新古今和歌集。卷第十一戀歌一。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)
新古今和歌集
底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。
新古今和歌集卷第十一
戀哥一
題しらず
よみ人知らず
よそにのみ見てややみなむ葛城や高間[※たかま]の山のみね[※峯]のしら[※白]雲
音[※おと]にのみありと聞きこしみ吉野の瀧は今日こそ袖に落ちけれ
人麿
あしびきの山田守[※も]る庵[※いほ]に置くかび[※蚊火]の下焦[※したこが]れつつわが戀ふらくは
石[※いそ]の上[※かみ]布留[※ふる]のわさ田のほには出でず心のうちに戀ひや渡らむ
女に遣はしける
在原業平朝臣
春日野の若紫のすりごろも[※摺衣]しのぶ[※信夫]のみだれ[※亂]かぎり[※限り]知られず
中將更衣に遣はしける
延喜御歌
紫の色にこころはあらねども深くぞ人をおもひそめ[※初め‐染め]つる
題しらず
中納言兼輔
みかの原わきて流るるいづみ河いつ見きとてか戀ひしかるらむ
平定文家歌合に
坂上是則
その[※園]原やふせや[※伏屋]に生[※お]ふる帚木[※はゝきゞ]のありとは見えて逢はぬ君かな
人の文遣はして侍りける返事に添へて女に遣はしける
藤原高光
年を經ておもふ心のしるしにぞ空もたよりの風は吹きける
九條右大臣のむすめに、初めて遣はしける
西宮前左大臣
年月[※としつき]はわが身に添へて過ぎぬれど思ふ心のゆかずもあるかな
返し
大納言俊賢母
諸ともに哀れといはず人知れぬ問はずがたりをわれのみやせむ
天曆御時の歌合に
中納言朝忠
人傳[※づて]に知らせてしがな隱れぬのみごもりにのみ戀ひや渡らむ
初めて女に遣はしける
大宰大貮高遠
みごもりの沼の岩垣[※いはがき]つつめどもいかなるひまに濡るる袂ぞ
いかなる折りにかありけむ、女に
謙德公
から衣袖にひとめはつつめどもこぼるるものは淚なりけり
左大將朝光、五節の舞姬奉りけるかしづきを見て遣はしける
前大納言公任
天つ空豐[※とよ]のあかりに見し人のなほおもかげのしひて戀しき
つれなく侍りけるをんなに、師走のつごもりに遣るはしける
謙德公
あら玉の年にまかせて見るよりはわれこそ越えめ逢坂のせき[※關]
堀河關白、文など遣はして、里は何處[※いづく]ぞ、と問ひ侍りければ
本院侍從
わが宿はそことも何か敎[※をし]ふべきいはでこそ見め尋ねけりやと
返し
忠義公
わがおもひ空の煙[※けぶり]となりぬれば雲居ながらもなほ尋ねてむ
題しらず
貫之
しるしなき煙を雲にまがへつつ世を經て富士の山と燃えなむ
淸原深養父
煙立つおもひならねど人知れずわびては富士のねをのみぞなく
女に遣はしける
藤原惟成
風吹けば室[※むろ]の八島[※やしま]のゆふけぶり心の空に立ちにけるかな
文遣はしける女に、おなじ司[※つかさ]のかみなりける人通ふと聞きて遣はしける
藤原義孝
白雲のみねにしもなど通ふらむ同じみかさ[※三笠]の山のふもとを
題しらず
和泉式部
今日も又かくやいぶきのさしも草さらばわれのみ燃えや渡らむ
源重之
筑波山端[※は]山繁山しげけれど思ひ入るにはさはらざりけり
また通ふ人ありける女のもとに遣はしける
大中臣能宣朝臣
われならぬ人に心をつくば山したに通はむ道だにやなき
初めて女に遣はしける
大江匡衡朝臣
人知れずおもふ心はあしびきの山下水の湧きやかへらむ
女を物ごしにほのかに見て遣るはしける
淸原元輔
匂ふらむ霞のうちのさくら花おもひやりても惜しき春かな
年を經ていひわたり侍りける女の、さすがにけぢかくはあらざりけるに、春の末[※すゑ]つ方いひつ遣はしける
能宣朝臣
幾かへり咲き散る花を眺めつつもの思ひ暮らす春に逢ふらむ
題しらず
躬恒
奧山の峯飛び越ゆる初雁のはつかにだにも見でややみなむ
亭子院御哥
大空をわたる春日の影なれやよそにのみしてのどけかるらむ
正月、雨降り風吹きける日、女に遣はしける
謙德公
春風の吹くにもまさるなみだ[※淚]かな[※哉]わがみなかみ[※水上]も氷解くらし
度度[※たびたび]返事せぬ女に
水の上[※うへ]に浮きたる鳥のあともなくおぼつかなさを思ふ頃かな
題しらず
曾禰好忠
かた岡の雪間[※ゆきま]にねざす若草のほのかに見てし人ぞこひしき
返事せぬ女のもとに遣はさんとて、人のよませ侍りければ、二月ばかりによみ侍りける
和泉式部
あとをだに草のはつかに見てしがな結ぶばかりの程ならずとも
題しらず
藤原興風
霜の上に跡ふみつくる濱千鳥[※はまちどり]ゆくへもなしと音[※ね]をのみぞ鳴く
中納言家持
秋萩の枝[※えだ]もとををに置く露の今朝消えぬとも色に出でめや
藤原高光
秋風にみだれてものは思へども萩の下葉の色はかはらず
忍草[※しのぶくさ]の紅葉[※もみぢ]したるにつけて、女のもとに遣はしける
花園左大臣
わが戀も今は色にや出でなまし軒のしのぶも紅葉しにけり
和歌所歌合に、久忍戀といふことを
攝政太政大臣
いそのかみ[※神]ふる[※布留]の神杉ふりぬれと色には出でず露も時雨も
小野宮歌合に、忍戀の心を
太上天皇
わが戀は槇の下葉にもる時雨ぬるとも袖の色に出でめや
百首歌奉りし時よめる
前大僧正慈圓
わか戀は松を時雨の染めかねて眞葛[※まくず]が原に風さわぐなり
家に歌合し侍けるに、夏戀の心を
攝政太政大臣
空蟬の鳴く音やよそにもりの露ほしあへぬ袖を人のとふまで
寂蓮法師
思ひあれば袖に螢を包みてもいはばやものをとふ人はなし
水無瀨にて、をのこども、久戀といふことをよみ侍しに
太上天皇
思ひつつ經[※へ]にける年のかひやなきやただあらましの夕暮のそら
百首歌の中に、忍戀を
式子内親王
玉の緒よ絕えなば絕えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
忘れてはうち歎かるるゆふべかなわれのみ知りて過ぐる月日を
わが戀は知る人もなしせく床の淚もらすな黄楊[※つけ]の小まくら
百首の歌よみ侍りける時、忍戀
入道前堰白太政大臣
忍ぶるにこころの隙[※ひま]はなけれともなほもるものは淚なりけり
冷泉院、みこの宮と申しける時、さぶらひける女房を見かはして、云ひわたり侍りける頃、手習しける所に罷りて、物に書き付け侍りける
謙德公
つらけれど恨みむとはたおもほえずなほ行くさきを賴む心に
返し
よみ人しらず
雨もこそは賴まば漏らめたのまずば思はぬ人と見てをやみなむ
題しらず
紀貫之
風吹けばとはに波こす磯なれやわがころも[※衣]手の乾く時なき
道信朝臣
須磨の蜑[※あま]の浪かけ衣よそにのみ聞くはわが身になりにけるかな
藥玉[※くすたま]を女に遣はすとて、男に代りて
三條院女藏人左近
沼ごとに袖ぞ濡れけるあやめ草こころに似たる根を求むとて
五月五日、馬内侍に遣はしける
前大納言公任
時鳥いつかと待ちし菖蒲草[※あやめくさ]今日はいかなるねにか鳴くべき
返し
馬内侍
さみだれはそらおぼれする時鳥ときになく音は人もとがめず
兵衞佐に侍りける時、五月ばかりに、よそなから物申しそめて遣はしける
法成寺入道前攝政太政大臣
時鳥こゑを聞けど花の枝[※え]にまだふみなれぬものをこそ思へ
返し
馬内侍
時鳥しのぶるものを柏木のもりても聲の聞えけるかな
時鳥の鳴きけるは聞きつやと申しける人に
心のみ空になりつつほととぎす人だのめなる音こそなかるれ
題しらず
伊勢
み熊野の浦よりをちに漕ぐ舟のわれをばよそに隔てつるかな
難波潟[※なにはがた]みじかき葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや
人麿
み狩する狩場[※かりば]の小野のなら柴の馴れはまさらで戀ぞまされる
よみ人しらず
有渡[うど]濱の疎くのみやは世をば經[※へ]む波のよるよる逢ひ見てしがな
東路[※あづまぢ]の道のはてなる常陸帶[※ひたちおび]のかごとばかりも逢はむとぞ思ふ
濁江[※にごりえ]のすまんことこそ難からめいかでほのかに影を見せまし
時雨降る冬の木の葉のかわかずぞもの思ふ人の袖はありける
ありとのみおとに聞きつつ音羽川わたらば袖に影も見えなむ
水莖[※みづくき]の岡の木の葉を吹きかへし誰かは君を戀ひむとおもひし
わが袖に跡ふみつけよ濱千鳥逢ふことかたし見てもしのばむ
女のもとより歸り侍りけるに、程もなく雪のいみじう降り侍りければ
中納言兼輔
冬の夜の淚にこほるわが袖のこころ解けずも見ゆる君かな
題しらず
藤原元眞
霜こほりこころも解けぬ冬の池に夜ふけてぞ鳴くをし[※鴛]の一聲
なみだ川身も浮くばかりながるれど消えぬは人の思ひなりけり
女に遣はしける
實方朝臣
いかにせむくめぢの橋の中空に渡しも果てぬ身とやなりなむ
女の、杉の實を包みておこせて侍りければ
たれぞこの三輪の檜原[※ひはら]も知らなくに心の杉のわれを尋ねる
題しらず
小辨
わが戀はいはぬばかりぞ難波なる葦のしの屋のしたにこそ焚け
伊勢
わが戀はありその海の風をいたみ頻りによ[※寄]する波のま[※間]もなし
人に遣はしける
藤原淸正
須磨の浦に蜑のこりつむ藻鹽木[※もしほき]のからくも下にもえ渡るかな
題しらず
源景明
あるかひもなぎさに寄する白波のまなく物思ふわが身なりけり
貫之
あしびきの山下たぎつ岩浪のこころくだけて人ぞこひしき
あしびきの山下たしげき夏草のふかくも君をおもふころかな
坂上是則
をじかふす夏野の草の道をなみしげき戀路[※こひぢ]にまどふころかな
曾禰好忠
蚊遣火[※かやりび]のさ夜更け方のしたこがれ苦しやわが身人知れずのみ
由良[※ゆら]のとをわたる舟人かぢをたえ行方[※ゆくゑ]も知らぬ戀のみちかな
鳥羽院の御時、うへのをのこども寄(レ)風戀といふこころをよみ侍りけるに
權中納言師時
追風[※おひかぜ]に八重の鹽路[※しほぢ]を行く舟のほのかにだにもあひ見てしがな
百首歌奉りしに
攝政太政大臣
かぢをたえ由良の湊[※みなと]による舟のたよりも知らぬ沖つしほ風
題しらず
式子内親王
しるべせよ跡なき波に漕ぐ舟の行方も知らぬ八重のしほ風
權中納言長方
紀の國や由良の湊に拾ふてふたまさかにだにあひ見てしがな
法性寺入道前堰白太政大臣家の歌合に
權中納言師俊
つれもなき人の心のうきにはふ葦の下根[※したね]の音[※ね]をこそはなけ
和歌所歌合に、忍戀をよめる
攝政太政大臣
難波人いかなるえにか朽ちはてむ逢ふ事なみにみ[※身]をつく[※盡]しつつ
隱名戀といへるこころを
皇太后宮大夫俊成
蜑のかるみるめをなみにまがへつつ名草[※なくさ]の濱を尋ねわびぬる
題しらず
相模
逢ふまでのみるめ刈るべきかたぞなきまだ波馴れぬ磯のあま人
業平朝臣
みるめ刈るかたやいづくぞ棹[※さほ]さしてわれに敎へよ海人[※あま]の釣舟
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