新古今和歌集。卷第十四戀歌四。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第十四
戀哥四
中將に侍りける時、女に遣るはしける
淸愼公
宵宵に君をあはれと思ひつつ人にはいはで音をのみぞ泣く
返し
よみ人しらず
君だにも思ひ出でける宵宵を待つはいかなるここちかはする
少將滋幹に遣はしける
戀しさに死ぬる命を思ひ出て問ふ人あらばなしと答へよ
恨むること侍りて、更にまうで來じと誓言して、二日ばかりありて遣はしける
謙德公
別れては昨日今日こそ隔てつれ千世を經たる心地のみする
返し
恵子女王
昨日とも今日とも知らず今はとて別れしどの心まどひに
入道攝政、久しくまうで來ざりける頃、鬢かきて出でけるゆするつきの水いれながら侍りけるを見て
右大將道綱母
絕えぬるか影だに見えば問ふべきを形見の水は水草[みぐさ]ゐにけり
内に久しく參り給はざりける頃、五月五日、後朱雀院の御返事に
陽明門院
方方に引き別れつつ菖蒲草あらぬねをやはかけむと思ひし
題しらず
伊勢
言の葉の移ろふだにもあるものをいとど時雨のふりまさるらむ
右大將道綱母
吹く風につけても問はむささがにの通ひし道は空に絕ゆとも
后[※きさい]の宮、久しく里におはしける頃、遣はしける
天曆御歌
葛の葉にあらぬわが身も秋風の吹くにつけつつうらみつるかな
久しく參らざりける人に
延喜御歌
霜さやぐ野邊の草葉にあらねどもなどか人目のかれまさるらむ
御返し
よみ人しらず
淺茅生ふる野邊やかるらむ山がつの垣ほの草は色もかはらず
春になりてと奏し侍りけるが、さもなかりければ打ちより、いまだ年もかへらぬにや、とのたまはせたりける御返事を、かえでの紅葉につけて
女御徽子女王
霞むらむ程をも知らずしぐれつつ過ぎにし秋の紅葉をぞ見る
御返し
天曆御歌
今來むとたのめつつふる言の葉ぞ常磐に見ゆる紅葉なりける
女御のしもに侍りけるに遣はしける
朱雀院御歌
玉ぼこの道は遙かにあらねどもうたて雲居にまどふ頃かな
御返し
女御熈子女王
思ひやる心は空にあるものをなどか雲居にあひ見ざるらむ
麗景殿女御參りて後、雨降り侍りける日、梅壷の女御に
後朱雀院御歌
春雨の降りしくころは靑柳のいと亂れつつ人ぞこひしき
御返し
女御藤原生子
靑柳のいと亂れたるこの頃は一筋にしも思ひよられじ
また遣はしける
後朱雀院御歌
靑柳の絲はかたがたなびくとも思ひそめてむ色はかはらじ
御返し
女御生子
淺みどり深くもあらぬ靑柳は色かはらじといかがたのまむ
はやう物申しける女に、枯れたる葵を、みあれの日遣はしける
實方朝臣
古へのあふひと人は咎むともなほそのかみの今日[※けふ]ぞわすれぬ
返し
よみ人しらず
枯れにける葵のみこそ悲しけれ哀れと見ずや賀茂のみづがき
廣幡の御息所に遣はしける
天曆御歌
逢ふ事をはつかに見えし月影のおぼろげにやは哀れともおもふ
題しらず
伊勢
さらしなや姨捨山の有明のつきずもののをおもふころかな
中務
いつとても哀れと思ふをねぬる夜の月は朧げなくなくぞ見し
躬恒
更級の山よりほかに照る月もなぐさめかねつこの頃のそら
よみ人しらず
天の戶をおしあけがたの月見れば憂き人しもぞ戀しかりける
ほの見えし月を戀しと歸るさの雲路の浪に濡れて來しかな
人に遣はしける
紫式部
入る方はさやかなりける月影をうはの空にも待ちし宵かな
返し
よみ人知らず
さして行く山の端もみなかき曇りこころの空に消えし月影
題しらず
藤原經衡
今はとて別れしほどの月をだに淚にくれてながめやはせし
肥後
面影のわすれぬ人によそへつつ入るをぞ慕ふ秋の夜のつき
後德大寺左大臣
憂き人の月は何ぞのゆかりぞと思ひながらもうち眺めつつ
西行法師
月のみやうはの空なる形見にて思ひも出でばこころ通はむ
隈もなき折しも人を思ひ出でてこころと月をやつしつるかな
物思ひて眺むる頃の月の色にいかばかりなるあはれ添ふらむ
八條院髙倉
曇れかしながむるからに悲しきは月におぼゆる人のおもかげ
百首の歌の中に
太上天皇
忘らるる身を知る袖のむら雨につれなく山の月は出でけり
千五百番歌合に
攝政太政大臣
めぐり逢はむ限りはいつと知らねども月な隔てそよその浮雲
わが淚もとめて袖にやどれ月さりとて人のかげは見えねど
權中納言公經
戀ひわぶるなみだや空に曇るらむ光もかはるねやの月かげ
左衞門督通光
幾めぐり空行く月もへだてきぬ契りしなかはよその浮雲
右衞門督通具
今來むと契りしことは夢ながら見し夜に似たるありあけの月
有家朝臣
忘れじといひしばかりのなごりとてその夜の月はめ廻り來にけり
題しらず
攝政太政大臣
思ひ出でて夜な夜な月に尋ねずば待てと契りし中や絕えなむ
家隆朝臣
忘るなよ今は心のかはるとも馴れしその夜のありあけの月
法眼宗圓
そのままに松のあらしも變らぬを忘れやしぬるふけし夜の月
藤原秀能
人ぞ憂きたのめぬ月はめぐり來てむかしわすれぬ蓬生の宿
八月十五夜、和歌所にて月前戀といふことを
攝政太政大臣
わくらばに待ちつる宵もふけにけりさやは契りし山の端の月
有家朝臣
來ぬ人を待つとはなくて待つ宵の更け行く空の月もうらめし
定家朝臣
松山とちぎりし人はつれなくて袖越す浪に殘る月かげ
千五百番歌合に
皇太后宮大夫俊成女
ならひ來し誰か偽もまだ知らで待つとせしまの庭の蓬生
經房卿家歌合に、久恋と
二条院讚岐
あと絕えて淺茅が末になりにけりたのめし宿の庭の白露
攝政太政大臣家百首歌よみ侍りけるに
寂蓮法師
來ぬ人を思ひ絕えたる庭の面[※おも]の蓬がすゑぞ待つにまされる
題しらず
左衞門督通光
尋ねても袖にかくべきかたぞなき深き蓬の露のかごとを
藤原保季朝臣
かたみとてほの踏み分けしあともなし來しは昔の庭の荻原
法橋行遍
名殘をば庭の淺茅に留め置きて誰ゆゑ君が住みうかれけむ
攝政太政大臣家、百首歌合に
定家朝臣
忘れずばなれし袖もや氷るらむ寢ぬ夜の床の霜のさむしろ
家隆朝臣
風吹かば峯に別れむ雲をだにありしなごりの形見とも見よ
百首歌奉りし時
攝政太政大臣
いはざりき今來むまでの空の雲月日へだててもの思へとは
千五百番歌合に
家隆朝臣
思ひ出でよ誰がかねごとの末ならむ昨日の雲のあとの山風
二條院の御時、艶書の歌召しけるに
刑部卿範兼
忘れゆく人ゆゑ空をながむればたえだえにこそ雲も見えけれ
題しらず
殷富門院大輔
忘れなば生けらむ物かと思ひしにそれも叶はぬこの世なりけり
西行法師
疎くなる人をなにとて恨むらむ知られず知らぬ折もありしに
今ぞ知る思ひ出でよと契りしは忘れむとてのなさけなりけり
建仁元年三月、歌合に遇不(レ)遇戀のこころを
土御門内大臣
あひ見しは昔がたりのうつつにてそのかねごとを夢になせとや
權中納言公經
あはれなる心の闇のゆかりとも見し夜の夢をだれかさだめむ
右衞門督通具
契りきや飽ぬわかれに露おきし暁ばかりかたみなれとは
寂蓮法師
恨みわび待たじいまはの身なれども思ひ馴れにし夕暮の空
宜秋門院丹後
忘れじの言の葉いかになりにけむたのめし暮は秋風ぞ吹く
家に百首歌合し侍りけるに
攝政太政大臣
思ひかねうちぬる宵もありなまし吹きだにすさべ庭の松風
有家朝臣
さらでだにうらみむとおもふ吾妹子[わぎもこ]が衣の裾に秋風ぞ吹く
題しらず
よみ人知らず
心にはいつも秋なる寢覺かな身にしむ風のいく夜ともなく
西行法師
あはれとて訪ふ人のなどなかるらむもの思ふ宿の荻の上風
入道前關白太政大臣家歌合に
俊惠法師
わが戀は今をかぎりとゆふまぐれ荻吹く風の音づれて行く
題しらず
式子内親王
いまはただ心の外に聞くものを知らずがほなる荻のうはかぜ
家の歌合に
攝政太政大臣
いつも聞くものとや人の思ふらむ來ぬ夕暮の秋風の聲
前大僧正慈圓
心あらば吹かずもあらなむよひよひに人待つ宿の庭の松風
和歌所にて歌合し侍りけるに、逢不(レ)遇戀のこゝろを
寂蓮法師
里は荒れぬ空しき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞ吹く
水無瀨戀十五首歌合に
太上天皇
里は荒れぬ尾の上の宮のおのづから待ち來し宵も昔なりけり
有家朝臣
物思はでただおほかたの露にだに濡るれば濡るる秋の袂を
雅經
草枕結びさだめむかた知らずならはぬ野邊の夢のかよひ路
和歌所歌合に、深山戀といふことを
家隆朝臣
さてもなほ問はれぬ秋のゆふは山雲吹く風も峯に見ゆらむ
藤原秀能
思ひ入る深き心のたよりまで見しはそれともなき山路かな
題しらず
鴨長明
ながめてもあはれと思へおほかたの空だにかなし秋の夕暮
千五百番歌合に
右衞門督通具
言の葉のうつりし秋も過ぎぬればわが身時雨とふる淚かな
定家朝臣
消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露
攝政太政大臣家歌合に
寂蓮法師
來ぬ人を秋のけしきやふけぬらむうらみによわる松蟲の聲
戀の歌とてよみ侍りける
前大僧正慈圓
わが戀は庭のむら萩うらがれて人をも身をもあきのゆふぐれ
被(レ)忘戀のこころを
太上天皇
袖の露もあらぬ色にぞ消えかへる移ればかはる歎きせしまに
定家朝臣
むせぶとも知らじな心かはら屋にわれのみ消たぬ下の煙は
家隆朝臣
知られじなおなじ袖には通ふともたが夕暮とたのむ秋かぜ
皇太后宮大夫俊成女
露はらふねざめは秋の昔にて見はてぬ夢にのこるおもかげ
攝政太政大臣家、百首歌合に、尋戀
前大僧正慈圓
心こそゆくへも知らね三輪の山杉のこずゑのゆふぐれの空
百首歌の中に
式子内親王
さりともと待ちし月日もうつりゆく心の花の色にまかせて
生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮をとはばとへかし
曉戀のこころを
前大僧正慈圓
曉のなみだやそらにたぐふらむ袖に落ちくる鐘のおとかな
千五百番歌合に
權中納言公經
つくづくと思ひあかしのうら千鳥浪の枕になくなくぞ聞く
定家朝臣
尋ね見るつらき心の奧の海よ汐干の潟のいふかひもなし
水無瀨戀十五首歌合に
雅經
見し人のおもかげとめよ淸見潟そでに關もる浪のかよひぢ
皇太后宮大夫俊成女
ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりを待つとせしまに
かよひ來しやどの道芝かれがれにあとなき霜のむすぼほれつつ
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