新古今和歌集。卷第十二戀歌二。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第十二
戀哥二
五十首歌奉りしに、寄(レ)雲恋
皇太后宮大夫俊成女
下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき
攝政太政大臣家、百首歌合に
藤原定家朝臣
靡かじなあまの藻鹽火[※もしほび]たき初めて煙[※けぶり]は空にくゆりわぶとも
百首歌奉りし時、戀の歌
攝政太政大臣
戀をのみすまの浦人藻鹽垂れほしあへぬ袖のはてを知らばや
戀の歌とてよめる
二條院讚岐
みるめこそ入りぬる磯の草ならめ袖さへ波の下に朽ちぬる
年を經[※へ]たる戀といへるこころをよみ侍りける
俊賴朝臣
君戀ふとなるみの浦の濱ひさぎしをれてのみも年を經[※ふ]るかな
忍戀のこころを
前太政大臣
知るらめや木の葉降りしく谷水の岩間に漏らす下のこころを
左大將に侍りける時、家に百首歌合し侍りけるに、忍戀のこころを
攝政太政大臣
洩らすなよ雲居るみねの初しぐれ木の葉は下に色かはるとも
戀歌あまたよみ侍りけるに
後德大寺左大臣
かくとだに思ふこころをいはせ山した行く水の草がくれつつ
殷富門院大輔
洩らさばやおもふ心をさてのみはえぞやま城の井手のしがらみ
忍戀のこころを
近衞院御歌
戀しともいはば心のゆくべきにくるしや人目つつむおもひは
見れど逢はぬ戀といふこころをよみ侍りける
花園左大臣
人知れぬ戀にわが身は沈めどもみるめに浮くは淚なりけり
題しらず
神祇伯顯仲
物思ふといはぬばかりは忍ぶともいかがはすべき袖の雫を
忍戀のこころを
清輔朝臣
人知れず苦しきものはしのぶ山下はふ葛のうらみなりけり
和歌所歌合に、忍戀のこころを
雅經
消えねただしのぶの山の峯の雲かかる心のあともなきまで
千五百番歌合に
左衞門督通光
限りあればしのふの山のふもとにも落葉がうへの露ぞいろづく
二条院讚岐
うちはへて苦しきものは人目のみしのぶの浦のあまの栲繩[たくなは]
和歌所歌合に、依(レ)忍増戀といふことを
春宮權大夫公繼
忍ばじよ石間づたひの谷川も瀨をせくにこそ水まさりけれ
題しらず
信濃
人もまだふみみぬ山のいはがくれ流るる水を袖にせくかな
西行法師
はるかなる岩のはざまに獨ゐて人目思はでものおもはばや
數ならぬ心の咎になしはてて知らせでこそは身をも恨みめ
水無瀨の戀十五首歌合に、夏戀を
攝政太政大臣
草ふかき夏野わけ行くさを鹿の音をこそ立てね露ぞこぼるる
入道前關白、右大臣に侍ける時、百首歌人人によませ侍りけるに、忍戀のこころを
大宰大貮重家
後の世をなげく淚といひなしてしぼりやせまし墨染のそで
大納言成通、文遣はしけれどつれなかりける女を、後の世まで恨殘るべきよし申しければ
よみ人しらず
たまづさの通ふばかりに慰めて後の世までのうらみのこすな
前大納言隆房、中將に侍りける時、右近馬場のひをりの日罷れりけるに、物見侍りける女車より遣はしける
ためしあればながめはそれと知りながら覺束なきは心なりけり
返し
前大納言隆房
いはぬより心や行きてしるべするながむる方を人の問ふまで
千五百番歌合に
左衞門督通光
ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空
雨の降る日、女に遣はしける
皇太后宮大夫俊成
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る
水無瀨戀十五首歌合に
攝政太政大臣
山がつの麻のさ衣をさをあらみあはで月日やすぎ葺けるいほ
欲(二)言出(一)戀といへるこころを
藤原忠定
思へどもいはで月日はすぎの門[※かど]さすがにいかが忍び果つべき
百首歌奉りし時
皇太后宮大夫俊成
逢ふことはかたのの里の笹の庵[※いほ]しのに露散る夜はの床かな
入道前關白、右大臣に侍りける時、百首歌の中に忍戀
散らすなよ篠[しの]の葉草のかりにても露かかるべき袖のうへかは
題しらす
藤原元眞
白玉か露かと問はむ人もがなものおもふ袖をさして答へむ
女に遣はしける
藤原義孝
いつまでの命も知らぬ世の中につらき歎きのやまずもあるかな
崇德院に、百首歌奉りける時
大炊御門右大臣
わが戀ばちぎの片そぎかたくのみ行きあはで年の積りぬるかな
入道前關白家に、百首歌よみ侍りける時、不(レ)遇戀といふこころを
藤原基輔朝臣
いつとなく鹽燒く海士のとまびさし久しくなりぬ逢はぬ思ひは
夕戀といふことをよみ侍りける
藤原秀能
藻鹽燒くあまの磯屋のゆふけぶり立つ名もくるし思ひ絕えなで
海邊戀といふことをよめる
定家朝臣
須磨の蜑の袖に吹きこす鹽風のなるとはすれど手にもたまらず
攝政太政大臣家の歌合によみ侍りける
寂蓮法師
ありとても逢はぬためしの名取川朽ちだにはてね瀨瀨の埋木
千五百番歌合に
攝政太政大臣
歎かずよいまはたおなじ名取川瀨瀨の埋木朽ちはてぬとも
百首歌奉りし時
二条院讚岐
なみだ川たぎつ心のはやき瀨をしがらみかけてせく袖ぞなき
攝政太政大臣、百首歌よませ侍りけるに
高松院右衞門佐
よそながらあやしとだにも思へかし戀せぬ人の袖の色かは
恋の歌とてよめる
よみ人知らず
忍びあまり落つる淚をせきかへし抑ふる袖ようき名漏らすな
入道前關白太政大臣家歌合に
道因法師
くれなゐに淚の色のなり行くをいくしほまでと君に問はばや
百首歌中に
式子内親王
夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖のけしきは
語らひ侍りける女の、夢に見えて侍りければよみける
後德大寺左大臣
覺めて後夢なりけりと思ふにも逢ふは名殘の惜しくやはあらぬ
千五百番歌合に
攝政太政大臣
身に添へるその面影の消えななむ夢なりけりと忘るばかりに
題しらず
大納言實家
夢のうちに逢ふと見えつる寐覺こそつれなきよりも袖は濡れけれ
五十首歌奉りし時
前大納言忠良
たのめ置きし淺茅が露に秋かけて木の葉降りしく宿の通ひぢ
隔河忍戀といふことを
正三位經家
忍びあまり天の河瀨にことよせむせめては秋を忘れだにすな
遠き境を待つ戀といへるこころを
賀茂重政
たのめても遙けかるべきかへる山幾重の雲の下に待つらむ
攝政太政大臣家、百首歌合に
中宮大夫家房
逢ふ事はいつといぶきの嶺に生ふるさしも絕えせぬ思なりけり
家隆朝臣
富士の嶺の煙もなをぞ立ちのぼるうへなきものはおもひなりけり
名立戀といふこころをよみ侍りける
件中納言俊忠
なき名のみ立田の山に立つ雲の行方も知らぬながめをぞする
百首歌の中に、戀のこころを
惟明親王
逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり
右衞門督通具
わが戀は逢ふを限りのたのみだに行方も知らぬ空の浮雲
水無瀨戀十五首歌合に、春戀のこころを
皇太后宮大夫俊成女
面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖のなみだに
冬戀
定家朝臣
床の霜枕の氷消えわびぬ結びも置かぬ人のちぎりに
攝政太政大臣家百首歌合に、曉戀
有家朝臣
つれなさのたぐひまでやはつらからぬ月をもめでじ有明の空
宇治にて夜戀といふことを、をのこどもつかうまつりしに
藤原秀能
袖のうへに誰ゆゑ月は宿るぞとよそになしても人の問へかし
久戀といへることを
越前
夏引の手びきの絲の年へても絕えぬおもひにむすぼほれつつ
家に百首歌合し侍りけるに、祈戀といへる心を
攝政太政大臣
幾夜われ波にしをれて貴船川袖に玉散るもの思ふらむ
定家朝臣
年も經ぬいのるちぎりははつせ山をのへの鐘のよそのゆふぐれ
片思ひのこころをよめる
皇太后宮大夫俊成
うき身をばわれだに厭ふ厭へただそをだにおなじ心と思はむ
題しらず
權中納言長方
戀ひ死なむ同じうき名をいかにして逢ふにかへつと人にいはれむ
殷富門院大輔
明日知らぬ命をぞ思ふおのづからあらば逢ふ夜を待つにつけても
八条院髙倉
つれもなき人の心は空蟬のむなしきこひに身をやかへてむ
西行法師
何となくさすがにをしき命かなあり經は人や思ひ知るとて
思ひ知る人ありけりの世なりせばつきせず身をば恨みざらまし
0コメント