新古今和歌集。卷第十羇旅歌。原文。(窪田空穗ニ依ル戦前ノ校本)


新古今和歌集

底本ハ窪田空穗挍訂。校註新古今和歌集。是昭和十二年一月二十日印刷。同年同月二十五日發行。東京武藏野書院發行。已上奧書。凡例ニ曰ク≪流布本を底本とし、隱岐本、及び烏丸本新古今集と校合≫セリト。



新古今和歌集卷第十

 羈旅歌

  和銅三年三月、藤原の宮より奈良の宮に遷り給うひける時

  元明天皇御歌

飛ぶ鳥の飛鳥の里をおきていなば君があたりは見えずかもあらん

  天平十二年十月、伊勢の國に行幸[※みゆき]し給ひける時

  聖武天皇御歌

いもにこひわかの松原見わたせば汐[※しほ]干[※ひ]のかた[※潟]にたづ[鶴]鳴き渡る

  唐土[※もろこし]にてよみ侍りける

  山上憶良

いざこどもはや日の本[※もと]へ大伴の御津[※みつ]の濱松待ち戀ひぬらむ

  題しらず

  人麿

あまざかる鄙[※ひな]のなが[※長]路[※ぢ]を漕ぎくれば明石のとより大和[※やまと]島見ゆ

ささの葉はみ山もそよに亂るなりわれは妹[※いも]思ふ別れ來ぬれば

  帥の任はてて、筑紫より上[※のぼ]り侍りけるに

  大納言旅人

ここにありて筑紫やいづこ白雲の棚びく山の西にあるらし

  題しらず

  よみ人しらず

朝霧に濡れにし衣ほさずしてひとりや君が山路[やまぢ]越ゆらむ

  東[※あずま]の方[※かた]に罷りけるに、淺間[※あさま]の嶽[※たけ]に煙[※けぶり]の立つを見てよめる

  在原業平朝臣

信濃なる淺間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとがめね

  駿河の國宇都[※うつ]の山に逢へる人につけて、京に遣はしける

駿河なる宇都の山邊のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり

  延喜御時、屏風歌

凡河内躬恒

浪の上にほのかに見えつつ行く舟は浦吹く風のしるべなりけり

  延喜の御時、屏風の歌

  紀貫之

草枕ゆふ[※夕]風寒くなりにけり衣うつなる宿やからまし

  題しらず

白雲のたなびき渡るあしびきの山のかけはし今日や越えなむ

  壬生忠岑

東路[※あづまぢ]やさやの中山さやかにも見えぬ雲居に世をやつくさむ

  伊勢より人に遣はしける

  女御徽子女王

人をなほ恨みつべしや都鳥ありやとだにも問ふを聞かねば

  題しらず

  菅原輔昭

まだ知らぬ故鄕人[※ふるさとびと]は今日までに來むとたのめしわれを待つらむ

  よみ人しらず

しなが鳥猪名野[※ゐなの]を行けば有馬山[※ありまやま]ゆふ[※夕]霧立ちぬ宿はなくして

神風[※かむかぜ]の伊勢の濱荻[※はまおぎ]折りふせてたび寢やすらむあらき濱邊に

  亭子院御ぐしおろして、山々寺々修行し給ひける頃、御供に侍りて、和泉の國日根[※ひね]といふ所にて、人人歌よみ侍りけるによめる

  橘良利

故鄕[※ふるさと]のたびねの夢に見えつるは恨みやすらむまたと訪[※と]はねば

  信濃のみさかのかた書きたる繪に、園原[※そのはら]といふ所に旅人[※たびゞと]宿りて立ち明かしたる所を

  藤原輔尹朝臣

立ちながら今宵は明けぬ園原や伏屋[※ふせや]といふもかひなかりけり

  題しらず

  御形宣旨

都にて越路[※こしぢ]の空をながめつつ雲居といひしほどに來にけり

  入唐し侍りける時、いつほどに歸るべきと、人の問ひ侍りければ

  法橋奝[※左字大ノ下ニ周][てう]然

旅衣たちゆく浪路[※なみぢ]とほければいさしら雲のほども知られず

  敷津[※しきつ]の浦に罷りて遊びけるに、舟にとまりてよみ侍りける

  藤原實方朝臣

船ながらこよひばかりは旅寐[※たびね]せむ敷津つの浪に夢はさむとも

  いそのへちの方[※かた]に修行し侍りけるに、一人具したりける同行を尋ね失ひて、もとの岩屋[※いはや]の方[※かた]へ歸るとて、あま[※海]人の見えけるに、修行者見えばこれをとらせよ、とてよみ侍りける

  大僧正行尊

わが如くわれを尋ねばあまを舟人もなぎさのあとと答へよ

湖[※みづうみ]の舟にて、夕立[※ゆふだち]のしぬべきよし申けるを聞きてよみ侍りける

  紫式部

かき曇り夕立つ浪の荒ければ浮きたる舟ぞしづごころ[※靜心]なき

  天王寺に參りけるに、難波の浦にとまりてよみ侍りける

  肥後

さ夜ふけて葦のすゑ越す浦風にあはれうちそふ波の音[※おと]かな

  旅の歌とてよみ侍りける

  大納言經信

旅寐してあかつきがた[※暁方]の鹿のね[※音]に稻葉おしなみ[※押し均み]秋風ぞ吹く

  惠慶法師

わぎも子が旅寐の衣薄きほどよきて吹かなむ夜半[※よは]の山かぜ

  御冷泉院の御時、うへのをのこども、旅の歌よみ侍りけるに

  左近中將隆綱

葦の葉を刈り葺くしづの山里にころも[※衣]かたしき[※片敷き]旅寐をぞする

  賴み侍りける人におくれて後、初瀨[※はつせ]に詣でて、夜とまりたりけるところに草を結びて、枕にせよ、とて人のたび侍りければ、よみ侍りける

  赤染衞門

ありし世の旅は旅ともあらざりきひとり露けき草まくら[※枕]かな

  堀河院の百首哥に

  權中納言國信

山路[※やまぢ]にてそぼちにけりな白露のあかつき[※曉]おき[(露)置き‐起き]の木木の雫[※しづく]に

  大納言師頼

草まくら[※枕]旅寐の人はこころせよありあけの月も傾[※かたぶ]きにけり

  水邊旅宿といへるこころをよめる

  源師賢朝臣

磯馴れぬこころぞ堪へぬ旅寐する葦のまろ屋にかかる白浪

  田上[※たなかみ]にてよみ侍りける

  大納言經信

旅寐する葦のまろ屋の寒ければつま木こり積む舟急ぐなり

  題しらず

み山路[※やまぢ]に今朝や出でつる旅人の笠しろたへ[※白妙]に雪つもりつつ

  旅宿雪といへるこころをよみ侍りける

  修理大夫顯季

松が根に尾花[※をばな]刈りしき夜もすがらかたしく袖に雪は降りつつ

  陸奥に侍りける頃、八月十五夜に京を思ひ出でて、大宮の女房のもとに遣はしける

  橘爲仲朝臣

見し人も十布[とふ]の浦風おとせぬにつれなく澄める秋の夜の月

  關戶[※せきと]の院といふ所にて、羇中見(レ)月といふこころを

  大江嘉言

草枕ほどぞ經[※へ]にけるみやこ[※都]出でて幾夜[※いくよ]か旅の月に寐ぬらむ

  守覺法親王家に、五十首歌よませ侍りけるに、旅の歌

  皇太后宮大夫俊成

夏刈[※なつかり]の葦のかりねもあはれなり玉江[※たまえ]の月のあけがたの空

立ちかへりまた[※又]も來て見む松島やをじまの苫屋[※とまや]波にあらすな

  藤原定家朝臣

こととへよ思ひおきつの濱千鳥[※はまちどり]なくなく出でしあとの月影

  藤原家隆朝臣

野邊の露うらわの浪をかこちても行くへも知らぬ袖の月影

  旅の歌とてよめる

  攝政太政大臣

もろともに出でし空こそ忘られね都の山のありあけの月

  題しらず

  西行法師

都にて月をあはれと思ひしは數にもあらぬすさびなりけり

月見ばと契りて出でしふるさとの人もや今宵袖ぬらすらむ

  五十首歌奉りし時

  家隆朝臣

明けはまた越ゆべき山のみねなれや空行く月のすゑの白雲

  藤原雅經

故鄕[※ふるさと]の今日のおもかげ[※俤]さそ[※誘]ひ來[※こ]と月にぞ契る小夜[※さよ]のなか山

  和歌所月十首歌合のついでに、月前旅といへるこころを人人つかうまつりしに

  攝政太政大臣

忘れじと契りて出でしおもかげは見ゆらむものをふるさとの月

  旅の歌とてよみ侍りける

  前大僧正慈圓

東路[※あづまぢ]の夜半[※よは]のながめを語らなむ都の山にかかる月かげ

  海濱重(レ)夜といへるこころをよみ侍りし

  越前

いく夜かは月をあはれと眺めきて波にをりしく伊勢の濱荻[※はまおぎ]

  百首歌奉りし時

  宜秋門院丹後

知らざりし八十瀨[※やそせ]の波を分け過ぎてかたしくものは伊勢の濱荻

  題しらず

  前中納言匡房

風寒み伊勢の濱荻分け行けば衣かりがね浪に鳴くなり

  權中納言定賴

磯馴れでこころも解けぬこもまくら[※菰枕]荒くなかけそ水の白浪

  百首歌奉りしに

  式子内親王

行末[※ゆくすゑ]は今いく夜とかいはしろの岡のかや根にまくら結ばむ

松が根のをじまが磯のさ夜枕いたくな濡れそあまの袖かは

  千五百番歌合に

  皇太后宮大夫俊成女

かくしても明かせばいく夜過ぎぬらむ山路[※やまぢ]の苔の露の筵[※むしろ]に

  旅にてよみ侍りける

  權僧正永緣

白雲のかかる旅寐もならはぬに深き山路に日は暮れにけり

  暮望(二)行客(一)といへるこころを

  大納言經信

夕日さす淺茅[※あさぢ]が原の旅人はあはれいづくに宿をかるらむ

  攝政太政大臣家歌合に、羇中晩嵐といふことをよめる

  藤原定家朝臣

いづくにか今宵は宿をかり[※借り‐狩]衣ひもゆふ[※結ふ‐夕]暮の嶺の嵐に

  旅の歌とてよめる

旅人の袖吹きかへす秋かぜに夕日さびしき山のかけはし

  藤原家隆朝臣

故鄕[※ふるさと]に聞ききしあらしの聲も似ずわすれね人をさやの中山

  藤原雅經

白雲のいくへの峯を越えぬらむ馴れぬあらしに袖をまかせて

  源家長

今日は又知らぬ野原に行き暮れぬいづれの山か月は出づらむ

  和歌所の歌合に、羇中暮といふことを

  皇太后宮大夫俊成女

ふるさとも秋は夕べをかたみにて風のみをくる小野の篠原[※しのはら]

  雅經朝臣

いたづらに立つや淺間[※あさま]の夕けぶり里とひ[※訪ひ]かぬるをちこちの山

  宜秋門院丹後

都をば天つ空とも聞かざりき何ながむらむ雲のはたて[※限り]を

  藤原秀能

草まくらゆふべの空を人と[※問]はばなきても告げよ初かり[※雁]の聲

  旅のこころを

  有家朝臣

ふしわびぬ篠[※しの]のを[※小]笹のかり枕はかなの露やひとよ[※一と夜]ばかりに

  石淸水歌合に、旅宿嵐といふことを

岩がねの床にあらし[※嵐]をかたしきて獨[※ひとり]や寐なむさやの中山

  旅の歌とて

  藤原業淸

誰[※だれ]となき宿のゆふべを契にてかはるあるじを幾夜とふらむ

  羇中夕といふ心を

  鴨長明

枕とていづれの草に契るらむ行くをかぎりの野べの夕暮

  東[※あづま]の方[※かた]へ罷りける道にてよみ侍りける

  民部卿成範

道のべの草の靑葉に駒とめてなほ故鄕[※ふるさと]をかへりみるかな

  長月の頃、初瀨[※はつせ]に詣でける道にてよみ侍りける

  禪性法師

初瀨山夕越え暮れてやど[※宿]と[※問]へば三輪の檜原[※ひはら]に秋かせぞ吹く

  旅の歌とてよめる

  藤原秀能

さらぬだに秋の旅寐はかなしきに松に吹くなり床の山風

  攝政太政大臣家歌合に、秋旅といふことを

  藤原定家朝臣

忘れなむ待つとな告げそなかなかにいなばの山の峯の秋風

  百首歌奉りし時、旅の歌

  家隆朝臣

契らねど一夜[※ひとよ]は過ぎぬ淸見潟[※きよみがた]波にわかるるあかつき[※曉]の空

  千五百番歌合に

故鄕[※ふるさと]にたのめし人も末[※すゑ]の松待つらむ袖になみ[※波]や越すらむ

  歌合し侍りける時、旅のこころをよめる

  入道前關白太政大臣

日を經[※へ]つつみやこ[※都]しのぶの浦さびて波より外[※ほか]の音[※おと]づれもなし

堀川院御時、百首歌奉りけ時、旅の歌

  藤原顯仲朝臣

さすらふるわが身にしあれば象潟[※きさがた]や蜑[※あま]の苫屋[※とまや]にあまたたび[※度‐旅]寐ぬ

  入道前關白家百首歌に、旅のこころを

  皇太后宮大夫俊成

難波人葦火[※あしび]たく屋にやどかりてすずろに袖のしほたるるかな

  題しらず

  僧正雅緣

また越えむ人もとまらばあはれ知れわが折しける峯の椎柴[※しひしば]

  前右大将賴朝

道すがら富士の煙[※けぶり]もわかざりき晴るる間もなき空のけしきに

述懷百首歌よみ侍りけるに、旅の歌

  皇太后宮大夫俊成

世の中はうきふししげし篠原や旅にしあればいも[※妹]夢に見ゆ

  千五百番歌合に

  宜秋門院丹後

おぼつかな都にすまぬ都鳥こととふ人にいかがこたへし

天王寺に參り侍りけるに、俄に雨降りければ、江口に宿を借りけるに借し侍らざりければよみ侍りける

  西行法師

世の中を厭ふまでこそ難[※かた]からめ假のやどりを惜しむ君かな

  返し

  遊女妙

世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ

  和歌所にて、をのこども、旅の歌つかうまつりしに

  定家朝臣

袖に吹けさぞな旅寐の夢も見じ思ふかたより通[※かよ]ふうら[※浦]風

  藤原家隆朝臣

旅寐する夢路[※ゆめぢ]はゆるせ宇都の山關とは聞かずもる人もなし

  詩を歌にあはせ侍りしに、山路秋行といへるこころを

  定家朝臣

みやこ[※都]にも今や衣をうつ[※搏つ‐宇都]の山ゆふ[※夕]霜はらふ蔦[※つた]の下みち

  鴨長明

袖にしも月かかれとは契り置かず淚は知るやうつ[※宇都]の山ごえ

  前大僧正慈圓

立田山秋行く人の袖を見よ木木のこずゑ[※梢]はしぐれざりけり

  百首歌奉りし時、旅の歌

さとりゆくまことの道に入りぬれば戀しかるべき故鄕[※ふるさと]もなし

  初瀨に詣でて歸さに、飛鳥川のほとりに宿りて侍りける夜、よみ侍りける

  素覺法師

故鄕へ歸らむことはあすか川わたらぬさきに淵瀨たがふな

  あづまの方[※かた]に罷りけるによみ侍りける

  西行法師

年たけてまた越ゆべしと思ひきやいのち[※命]なりけりさよの中山

  旅の歌とて

思ひ置く人の心にしたはれて露わくる袖のかへりぬるかな

  熊野へまゐり侍りしに、旅のこころを

  太上天皇

見るままに山風あらくしぐるめり都もいまは夜寒なるらむ







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000