時
權中納言俊忠
夜の間にも消ゆべきものを露霜のいかに忍べとたのめ置くらむ
題しらず
道信朝臣
あだなりと思ひしかども君よりはもの忘れせぬ袖のうは露
藤原元眞
同じくはわが身も露と消えななむ消えなばつらき言の葉も見じ
たのめて侍りける女の、後に返事をだにせず侍りければ、かの男にかはりて
和泉式部
今來むといふ言の葉もかれゆくに夜な夜な露の何に置くらむ
たのめたること跡なくなり侍りにける女の、久しくありて問ひて侍りける返事に
藤原長能
あだことの葉に置く露の消えにしをある物とてや人の問ふらむ
藤原惟成に遣はしける
よみ人知らず
打ちはへていやは寢らるる宮城野の小萩が下葉色に出でしより
返し
藤原惟成
萩の葉や露の氣色もうちつけにもとよりかはる心あるものを
題しらず
花山院御歌
よもすがら消え返りつるわが身かな淚の露にむすぼほれつつ
久しく參らぬ人に
光孝天皇御歌
君がせぬわが手まくらは草なれや淚の露の夜な夜なぞ置く
御返し
よみ人知らず
露ばかり置くらむ袖はたのまれず淚の川の瀧つせなれば
陸奥の安達に侍りける女に、九月ばかりに遣はしける
重之
思ひやるよその村雲しぐれつつあだちの原に紅葉しぬらむ
思ふこと侍りける秋の夕暮、ひとりながめてよみ侍りける
六條右大臣室
身に近く來にけるものを色かはる秋をばよそに思ひしかども
題しらず
相模
色かはる萩の下葉を見てもまづ人のこころの秋ぞ知らるる
稻妻は照さぬ宵もなかりけりいづらほのかに見えしかげろふ
謙德公
人知れぬ寢覺の淚ふり滿ちてさもしぐれつる夜半の空かな
光孝天皇御歌
淚のみうき出づる蜑の釣竿の長き夜すがら戀ひつつぞぬる
坂上是則
枕のみ浮くと思ひしなみだ川いまはわが身の沈むなりけり
よみ人知らず
おもほえず袖に湊の騒くかなもろこし舟の寄りしばかりに
妹が袖わかれし日より白栲のころかたしき戀つつぞ寢る
逢ふことのなみの下草みがくれてしづ心なくねこそなかるれ
浦にたくも鹽の煙靡かめや四方のかたより風は吹くとも
忘るらむと思ふ心の疑ひにありしよりけにものぞ悲しき
憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつつなほぞ戀しき
命をばあだなる物と聞きしかどつらき方には長くもあるかな
いづ方に行き隱れなむ世の中に身のあればこそ人もつらけれ
今までに忘れぬ人は世にもあらじおのがさまざま年の經ぬれば
玉水を手にむすびても試みむぬるくば石のなかもたのまじ
山城の井手の玉水手に汲みてたのみしかひもなき世なりけり
君があたり見つつ居らむ伊駒山雲なかくしそ雨は降るとも
中空[※なかそら]に立ゐる雲の跡もなく身のはかなくもなりぬべきかな
雲のゐる遠山鳥のよそにてもありとし聞けば佗びつつぞぬる
晝は來て夜はわかるる山鳥のかげ見るときぞ音は泣かれける
われもしかなきてぞ人に戀られし今こそよそに聲をのみ聞け
人麿
夏野行くを鹿の角のつかの間もわすれずぞ思ふ妹がこころを
夏草の露わけ衣著もせぬになどわが袖のかはくときなき
八代女王
みそぎするならの小川の川風に祝りぞわたる下に絕えじと
淸原深養父
うらみつつ寢る夜の袖の乾かぬは枕のしたに潮や滿つらむ
中納言家持に遣はしける
山口女王
あしべより滿ち來る潮のいやましに思へか君が忘れかねつる
潮竈のまへに浮きたる浮島のうきておもひのある世なりけり
題しらず
赤染衞門
いかに寢て見えしなるらむうたた寢の夢より後はものをこそ思へ
参議篁
うち解けて寢ぬもの故に夢を見て物思ひまさる頃にもあるかな
伊勢
春の世の夢にありつと見えつれば思ひ絕えにし人ぞ待たるる
盛明親王
春の夜の夢のしるしはつらくとも見しばかりだにあらば賴まむ
女御徽子女王
ぬる夢にうつつの憂さも忘られて思ひ慰むほどぞはかなき
春の夜女のもとに罷りて、あしたに遣はしける
能宣朝臣
かくばかり寢で明しつる春の夜にいかに見えつる夢にかあるらむ
題しらず
寂蓮法師
淚川身も浮きぬべき寢覺かなはかなき夢のなごりばかりに
百首歌奉りしに
家隆朝臣
逢ふと見てことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れ形見や
題しらず
基俊
床近くあなかま夜半のきりぎりす夢にも人の見えもこそすれ
千五百番歌合に
皇太后宮大夫俊成
あはれなりうたたねにのみ見し夢の長き思ひに結ぼほれなむ
題しらず
定家朝臣
掻きやりしその黑髮のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ
和歌所歌合に、遇不(レ)逢戀のこころを
皇太后宮大夫俊成女
夢かとよ見し面影も契りしも忘れずながらうつつならねば
戀の歌とて
式子内親王
はかなくぞ知らぬ命を歎き來しわがかね言のかかりける世に
辨
過ぎにける世世の契も忘られて厭ふ憂き身の果てぞはかなき
崇德院に百首歌奉りける時、戀の歌
皇太后宮大夫俊成
思ひわび見し面影はさてをきて戀せざりけむおりぞこひしき
題しらず
相模
流れ出でむうき名にしばし淀むかな求めぬ袖の淵はあれども
男の久しくおとづれざりけるが、忘れてや、と申し侍りければよめる
馬内侍
つらからば戀しきことは忘れなでそへてはなどかしづ心なき
昔見ける人、賀茂祭の次第司に出で立ちてなむ罷りわたると云ひて侍りければ
君しまれ道のゆききを定むらむ過ぎにし人をかつ忘つつ
年頃絕え侍りにける女の、榑[※くれ]といふもの尋ねたりけるに遣はすとて
藤原仲文
花咲かぬ朽木の杣の杣人のいかなる暮におもひいづらむ
久しく音せぬ人に
大納言經信母
おのづからさこそはあれと思ふまに誠に人のとはずなりぬる
忠盛朝臣、かれがれになりて後、いかが思ひけむ、久しく音づれぬ事を恨めしくや、などいひて侍りければ、返事に
前中納言敎盛母
習はねば人のとはぬもつらからで悔しきにこそ袖は濡れけれ
題しらず
皇嘉門院尾張
歎かじな思へば人につらかりしこの世ながらのむくひなりけり
和泉式部
いかにしていかにこの世にありへばか暫しも物を思はざるべき
深養父
嬉しくは忘るることもありなましつらきぞ長き形見なりける
素性法師
逢ふことの形見をだにも得てしがな人は絕ゆとも見つつ忍ばむ
小野小町
我身こそあらぬかとのみたどらるれとふべき人に忘られしより
能宣朝臣
葛城やくめ路にわたす岩橋の絕えにし中となりやはてなむ
祭主輔親
今はとも思ひな絕えそ野中なる水のながれは行きてたづねむ
伊勢
思ひ出づや美濃のを山のひとつ松契りしことはいつも忘れず
業平朝臣
出でていにし跡だにいまた變らぬに誰か通路と今はなるらむ
梅の花香をのみ袖にとどめ置きてわが思ふ人は音づれもせぬ
齊宮女御に遣はしける
天曆御歌
天の原そことも知らぬ大空におぼつかなさを歎きつるかな
御返し
女御徽子女王
なげくらむ心を空に見てしがな立つ朝霧に身をやなさまし
題しらず
光孝天皇御歌
逢はずしてふる頃ほひの數多あれば遙けき空にながめをぞする
女の外へ罷るを聞きて
兵部卿致平親王
思ひやる心もそ空に白雲の出で立つかたを知らせやはせぬ
題しらず
躬恒
雲居より遠山鳥の鳴きて行くこゑほのかなる戀もするかな
辨更衣久しく參らざりけるに、給はせける
延喜御歌
雲居なる雁だに鳴きて來る秋になどかは人の音づれもせぬ
斎宮女御、春頃罷り出でて、久しく參り侍らざりければ
天暦御歌
春行きて秋までとやは思ひけむ假りにはあらず契しものを
題しらず
西宮前左大臣
初雁のはつかに聞きしことづても雲路に絕えてわぶる頃かな
五節の頃、内裏にて見侍りける人に、又の年遣はしける
藤原惟成
小忌衣去年ばかりこそなれざらめ今日の日かげのかけてだに問へ
題しらず
藤原元眞
すみよしの戀忘草たね絕えてなき世に逢へるわれぞ悲しき
齊宮女御參り侍りけるに、いかなる事かありけむ
天曆御歌
水の上のはかなき數もおもほえず深き心しそこにとまれば
久しくなりにける人のもとへ
謙德公
長き世の盡きぬ歎きの絕えざらばなににいのちをかへて忘れむ
題しらず
權中納言敦忠
心にもまかせざりける命もてたのめも置かじ常ならぬ世を
藤原元眞
世の憂きも人の辛きもしのぶるに戀しきにこそ思ひわびぬれ
忍びて語らひける女の親、聞きていさめ侍りければ
參議篁
數ならばかからましやは世の中にいと悲しきは賤[※しづ]のをだまき
題しらず
藤原惟成
人ならば思ふ心をいひてましよしやさこそは賤のをだまき
よみ人知らず
わがよはひ衰ろへゆけば白たへの袖の馴れにし君をしぞおもふ
今よりは逢はじとすれや白たへのわがころも手の乾く時なき
玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を衣手かれて獨かも寢む
逢ふ事をおぼつかなくてすごすかな草葉の露の置きかはるまで
秋の田の穗むけの風のかたよりにわれは物思ふつれなきものを
はし鷹の野守の鏡えてしがなおもひおもはずよそながら見む
大淀の松はつらくもあらなくに恨みてのみもかへる波かな
白浪は立ち騒ぐともこりずまの浦のみるめは刈らむとぞ思ふ
さして行くかたはみなとの浪髙みうらみてかへる海人の釣舟
0コメント